第三十一回  「"Yoko"Magic

30回記念の予想外?の好評もあり、
そろそろマンネリ化してきていた留学記をリフレッシュしたいと思っていました。
今回は留学記番外編を書いて以来、息を潜めていた家内に原稿依頼をしました。

すると…。
書きたいことが一杯ある、一回では書ききれないって嬉しい?誤算。
しばらくの間、違った視点からの留学記をお届けします。
チョッとタイムスリップした書き出しですが…お楽しみください(^_-)

  長旅でお疲れなのに
 "主人の上司に初めておめにかかる"
  …色々な場面を想像しながら、
  習った英語の構文を復唱して、
  とっても緊張して、
 待ち合わせのホテルに『ついて』行きました。

 そこで待っていてくれたのは、
 ちょっと鼻めがねでラフな服装をした、
 まるで全身が笑顔のような
 シュラー先生でした。
 「ハロー、ハロー、ハロー!」
 と言いながらハグ、ハグ、ハグ…

  彼は私が緊張していたのと同じくらいとても興奮していて、
  「さあ、まず家へ行こう。ラトコとアナが待っているよ。」と全く一方的なペースで私たちを自分の車で、
  これからの我家"Severin家"へと連れて行ってくれました。

  ほんと、シュラー先生の言うとおり、ラトコとアナの熱烈歓迎を受け、さらにビックリ。
  「ハンスといっしょに、こんなに色んなものを用意して待っていたんだよ。」
  と部屋中のあらゆるものに対してアピールをするラトコとアナ。
  「身一つでおいで」と言ってくれたあの手紙は、本当でした。
                                                          
 "Yoko" "Yoko"と、
  話し始めるごとに彼らは呼びかけてくれました。

  上手にはいえませんが、シュラー先生、
  大家さん、大家さんの奥さん…
  私たちの間で毎日話題に出ていた彼らは、
  私たちのことを
  Tdadshi、Yoko、Haruna、Michiruとして
  親愛の情を育んでいてくれたのが
  短い彼らとの時間で、その笑顔から
  とっても強く伝わってきて感動しました。

  彼らとの初対面は、こんなふうに、
  折角準備していたごあいさつの構文を
  結局一つも披露しないままに終わりました。







●シュラー先生(ハンス)とライラ  

  翌日、主人は留学記でも書いていたように、なんとTadashiは病院へご出勤。
  正直、私は驚きました。なんということ!!信じられませんでした。

  したいこと、しなければならない事が山ほどあるのに!!
  それになんと言っても2日目に子供達と3人ぼっちなんて不安じゃないですか。
  でも必要に迫られ、ラトコやアナさんに地図を書いてもらっては、
  子供達と様々な買い物や諸手続きに出かけていくという私の生活も始まりました。
  「なんだって??なんだって??」…ラトコが一番はじめに覚えた日本語です。
  私同様、最初の数日間、不安と好奇心のカタマリだったはるなは、
  どこへ行っても、誰と話をしていても私に同時通訳?を求めました。
  (もちろん次にラトコが覚えたのは「ちょっと待って」です。)

  
 そんなこんなの数日間、
  私は自分が実はちょっとづつ
  変わっていくのを感じていました。

  "Yoko Magic"です。
  日本にいた私は、結婚してからは
  「小川さん」だったり「小川さんの奥さん」
  だったり「小川の家内」でした。
  はるなが生まれると
  「はるなちゃんのお母さん」だったり
  「おばちゃん」でした。

  そんな私がルンドに来たのは
  主人の仕事の都合で、
  仕方なく、でも当たり前でした。
  だからルンドでは、主人をサポートし、
  たとえ環境がちがう外国でも
  2人の娘をしっかり育てていかなくては
  ならないという思いがなによりもありました。
  (Tadashiの陰の声…本当にありがとう!!)


●ラトコ命名「セベリン家の人々」のフルメンバー

  それが、ハンスもラトコもアナも、郵便局でも教会でも銀行でも、
  みんなが私のことを"Yoko"と呼ぶのです。
  いつもドキドキ緊張している私でしたが"Yoko"と呼びかけられるうちに
  だんだんリラックスしていくのを感じていました。
  そしてある日ある時、ちょっとオーバーですが
  「ああ、私は洋子だったんだ!」と
  本当に頭じゅうがパァーと明るくなるくらいにひらめきました。

  変ですね、変でしたよ。
  「ここでは私は奥さんでもお母さんでもなく洋子でいいんだ」という
  妙に素敵な気持ちで一杯になって気負いも悲壮感漂う責任感も
  どこかへ吹き飛んでしまって、何もかもが前向きな楽しい気分になりました。
  自分が自分に対して、とっても自然体になれたっていう感じです。

  こうして、この"Yoko"という魔法の呪文は私のなかで
  スウェーデンで生活していく自信と向上心をどんどん大きくしてくれました。
  そしてそれからの洋子さんは、はりきって、
  はるなとみちると一緒にいろんな事に挑戦しましたよ。
  カルチャーショックは日常茶飯事。
  失敗だって数知れず。
  でも、それはそれ。
  いろんな経験をしました。

  また一杯たまっている私の思い出話を皆さんにお伝えできたらうれしいなと思っています。