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宇治紀行 ─ その1─

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― 番外編 ―
もあります。
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平家物語[巻第九]に記される名場面
「宇治川先陣争い」

[ 原 文 ] 比は正月二十日あまりの事なれば、比良の高根、志賀の山、昔長柄の雪も消え、谷々の氷うちとけて、水はをりふしまさりたり。 白浪おびただしうみなぎりおち、瀬枕おほきに瀧なって、さかまく水もはやかりけり。 夜はすでにほのぼのとあけゆけど、河霧ふかく立ちこめて、馬の毛も鎧の毛もさだかならず。

 時は元暦元年一月二十日、源義経の初陣にて語り継がれるエピソード。
 名馬麿墨(するすみ)にまたがった梶原源太景季と主君の源頼朝から愛馬生喰(いけづき)を拝領した佐々木四郎高綱が先陣を争います。
 出遅れた高綱はとっさに「馬の腹帯がゆるんでおるぞ」と梶原に声をかけました。梶原は、なるほどと帯を直そうとすると、そのすきに佐々木が追い抜きました。
 しまったと思った梶原は大声で「佐々木殿、手柄をあせってしくじるな。川の底には綱が張ってあるぞ」といいました。 「こころえておる」佐々木は足にからむ綱を断ち切り、流れを乗り切って一番乗り・・・

〈 当店より徒歩 約5分 〉

・・・ 宇治川先陣之碑 ・・・
石碑の材は“宇治石”と呼ばれ、主に天ヶ瀬ダム付近とその上流の宇治川ラインの水底に露出していた輝録凝灰岩で、海底火山によってできたものです。 古代より古墳の石棺などによく用いられ、水に濡れるときわだつ緑色が特徴です。また、金が含ま れると“金たれ”、銀が含ま れると“銀たれ”と呼ばれ、茶うすにも珍重されました。  「宇治川先陣之碑」のほかに、平等院鳳凰堂の正面の庭にある灯籠も“宇治石”でできています。
 現在、“宇治石”の大半は、天ヶ瀬ダム建設によりダム湖の鳳凰湖に沈んでしまいました。

 尚、実際に先陣を争って川を渡った場所は、「宇治川先陣之碑」のある府立宇治公園 橘島より下に掛かる宇治橋の下流あたりであったといわれています。


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宇治拾遺物語
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