六十歳からが人生の本番 その1
やまのい高齢社会研究所   山 井   和則

京都桂川園   鎌 田   松代

ケアマネージャー  佐々木 信子


その1 その2 その3 その4 

日本人と外国人の違いは
まず「自立心」の違い

山井 

私は、まだ三十八歳で、老いのことについて論じる資格なんか、正直いって、ないんじゃないかと思うんです。ただ、たまたま私は、アメリカやスウェーデン、イギりスの老人ホームに、住み込んで、ボランティアをさせてもらった経験があります。そのなかで、日本の高齢者と欧米の高齢者とは、かなり違うなということを、強く感じてますので、そのことを、お話ししたいと思います。

たとえば、私が日本の老人ホームで、実習をさせもらったときに痛感したのは、ちょっと新聞紙がベッドから落ちたら、「兄ちゃん、これ拾って」だとか、「ミカンの皮、むいて」とか、あれしてこれしてという。まあ、いい意味で、甘えの文化なんですね。その要求にたいして、テキパキと世話をしてあげるのが、いいお兄さんやいい介護職員さん、という意識があるんです。

ところが、イギリスの老人ホームに住み込んで、ボランティアさせてもらって驚いたのは、向こうは、余計な手出しをすると、「ほっといてちょうだい」「子ども扱いしないで。それぐらい自分で山出来るわよ」といて怒るんですよね。

だから、そのへんの白立心の違いというのは、ひじょうにあります。

それが何につながっていくかというと、このへんは、鎌田さんのほうが、詳しいかもしれませんが、日本では、寝たふり老人と言われるように、寝てたほうがラクだ、もう、寝てたら、そのうち天国に行けるからというね。そういう考え方が強い。

ところが、やっぱり、アメリカやヨーロッパのお年よりというのは、自分の身は自分で守らないとダメだと思っている。寝たきりになったら、誰も助けてくれないから、自分が大変なんだという意識をもっていて、必死になってリハビリやったり、必死になって、手すりを伝いながらもトイレに行ったりする。やっぱり、自立心が違うと思うんですね。

結局、なにが違うのかというと、もしかしたら、日本の高齢者の方というのは、老後というのはオマヶなんだ、人生の本番は、だいたい終わって、あとはオマケなんだから、遅かれ早かれ、お迎えが来るから、それまでの時間つぶしみたいにね。そういう消極的なとらえ方が、老いというものにたいしてあるんじゃないかと思うんですよ。

ところが、たとえば、スウェーデンでは、退職してからが人生の本番だ。子どもも手から離れ、仕事からも自由になって、これから自分の好きなことをする時代だ。それこそ、六十歳以降が、いちばん自分らしい生き方ができる時代なんだと、いうような考え方で、歳とるほど逆に元気になってくる人がいるわけですね。

日本では、歳をとっていったら、もう人生は終わりにかかっている。それで、頼れるのは家族だけだと。介護も家族に任せる、身をすべて、ゆだねる。

まあ、老いては子に従えという言葉もありまずけれど、これは、いい悪いじゃなくて、日本の文化だと思うんですね。

言い方を変えれば、もしかしたら欧米の老いというのは、厳しくて、冷たいのかもしれないですね。家族にも頼れないんだから。でも、その.反面、ひじょうに前向きにとらえてる、という部分はあると思います。

いま、欧米と日本との大きな違いを言いましたけれど、そう言いながらも、日本でも、これからは、ますます欧米的に、老いを前向きにとらえて、自己実現していこう。家族には、そんなにベッタりくっつかないでおこうという人も、ふえてくるんじゃないかなあと思います。

これが、私が感じた、老後を人生のオマケと考える日本人に比べて、欧米では、これから楽しむんだよという人が多い、ということですね。これには、ぼくも、カルチャーショックを受けましたね。

家族に世話をしてもらって
当り前と思われてきたが、
世の中が変わってきた

鎌田 

私は老人ホームで働いているので、まさにその通りだなと思って、共感して聞いていました。

私は昭和三十年代の生まれなんですけど、私の幼いころ、小学生時代は、還暦を過ぎたらお年よりは、亡くなったものなんですよ。七十ぐらいで、だいたい、みんな亡くなるので、還暦まで迎えられたということを喜んでいましたし、八十まで生きる人って、とっても珍しかったんですよ。四十年代の始めぐらいまでね。

それで、お年よりは、病院に入っても、一週間か、一カ月。そんなに長くなくて、みんな亡くなった。

だから、介護をやってても、そんなに辛くなく、これは、自分らの義務であり、親から子へとずうっとやってきたことなんだからという形で、家族で介護をやってきたんです。それを当たり前の文化として、とらえられてきたのです。

私は、三十代の半ばぐらいから、この仕事につきました。介護を受けられている方は、だいたい八十五歳ぐらいですよね。八十代ぐらいから、介護を受けておられる方、その人たちが、望んでいる介護というのは、私が幼いころに見たあのお年よりの姿を、自分に重ねて描いているんですね。

だから、ちょっと弱ってきたり、自分が動けなくなってきたら、やっぱり寝てないと良くならない。それで、お世話をしてもらって、当たり前だという。

山井さんが言うように、物が落ちたら「取ってくれ」と、必ずベル押しますね。それで、「ここにあるから、取れるでしょう」と言っても、「なんで、そんな意地悪言うの。どうして取ってくれないの」と、こうなんです。でも、出来ることは頑張ってやってほしいから、「私、見てるから、やってごらん」と言っても「私は病気で体が弱っているからできない」と、お年よりは言うんです。

反対に、いまの私たち、四十代、五十代ぐらいの人たちは、山井さんのいう欧米の方のように、意識を変えないといけないって、すごく思うんですよ。いま、私のホームにいる人たちは、山井さんが言うように、老後の時を過ごしているんですよね。オマケで生きてて、そのオマケで生きる人生が二十年もあるんですよね。

八十から入所しても、お世話がいいから百歳くらいまで生きられるんですよ。「あと三日か四日ですよ」といわれて、病院から来た方だって、いまもお元気で、ちゃんと座って、自分でご飯を食べてます。まあ、たぶん、病院と施設を何回か行き来しながら、あと十年ぐらいは達者でいるのじゃないかなあと、思ってます。そのあいだに、子どもさんが、ガンで亡くなっておられるんですよ。

そういうふうに、人生というのか、世の中が変わってきてるというのを、すごく実感しています。

「自分のことは自分でする」と言っている、私と同年代の人たちでさえも、年をとったら、やっぱり子どもに面倒をみてもらうという。そうじやなくて、私は、子どもは、自分の人生を豊かにするためのもの。ものというとおかしいけど、自分の人生を、倍も、三倍も楽しませてくれるためのものであって、子どもには子どもの人生がある。

ですから、大事にしなくてはいけないのは、どっちかというと、主人かなというふうに思っています。そして、最後は自分しかいない。やっぱり、欧米の自立の考え方を、日本もこれからは取り入れていかないといけませんね。それと人生は長いんだということもね。

ケアマネージャーの資格
を取って、ご近所のいろ
いろな人の相談にのる

佐々木 

そうですね。私たちの世代は、ほんとにもう、働くことだけを考えていました。ゆとりがなかったですね。いまの共働きの若い夫婦なら、簡単に、ご主人に手伝ってもらえるような家事いっさいを、女性がやっていたんですね。親のことも介護も、嫁がするのが当り前で、そのように、ずうっと、長年やってきたわけなんです。

私も自分の両親、姑を介護して、痴呆を経験し、「呆け老人をかかえる家族の会」の存在を知って、色々なアドバイスに救われました。その後、世話人としてかかわるうちに、他のご家族の深刻な悩みを聴き、介護の大変さを実感したわけです。

私もおまけの人生に入りました。五十五歳で退職して、十年たちますが、もう一度、介護に関係する仕事がしたがったのです。それでケアマネージャーの資格をとってみたものの、事務処理の多さ、家族関係の複雑さの中で、本人や家族の立場に立った、公平なプランを立て、継続的に見守っていく自信は、体力的にも無理だと思いました。

だけど、こうして、せっかくケアマネージャーの資格をいただいたんだから、少しでも、それが、お役に立てばなあと思って、ご近所のおじいさん、おばあさんとかの相談にのっています。私の実家が薬局をしてますもので、そこには飛び込みで、いろいろな、ご相談にみえるんです。「いま、ぼけた姑に息子である夫が殴りかかっている。どうしたらいいだろう」とか。そういう切実な悩みを相談に見える方もあります。

そんなときは、緊急のショートステイとか、特別養護老人ホームの入所手続きを教えてあげます。その後、姑さんも入所が決まり、病弱だったお嫁さんも元気で幸せに暮らしています。

欧米では第二の人生こそ
生き生きと楽しく自分ら
しい生き方をする

山井 

データによると、介護保険によって、初めて外部の福祉サービスを利用した人は、2割になっています。いま、介護保険でサービスを受けておられる方は二百六十万人で、その2割ですから、五十万人ぐらいは、介護保険がキッカケで、初めてサービスを利用されたということになりますね。

いままでは、ともすれば、福祉サービスを利用するのは親不孝な家庭だとか、家族に根性や愛が足りないからだ、という意識が、どうしてもあったと思うんですね。

そもそも、一九七〇年代に、ホームヘルパー制度が始まった当初は、所得制限があったんです。貧しい人がホームヘルパーを利用するというところから始まっているから、それが拡大して、所得制限がなくなっても、やっぱり、イメージとしたら、ホームヘルパー頼むのは、貧しい人という潜在意識がある。

そういうイメージが、この介護保険で、かなりなくなったということだと思います。

いままでは、子どもから見はなされたら、もうダメだ、と思われてたのが、介護保険によって、多少ですが、家族だけに頼らなくてもよいのかな、という意識に、外国同様、これからなってくるかな、と思いますね。よく言えばですけどね。

そこで、日本と外国との違いを、あと二、三点、述べさせてもらいたいんです。

一つは、日本ではおそらく、老後、どうして暮らす?と聞いたときに、いままでのご高齢の方は、子どもと暮らすとおっしゃる。老後の楽しみは、子ども、あるいは家族という方が、かなり多かったと思います。

そういう人にかぎって、一人暮しになったり、子どもから離れたら、生き甲斐を失ってしまうんですよね。

ところが、あきらかに欧米が違うのは、そもそも、家族や子どもは、。プラスアルファなんですね。だから、老後は、たとえば、畑を耕すとか、魚釣りをするとか、趣味に生きるとかいうのを、考えているわけです。

ところが、日本は、そういうのはナシで、老後になったら、子どもに暖かく包んでもらうんだ、自分はラクチンなんだ、みたいなところがある。だから、急に、核家族化して、子どもや家族と離れたときに、どうやって生きていったらいいのか、わからなくなる。

もう一つの例は、欧米では、車イスになっても、生き生きしているお年よりが、わりあい多いことです。車イスで、旅行に行くわ、それこそ趣味は楽しむわ、おしやればするわ、いろんなことやってるわけです。

こんなふうに言ったら悪いかもしれないけれど、日本の場合は、車イスになったら負け、みたいなところがある。

ところが、欧米では違って、自分が楽しむことが、生きる価値なんです。欧米では、そもそも自分が楽しむのが、価値観だから、車イスになっても、好きなことやる、とこうなんです。

なぜこう違うかと、ぼくは考えたんですけどね、やっぱり日本の文化としては、人のお役に立つことが、人間の意義なんですよ。生きてる価値なんです。人様のお役に立つことが。

だから、日本では、車イスになって、人のお役に立てなくなったら、存在意義を失うことになるんです。

私がショックを受けたのは、ある老人病院で、アンケート調査があって、老人病院に入院しているお年よりの方に、もし、健康に戻れるなら、何をしたいかと聞いたら、男は、ほとんどみんな、仕事。女性は、やっぱり、家の仕事、家事がしたいというわけですよ。自分のことじゃないわけですよ。

となると、体が不自由になったら、できないことばかりですよね。男性の仕事も家事も。だから、生きる意欲がなくなる。

ところが、アメリカやヨーロッパの人は、そもそも、仕事は、プラスアルファで、趣味に生きている人が多いから、車イスになっても、旅行に行く。当然のこととして、行動しているわけですよね。

このことは、わりと深い問題だと思うんですけれど、日本人の人生の意義は、やはり仕事。

ぼくも男性だけど、仕事だけに生きてたら、老後は仕事がなくなるわけです。

住友総合研究所の調査では、四十歳のときに、趣味を持っていなかった人というのは、退職後も趣味を持てないという結果が出ています。だから、老後になってから、あわてて趣味を持とうとしても、無理ですね。

それから、ア/りカのお年よりで、びっくりしたのは、奥さんに先立たれたおじいさんが、すぐに彼女つくるんですよ。わりと一般的に。

日本でもあるかもしれないけど、日本だったら、「言うのもなんだけど、あの人、奥さん亡くなったのに…-・。冷たいご主人ね」と、こうです。白い目で見られるわけです。

ところが、アメリカは違うんです。「よかった、よかった、これでお父さんに、元気がもどった」と、家族も近所も、みんな、喜んでくれるわけです。だから、堂々とデートとかするわけですよね。

歳をとるとは「こういう
ことなのだな」と、まず
考え方を変える

鎌田 

老後を楽しむというときに、お年よりがいつも言うのはね、「あんたは若いからいい。私だって若いときは、あんたみたいにバリバリ働いてた。だけど、私のいまの体を見なさい。Hは兄えない、膝は悪くて歩けない.卓イスで、トイレも行けない。ほんとにもう、やりきれない」と言うわけなんですね。

だから、いつまでも若くありたい、いつまでもバリバリと働きたい、という望みがあり、社会的な地位も保っておきたい。

子どもや孫には、大事にされたい。ある一定の命令もできる立場でいたい。という意識がある。山井さんの言うような意識のなかで生きているから、よけい、辛いんです。

歳をとったら、こんなもんなんだなあと思ってしまえば、楽だと思うんですが。

たとえば、戦争で死んだ人だったら、孫や子も見られなかったのに、と私なら思うんですけど、そうは思ってくれない。いまの自分の辛さのほうが先に立つちゃうから、そこから抜け出せなくって、そこで、悶々としてしまう。

「リハビリをしても、そんなに元気になれないんだろ。マヒした体だって、よくならないんだろ」と言われると、「よくなりません」と、はっきり言うようにしています。

よくなることはないし、そんな希望を持たせることは逆に罪だと考えます。それより「いま動いているところを、維持できるのだから、リハビリしたほうがいいよ」と言いますが、やらないですね。

お年よりの頭のなかにあるのは、三十代、四十代の自分の体にもどりたいという、意識なんです。そこで悶々としている。いまの自分を受け入れられないと、生きていくことが辛くなってしまう。

だから、「早く死にたい」と口癖のように言われます。しかし、ご飯はおいしい。食べたいものは、食べたい。

それなら、考え方変えたらいいじゃないと思いますけど、いかんせん、いまのお年よりたちは、長く生きると言うことが、どういうことか分からないわけでしょう。見たことがない世界です。その未知の世界で生きているから、すごく辛いんです。

私とか、佐々木さんは、いまのお年よりが、悶々としている姿を見てますよね。

だから、長いこと生きるというのは、こんふうになるもんだなあと思えば、では自分はどういうふうに生きたらいいか、と考えることができる。最近、六十代、七十代をどう生きるかという雑誌が、いろいろ出てきているというのは、いい傾向だと思うんですよ。

そういうことを、意識して、目にしながら、自分の老いを受け止めていったら、けっして、辛いことではない。もう一回、自分の入生を組み立てることができるんです。

今のお年よりは、還暦ぐらいまでの、子どもが独立するまでの人生しか組み立てていないのに、現実は、六十歳から三十年間、九十歳ぐらいまで、みんな生きるわけだから、ほんとに辛い思いしてる。

佐々木さんは、六十五歳という、老いの始まりのなかで、ボランティア活動や、介護経験を生かした活動、自分のライフスタイルを持っておられる。そういう方は、ひじょうに強いですよね。


佐々木 

いまは、それでやっていますが、やはり、六十五歳をすぎてから、一年、一年、老いを自覚します。前のHにハッスルすると、翌日、腰痛で起き上がりにくかったり、風邪がいつまでも治らなかったり、何かに気をとられていると一方を忘れたりして、愕然とすることもあります。

ボランティア活動も、いまはさしてもらえるけど、来年も同じようにできるかわからない、という不安が頭をかすめます。

若い時にしていた趣味を復活させ、今はとても楽しいのですが、合奏ですから、もし耳が遠くなったら続けることは難しいでしょう。だから、お年よりの気持ちもよくわかるんです。


60歳からが人生の本番

その1 その2 その3 その4 

戻る タイトルへ戻る