六十歳からが人生の本番 その3 |
やまのい高齢社会研究所
山 井 和則
京都桂川園 鎌 田 松代 ケアマネージャー 佐々木 信子 |
食事と排泄と入浴。それ 山井 老人ホームに入って、この方は第二の人生を楽しんでおられるな、というケースは、ありますか。 鎌田 いまは、ない。 山井 どうしてですかね。 鎌田 うちが、新しい施設だからかもしれない。 山井 本人の問題ですかね、それとも施設の問題ですかね。それとも、老人ホームというものの、構造上の問題ですかね。 鎌田 私は、構造上の問題だと思う。人的配置の問題だと思うんですよ。 職員それぞれは、意識しているし、個々を見ていきたいと思っているけれど、いかんせん、 三大介護、つまり食事・排泄・入浴。それだけで追われてしまつちゃうから、それ以上のものに、手出しができない。 たとえば、私はきのう、病院受診についていったんだけど、そのおばあちゃんが、「鎌田さん、帰りにラーノン食べに連れてって」って、言うのね。 山井 おおっ、すばらしい。 鎌田 私は、やってあげたい気持ちはあるんですよ。でも、それを私がやると、いろんな問題が、たくさん出てくるんです。 その人には、家族もいるんです。だけど、家族は忙しくて、とりあえず、おばあちゃんが食べたいと言ったものを持ってくるだけで、せいいっぱい。だから、その他のことはできない。 うちのケアスタッフも、ぎりぎりのところでやっています。それじゃ、他の人から「ラーメン食べたい」と言われたとき、公平にできないんですよね。 あの人にやって、なんで私にはやってくれないのっていうところを突かれたときに、そこの問題を、クリアできない。 職員が少ないから、例えば、月に一回、あなたの行きたいときに行って、好きなことをしていいですよ、ということができないんです。 「じゃあ、ラーメンはいいから、おはぎ買ってきて」と言われたけど、それも出来ない。 山井 うわ一つ、辛いなあ。 鎌田 ほんとに辛いんだけど、それをやったら、必ず、他のおばあちゃんに、「あの八にぱ、やってくれて、私にはなんでして、くれないの」と、言われる。 出来るときと、出来ないときの差があれば、低きに流れる。それが、いまのホームの現状であり、人の配置なんです。 介護保険で、いままでの4対1の人員配置が、3対1という形で増えてはきているんだけれども、それでも、ほんとうに、その人の生活を支援していこうというやり方なら、もっと人がいないと出来ない。 人間が生きるために必要とする最低限の生活を保障するためのもので、暮らしじゃない。それが、今の老人ホームかなあというふうに、私は思ってる。 だけど、小さな家を借りて、少人数で暮らすグループホームには、まだ暮らしがある。おばあちゃんが、お茶碗洗っていても、それはいいし、出たいといったときには、ついていける。 じゃあ、きょうは散歩にいこうか、お天気もいいし、といったら行けるんです。でも、うちは、天気がよくても、外に出してあげることはできない。できても、ベランダまでで、いまはそれすら出来ない。 本人の問題もあるけれど、したいと言ったときに、しっかりと、してあげられない、支えてあげられないという辛さというのは、すごくありますね。少しずつ、変わってはきているけれど、まだまだです。 だから、老人ホームに入ってるよりは、デイサービスに来ているおばあちゃんのほうが幸せかなあと思います。 家族がブーブー言いながらも世話をしていて、一週間に一回「じゃ、おばあちゃん行っておいで」といって送り出す。おばあちゃんはデイサービスで楽しんで帰ってきて、その問、家族も、ちょっと、ゆっくりする。それでまた、しゃあないなあと言われながらも、家族にお世話してもらっている。 |
病院は世間体がいい、老 佐々木 私は、鎌田さんのところの施設も、すばらしいなと思っているんですよ。 私は、老人病院の悲惨さというのを、見てきたんです。叔父と叔母がね、有料老人ホームに入ったけど、病気が出て、併設の老人病院へ入院したんです。そのときのやり方のひどさ、それを十年間、目の当たりにしてきたんです。もう、それこそ、悲惨ですよ、全くプライバシーもないし、そういう世界を、実際に、体験しました。 そういう意味で、痴呆になったときは、病院じゃなくて、ホームでお世話になったほうが、 本人も家族もいいんじゃないかなあって、つくづく思っています。それは、病院とホーム両方とも経験したもんですから。 鎌田 たしかに、そうです。老人病院で社会的入院していて、うちのホームにきたら、自分でご飯食べることができるようになったとか。それは、それまでの環境がさせなかったんです。 たとえば、最初は奥さんがご主人を見てたんですけど、奥さんも倒れて、別々の病院で、二人で生活してたんです。ご主人のほうは娘さんに引き取られたけど、奥さんは自宅に戻れζかったんです。そこで、うちか、たまたま新設のホームだったから、二人一緒に人れて、いまはまた、夫婦二人の生活が、二人部屋のなかで、くりひろげられています。 奥さんのほうは、下半身がマヒしているんだけれど、少しづっ動けるようになってきていまず。やっぱり、そういう環境があれば、生活というのは、広がっていく。そういう面では、いいなあと思いますね。 山井 佐々木さんがおっしゃった通りでね、私がこの問題に取り組んでいる理由は、やはり、 老人病院でショックを受けたというのが、大きいですね。あれは、強烈です。 私が、老人病院で実習させてもらったのは、痴呆病棟だったんです。男性と女性の痴呆症のお年よりが、お風呂の時間になったら、裸にさせられて廊下に並んでいるんですよ。ショックでしたね。私はね、人間というものが、こんなに軽く扱われていいんだろうか。もう、人間の尊厳なんてないですよね。 日本人がしなくてはならない発想の転換のひとつは「病院は世間体がいい、老人ホームは姥捨山で悪い」。この考え方を、変えていかないとダメです。 もちろん、治療がどうしても必要な人は、病院がいいですけれど、残念ながら、老人病院とか、老人型病床群というのは、治療は一段落してるけれと、老人ホームが満員だとか、老人ホームは世間体が悪いだとか、そういう理由で入院している人が多いわけです。 それは、老人ホームより、はるかに居住環境は悪いし、寝間着姿のままで、寝たままだし。 そういうところで、六年から、八年ぐらい生きるわけです。これ、とても長いですよ。 人生 .のほんとに長後、たとえば、半年から一年くらい、病院に入らざるをえない、これは、しょうがないかもしれないけれど、六年から八年といったら、短期間ではないですからね。鎌田 老人病院に六年ぐらいいてから、うちに来るんです。介護する人も歳をとり、自分の身体の調子も悪く、家での介護は出来ない状況になっているのです。そこからまた十何年ですから、ほんとに老後は長いです。 もう、ボケざるをえない。ボケなきゃ、生きてられないというふうにも思いますよね。そうして、いい時代だけを思いながら、過ごしていく。なんか、悲しくなつちゃう。 山井 だから、これもね、欧米と日本との明らかな違いです。欧米では、老人病院というものが、そもそもありません。入院が必要な人だけが、病院に入って、あとの人は、ナーシングホームといわれている老人ホームか、在宅なんです。はっきりしてるんですよ。 ところか、日本は違います、 ,老人ホームか満員だから、病院で待っているとかね。そんなこと、外国てはありえないてす、これは、よくも悪くも、日本では国民皆保険で、病院がひじょうに入院しやすいという、恵まれた環境にあるのと、さっき言ったように、日本は、病院なら世間体がいい。家族会議開いて、親を老人ホームに預けたといったら、「長男のくせに、なにやつてるんだ」と言われる。ところが、病院なら、「病気だからしょうがない」と。誰も文句は言わないわけです。この世間体を変えないとダメですよ。 私も、研究所をやっているから、ときどき相談があるんですけれど、いちばん多い相談は、 「病院に三カ月入院して、退院しろと言われたけど、オムツになって、家で面倒を見れないから、いい病院を紹介してください」という。それで、どんな病気なんですかと言うと、「いやトイレに行けない、オムツしてるんです」と言う。「じゃ、病気ではないんですね」「ええ、オムツしてるんです」と、こう言うわけです。 「それなら、とくに治療が必要というわけではないから、老人ホームのほうがいいですよ。 老人ホームなら、お祭りもあるし、サークル活動もあるし、それこそ、五年、十年、生きるわけですからね」と言ったらね、「何回言ったら、わかるんだ、ばかにするな !そんな老人ホームに親を入れられるか」。ガシャーンって、電話、切られるんですよ。その方にすれば、もう、はなつから、老人ホームに入れるなんて、そんな親不孝なことできるか、ということなんです。 鎌田 やはり、養老院なんですよ。それで、うちに見学に来て、新築だから、きれいですね、明るいですね、と言って帰っていくんです。でも、やっぱり最後、死ぬときは、老人ホームで死なすのではなくて、病院で亡くなるほうが、手厚く治療もしたのだと、世間体がいいというのはあるんでしょうね。だから、最後というときに来て、やっぱり病院がいいという人もいますしね。病院、好きですね。これでは、医療保険がパンクして当然です。 山井 それはね、医療神話、医療信仰で、その逆で、福祉嫌いなんですよ、日本人は。 たとえば、アメリカなどでは、民間の保険も、ひじょうに高いわけですよ。だから、アメリカ人の頭のなかには、病院というのは、すごく高いから、必要最小限の期間しか入らなくて、当たり前というのがある。 たとえば、日本人の平均入院日数は、一年間で、三十二日ぐらいです。アメリカなんか、七日間ですよ。短かければいいというものじゃないですけど、 4倍半も違うわけですからね。この意識も変えていかなければならない。 だから、笑い話ですけど、いちばんの老人ホームの改革方法は、病院という名前に変えるんです。病院という名前の老人ホームにするんです。 これは、私が老人ホームと老人病院で、実習させてもらったでしょう。そうしたら、老人病院のほうが、悲惨なんですよ。悲惨なんですけれど、老人病院にいる人のほうが、ブライドを持っている。これは、発見でしたね。 「どうして、入院しているんですか」と聞くと、「私、病気なんです」と、胸張って言う。 「家族に捨てられたんじゃありません。病気だから、入院してるんです」と言う。「老人ホームとは違います」とも言う。もう、自分で言うんですから。 実質上は、もう家に帰れないんですよ。どう考えても、社会的入院なんですけどね。やっぱり、病院にたいする信仰というのは、すごいものがあるなあと思いましたね。 佐々木 私どもも、痴呆のおばあちゃんを、ショートステイに初めて預けたときに、着いたとこが、ホームって書いてあるでしょう。おばあちゃん、顔色が変わってしまって、「よくもまあ、あんたは、こんなとこへ、ホームっていうとこへ、私を捨てる気か」って言って、廊下を走りだしたんです。 そこで、白衣を着たお医者さんと看護婦さんが来てくれまして、「ここは病院なんですよ、あなたも、いろいろ病気があるようだ。私が体を診てあげましょう。一週間じっくり診たら、お家に帰れますよ」と言って説得してくれたんです。 だから、いま、おっしゃったように、ホームと病院、それくらい名前の差があるんですよ。 鎌田 でもね、お年よりにそういう意識があるというのは、老いがあると思うんです。自分の体が衰えていくし、病院だったら、お医者さんだったら、なんとか治してくれるというのがあるからだと思います。 山井 お医者さん好き、病院好き。 鎌田 そうそう。 山井 おクスリも大好き。 鎌田 大好き。とにかく、すっきり治るようなものをくださいとかね。 佐々木 たとえば、おクスリの飲ませ方もひどいところがあります。老人病院で見てたら、おかゆの上に、細かいクスリを、振りかけるんですよ。それで、グワーツと、混ぜてね、バーツと、口へ入れるんです。嫌になりましたね。 鎌田 老人病院から来ると、そうしてしか、飲めないんです。 佐々木 ほんとにね。 鎌田 おクスリだけを飲ませたら、むせてしまうから、ご飯やおかゆのなかに、振りかけてくださいと必ずいうんです。それで、そんなことはできないし、変な味がするでしょといっても、ダメなんですね。 山井 習慣になってる。 鎌田 五年も六年も病院にいるから、そうなってしまうのでしょう。それに、粉グスリだけだと、のどにくっついて、引っ掛かるから、おかゆと混ぜたら、とろみがついて、上手に飲めるんですね。 佐々木 施設で研修受けたときに、ジャムが一人ずつに用意してあるんです。そのジャムにおクスリを練り込んで、舌に塗って、飲ませている。これならお年よりが痴呆になっても、おクスリが投与できるなあと、良い勉強をさせてもらいました。 鎌田 甘いと飲みやすいんですよね。 |
退職して一人になって、 山井 今日、写真を持ってきたんで、ちょっとだけ、スウェーデンのお年よりのことを、説明させてもらいますとね、さっき言ったように、これは、スウェーデンの老人会で、週 1回の、グランドボールみたいなやつをやっているんですね。鎌田 これ、元気な人ですか。 山井 元気。大元気ですね。 鎌田 老人クラブみたいなものですか。日本でいえば。 山井 そうそう、老人クラブ。まあ、ほんとに元気ですね。あと、それと、たとえば、これなんかも、スウェーデンで象徴的でね。一人で歩行器を押して散歩する方というのは、寒いとき でも、多いですね。それで、これが、スウェーデンの老人ホームですけれど、やっぱり、個室なんですね。 だから、いまの鎌田さんの話も聞いていて思ったのは、やはり老人ホームも、日本での老いの姿が変わってきたら、プライバシーを重んじて、それぞれの人が個室で趣味を楽しめるようなものにしてほしいですね。死を待つ場所じゃないわけで、最後の五年、十年、もう一回、人生を楽しむ場所なんですから。 鎌田 終末の場所じゃないんです。 山井 だから、自己表現できる環境にしなければ。そのためには、最低限、こういう個室にする必要がある。 たとえば、スウェーデンだったら、自分の好きな絵とか持ち込んで、できるだけ、その人らしい居場所にしている。 この人が仲よしだったスウェーデンの方なんですけどね、おばあさんとはいえない、かくしゃくとした雰囲気があるんですね。当時、八十歳で、大学生なんですよ。 やっぱり、スウェーデンは、老後は楽しむものという思想が徹底してるから、退職してからも、大学に入学できるんです。それで、じつはね、このルンド大学というのは私が留学してた大学で、なんと、この人クラスメートだったんです。それで、老人福祉にとても詳しい。当たり前ですよね、自分が高齢者の一人暮しだから。元気だと思われるかもしれないんですけど、もう、目もあまり見えないし、指先もふるえているんです。 鎌田 きれいなマニキュアしてて。だれかが、やってあげてるんですね。 山井 そうですね。目もあんまり見えないんで、こんなに大きな拡大鏡みたいなのをされていました。新聞を切り抜くにも、手がふるえて切れないんで、ちょっとした力で切れる特殊なハサミを使っていました。 この方は、ヨハンナさんというんですけど、長らく銀行に勤めておられたんです。退職までは、子どものためや、夫のために生きてきたけど、いま、一人暮しになって、これまででいちばん幸せな、充実した時期だとおっしゃってましたねえ。 それでね、部屋の窓に凝ってましてね、赤と緑のランプが窓際に置いてあるんですよ。それで、体弱いから、いつ倒れるかわからないから、赤のランプをつけてあるときは、大丈夫という信号なんです。それで、ランプの色が、緑に変わったときには、助けてという信号。 鎌田 黄色い旗みたいですね。 山井 そうそう、黄色い旗みたいなものです。もちろん、チェックしてくれる知り合いがいるんです。毎日、倒れてないかというのをチェックして。もし、緑のランプになってたら、ノックして、訪問するということになってるんですけど。 鎌田 世の中自体が、高齢になっても、すごく住みやすかったり、自分がやりたいことがやれる環境なんですね。 山井 この方は、もともとは、大学に行きたかったそうなんですけど、お父さんが亡くなられた関係で、高校を出て、仕事につかれた。小さいときからの夢が、大学に行って、勉強したいということだったんです。 それで退職してから、たまたま、ルンド大学が高齢の方でも入学を受け付けるという新聞記事を見て、これだと思って入学して、昔からの夢が実現したというんです。 人生の夢が、大学に入って、研究を楽しむことだったので、いまがいち .はん楽しいといっていました。でも、日本も、広島大学で、六十歳以上の方の入学を、別枠で募集するというのが出来たから、そういうふうになってくるかもしれませんね。 |
60歳からが人生の本番