44.大宝寺 〜 45.岩屋寺

2004年8月27日(金) 29日目
朝の田渡川
<写真1 朝の田渡川>
・・・四十四番大宝寺へ 20.1km・・・

 ★さかえや旅館から三嶋神社へ★

 8月27日(金)、昨日の昼までは今日の朝食は宿で摂らず5:00には出発しようと思っていたが、何のことはない。起きたのは5:30だった。身支度をしてザックを持って階段を下りた。おかみさんはすでに朝食の準備を済ませられていた。僕は食卓に座り朝食を頂いた。具だくさんのおみそ汁や卵焼き、おくらともろみ、それに暖かい山盛りのご飯。ゆっくりよくかんで食べ、6:22さかえや旅館を出発した。

 田渡川に沿う国道379号線を歩いた。国道は一車線のところもあるが、新しく二車線に整備されていることが多かった。田渡川の谷間に沿った集落<写真1>を過ぎた。川には大きな緑色片岩がいくつもあった。
 7:35上田渡の観音堂前通過。すぐ傍の上田渡バス停<写真2>には洗濯物が干されていた。歩きのお遍路さんのようだ。今回まだ歩きの方を見かけないばかりか、前回(7月)も歩きの方と全く出会わなかったので、話しかけることにした。
 バス停に座っておられた方は、40歳ぐらいの男性で今年の7月7日に徳島県を出発されたそうである。12,3kgの荷物でゆっくり歩かれている。白い歯が印象的な方だった。昨夜はバス停向かいの小学校の軒下を借りたられたということだった。

 国道379号線をさらに田渡川に沿って遡り、7:58落合トンネルをくぐった。分岐点で国道と別れ、細い方の右の道へ分岐し山へ入った。8:09倉谷橋を渡ると遍路道沿いにお地蔵様<写真3>が何体もあった。杉木立の道<写真4>では、すでに高くなってしまった太陽の光がチンダル現象を起こしていた。今年の夏は四国にも台風がいくつか上陸したが、ここ数日は雨が降っていないらしい。土埃が舞い上がっているようだった。
 8:41田渡川の田井橋を渡り、さらに奥へと歩くと8:58水場があったのでそこで休憩することにし、昨日お接待して頂いた梨を食べた。その15分ほどの間に山に向かって車が一台。2分ほどでその車が引き返してきた。車が通ったのはそれだけだった。
 9:14水場を出発。9:17三嶋神社に到着した。山の中、意外と大きな神社だった。神社本殿の天井<写真5>には4枚の額に入れられた大きな絵がかけられた。
上田渡バス停
<写真2 上田渡バス停>
お地蔵様
<写真3 お地蔵様>
杉木立の道
<写真4 杉木立の道>
神社本殿の天井
<写真5 神社本殿の天井>
 ★鴇田峠越え★

 三嶋神社を9:27出発。しばらくで分岐に出た。歩きの道は上畦々へ左を行くようだ。しばらく上畦々の民家を見て歩き10:06山道へと分岐し、下坂場峠へ山道を登った。山道は人一人が通れるほどの崖に沿った道<写真6>であったり、二人並んで歩けるほどの杉木立の道であったり、夏草が生い茂りわずかな踏み跡が残る道であったりした。そして山道を登りつめると10:20車道と合流し、10:23標高570mの下坂場峠を通過し、久万高原町入り<写真7>した。

 ゆるやかに車道を下り、葛城神社を経て、10:44宮成の集落に到着した。商店はないが、自販機があったのでクリスタルレモンスカッシュ購入。休憩しながら、今日宿泊予定の「古岩屋荘」に電話した。空部屋はあるようで快諾して頂いたが、現在地を聞かれ、答えると、(歩きで)来れるかどうか心配されていた。僕はほぼ予定通りの時間だったので心配ないと思っていた。
 11:00宮成の自販機前を出発した。葛城橋を渡り、突き当たりを左折し車道を歩いた。11:31歩きの遍路道は車道と分岐しいよいよ鴇田峠へ<写真8>向かって登った。天気もいいし、長閑な道で快適だった。

 道は樹林の中の道となり、陰もある。11:48だんじり岩を通過。だんじり岩の案内板には、”弘法大師が四国八十八カ所巡錫の時、あまりの空腹と疲労のため自分の修行の足りなさに腹を立てこの岩の上で「だんじり(じだんだ)」を踏んでがまんされたそうです。(一部引用)”とあった。
 11:58標高790mの鴇田峠<写真9>に到着。展望はないが木立の中、ベンチに座ると涼しい。裏銀座を歩いた時の残りの非常食であるカロリーメイトとグルコース粒を食べた。
 12:11鴇田峠を出発。急な山坂道を下り、12:21鴇田峠便所に到着。東屋のあった。女子トイレの入り口にはクモの巣があった。トイレを借りたあと12:27出発しさらに下ると、「おつかれ様です」という道案内<写真10>があり、流れる水とともに下りの山坂道を下った。
崖に沿った道
<写真6 崖に沿った道>
久万高原町入り
<写真7 久万高原町入り>
鴇田峠へ
<写真8 鴇田峠へ>
道案内
<写真10 道案内>
鴇田峠
<写真9 鴇田峠>
大宝寺総門
<写真11 大宝寺総門>
 ★四十四番大宝寺にて★

 12:45ようやく車道と合流し、田んぼや民家の間を通り、久万高原町内へと歩いた。13:06大宝寺総門<写真11>を通過。久万高原町の道沿いにあるマンホールは特徴があり、赤や黄色、青で彩られ、リンゴやユリの花が描かれていた。

 お土産物屋が立ち並ぶ参道、そして赤い橋を渡り、13:20大宝寺山門前に到着した。山門の左右には巨大なわらじ<写真12>が飾られ、金剛力士像も睨みを効かせていた。
 札所としては四十三番明石寺以来となるので、歩行距離は69km余り、三日目にして辿り着いたことになる。確かにいくつもの峠を越え遠かったが、室戸岬の最御崎寺や足摺岬の金剛福寺へ至る辺地修行とは異なる感じがした。

 石段をいくつか上り境内に出て、本堂と大師堂<写真13>でお参りをしたあと納経所へ向かった。納経所には誰もおられなかったので、呼びベルを鳴らしたが、出て来られなかった。これからまだ岩屋寺へ向かうので気が急いた。もう一度呼びベルを鳴らし、しばらく待つと外からやって来られた。
 納経所の方によると今日、歩き遍路は僕で七人目ということだった。岩屋寺まで歩くと3時間かかるらしい。時刻は午後2時になろうとしていたので、時間の余裕はなかった。


     44大宝寺
大きなわらじ
<写真12 大きなわらじ>
大宝寺大師堂
<写真13 大宝寺大師堂>
車道のトンネル出口
<写真14 車道のトンネル出口>
・・・四十五番岩屋寺へ 8.4km 合計28.5km・・・

 ★八丁坂へ★

 13:51大宝寺を出発し、裏山を越えた。古そうな石地蔵や遍路石がいくつもあった。
 山中の道沿いに別冊第六版地図が落ちていた。長い方向に二つに折られている。僕と同じで二つ折りにしてズボンの後ろポケットに入れられていたのだろうか?
 何れにしても、先行されている歩き遍路さんが落とされたものであろう。何とかしたかったが、どうすることもできずそのままにして歩き去った。

 14:25遍路道は車道と合流した。合流した地点は車道のトンネル出口<写真14>となっていた。車の場合、次の岩屋寺へはこのトンネルをくぐって向かうのだろう。
 自転車遍路の方とすれ違った。ほんのしばらくでまた一人自転車遍路の方とすれ違った。移動速度が違うので抜かれることもすれ違うことも多い。

 何もない車道をゆるやかに下り、民家など建物が見えて来て14:42有枝川の住吉橋を渡った。またしばらく車道を歩くと、建物は途切れ田畑の中の車道となった。
 民宿和佐路、ふるさと旅行村の前を通過し、15:06遍路道は車道と分岐し、八丁坂への地道<写真15>に入った。八丁坂へは、小川に沿う道のあと、階段を上り、尾根に出て、また少し下った。
 15:39八丁坂分岐に到着。トイレを借りてから15:42出発し、八丁坂を登った<写真16>。途中、「峠十分」という切り株があり、その時、最初の雨粒を感じた。
 八丁坂峠頂上休憩所<写真17>には15:59到着。雨の気配はするが、南方向の山々<写真18>は見えた。かつては茶屋跡のあったそうである。
 休憩所を16:04出発。小さなアップダウンを繰り返しながら、馬の背<写真19>など尾根道を歩いた。雨がまた降ってきたようだが樹林の中なのでさほど気にならない。道の脇には赤や茶色・白など、きのこが多数あった。
 雨が強まってきたので、16:25ポンチョを着用した。いつもの山行きものを夏場平地などで着用すると少々暑いので、今回ポンチョを新調したのだ。雨でそれが活かせてうれしくもあった。
 岩屋寺に近づくと、岩の裂け目を鎖と梯子でよじ登る逼割(せりわり)行場や苔生した数体の石仏<写真20>などがあった。     
八丁坂への地道
<写真15 八丁坂への地道>
八丁坂を登る
<写真16 八丁坂を登る>
八丁坂峠頂上休憩所
<写真17 八丁坂峠頂上休憩所>
馬の背を往く
<写真19 馬の背を往く>
南方向の山々
<写真18 南方向の山々>
苔生した石仏
<写真20 苔生した石仏>
 ★四十五番岩屋寺にて★

 16:54岩屋寺山門を通過。大宝寺から(自分では急いだつもりだったのだが、)3時間を要した。
 納経所は午後5時までなので、お参りの前に納経所へ向かった。納経所は、本堂や大師堂より下に位置しているので稼いだ高度がもったいないが仕方ない。
 見かけたお寺の方は本堂と大師堂の片づけに行かれるところだったので呼び鈴で別の方に出てきて頂いた。納経所の台の上には「歩き遍路さんへ」と飴やおかきなどお菓子のお接待があったので頂いた。昼はカロリーメイトとグルコース粒しか食べていなかったので腹が空いていた。
 納経して頂いたあと、水屋で水をたっぷり飲んだ。水屋の隣には穴禅定があった。ここでは納経所で経木を受けお参りするようになっているようだったが、時間が遅いので入ってみるだけにした。
 穴禅定の内部は真っ暗で足許さえもよく見えない。かなえる地蔵尊などを3ヶ所でお参りするようになっているようだった。

 穴禅定を出て石段を上がり、本堂<写真22>に向かった。本堂は岩をくりぬいたようなところに作ってあり、その大きな岩は壁のように本堂のすぐ傍に迫っていた。大師堂は本堂の左、岩から離れたところにあった。
 本堂と大師堂でお参りをしたあと本堂に戻り、岩屋への梯子<写真23>を登ってみた。梯子は垂直に近い角度で17段あった。一段の高低差を40cmとすると約7mの高さと見積もれた。
 岩屋からは雨上がりの雲<写真24>が見えた。お大師様はここを巡錫された際、「山高き 谷の朝霧 海に似て 松吹く風を 波にたとえむ」と詠われたそうだが、この時の雲も海に似ていた。

 岩屋でゆっくりと時を過ごし17:39岩屋寺を出発した。車道に向かって石段を降りた<写真25>。石段の両脇には赤や青の幟が多数あった。
 車道まで下り左折した。途中から分岐する川沿いの遍路道があるようだがよくわからなかった。
 トンネルや橋を渡り、直瀬川に沿って車道を歩いた。車はほとんど通らない。雨上がりの雲は完全に消えないまま夕暮れを迎えようとしていた。
 県立自然公園の古岩屋の岩峰<写真26>が見えてきた。ここの古岩屋は堆積岩の一つである礫(レキ)岩であること[岩屋寺の岩屋もそうである。]や礫岩の岩屋が浸食されて多数の岩峰や逼割(せりわり)が形成されたことなどが紹介されていた。

     45岩屋寺
岩屋寺山門
<写真21 岩屋寺山門>
岩屋寺本堂
<写真22 岩屋寺本堂>
岩屋への梯子
<写真23 岩屋への梯子>
雨上がりの雲
<写真24 雨上がりの雲>
・・・古岩屋荘へ 2.8km 合計31.3km 累計775.0km・・・

 ★古岩屋荘にて★

 18:30古岩屋荘<写真27>に到着。大きな駐車場や大きなガラス窓のレストランがある宿舎であった。フロントでチェックインした時、コインランドリーのことを訊ねた。すると歩きの人(遍路)は僕で六人目だそうで、ランドリーは混んでいるかも知れないと教えて頂いた。
 部屋は三階の320号室<写真28>。部屋に入って金剛杖を洗い立て掛け、着替えた。そして汗だらけの衣服を入れた袋を持って二階にある温泉とその向いのコインランドリーに向かった。
 幸運なことにコインランドリーは空いていたが200円の小銭がない。両替機もない。不本意ではあるが1000円札で自販機コーラを購入し100円玉を得た。洗濯の所要時間は35分と表示された。夕食が遅くなるが、まあいい。ゆっくり温泉に浸かることにした。
 脱衣場には二人おられた。お二人とも歩きのお遍路さんで初対面のようだった。浴室内にも1人おられたが、この方も歩きかどうかわからなかった。僕が入ると、しばらくでその方は上がられたが、そのあとすぐ一人入ってこられた。ゆっくり温泉に浸かり上がってみると、洗濯機はあと2分で終了と表示されていた。

 洗濯物を持って部屋に戻りハンガーに吊るしてから、一階のレストランに向かい、夕食<写真29>を食べた。ここでも二人の歩きの方々が話し込んでおられた。この方々も初対面のようだった。聞き漏れる話しによると「通しで野宿」のようだった。ここはそのようなスタイルの方々でも宿泊される遍路道のオアシスのような存在なのかも知れない。
 僕もどこかで話しに加わりたいと思ったが、遍路スタイル(僕は区切りの宿泊まり)も違うし、年齢層(彼らは20歳代?若い!)も違う。それに今、話しかけるとタイミングも悪そうなので出来なかった。

 夕食後、部屋に戻ろうとすると2階のソファにおられたおばさんたちから、「8時から岩屋のライトアップがあるよ。」と教えてもらった。8時まであと10分ほど時間があったので部屋に戻り、今日の記録をまとめたり撮った写真を見たり自HPに投稿したりしているとライトアップのことはすっかり忘れてしまった。
 もう一度温泉に浸かりたいと思っていたが、時計を見ると10時を過ぎていたので(温泉は午後10時まで)、翌朝入ることにして午後11時頃就寝した。

     古岩屋荘
岩屋寺を下る
<写真25 岩屋寺を下る>
古岩屋の岩峰
<写真26 古岩屋の岩峰>
古岩屋荘
<写真27 古岩屋荘>
夕食
<写真29 夕食>
320号室
<写真28 320号室>
2004.8.27(金)の会計 金額
納経料2寺 600円
ジュース等4本 510円
コインランドリー 200円
1310円
合計 24970円
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2004年9月10日 記


           
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