六十歳からが人生の本番  その2
やまのい高齢社会研究所   山 井   和則

京都桂川園   鎌 田   松代

ケアマネージャー  佐々木 信子


その1 その2 その3 その4

ホームにはホームの
よさがいろいろある

鎌田 

老いには、いろんなことがあると思うんですけど、それなりに受け止めている人は、それなりに大事にされながら過ごせると思います。だけど、あっちが痛い、こっちが痛い、目が見えない、ああしろこうしろと.バタバタやってる人は、本人も辛いし、周りも辛い。

山井さんが車イスの文化って言ったでしょう。うちには、脊髄損傷とか、脳性マヒの方の身体障害者の施設もあるんです。

それまで在宅だった身体障害者の方が、うちの施設にきて、なにが変わるかといったら、バリアフリーでしょう。そうしたら、生活圏が広がるんですよ。生活になじむと動けるから、可能性が出て来るんです。

お年よりもそうなんです。立てない、歩けないとかで、狭い段差のある家の中では、這ったり、動けないので寝てたりしていた人が、ホームに来ると、車イスで動ける。とりあえず、どこかまで行きたいと思えば、車イスで行けるんです。

車イスも、練習したら、自分で動かせますし、ベッドからの乗り降りもできるようになります。生活圏が広がって、いろんなものを見聞きするから、元気になってくるということがあります。

やっぱり、空間というか、住環境の違いというのは、ものすごく大きいと思います。日本の家屋というのは、バリアフリーにはなってないから、どうしても、寝かせっきりになってしまわざるをえない。

それと介護力の違いですね。起こしたりリハビリをして、起き方、動き方を教えてくれる人がいない。

だから、介護保険で、どんなに、スロープを作ります、住宅改造をします、車イスを貸します、といってもダメなんです。土間や玄関が狭いから、段差を越えて、スロープをつけたにしても45度ぐらいもあるんです。それを、毎日、散歩に出ましょうなんて、とても言えない。

しかし、ホームだったら、ベッドからポンと降りれば、“きたいところにいけるんです。やる気のあるおばあちゃんだったら、自分で頑張ってやってみようかっていって、コツ当見えて、だんだんに自分で出来るようになるんです。

自分で、起き上がって、好きなところに行ける。こんな嬉しいことないですよね。だから、環境の違いというのは、ひじょうに大きいですね。

それと、具合が悪い時には、寝ていれば治るという文化は、延々と、いまも続いてます。これは、なかなかぬぐい去ることができないですね。

「具合が悪いから、寝てなきゃいけない」という人には「寝てるあいだに、一週間に一割ずつぐらい、筋力が落ちていくわよ」と言うんですけどね。

安静介護というのかな、それは、脈々と続いているんです。本人の意識にも、それから、介護者、家族の意識にも。

私は、老人ホームにくる前には、デイサービスに行っていたんです。そこで感じたのは、デイサービスに一週間に一回来るようになったら、お年よりが元気になる。それは、やはり、自分の可能性や、生きがい、人のためになにか役に立ちたい、立ってる自分というのが、嬉しいというのがあるんですね。

だからここに来て、何かをしたり、自分の楽しみもあって、もう一度自分の人生を、楽しめることがわかる。ああ、自分はこんな体になったけれど、こんな可能性もあって、こんなこともできるようになったと、たいへん元気になってこられる方が多いんです。

そういう意味では、介護保険でサービスが広がります。いままでは、たとえば京都市だったら、サービスの枠が少ないから制限して来てたんですけども、今回の介護保険で、施設数が増え、いままで我慢していた分、サービスの回数を増やせるようになってきています。

いままでは、テイケア何回、デイサービス何回って決められていたんですが、増やせるんだと分かったら増えましたね。これ両方、どっち使ってもいいんです、そうしたらデイサービス三回受けてた人が、毎日でも使わせてくださいとか、出てきました。ただし、これも、自分の要介護度で、限度額が決まっているので、本人の希望通りにはいきませんが。

ショートステイに関しては、限度額がキッチリしているから使いづらいんですけれども、在宅のいろんなサービスは、わりと使いやすくなってきました。介護保険のいい面じゃないかなと思っているんです。いままでのお仕着せの措置ではなく、自由に選択ができる点も評価できると思います。

いままでは、決められたところしか行けなかったのが、自分で選んでいける。そういう意味では、選択ができるサービスというのは、いろんな問題はたくさんあるけれども、いい面は少しずつ伸びてくるかなあというふうに、思っているんです。

車イスになってもすごい
可能性がある。けっして
人生の終点ではない

山井

いま、鎌田さんが、可能性ということ言われたんですけど、私も、この老入福祉という分野がすばらしい分野だなあと思ってるのは、車イスになられたお年よりのなかでも、すごい能力や可能性があるんですね..

それをいちばん感じたのは、いまから十年前、曽野綾子さんが、年に一度なさっている、車イスの方、目の不自由な方とかを、ローマやイスラエルに連れていく聖地巡礼の旅に同行したときです。

三週間も行くんです。車イスと、目の不自由な方を連れて、曽野綾子さんとボランティアの人達が。私も、そのボランティアの一員で行かしてもらったんですけどね。

そのときに、二十年間、もう車イスか、寝たきりだったおじいさんが参加されたわけです。

その人が、敬慶なクリスチャンで、聖地巡礼に行くということで、来ることになったんです。

それで、びっくりしたのは、成田空港に来た時点で、そのおじいさん、もう、顔面蒼白なんですよ。大丈夫ですかって言ったら、二十年ぶりに老人ホームから外へ出たと言うんですよ。

団長の曽野さんに、「これから十何時間かけて、イタリアに行くんですよ。大丈夫ですか。亡くなっても、責任取れませんよ。」といったら、死んでも本望だろうと言うわけですよ。クリスチャンの人が、聖地巡礼の旅の途中で死ねば本望だから、気にしなくていいと言うのね。本人はいいかもしれないけど、付き添いのほうは、かないませんということを言ったんです。

 それでも三週間、旅をしてびっくりしたのは、車いすを押すボランテァは疲れて倒れて

いったけど、本人は、どんピん元気になっていく。きょうはイスラエルのビールがおいしかった、あしたはイタリアのビールだ、とかいって、どんどん飲んで、顔は真っ黒に日焼けしてたくましくなってくるんですよ。

三週間の旅が無事終わって、考えてみたら当たり前で、二十年間、ホームから出たことがないわけだから、もう、すべてが天国みたいなものなんですよ。本人は、生き返っているわけですね、二十年分の楽しさで。

それで、老人ホームのほうに送り届けたら、老人ホームの人も、生きて帰ってくるとは思ってなかったから、笛や太鼓で、大騒動で、出迎えてくれる。生きて帰ってきたといって。

それから半年後ぐらいに、もう一回、その老人ホームに行ったんです。そしたらね、その旅行を契機に、おじいさんが、ぜんぜん変わったというんです。

それまでは、もう、自分はダメだと言ってたのがね。二十年前から寝たきりだからといって、一度も、園の行事に参加しなかったのが、先頭立って、行くという。

 巡礼に行くまでは,自分はもう車いすで、寝たきりだから,旅行なんて無理だと、完全にあきらめていたわけです。ところが、海外に行ったことが自信になって、もう一回人生を楽しもうと思うようになったんです。

だから、鎌田さんのお話のように、やはり日本では、車イスになったら、人生、オマケみたいな、小さくなって生きていかなくてはいけないという思い込みが、本人にも、世間にもあるんじゃないかなあ。やっぱり、そういう、周りの目というか、雰囲気を変えていかないとダメなんじゃないかと思います。

介護保険から落ちこぼれる
人もまだまだたくさんいる

佐々木 

私ね、鎌田さんとこの施設、見せてもらいましたけどね、そういういい老人ホームには、老人にすごく、チャンスがあるわけです。

ところが、京都の市中でありながら、住宅事情のひどいところに、たった一人、残されて、介護保険の情報が全く入らないような人が、いっぱいおられるんです。そういう人の申請が、4月以降から出始めています。

ところが、中には、近所からの苦情で、市も訪問したのですが、門前払いで、「私はなんとかやってます」といわれる人もいます。ほんとに、ひどいものを食べて、お風呂も、何年も入ってない。そういう状態でも、人を入れない。寄せ付けない。

それでも、お医者さんへいくときだけは、連れていってもらわなければ行かれない状態だから、お隣りさんに、なんとかたのんでいるんです。お隣りさんが、「いままでは、私が、何度も通院介助をしてきた、でも、介護保険ができたんだから、もう、このへんで通院介助を介護保険に切り替えてほしい」ということで、申請されました。このような依頼を受けたケアマネージャーさんから電話があり、私も相談にのっています。

それで、ケアマネージャーさんが、毎日、毎日、日参して、やっと、家の中に、入れてくれた。でも、家の中も、すごい状態だったそうです。

なんとかサービスにつなげたいと、思っていますが、そういう落ちこぼれの人、けっこう、

いらっしゃるんです。だから、介護保険も、もう少し時間がたたないと、そういう人たちまでのサービスにつながらないな、と思うんです。

知らない人は、なにも知らない。いくら介護保険の通知がこようが、門を叩こうが、閉ざしてしまってる。そんな人、まだまだいるなあと、思うんです。

山井

 佐々木さん、そのケースは、本人が嫌がっているんですか?それとも、ご家族が?

佐々木 

ずっと独身で、ご親戚があるのですが、ほとんど見放されている状態です。

本人は、プライドだけは高いから「お世話になりたくない、なんとかやってます」とおっしゃるんです。噛めないし、料理もできないから、魚屋さんに、タラコだけを持ってきてもらっている状態なんです。

そこで、ケアプランたてて、これくらいの利用料がかかるという話になったら、月に千円なら出すけど、それ以上のお金はぜったいに出さない、と、おっしゃるらしいんですよ。それではプランの立てようがない。

それでいて、お金を持っている。現金は蓄えておかないと、自分の老後が不安だと。そういう話を、けっこう聞きますよ。

どうして自分で働いたお金
を自分で使って、快適で豊
かな暮しをしないのか

山井 

私が、いまの話を聞いていて、つくづく思ったのはね、欧米と日本の、貯金に対する考え方の違いですね。

お話のように、日本でも、高齢者の方は、財布のヒモが固いといわれますよね。持っている人は、持っているのに。ところが、欧米のお年よりは、ほんとうにお金がないために、財布のヒモが固いんです。

私は、まだ高齢者ではないから簡単に言えるのかもしれませんが、お金があるなら、もうちょっと使ったらいいと思うんですね。お墓にお金は持っていけないし、子どもに残したって、しょうがないじゃないですか。

人生、これまで、必死に働いてきたんだから、そのお金を、自分のために使ったら、もっときれいに、快適に、生きられるわけでしょう。それは、どうしてでしょうかねえ。

鎌田 

それは、国や行政がやってくれないからですよ。アメリカはどうか分からないけど、たとえば、北欧だったら、それなりに、ちゃんと保障されるわけじゃないですか。

いまの年金制度もそうだけれど、ほんとにもらえるかどうかもわからない、瀬戸際に来てしまってるから、とりあえず貯めるということではないですか。

そのおばあちゃんは、まだ自分はやれてると思ってるから、財布を開けるときではないと思っているんです。それで、頼るものがないし、最後は、老後の沙汰も金次第で、出さなきゃいけないんだから、持っておかなくてはならないと。

私だって、年金制度の改革のとき、これは、ほんとに貯めないといけないと思いましたね。誰もしてくれないし、介護保険料は払わなきゃいけない。

昔は措置制度というのがあって、なんとかやってもらったけれど、これからは、危ないぞというふうにね。かえって、辛い面も出てきたかも知れない。だから、固くならざるをえない。

それと、お金の出し時がわからない。快適な生活をすればいいのに、しない。

佐々木 

お金を持っていても、そういう問題がありますね。たとえば、近所にかなり収入があり、お金はたっぷり持っているのに、使わない人がいます。

その収入、全部貯めているはずなのに、ある日行ったら、家の中に寒風が吹き込んでいる。

暖房もほとんどなくて、おばあさんも寒いって言うんですね。私の家から、コタツふとんを持っていきました。

蛍光灯が切れかかっていたから、替えてあげた。それから、「おばあちゃん、こんなに寒いとこにいたら、体に悪いわよ」って、血圧を計ってあげたら、200を越えているんですね。

それで、「アコーディオンカーテン、私が安いとこ知ってるから、このスキマ風を防いで暖房しなさい」と言ったんです。そうしたら、やっと心開いてくれて、それから、まあ、元気になったんですけどね。

亡くなられてから聞いたのですが、娘さんたちが、いくら言っても、お金を使わなかったそうです。使えない世代なんですって。それで、「佐々木さんが言ってくれて、はじめて暖房が入った」って言うんです。

ケチと言ったらかわいそうだけど、それが染み込んでいる世代があるんですね。お金の使い方が分からない人が、いまのお年よりのなかにたくさんいる。

在宅がいいかホームがいい
か、いちがいに言えないが

鎌田 

うちに入所している方たちは、けっこう、ちゃんと食べてますよ。在宅で、一人暮しなら、塩鮭とタラコとご飯だけでやってるんだと思いますが。

ホームに入ると、安心した生活ができるからか、まあホームでは、最低限のことしかできないけれども、夏涼しく冬暖かい部屋の中で、お風呂もちゃんと入れてもらって、それなりに清潔にしてすごしてたら、安定はするけど、厳しい現状の中で生きているお年よりは、頭もはっきりしていますね。

私が、前、訪問看護婦をしてたときに、在宅で、膝が悪く、寝たきりというか、座りきりのおばあちゃんがいたんです。

それまでは、なんとかポータブルトイレまで行けてたんだけど、ある日、動けなくなつちゃった。だから、ソファーに座りつきりで、排泄物は自分で、ゴミ袋の中に入れて。

息子がいて、食事だけは運んでくれるんだけど、排泄物の始末をして欲しいとか、オムツをあてて欲しいとか頼まない。お風呂も入らないという生活をしていた人がいたんです。

あまりにすごいからということで、往診の先生が、保健所に電話をして、私らが入ったんです。そしたら、ソファーに当たっているところが、ひどい床ずれなんですね。でも、頭はしっかりしてるんですよ。

そのおばあちゃんを、ここに置いていたらいけないということで、病院に入れた。そして次に見にいったら、ボケてた。

そうすると、はたして、この人にとって、どっちがよかったのかなあ、生きるってなんなのかなあって思ってしまった。

在宅がいいか、それとも施設がいいのかは、いちがいには言えないと思います。選べるという意味では、介護保険というのはいいし、老人ホームに入ったら、入りっきりでもないし、帰ろうと思えば、帰れる。まあ、実際は、帰れないんだけど。どちらでも、自分なりに、家族と一緒に選択ができるという意味ではいいと思うんです。

老人ホームの中では、ある程度、自立していた人でも、「じゃあ、お宅に帰る?家で、掃除

や洗濯、買い物、通院など、ヘルパーさん頼んで、手伝ってもらったら暮らせるよ」と言うんだけど、「やっぱり、不安だから、帰れない」と言うんですね。不安な部分があるから、ホームの四人部屋の、窮屈な生活のなかにいるんです。

やっぱり、なんかあったときに、すぐにベルさえ押せば、来てもらえる安心感。見にきてくれる安心感がある。それが、在宅だったら、ベルはあっても、人が来るまでの時間は、ものすごく長いんですね。老人ホームなら、一時間か三十分。最低でも、二時間に一回は見回りに来るし、同室者が必ず見てくれるという安心がありますから。

老後のいろんな不安を解決して、あと、自分の生き方というのを持てば、ある程度、明るくなるかなと、思うんですけど、「体がついていかないんだよ」という話もあるから、なかなか陽気にはいかないでしょうね。

でも、佐々木さんのさっきの話は、ショックです。


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