54.延命寺 〜 55.南光坊

2004年10月11日(月) 32日目
浅海の町
<写真1 浅海の町>
・・・五十四番延命寺へ 19.1km・・・

 ★遍照院へ★

 10月11日(月)朝6時をまわって起床。腹一杯の朝ご飯を食べた。部屋の窓から外を見たが雨は降っていない。浅海の町<写真1>に立ち並ぶ民家の屋根瓦の向こうには青空や海が見えた。
 レインウェアはザックにしまい、白衣に輪袈裟、菅笠を身に付け、金剛杖を手に、6:55コスタブランカを出発した。

 遠くから威勢のいい掛け声や笛の音がした。だんじり<写真2>が国道を横切るところだった。近づいてみると若い人が意外と多い。近頃の祭りでは若者の姿が少なく、年寄りが多いかと思っていたが、ここではそんなことはなかった。

 浅海集落の民家が途絶え、海と絶壁に挟まれた国道を行き、7:16菊間町に入った。
 今日の瀬戸内は昨日とうって変わって穏やかで、瀬戸内海の島々や行き交う船がよく見えた。
 防波堤や岸から釣りをされる方<写真3>もたくさんおられた。一人で何竿も海に投じられている。三連休の最終日になってやっと雨が上がったので、祭りも釣りも早朝からなのだろう。

 遍照院<写真4>は国道沿いにあった。広い境内は綺麗に掃除され、昨日までの風雨や台風の陰はない。お参りのあと、出発しようとした時、椅子に腰掛けておられたおばさんに呼び止められた。
 「おへんろさん、邪魔にならんかったら持って行って。これ、みんなの気持ちじゃけん。」と、いろいろなお菓子の入った小袋を手渡された。
だんじり
<写真2 だんじり>
釣り人
<写真3 釣り人>
遍照院
<写真4 遍照院>
菊間川
<写真5 菊間川>
 ★青木地蔵へ★

 小袋を有り難く頂戴し8:05遍照院を出発。菊間町の旧道を経て菊間川<写真5>の菊間橋を渡った。川は普段より増水しているのであろうが、昨日見たいくつかの濁流とは違い、平静に戻っているようだった。

 国道と合流しさらに歩くと、遠くに工場の煙突が見えだした。近づいてみるとそれは石油製油所<写真6>でいくつもの設備があり、いわゆるコンビナートを成しているようだった。
 石油精製所を過ぎると、国道は坂を上っていた。見落としてしまいそうだったが、坂の途中に青木地蔵への赤矢印を確認した。
 8:50高架橋の下にある青木地蔵<写真7>に到着した。お堂の中の井戸では御加持水が湧いているようで柄杓や漏斗が置いてあった。

 青木地蔵をあとに国道に戻り、小さな峠を経て旧道に入った。伊予亀岡駅を過ぎて、さらに旧道を歩き、国道と合流して9:41大西町に入った。
 大西町では国道沿いに花壇が設けられ、コスモスやポーチュラカ<写真8>などとても綺麗だった。

 遍路道は国道とわかれ続いていた。10:21遍路道が線路と平行し、高架となっている国道をくぐった時、列車と自動車、そして僕の三者が出会した。<写真9>
 10:27農協の自販機で200mlパックのジュースを購入し、腰を下ろして休憩。夏場と違いあまり喉も渇かない。

 JR大西駅手前のスーパーで托鉢をしておられるお遍路さんがおられた。去年のこの時期、徳島県海部町から高知県の室戸岬から津照寺まで歩いたときは、たくさんの歩きの方がおられた。しかし、今回は遍路道や札所、さらに宿でもあまり出会わない。
 これにはいろいろ理由が考えられるが、自分なりに想像してみた。ひとつ目の理由は、一番霊山寺から遠く、ここまで歩きを続けられる方が少ないこと。ふたつ目は、今年は台風が多く、元々お四国を歩かれる方が少ないこと。こんなところだろうか?
石油製油所
<写真6 石油製油所>
青木地蔵
<写真7 青木地蔵>
ポーチュラカ
<写真8 ポーチュラカ>
新旧の遍路石
<写真10 新旧の遍路石>
三者、出会す
<写真9 三者、出会す>
秋の陽光に輝く
<写真11 秋の陽光に輝く>
 ★五十四番延命寺へ★

 10:50鴨頭病院前で右折。ここには、新旧ふたつの遍路石<写真10>が立っていた。国道196号線と合流し、しばらく歩くと池があった。ススキの穂も民家の屋根瓦も秋の陽光に輝いていた。<写真11>

 11:06今治市に入ると、遍路道は国道から離れ左への旧道に入った。旧道沿いの田んぼでは刈り入れた稲を掛け干しされていた。<写真12>
 この作業も今日の陽光を待ちかねてのことだろう。

 遍路道はコイン洗車場の赤い看板のところで左折。狭い路地を抜け車道と合流し、11:42延命寺山門前に到着。山門をくぐった境内<写真13>にお遍路グッズなどを売っておられるお店があり、その奥が本堂となっていた。本堂をお参りしたあと、階段の上の大師堂へ向かった。青い空に獅子瓦<写真14>が映えていた。

     54延命寺
稲の掛け干し
<写真12 稲の掛け干し>
延命寺境内
<写真13 延命寺境内>
青い空に獅子瓦
<写真14 青い空に獅子瓦>
・・・五十五番南光坊へ 3.4km 合計22.5km・・・

 延命寺を12:09出発。墓地の脇を下ると、赤いよだれかけの石地蔵様<写真15>が数体おられた。南光坊へは、20〜30m毎に立て札や遍路石、標識などがあった。これは迷いようがない。12:25高速道路の下をくぐった。
 車道から左手の階段を上り、公園を横切ると大きな墓地<写真16>があった。墓地に沿って、遠く今治の町を見ながら下った。

 墓地が途切れ忠霊塔を過ぎて12:49浅川の桜橋を渡り左へ曲がると、お城のようなマンション<写真17>があった。ちゃんと天守閣やシャチホコもあった。
 姫坂神社への赤い橋が見えてくると、道は合流してさらに交通量が増え、市街地に入っていった。
 そして高架になっているJR予讃線をくぐり、歯科医院の角を右に折れ、13:08南光坊境内に到着した。

 南光坊の境内で最初に見えたお堂は大師堂だった。山門をくぐらず横から境内に入ったような恰好になってしまったので、何か変な感じがした。
 すぐ近くに山門が見えたので、一旦出て山門から入り直した。そして本堂<写真18>と大師堂<写真19>でお参りし、納経所<写真20>へ向かった。

 納経所には、せとうちバスや四国八十八ヶ所霊場会の張り紙があった。やはり台風21号の被害により第60番横峰寺への参拝ができないらしい。また上の原に仮納経所を設置したとの内容だった。
 次回、お四国を訪れる時には歩きの遍路道が復旧していればいいのだが、どうやらそれも危ういようだ。

     55南光坊
赤いよだれかけの石地蔵様
<写真15 赤いよだれかけの石地蔵様>
大きな墓地
<写真16 大きな墓地>
お城のようなマンション
<写真17 お城のようなマンション>
南光坊大師堂
<写真19 南光坊大師堂>
南光坊本堂
<写真18 南光坊本堂>
納経所にて
<写真20 納経所にて>
・・・ 帰路JR今治駅へ 0.6km 合計23.1km 累計866.2km ・・・

 南光坊を13:30出発。まだ昼過ぎなので今治市内の札所をいくつかまわれそうだったが、次回の交通の便を考え、今回はJR今治駅で打ち終えることとした。
 遍路道は、今治小学校の横を通りJR今治駅の方に向かっていた。駅への交差点<写真21>で左に曲がり、13:38JR今治駅に到着した。

 岡山への次の特急列車は、13:56発だったので駅構内<写真22>のシェランというパン屋でパンを買うことにした。サンドイッチとカレーパン、木の実のパンの三つを購入。隣のKioskで野菜ジュースとペット茶を買った。

 特急しおかぜ20号<写真23>は、ほぼ定刻に到着した。松山始発なので空いていると思っていたが混んでいた。空いた通路側の席に座り、パンとジュースの昼食を摂った。駅に停車する度に乗客は増えていき新居浜あたりから立ち席の方も出始めた。

 途中少し遅れたようだが、岡山駅にはほぼ定刻通りに到着。いつもは瀬戸大橋を渡っている間に特急券の回収に来られるのだが、この時は来られなかった。
 列車を降りた岡山駅のホームから新幹線ホームへの階段や通路も大変混雑していた。
 新幹線のぞみ号<写真24>の自由席は後寄りの三両だが、座れる見込みはないので前寄りの指定席車両に乗り込み、デッキでしばらくの時を過ごし、午後5時前、新大阪駅に到着した。

 いつもは新大阪駅で東海道線上りに乗り換え、京都駅から奈良線で帰るのだが、今回少しでも安く上げるため、新大阪駅から下りの東海道線に乗り、大阪駅から大阪環状線を経て京橋駅で降りた。今治からのJR乗車券は大阪市内までなので京橋まで行けたのだ。
 京橋で京阪電車に乗り換え、京阪宇治駅経由で18:24自宅に帰り着いた。

     JR今治駅   
今治市内交差点
<写真21 今治市内交差点>
今治駅構内
<写真22 今治駅構内>
特急しおかぜ20号
<写真23 特急しおかぜ20号>
500系のぞみ
<写真24 500系のぞみ>
2004.10.11(月)の会計 金額
コスタブランカ1泊2食 4800円
納経料2寺 600円
ジュース 70円
JR乗車券
今治→大阪市内
6020円
JR乗継自由席特急券
松山→岡山
1050円
JR新幹線自由席券
岡山→新大阪
2410円
シェラン、パン 588円
ジュース 300円
京阪電車
京橋→宇治
390円
16228円
合計 37848円
累計 473562円
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2004年10月23日 記


           
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