十夜ヶ橋

2004年8月26日(木) 28日目
手荷物
<写真1 手荷物>
 ★空路、松山空港経由で四国入り★

 8月26日(木)5:15自宅出発。JR宇治駅へとむかい5:24発の奈良線一番電車に乗車。京都駅に近づくにつれて次第に乗客は増え、最後は立っている人もおられた。
 5:48京都駅到着。八条東出口に向かったが時間外のようで閉鎖されていた。仕方なく階上の西改札口を出て、八条口の空港バス乗り場へ向かった。

 停車していた空港バスに乗り込むと、6:00空港バスは出発した。京都南ICから高速道に入り、6:44伊丹空港到着。北ターミナルへ向かい搭乗券を購入。チケットは前日深夜にインターネットからe割で予約した。
 手荷物<写真1>は預けた。金剛杖は長尺コンテナへ、菅笠を括りつけたザックは大きな透明袋に入れられた。持っているものはカメラ、携帯、財布だけだ。
 朝5時から起きていて何も食べていなかったので腹が減っていた。二階のPIZZA-LAでピザとコーラのセットを食べた。朝食後、7:17出発口へ向かった。テロ警戒で何人もの警備の方がおられた。場合によっては履き物の検査もされるようだ。僕は持っているカメラ、携帯、財布をザルかごに入れ、ゲートをくぐった。
 16番搭乗口の前で時間待ち。今回搭乗するする飛行機はジェット機<写真2>のようだ。7:34搭乗開始。座席は10A、窓際。乗客は1/3程。7:45定刻になり飛行機は動き出し、無事テイクオフ。
 大阪上空を旋回し高度が上がっていった。上空の雲に近づいていく<写真3>。水平飛行に入ると明石海峡大橋、瀬戸大橋と通過した。機内放送によると、5400m上空を飛行しているらしい。また到着地の松山は、晴れで28℃とのことだった。

 ジェット機は瀬戸内海の島々を飛び越え、海に面している松山空港の滑走路に着陸。8:30に到着した。
 ジェット機から降り、手荷物を受け取り、空港ビルから出て、自販機でバス切符を購入し、伊予鉄リムジンバスに乗車した。
 リムジンバスは、8:57JR松山駅に到着。そして宇和島方面行きの特急列車乗り場へ向かった。発車ギリギリに乗車すると、定刻を少し遅れて9:02特急宇和海3号<写真4>は発車した。列車の乗客は半分足らず、伊予市、内子と停車し、前回打ち終えた伊予大洲駅に9:37到着した。
 予定より1時間程早く、大洲に到着できた。さいさきいい。
松山行きジェット
<写真2 松山行きジェット>
雲に近づく
<写真3 雲に近づく>
特急宇和海3号
<写真4 特急宇和海3号>
石鳥居
<写真5 石鳥居>
・・・十夜ヶ橋へ 3.0km・・・

 ★JR伊予大洲駅から十夜ヶ橋へ★

 大洲駅をあとに早速、国道56号線に向かって歩き出し、大きな石の鳥居<写真5>をくぐった。国道との三叉路を左折し東進した。前回は渋滞する中、自動車で走った道だ。

 前回の時と比べると暑さは和らいでいるが、午前10時近くなったアスファルトの国道<写真6>は、照り返しがやはり厳しく暑い。
 今回ペットボトルを持って来ていないので、国道沿いのローソンでvolvicを購入。その隣りにブックマーケットがあったので入店した。出かけ先で古本屋を見つけると物色する習慣があるのでつい入ってしまった。涼しい店内は開店したばかりなのにたくさんの人がおられた。文庫本のコーナーだけ見てみたが何も買わず店を出た。

 様々な大型店が建ち並ぶ日陰のない国道を東進した。車やバイク・自転車の往来はあるが、歩いている人はほとんどおられない。国道沿い、大型店より田んぼが目立つようになり、大洲ICの進入路を越えると十夜ヶ橋<写真7>(永徳寺)に10:26到着した。
 納経して頂いたあと、橋を渡り橋の下へ行ってみた。すると小さな橋の下で、お大師様<写真8>は寝ておられた。新しい小さな布団が掛けられていた。
 川には鯉か?魚はたくさんいた。柄杓で餌をすくって入れるようになっていたのでやってみた。魚たちは凄い騒ぎになった。

 10:46十夜ケ橋を出発。さらに国道を東進した。遍路道は踏切を渡り、高速道路をくぐるようになっていた。今日は歩き始めからずっと国道だったので、つい旧道の遍路道に入ってしまった。
 矢落川沿いの道を歩いた。栗の木<写真9>が植えられていたが、イガはまだ青い。秋はまだまだずっと先のようだ。11:43矢落橋を渡り国道と合流。国道はやはり暑く、照り返しも厳しい。鉄道と併走している国道沿いに太陽光発電装置<写真10>があった。夜間照明などに使うのだろう。
 12:04五十崎町に入り、豚太郎でミソラーメンとご飯の昼食を摂った。
国道56号線
<写真6 国道56号線>
十夜ヶ橋
<写真7 十夜ヶ橋>
お大師様寝姿
<写真8 お大師様寝姿>
太陽光発電装置
<写真10 太陽光発電装置>
栗の木
<写真9 栗の木>
芝生の遍路道
<写真11 芝生の遍路道>
・・・さかえや旅館へ 24.0km 合計27.0km 累計743.7km・・・

 ★十夜ヶ橋から内子町へ★

 12:37ラーメン豚太郎を出発。12:42国道56号線と分岐した。細いアスファルトの遍路道は、途中から地道となり山を越えようとしていた。
 内子町への山越えの遍路道は芝生に覆われていた<写真11>。芝生の上というのはなんだか熱い。歩いていると芝生の生命力を強く感じた。

 山を越えると、なし狩りやブドウ狩りなどたくさんの果樹園の横を通った。果樹園を通り過ぎ、13:10野球場の脇を通過した。この暑さの中、高校生たちは練習試合に励んでいた。勿論、選手たちだけでなく、冷水などを用意しているマネージャーたちや応援の父兄たちも暑い中、励んでおられた。
 野球場を過ぎると右手に池があらわれた。アヒルが涼しそうに泳いでいる。池の畔にお地蔵様<写真12>がおられた。赤い毛糸の帽子が印象的だった。

 坂を下りJRの高架をくぐり、内子の町に入り、白塀や黒の板塀の旧家が立ち並ぶ旧街道を歩いた。旧街道から左に入ると歌舞伎舞台などで有名な内子座<写真13>があるようだ。何本もの幟が立っていた。卯之町や大洲などと並んで歴史を感じさせる町並みだ。
 昨夜、出発を決めたので今日の宿はまだ予約していなかった。13:28旧街道沿いの公園ベンチで休憩がてら、今日の宿を電話予約することにした。明日は45番岩屋寺を折り返したいのでなるべく歩いておきたいので、内子町から小田町に入った突合にあるさかえや旅館に電話した。
 今日の宿泊を今日の午後になってお願いしたが、快諾して頂いた。明日の朝は早く発とうと思っていたので「朝早いので朝食はお弁当にして下さい。」というと「お遍路さんは朝が早いのはわかっているので朝食は何時でもいいですよ。」と、言って頂いた。
お地蔵様
<写真12 お地蔵様>
内子座
<写真13 内子座>
薬屋の博物館
<写真14 薬屋の博物館>
猫じゃらし
<写真15 猫じゃらし>

 ★内子町大瀬へ★

 13:41公園ベンチを出発。旧街道をさらに東進した。薬屋の店先が二体の人形とともに再現されている博物館<写真14>があった。見るだけにした。
 今回急な出発だったので財布の中に現金がわずかしかない。通り沿いにレンガ造りの伊予銀行があったので、ATMで現金を引き出した。

 内子の古い町並みが途切れ、国道に合流し13:53道の駅を通過した。正午を過ぎてますます暑くなってきた。自販機で100円の缶ジュースを購入し、さらに川に沿って歩いた。秋の気配を感じさせる猫じゃらし(エノコロ草)<写真15>が生えていた。
 単調な日陰のない道で眠くなってきた。昨夜あまり寝ていない。14:47福岡商店前のバス停ベンチで休憩し、ドリンクを購入した。
 14:57バス停ベンチを出発。道沿いに土壁の旧家<写真16>があった。その家の前の田んぼの稲の頭が重くなり垂れていた。そろそろ刈り入れなのだろう。

 国道の先にトンネルが見えてきた。いつもなら車両通過恐怖や排気ガスなどから敬遠したいトンネルであるが、日陰のない暑さの下、トンネルは大歓迎だった。涼しい風が吹き通っている長岡山トンネルを出ると、15:22お遍路無料宿<写真17>があった。
 お遍路無料宿の道路向いで梨を売っておられるおばさんに呼ばれ、行ってみると、梨を頂けた。お遍路無料宿の中を見せて頂いてると、黄金桃も持って来られた。
 遍路宿は、木の台に畳が敷かれ布団が何組か積み上げてあった。畳は他にも何枚もあった。ノートがあったので書き込みをさせて頂き、15:43お遍路無料宿を出発した。

 歩いているとまた梨のお接待<写真18>を頂いた。ついさっき梨と黄金桃を頂いたばかりなので、今回はありがたく頂戴しザックにしまった。
 和田トンネルを越えた先で遍路道は旧道に入った。民家と田畑の間を通り抜けると、16:26大きな材木店<写真19>があった。丸太や角材が多数積み上げられている。このあたりは林業も盛んなのだろう。
 16:34大瀬橋の東屋<写真20>に到着。まだ新しく木の香りが残る東屋だった。自販機でオレンジジュースを購入して休憩した。 
土壁の旧家
<写真16 土壁の旧家>
お遍路無料宿
<写真17 お遍路無料宿>
梨のお接待
<写真18 梨のお接待>
大瀬橋の東屋
<写真20 大瀬橋の東屋>
材木店
<写真19 材木店>
国道379号線
<写真21 国道379号線>

 ★大瀬からさかえや旅館へ★

 あと6kmほどなので1時間半か?と思いながら真新しい東屋で横になっているとしばらく居眠ってしまった。暗くなってしまったか?と起き上がり時計を見るとほんの10分ほど眠っただけだった。

 大瀬橋の東屋を16:51に出発。大瀬の集落を過ぎるとゆったりとした流れの小田川は変化を見せた。浸食による切り立った崖や運ばれてきた大きな岩、川の流れのところどころには白い瀬と急峻な流れの河川となった。
 17:04遍路道は国道379号線<写真21>と合流した。屈曲して流れる小田川に沿って旧国道は続いているようだが、平成十何年という新しい橋がいくつも架けられ、二車線道路が整備されつつあった。時間も早いわけではないのでそれらを通った。

 深山口橋を渡ると谷はいよいよ狭くなり、一車線の旧国道のみとなった。日も陰り涼しくなった道を歩いた。人の姿を見かけないし、車も稀にしか通らない。
 17:44千人宿大師堂を通過。中で泊ることもできるようだ。「筏流しの里」という看板があった。かつては切り出した木を筏にして小田川を運んでいたらしい<写真22>。今は町おこしに一役買っているのだろう。17:55楽水大師<写真23>を通過。
 18:01民宿来楽苦前通過。僕が通り過ぎると「すいません、予約されてた方じゃないんですか?」と問われた。僕以外にも歩かれている方がおられるのは心強かったが、少し複雑な思いがした。
 道は川に沿って折れ曲がっていて少し太めの上弦の月<写真24>を正面に見ながらも歩いた。18:22小田町に入り、橋<写真25>を渡った三叉路の突合(つきあわせ)にあるさかえや旅館に18:26到着した。
筏流しの里、小田川
<写真22 筏流しの里、小田川>
楽水大師
<写真23 楽水大師>
上弦の月
<写真24 上弦の月>
橋を渡る
<写真25 橋を渡る>
 ★さかえや旅館にて★

 さかえや旅館<写真26>の玄関に入ると食卓テーブルと椅子がおいてあった。おかみさんに二階の部屋<写真27>に案内して頂いて着替えた。金剛杖も二階の洗面で洗い、床の間に置いた。床の間には年代物の掛け軸があった。
 洗濯物を袋に詰め、階段を下り、お風呂場へ案内してもらった。お風呂は最近、改装されたようで、以前は五右衛門風呂だったそうである。
 お風呂に入りながら詰めてきた洗濯物を洗わせて頂くことにした。古い木戸をこじ開け戸外の洗濯機を使わせて頂いた。洗剤はお接待であった。

 洗濯機をまわし、洗濯や排水、貯水、脱水と自らの身体も洗いながらでなかなか忙しかった。洗濯と入浴が同時に終わり部屋に戻り、洗濯物を扇風機の風に当てて乾かしたり(おかみさんに教えて頂きました。)、荷物の整理をしたりしながらくつろいでいると、おかみさんが「できましたよ。」と下から声を掛けて下さった。
 何か自分の実家にいるような錯覚で階段を下りて見ると食卓<写真28>には、「じゃこ天」・「なす」・「ピーマン」の炒め物、尾頭付きの白身魚の煮付け、具がたっぷりの熱いおみそ汁、よく冷えたおうどん、それにキューリの漬け物などが並んでいた。夏の暑い日、実家でも似たような夕食を食べていたなぁと思った。

 食事をしながらおかみさんと話をした。さかえや旅館は、築120年の旧家を旅館にされていて今はお一人で切り盛りされているということだった。確かに五右衛門風呂がつい最近まであったらしいことや、土間<写真29>には古いかまどや、古い鍋や壺、ザルなども置かれていたり掛けられていたり、それに階段が急であった。玄関には黒いダイヤル式電話機<写真30>まであり、何もかも懐かしい感じがした。
 テレビでは、アテネオリンピックを放映していた。おかみさんとオリンピックの話や、大宝寺や岩屋寺への遍路道のこと、今年は台風などの影響からかこの時期に歩いている人が例年より少ないことなどを教えてもらった。
 普段はあまり自分のことは話さないが、つい実家の母の前にいるような気になってしまって、ここまでの僕の遍路旅などの話もさせて頂いた。
 この日の宿泊は僕一人だったこともあり、つい遅くまで話し込んでしまった。おかみさんに「おやすみなさい。」といい、二階の部屋に戻り、洗濯物や荷物の整理をした。窓の外は秋風のような涼しさだった。微弱な電波を頼りに自HPに投稿し就寝したのは午後10時半を過ぎていた。

     さかえや旅館
さかえや旅館
<写真26 さかえや旅館>
二階の部屋
<写真27 二階の部屋>
食卓
<写真28 食卓>
黒いダイヤル式電話機
<写真30 黒いダイヤル式電話機>
土間
<写真29 土間>
2004.8.26(木)の会計 金額
JR乗車券 宇治→京都 230円
空港バス
 京都駅→伊丹空港
1280円
日本航空
伊丹空港→松山空港
13250円
朝食 PIZZA-LA 500円
空港バス
松山空港→JR松山駅
300円
JR乗車券、特急券
松山→伊予大洲
1430円
ラーメン豚太郎
みそわかめラーメン、ご飯小
620円
納経料1寺 300円
ジュース等4本 450円
ドリンク 800円
さかえや旅館1泊2食 4500円
23660円
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2004年9月6日 記


           
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