![]() <写真1 有枝川の住吉橋> |
・・・四十六番浄瑠璃寺へ 26.2km・・・ ★千本峠越え★ 8月28日(土)5:40起床。朝風呂に向かう。朝は6時からであったが二人の方々がおられた。風呂から上がり部屋に戻って荷物の整理と身支度をした。昨夜の天気予報では雨かも知れないということだったのでポンチョは部屋のハンガーに掛けたままにしていたが、少なくとも午前中はもちそうなのでザックにしまった。 ザックに菅笠をくくりつけ、金剛杖とルームキーを持って部屋を出た。フロントで精算している間に、6:45レストランはオープンした。 レストランには他にも何人かおられたが、歩き遍路らしきの方はおられない。朝食は宿舎に頼まず早朝から出発されたのだろうか?それともずっと野宿だった方は久しぶりにゆっくりとした朝を迎えられているのだろうか? 一通りの朝食を終え、7:05古岩屋荘を出発した。宿舎のすぐ横の東屋にお遍路さんがおられた。この方は野宿されたようだった。道は八丁坂入口を経由する地道と車道を選ぶことができたが、昨日地道の半分は歩いているので車道の方を歩くことにした。 早朝であることもあり車の往来は少ない。7:40車道の峠らしきところを越え、7:49見覚えのある分岐に至り地道と合流した。 ここからしばらくは昨日歩いた道で、民宿狩場苑やふるさと村・民宿和佐路なども看板を見ながら通過した。8:07有枝川の住吉橋<写真1>を渡った。道が上りにさしかかったところで歩きのお遍路さんとすれ違い挨拶を交わした。そして8:12千本峠へ右に分岐する遍路道を入り、昨日歩いた車道と分かれた。 しばらく地道の林道だったが、途中でさらに分岐し山遍路道となり、いよいよ標高740m千本峠へ向かっての登り<写真2>となった。杉林の中はっきりした道や夏草が生い茂り道なき道となっていたところなどを越え、久万高原町<写真3>が見渡せるところを過ぎ、8:41峠らしきところ到着した。 その後、一旦下りまたその分登り返して9:05民家のある高野に到着。そして標識に従い仰西バス停に向かって左へ下った。段々になっている田んぼ<写真4>で農作業されている方がおられた。「こんにちは」というと「この暑いのにエライなぁ」とおっしゃられた。この辺りは台風の被害はなかったらしく、今回の台風16号が過ぎ去ってから稲の刈り入れをすると話された。 さらに下り採石場なども通過し、9:41仰西に出て国道と合流した。 |
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![]() <写真2 千本峠への登り> |
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![]() <写真3 久万高原町> |
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![]() <写真4 段々の田んぼ> |
![]() <写真5 高殿神社> |
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★三坂峠越え★ 国道を歩いていると後ろから声を掛けられた。歩きの方が僕に追いつかれ、「そこの神社で休んで行こう」と言われた。その方と高殿神社<写真5>でお話しした。福井県敦賀市出身のAさんで「女房を亡くして遍路に出た。」とおっしゃった。70のお歳で46周目だそうだ。この方から缶ジュース、パン、バナナを頂いた。僕は現金でお接待させて頂いた。 托鉢などをされながらずっと歩いておられるのに荷物はほとんど持っておられない。金剛杖を右に左手には傘を持っておられたが、台風が去れば傘は放棄されるのだろう。 高殿神社を出発し、また歩き出した。Aさんは何軒かの民家の玄関に立たれながら歩かれている。先を歩かせて頂いた。道路脇には極彩色のマリーゴールド<写真6>が咲いていた。ヒルガオもあった。写真を撮りながら歩いていると、立ち話をされていた男性の方が、飴玉を二つ下さった。立ち話をされていた周りの方々は僕に構われず立ち話は続けられた。 三坂峠への途中でトンネル工事<写真7>をされていた。トンネルが完成すれば、鳥坂峠や松尾峠のように、トンネルか旧道かを選ぶことになるのだろう。 トンネル工事を左に見ながら坂を上り、10:54三坂峠休憩所に到着した。猫<写真8>がいた。お皿には猫用の餌がたっぷり盛られていた。僕もさっき頂いたパン・バナナ・ジュースを頂いた。さっきのAさんは猫の頭を撫でられ、坂を上って行かれた。 11:04三坂峠休憩所を出発。自転車遍路さんに抜かれた。自転車なのでここまでペダルが重かったであろうが、あっという間に走り去っていかれた。 11:38標高710mの三坂峠に到着。アクエリアス購入し休憩してから下りの遍路道へ入り下った。ここからは急な坂道が続き、これから向かう松山市内方面<写真9>も見えた。 しばらくの急坂を下ると遍路道は樹林の中の緩やかな下り<写真10>となった。川を左手にした崖沿いの道では、落石注意の看板があり、そこは確かに大きな岩が遍路道に転がっており柵の上からの落石によって倒されていた。雨の日やその直後の時は要注意である。 12:21東屋に到着。中には一人お遍路さんがおられ、たくさんの荷物を広げられていた。「こんにちは」と挨拶すると「はい、ごくろうさん」と返して頂いた。その方はラジオを聴きながらビッグコミックを読んでおられた。ここでゆっくりされているようだった。 道の傾斜が緩くなり、12:34牛舎?に出た。これは臭いでわかった。 |
![]() <写真6 マリーゴールド> |
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![]() <写真7 三坂トンネル工事中> |
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![]() <写真8 三坂峠休憩所の猫> |
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![]() <写真10 三坂峠を下る> |
![]() <写真9 松山市内方面> |
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![]() <写真11 遍路墓> |
★四十六番浄瑠璃寺にて★ さらに遍路道を下り、12:41坂本屋前を通過した。しかし宿の雨戸は閉められ営業はされていないようだった。遍路墓<写真11>があった。かつて何人かの遍路は巡拝中、行き倒れてしまうこともあったときく。そんなとき手にしている金剛杖は卒塔婆となるとも聞いた。ここもそのような墓なのだろうか? 黄色い花が咲く墓に手を合わせ通過した。 このあたりだけに限らないが、道沿いの畑や田んぼのまわりには、電線が多数張り巡らされていた。ここ数年、日本全国で農作物を盗む窃盗団が横行している。その対策なのだろう。残念なことである。 13:09網掛け石<写真12>と到着。”昔、弘法大師が大きな石を網に入れて、オウク(担い棒)で担っていたところ、オウクが折れて山へ飛んで行きました。落ちた所をオオクボというようになりました。また石の一つは下の川に落ち、もう一つはこの石であるといわれています。この石は、表面に無数の編目がついているところから、「網掛け石」といわれています。”(原文引用)とあった。大きな岩である。 遍路道はこの先で二手に別れていた。どちらでもよかったが右へ曲がり東側を通る道を歩いた。進行方向の先で道路工事をされていた。お遍路姿の僕を見て、警備の方は真っ直ぐ通過のサインを送って下さった。 13:44出口橋を渡り、駐在所の前を通過した。大きな機械で稲の刈り入れ<写真13>をされていた。さらに歩いて長珍屋前を通り、浄瑠璃寺に13:57到着した。 浄瑠璃寺の境内は、様々な植物が生い茂っていた。熱帯を思わせるシュロの木もあれば、杉などごく普通の樹木もあった。歩きの姿をした方やバイク遍路の若者、団体の方々と大勢の人がおられた。本堂や大師堂など境内の様子をスケッチブックに写されている方もおられた。 僕も本堂と大師堂<写真14>でお参りをした。境内に佛足石<写真15>があったので、はだしになって踏んでみた。とても大きな足跡だった。 46浄瑠璃寺 ![]() |
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![]() <写真12 網掛け石> |
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![]() <写真13 稲の刈り入れ> |
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![]() <写真14 浄瑠璃寺大師堂> |
![]() <写真15 佛足石> |
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・・・四十七番八坂寺へ 0.9km 合計27.1km・・・ 14:20浄瑠璃寺を出発した。浄瑠璃寺境内にあった案内では、八坂寺まで700mとあったので徒歩10分少々で到着するのだろう。徳島県内の一番霊山寺からや十三番大日寺からしばらくのように寺のラッシュが続くようだ。 遍路道は松山市郊外の高台を通っていて遠く市街を見渡せるようだった。また道の両脇は田んぼや果樹園となっていて、大きな家がそれらの中や向うに見えた。 道は何度か曲がりくねり車遍路道と合流し、「おへんろさんごくろうさん」という看板<写真16>が目に入ると、お寺のお堂の屋根も見えた。 14:32八坂寺に到着。赤い橋の架けられた小さめの山門<写真17>には木のベンチが用意されていた。さらにその奥には赤い「南無大師遍照金剛」の幟があり石段となっていた。 石段を上がると広い境内があった。本堂と大師堂でお参りをした。本堂の奥には地下への階段があり、幾千(万以上かも?)もの小さな仏像<写真18>が置かれ祀られていた。 本堂の隣には閻魔堂があり、左右のトンネルには極楽絵図と地獄絵図が描かれていた。 47八坂寺 ![]() |
![]() <写真16 看板> |
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![]() <写真17 八坂寺山門> |
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![]() <写真19 ため池> |
![]() <写真18 仏像群> |
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![]() <写真20 衛門三郎菩提所> |
・・・四十八番西林寺へ 4.4km 合計31.5km・・・ 14:53八坂寺を出発。八坂寺では仏像群や、極楽・地獄の絵図を見たりしていたので長く滞在した。道沿いに大きな池があった。地図を見ると他にもたくさんの池があるようだ。広い耕地や多くの人を抱えた松山平野の為のため池<写真19>なのだろう。池には水が満ちていた。 15:05文殊院到着。ここは河野衛門三郎菩提所でもあり、四国遍路開祖発祥地とも記されていた。 遍路道は片側に歩道のある車道となっていた。歩道には排水のための金属の溝蓋があったが、金剛杖がそれに挟まらないようになっていた。これまで何度となくこのような歩道の溝蓋に金剛杖を挟んでしまったり、挟まれないように杖を浮かせて通ったものだが、それらの心配なく安心して歩くことができた。有り難い計らい<写真21>である。 交差点の信号が赤だったので右に曲がってしまった。歩きながら気付いたのだが、別冊地図の赤い遍路道から外れてしまった。引き返すまでもないかと思い、そのまま御坂川の古市橋を渡り、県道207号線を左折した。 札始大師堂にも寄っていこうと思っていたが、大師堂は道沿いから少し入ったところにあり、時間の余裕もないので今回は見送ることにした。 15:37大きな交差点に出た。道路の反対側にコンビニがあった。二日前に大洲市内で見て以来、コンビニをずっと見かけなかったことを思い返した。 重信川に架かる久谷大橋は渋滞していた。朝からずっと曇っていたが心配していた雨は今のところ降っていない。今年、四国はいくつも台風が上陸し大きな被害を受けたが、この時の重信川<写真22>を見る限り、水量もそう多くなく静穏な様子で、南西方向では太陽の光が雲のすきまから漏れこぼれていた。 久谷大橋を渡り切り松山自動車道の高架道路をくぐった。そして車道から右へ分かれ、水路沿いの遍路道を歩いて15:54西林寺山門前に到着。山門へは橋が架けられていた。 山門前の内川に架かる西林寺橋を渡り山門<写真23>をくぐった。静かな境内<写真24>の本堂と大師堂をお参りしたあと納経して頂き、16:10西林寺を出発した。 48西林寺 ![]() |
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![]() <写真21 有り難い計らい> |
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![]() <写真22 重信川、久谷大橋より> |
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![]() <写真23 西林寺橋と山門> |
![]() <写真24 西林寺境内> |
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・・・四十九番浄土寺へ 3.1km 合計34.6km・・・ 別冊地図によると浄土寺まで3.1km。納経所は午後5時までなのでゆっくりしてはいられなかった。高井公園の角を左に曲がり住宅の中を歩いた。ひまわりの咲き誇る民家<写真25>の間を抜け車道を北へ向かった。 16:31小野川の遍路橋を渡った。急いだ甲斐あって午後5時の納経には間に合いそうだ。16:36来住町交差点を渡った。大きな交差点だった。 さらに車道を北へ歩くと、突き当たりにへんろ石があった。その指示に従って右へ曲がると、またへんろ石<写真26>があって今度は左を指していた。 へんろ石の角を曲がると、浄土寺のお堂の屋根が見えてきた。伊予鉄の踏切を渡り、県道40号線の点滅信号を横断し、16:49浄土寺山門前<写真27>に到着した。 誰もおられない。今日打った浄瑠璃寺から西林寺までの3寺では、どこも人がおられたが、この浄土寺には誰もおられなかった。時間が遅いからだろう。先に納経所へ向かい、呼び鈴で出てきて頂いて納経して頂いた。 納経帳をザックにしまっていると、5時ぎりぎりに親子四人づれが来られた。僕の他に誰もおられないので諦めて帰られようとしたが、「呼び鈴がありますよ。」というとベルを押され、少しして出てこられた方に納経してもらわれた。 納経のあと本堂と大師堂<写真28>でお参りをしてから家に電話をした。家人にはこの日に帰ると行って自宅を出てきたが、明日午前中だけでも歩けばJR松山駅あたりまで達することができ、次回が楽なのだが、帰宅することにした。 49浄土寺 ![]() |
![]() <写真25 ひまわりと民家> |
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![]() <写真26 町中のへんろ石> |
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![]() <写真28 浄土寺大師堂> |
![]() <写真27 浄土寺山門> |
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![]() <写真29 伊予鉄久米駅へ> |
・・・帰路 伊予鉄久米駅へ 0.4km 合計35.0km 累計810.0km・・・ 浄土寺を17:16に出発し、県道40号線を伊予鉄久米駅へ<写真29>向かった。17:22伊予鉄久米駅に到着。伊予鉄道高浜横河原線はJR松山駅を経由しないが、大手町駅がJR松山駅の最寄りでそこから歩いて5分ほどということだった。 電車の出発まで自販機で購入したコーラを飲みながら電車が来るのを待った。島型のホームには20人ほどの人がおられた。 先に山へ向かう横河原行きが来て、すぐ海に向かう高浜行きが来た。単線なのでこの駅ですれ違うのだ。海に向かう電車に乗車すると17:32に出発した。 電車に揺られながら<写真30>帰りのルートを考えた。松山空港から伊丹空港へ空路で帰るルート、JR松山駅から岡山駅を経てJRで帰るルート。出発前に調べておいたメモによるとどちらも間に合う。また携帯iモードで飛行機の空席を調べた結果、空いていた。 電車は六つめの駅である大手町駅<写真31>に17:47に到着した。どちらのルートでもJR松山駅に向かう必要があるので、駅に向かって歩き出した。 今回は夏の暑い時期でもあるので、白衣と輪袈裟はザックには用意してきたがずっと着用しなかった。しかし今日も一日暑かったので汗を大量にかいている。このまま帰るのは抵抗があったので、前回も利用した駅前の「キスケの湯」で一風呂浴びることにした。 ほんの30分足らずの時間だったが、汗を流し新しい衣服に着替えることができた。キスケBOXにはマクドナルドがあったので単品でチーズバーガーを購入し、JR松山駅に向かった。特急しおかぜ号は松山駅18:44発でこれに乗るとJR宇治駅に23:58に到着できるので、時間はかかっても安くつくJRで帰ることにした。 みどりの窓口で切符を購入し、駅ホームのうどん屋で、じゃこ天うどん食べた。そのあとガラガラの特急しおかぜ30号<写真32>に乗車。JR岡山駅で新幹線に乗継ぎ、のぞみ500号に乗車。 新幹線は新大阪止まりなので、東海道線ホームへ向い、新快速<写真33>に乗車した。ところが新快速はJR長岡京駅付近でストップ。JR膳所駅で列車事故があったらしい。15分ほど遅れて京都駅に到着したが、奈良線は定刻通り運行しており、23:58JR宇治駅に到着した。 伊予鉄久米駅 ![]() |
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![]() <写真30 伊予鉄車内> |
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![]() <写真31 大手町駅で下車> |
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![]() <写真32 特急しおかぜ30号車内> |
![]() <写真33 東海道線新快速> |
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2004.8.28(土)の会計 | 金額 | |||
古岩屋荘1泊2食 | 6800円 | |||
納経料4寺 | 1200円 | |||
ジュース等4本 | 500円 | |||
伊予鉄 久米→大手町 | 250円 | |||
キスケの湯 入浴料 | 550円 | |||
マクドナルド チーズバーガー | 126円 | |||
じゃこ天うどん | 390円 | |||
JR乗車券 松山→京都市内→宇治 |
7300円 | |||
JR乗継自由席特急券 松山→岡山 |
1150円 | |||
JR新幹線自由席券 岡山→新大阪 |
2410円 | |||
計 | 20676円 | |||
合計 | 45646円 | |||
累計 | 435714円 | |||
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2004年9月12日 記
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