50.繁多寺 〜 53.円明寺

2004年10月10日(日) 31日目
チケットカウンター
<写真1 チケットカウンター>
 ★空路、松山空港経由で四国入り★

・・・伊予鉄健康ランドへ 0.2km・・・

 10月9日(土)夕刻、自宅を出発し伊丹空港へ向かった。台風22号は首都圏を直撃し大きな被害をもたらし、羽田や成田を発着する飛行機は欠航が相次いだが、伊丹から松山へ向かう午後の便は飛んでいた。
 台風のため、一時は諦めたが、昼過ぎ航空券をネット予約し、三連休の後半の二日間歩くことにした。
 今回は京阪電車で淀屋橋まで行き、そこから地下鉄御堂筋線で梅田へ、そして空港バスで伊丹空港へとのルートを採用した。しかし、梅田周辺が交通渋滞で時間がかかり、伊丹空港へ到着したのは予定離陸時刻の10分前だった。
 携帯で事前に離陸時刻が25分遅れることを知っていたので、そう慌てなかったが冷や汗ものだった。

 伊丹空港に到着し、予約しておいた便の搭乗券を自動発券機で購入しようとしたが、すでに締め切られていたのでチケットカウンター<写真1>で搭乗券を購入した。
 飛行機は定員の約半分乗客を乗せ、約30分遅れで松山空港へ向かった。台風の影響で揺れが激しいかと思ったがそうでもなく、宝石をちりばめたような夜景を見ながらのナイトフライト<写真2>となった。

 19:40松山空港に到着。出発口で預けた金剛杖を受け取り、空港リムジンバスに乗り込んだ。リムジンバスは19:45に出発し、松山市駅まで乗車した。
 夕食は松山市駅地下街の「とんかつ活よし」で一口かつ定食を食べ、伊予鉄松山市駅<写真3>21:00発の横河原行き伊予鉄に乗り込んだ。
 21:10久米駅で下車し、伊予鉄健康ランドに向かった。

 フロント<写真4>でロッカーキーを預かり、一風呂浴びてから二階の休憩室に上がってビックリした。寝場所がないのだ。レストルームもビデオシアターもいっぱいで、時間が経つにつれ、さらに人は増えていき、廊下のカーペットに毛布を広げて横になる人もおられる程だった。
 僕は何とか空いたレストシートと毛布一枚を手に入れ、就寝することができた。
夜間飛行
<写真2 夜間飛行>
伊予鉄松山市駅改札
<写真3 伊予鉄松山市駅改札>
伊予鉄健康ランド フロント
<写真4 伊予鉄健康ランド フロント>
伊予鉄健康ランド
<写真5 伊予鉄健康ランド>
・・・五十番繁多寺へ 1.3km 合計1.5km・・・

 夜中何度か目が覚め、その度に携帯で時刻を確認した。最後に携帯を見たところ、朝6時をまわっていたので起床した。もう少し早く起床していれば、一風呂浴びるところだが、風呂には入らずロッカールームで着替えてフロントに向かった。
 フロント周辺にもたくさんの人がおられ、(昨夜はわからなかったが)僕のほかに二人のお遍路さんを確認した。
 フロントで深夜の追加料金800円を支払い外に出たが、雨が降っていたので、ザックカバーを付けに戻った。

 6:28伊予鉄健康ランド<写真5>を出発。今回は台風一過で雨の可能性は少ないはずだったのでポンチョは自宅に置いてきた。仕方なく、健康ランド向かいのコンビニでレインウェアを購入した。
 しばらく車道を歩いた後、遍路道は墓地の中へ<写真6>と続いていた。早朝の雨の中、誰とも出会わないまま繁多寺に6:46到着した。山門をくぐった先の境内<写真7>には水溜まりができていた。
 鐘があったが、「朝七時前に鐘を鳴らさないで下さい。深夜勤務で遅く寝る人が困っています。」との張り紙があった。本堂<写真8>と大師堂をお参りし納経所へ向かった。
 納経所には「第60番横峰寺への参拝が出来なくなっておりますが・・・」というお知らせが掲示されていた。台風の影響で横峰寺へのルートが寸断されていたが、仮本堂と仮納経所が設置され参拝できるようになったとのことであった。
 今年は台風や前線による土砂災害が相次ぎ、お四国にも重大な被害がもたらされていた。

     50繁多寺
墓地の中へ
<写真6 墓地の中へ>
雨の繁多寺境内
<写真7 雨の繁多寺境内>
石手寺へ
<写真9 石手寺へ>
繁多寺本堂
<写真8 繁多寺本堂>
コスモスの花
<写真10 コスモスの花>
・・・五十一番石手寺へ 2.8km 合計4.3km・・・

 7:13繁多寺を出発し石手寺へ<写真9>向かった。繁多寺は松山市の住宅街を見下ろす高台にあった。
 降り続く雨のため家々の屋根や塀は濡れ、コスモスの花<写真10>は乱れがちであった。
 遍路道は、住宅の間の細い道を何度か直角に曲がりながら、石手寺へと向かった。
 7:31車道と合流し、コンビニやガソリンスタンドなど様々な商店の立ち並ぶ道路を歩き、7:43金色の立派な欄干の遍路橋<写真11>を渡った。

 7:48石手寺門前に到着。屋根付の長い回廊を経て境内へと向かった。心なしか回廊を行く間に、雨はさらにひどくなったように感じた。
 山門<写真12>をくぐり境内<写真13>に入ると、装飾された舟形や鉢植え、それに大勢のお遍路さんと、大変賑やかで雨ながらも別世界のようであった。
 僕は大勢の人と並んで本堂と大師堂でお参りした。納経所では「在家勤行法則・梵行」という小冊子を頂いた。小冊子には般若心経の口語訳なども書かれていたが、(僕なりの解釈で)世界平和についても説かれていた。いいものを頂いた。大切にしたいと思う。

     51石手寺
遍路橋
<写真11 遍路橋>
石手寺山門
<写真12 石手寺山門>
石手寺境内
<写真13 石手寺境内>
・・・五十二番太山寺へ 10.5km 合計14.8km・・・

  ★松山市内★

 石手寺境内から山門を出て長い回廊を戻り、8:23石手寺門前を出発。水路に沿った車道を経て、坊ちゃん電車の通る電車道<写真14>に出て線路沿いに歩いた。道後温泉街からどんどん遠ざかっていく。

 道後温泉街の温泉本館や正岡子規記念館の前を通るつもりだったが、雨のため地図を見ないで歩いたため道を間違えたようだ。
 別冊地図でおよその現在地を確認し、遍路道に戻るため電車道を横切り、「にぎたつの道」という綺麗な道を歩いた。
 朝、ペット茶を飲んだだけで何も食べていないので腹が減ってきた。手頃な店があれば入ろうと思っていたがなかった。
 9:00「紙ふうせん」<写真15>という喫茶店があったので入ろうと思い立ち止まったが、ずぶ濡れのレインウェア姿の僕には敷居が高かった。近くのコンビニでおにぎりでも買おうと思いその場を去ろうとした時、お店の方が扉を開けて下さった。
 レインウェアや菅笠、ザックを下ろし、店に入り、ホットサンドとホットコーヒーのモーニングセットを注文した。雨音の聞こえない店内でゆっくりと朝食を食べ、9:30店を出発した。

 護国神社参道前、ドライブスルーの郵便局前を通過して、右に折れ、水路に沿った道に出た。
 ようやく本来の遍路道と合流したようだが、立ち寄るつもりであった山頭火一草庵は過ぎてしまっていた。水路に沿って歩き松山大学グランドの角で右に折れ、松山大学の御幸キャンパスを見ながら歩いた。学生たちは雨の中、テニスラケットを手に雨宿りしていた。何か大会でもあるのだろうか?

 遍路道は再び水路と合流。それに沿って歩いた。9:56山越交差点で大きな車道と合流したが、遍路道<写真16>は川を挟んて付けられていたので歩き良かった。
 目前に歩道橋があった。これを渡るのか?と思っていると遍路札はその手前を左に折れていた。
 遍路道は大きな車道を横断し、水路を左に見ながら続いていた。しばらく歩くと右手に池があらわれ、そこには白い大きな鳥(サギ?)が数羽いた。
電車道
<写真14 電車道>
紙ふうせん
<写真15 紙ふうせん>
水路に沿った遍路道
<写真16 水路に沿った遍路道>
青い伊予柑
<写真18 青い伊予柑>
大きな木
<写真17 大きな木>
へんろ道石標
<写真19 へんろ道石標>
  ★太山寺へ★

 道沿いに大きな木<写真17>があった。水路や池、田んぼの中、よく目立っていた。遠くからでもよく見えるので何かと目印になるのだろう。
 遍路道は水路とわかれ、田んぼの中へ向かっていた。刈り入れ前の黄色い稲穂と田植え直後の緑の苗が対照的だった。
 11:01JRの線路を横切り山沿いの道を歩いた。伊予柑<写真18>はまだ青い。果樹園となっている高台を越え車道と合流。「へんろ道」と彫られた石標<写真19>を見つけて一安心した。

 11:22太山寺一ノ門<写真20>をくぐった。さらに車道を歩き11:25太山寺山門もくぐり、11:35ようやく太山寺境内<写真21>に到着した。
 カメラのレンズを見るとフィルターが曇っていた。ねじ込み式のフィルターをレンズから外そうとした時、あやまってフィルターを落とし割ってしまった。
 何か不吉なものを感じたので自宅と実家に電話したが、異変はなかった。本堂と大師堂をお参りしたあと、屋根付のベンチに座っておられた「歩き」らしき方に声を掛けて見た。
 この方は僕より少し若いぐらいの男性で、今回は卯之町の明石寺から歩き始め、今日53番円明寺を打って、帰るとおっしゃった。5日間か6日間の区切りをされているようだった。

     52太山寺
太山寺一ノ門
<写真20 太山寺一ノ門>
太山寺境内へ
<写真21 太山寺境内へ>
太山寺山門より
<写真22 太山寺山門より>
・・・五十三番円明寺へ 2.6km 合計17.4km・・・

 太山寺の納経所は、本堂への参道途中にあったのでそちらに向かった。納経を済ませ、12:20山門<写真22>、一ノ門と戻り、車道を円明寺へと向かった。

 雨は午前中、止まなかった。透湿性に乏しく防水性も高くないレインウェアだったので雨と汗でびしょびしょだった。持って歩いてもほんのわずかな負担にしかならないのに、重要な荷物(ポンチョ)を略した自分の判断が甘かった。

 正午を過ぎ、幾分雨はましになったものの、ずぶ濡れになりながら一人とぼとぼと円明寺を目指した。12:38久万川の中央橋<写真23>を渡り、12:48円明寺に到着した。

 円明寺は入ってすぐ左手に大師堂があった。先に大師堂をお参りしようかと思ったが、やはり本堂から順にお参りすることにし、奥へ進んだ。本堂は境内の一番奥にあり、その手前に納経所があったので、本堂・大師堂・納経所と順にまわることにより、円明寺境内<写真24>を何度も往復した。

     53円明寺      
久万川中央橋
<写真23 久万川中央橋>
円明寺境内
<写真24 円明寺境内>
かまはち
<写真26 かまはち>
円明寺の角
<写真25 円明寺の角>
荒れる瀬戸内海
<写真27 荒れる瀬戸内海>
・・・コスタブランカへ 15.7km 合計33.1km 累計843.1km・・・

  ★北条市へ★

 円明寺を13:12出発。円明寺の角<写真25>からは、東(右)へ向かうへんろ道と北(左)へ向かう宮崎道とがあった。僕は左への宮崎道を選んだ。
 狭い道を何度か折れ、広いが交通量は少ない車道に出た。民宿伊予路の前を通過し、交通量の多い車道に出た。道路の向いに 「手打ちうどん、かまはち」<写真26>という店があったので13:40昼食を摂ることにして、菅笠とレインウェアを脱ぎ、ザックも手に持って店に入った。

 店では荷物が多いこともあり四人掛けのテーブルに座らせてもらい、かやくうどんとカレーライスのセットを注文した。
 椅子に座って靴を脱ぐと靴下もびしょびしょなのに気が付いた。トイレに行き靴下を絞った。

 昼食を終え、14:07かまはちを出発した。しばらく歩くと14:20海が見えた。久しぶりに見た海は、宇和海以来で、荒れる瀬戸内海<写真27>だった。海と線路に挟まれた国道を歩き、14:38北条市に入った。瀬戸内海に流れ込む川は、どれも濁っていて瀬戸内の海を茶色く染めていた。
 JR予讃線の粟井駅、柳原駅への入口を過ぎ、15:36高浜虚子像前を通過。北条市内<写真28>をさらに歩き、16:03北条駅前交差点を通過した。
 北条市内の路地にはビニールが掛けられただんじりがあった。どうやら祭りが雨で延期されたようだった。
 16:09花へんろ前到着。早坂暁氏のテレビドラマ「花へんろ」の舞台となった地のようだ。去年の春、参加した京都会館での『平成遍路シンポジウム』を思い返した。

 国道と分かれ住宅地の中の杖大師(養護院)<写真29>に16:20到着した。ここは職場の近くにある醍醐寺(真言宗醍醐派)ゆかりということを知り訪れようと思っていた寺である。
 お参りの後、杖大師を出発。国道と合流して立岩川<写真30>の立岩橋を渡った。茶色く濁った川の中、腰まで浸かって釣りをされる方がおられた。この雨の中、よほど好きなのだろう。

 16:27立岩橋を渡ったところにマルナカという大型スーパーがあった。今回は何もかも準備不足で着替えのシャツさえ持ってなかった。菅笠やレインウェアを脱ぐのは面倒だが、スーパー入口で脱ぎ、ザックも下ろして店内に入り、Tシャツ一枚を購入した。
北条市内
<写真28 北条市内>
杖大師
<写真29 杖大師>
立岩川を渡る
<写真30 立岩川を渡る>
未完成道路
<写真31 未完成道路>
 ★コスタブランカへ★

 16:37スーパーマルナカを出発し、鎌大師へ向かった。道は山へと上っていたが柵があった。通行止のようだった。台風の影響で崖崩れなのだろうかと思ったが、この道は新しくつくられる道路<写真31>のようで、まだ未完成なだけだった。                    
 旧道を歩き16:56鎌大師<写真32>に到着した。お参りを終え、出発しようとした時、バイクに乗った方がやって来られ、僕を呼び止められた。行ってみると、「もう、おそいけん。そこ泊まっていく?住職がおらんけん、わしが世話しよる。」と宿のお接待を勧めて頂いた。
 この先の宿を予約していることを言い、お礼を言うと、缶コーヒーを手渡された。僕は有り難く頂戴し、もう一度お礼を言い17:01鎌大師を出発した。

 鎌大師を出て果樹園の中をさらに登った。下りに入ると海が見えた。遍路道は車道と分れ、急な坂を海に向かって下っていた。<写真33>坂を下ったところに池があった。雨が少なく山が迫っているので池は重要なのだろう。地図を見ると他にもいくつかあった。
 池で遊ぶ三羽の鴨を見ながら、さらに下ると三穂神社<写真34>があった。そこに置かれただんじりにもブルーシートが掛けられていた。ここのお祭りも雨で延期になったのだろう。
 JRの踏切を渡り、国道196号線と合流。その国道を明日歩く方向と逆方向に歩き、17:48今夜の宿コスタブランカ<写真35>に到着した。

 コスタブランカは二階がレストラン、三階が民宿となっていた。階段を上がりレストランにおられた方に到着を告げると、三階の部屋を案内して下さった。
 部屋はベッドが二つ置かれた洋室<写真36>となっていた。部屋で濡れた衣服を脱ぎ浴衣に着替え、洗濯物を手に風呂場へ向かった。
 洗濯物を洗濯機にかけてから、二つ並んでいる一人用風呂の一つに入った。

 風呂から上がり洗濯物を乾燥機にかけてから二階のレストランに夕食を食べに行った。
 レストランには僕のほか、三組のグループの方々がおられたが、遍路らしき方はおられなかった。夕食<写真37>は刺身、小エビ・鶏の唐揚げ、ちらし寿司などのほか、肉うどんもあり、とても食べきれる量ではなかった。
 夕食後、ホットコーヒーを注文したが、代金は受け取られなかった。

 夕食のあと、撮影したばかりの今日の写真を見たり、記録項目をまとめたりした。昨夜はレストシートと毛布一枚で大部屋に寝た。今日は朝から雨の中、歩き続けたのでさすがに疲れていた。自HPの掲示板に投稿したあと、ぐっすり眠った。

     コスタブランカ
鎌大師
<写真32 鎌大師>
海に向かって下る
<写真33 海に向かって下る>
三穂神社
<写真34 三穂神社>
コスタブランカ
<写真35 コスタブランカ>
夕食
<写真37 夕食>
洋室
<写真36 洋室>
2004.10.9(土)の会計 金額 2004.10.10(日)の会計 金額
京阪電車
宇治→淀屋橋
400円 伊予鉄健康ランド
深夜料金
800円
大阪市地下鉄
淀屋橋→梅田
200円 納経料4寺 1200円
空港バス
梅田→伊丹空港
620円 レインウェア 400円
日本航空
伊丹空港→松山空港
12600円 紙ふうせん
モーニングセット
550円
空港バス
松山空港→松山市駅
400円 かまはち、かやくうどん
カレーライス
600円
とんかつ 活よし
一口かつ定食
1050円 マルナカ
Tシャツ
500円
伊予鉄 松山市→久米 200円 洗濯、乾燥 300円
伊予鉄健康ランド
入館料
1500円 4350円
ジュース、ペット茶 300円 合計 21620円
17270円
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2004年10月21日 記


           
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