第五回 教会の住民登録とパーソナルナンバー
ファーストアドベントも終わり、 12月5日がみちるの誕生日。 まさか、スウェーデンで1歳の誕生日を迎えるとは、 当のみちるも思わなかったでしょう。 誕生日に何をしてやろうか? お誕生日ケーキはどうしようか? 等々家内と考えていましたが、 雑用に振り回され時間が過ぎ、 あっと思ったときは誕生日でした。 そこに、「救いの神」が現れました。 |
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「ラトコ」と「アナ」がみちるのバースデーのお祝いをしてあげると申し入れてくれたのです。
渡りに船とはこの事、早速ご招待に応じました。"Thank you very
much!"
電話帳2冊分くらいのアナさんお手製の超大型ケーキに、
大きな1本のろうそくを立て、祝ってくれました。
セベリン家のご主人「ラトコ」は当時ユーゴスラビア語の「母国語教育」の先生でしたが、
以前はレストランにも勤めていたという「セミプロ」の料理人。
その奥さんのアナさんもケーキやデザート類はお手の物、料理が好きな働き者です。
これから、何度も何度もセベリン家にはお食事やお茶に招待されるのですが、
本当に料理に関しては絶品でした。
ある朝、ボスが「今日は手術の予定がなくて時間があるので、
教会へ連れて行ってやる。」と言いました。
最初は、ヒアリングの問題で理解できないのかと思いましたが、
何度聞き返しても「教会」でした。
我々は日本人だし、クリスチャンでもないのになぜ教会??と思いました。
しかし、「書類を出しに行かなければならない。」とあまりにしつこく言うので、
「まあついていってみるか!」と同行しました。
すると、教会の建物の中に「事務所」があり、住民登録をするということでした。
ルンドでは日本の役所の一部の機能を街の教会と郵便局で行っていたのです。
予備知識なくそこに行った私は、やさしいスウェーデン人のお姉さんの指示で、
たどたどしい英会話を駆使しながら書類を埋めていきました。
そして、手続き終了。
はれて、「パーソナルナンバー」なるものを取得できることと相成りました。
パーソナルナンバーとは一言で言えばスウェーデンの国民背番号です。
これを手に入れると、いろんな意味でスウェーデン人と同様の扱いを受けることができます。
たとえば、医療保険や育児年金も受け取る事ができるようになります。
スウェーデン王国に税金は納めていなかったので、
なんだか申し訳ないような思いもありましたが、間接税は十二分に納めていたので、
「グスタフ国王、ありがとう」と頂いていました。
(物価や税金の話はまた機会を見つけてお話しします)
また、銀行に口座を開くにも、クレジットカードで買い物をするにも、
スウェーデンでの生活では、いろんな場面でなんとも気軽に
パーソナルナンバーを求められます。
我々が持っている国際的に通用する身分証明書といったら
「パスポート」しかありませんでしたので、
私たちはそれまで、どこに行くにも、買い物にもパスポートが必要だったのです。
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パーソナルナンバーを取得できた私たちは、 そこで、街の写真屋さんに写真をとりに出かけました。 |
椅子に座って、背筋を伸ばし、あごを引いて、ピシッとカメラのレンズをにらめつけると…。
「ダメ、ダメ」とカメラマン。「リラックス、リラックス」
「このあたりを自然に見て」「スマイル、スマイル」はい、
「カシャ」…。と撮ってしまいました。
まるで、ポートレイトのような証明写真が出来上がり。
日本ではとても考えられない証明写真になりました。
家内の撮影に恐れをなして、私はスーパーの前にある
自動撮影マシーンで撮ってしまったのですが、
今考えると「ポートレイト風の方が良かったかなー」と少し後悔しています。
次に手に入れたのが「運転免許証」です。
スウェーデンには国際免許証を持っていきましたが、
情報筋によると「日本の免許証でスウェーデンの運転免許がもらえる」と聞きました。
早速、問い合わせると…。「免許証の翻訳が必要」との返事。
でも逆にいうと、翻訳があればスウェーデンの免許証が手に入ると言うことになります。
早速、翻訳はどうすればいいのかを聞くと、
ご丁寧に翻訳をしてくれるところを紹介してくれました。
早速依頼をすると、なんと、一単語いくらという事で翻訳をして返してくれました。
後で友人に聞くと、もっと安くて翻訳できる方法もあったようなのですが、
とにもかくにもスウェーデンの運転免許証まで手に入れてしまいました。
スウェーデンの免許証はなんと有効期限が10年です。
(ちなみにドイツは終身免許、書き換えいらずだそうです。)
かくして、スウェーデン人たちと同じIDカード、
運転免許証なるものを作ることができました。これで、本当に身軽になりました。
あの、パスポートを持ち歩くプレッシャーから解放されました。
これを手に入れたことで、何かスウェーデン社会で
一応認められたような気になったのは確かでした。
こうして少しずつ自信をつけてきた私たちに降りかかった次のピンチは、
日本では聞いたことのない「銀行のストライキ」でした。