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       やまのい和則の
         「国政に福祉の風を!」

         - Yamanoi Kazunori Mail Magazine -

                第31号(2000/07/19)

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 メールマガジンの読者の皆さん。ご報告が遅くなりました。
 月曜日、朝から東京に行き、いま、火曜日夜、帰りの新幹線で
この原稿を書いています。このメールマガジンも長くなることを
まずお許しください。

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 私は、このたび民主党の
「介護保険をより良くするプロジェクトチーム」(座長は石毛え
い子衆議院議員)の事務局長に就任しました。

 介護保険の問題点と改善点や今後のあり方について8月末まで
に、党内の意見をとりまとめる事務局をすることになった。

 そしてそのプロジェクトチームが主催する、第一回の勉強会が
来週、行われる。
 このチームのメンバーの募集と、勉強の案内のFAXを、民主
党の政策調査室の方が、本日発送してくださり、さっそく、返事
のFAXが来た。

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 万感胸に迫る思いである。
7年程前から、介護保険導入の議論に加わり、「導入してよかっ
た」と言える介護保険づくりを、ライフワークにしている私の悲
願が、国会での介護保険の議論に、寝たきりや痴呆症のお年寄り
や、その介護をしている方々の、声なき声を代弁することである。

 その第一歩を今日、踏み出すことができた。
 私がこの仕事をさせてもらうために、どれだけ多くの方が、
過去5年間、思いを込めて汗を流して下さったか。
それを思うと涙がにじむ。

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 「やまのいさんの当選を見るまで、死んでも死に切れん」と言
いながらも、ガンに勝てず昨年、天国に逝った臼井さん。
「いつになったら、日本にもグループホームが増えるの。はやく
増やしてちょうだいよ」と言い残して3年前に亡くなった、スウ
ェーデン在住で、私にグループホームの大切さを、教えて下さっ
たブラウアー英子さん。

 また、私はこの5年間に、駅前や地域で、50万枚以上のチラ
シを配ってきた。
のべ何千人ものボランティアさんの力を借りて運動をしてきた。
夏の暑い日、倒れそうになりながらも配ってくれた地域のボラン
ティアさん。大雨の中、カッパを着てチラシをまいてくれた学生
ボランティアさん。

 その思いは1つ。
「福祉を良くしてほしい」
「安心して長生きができる社会をつくってほしい」ということだ。
その期待に応えるために、精一杯働きたい。

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 さて、話は、昨日17日(月)にさかのぼる。
車椅子の上村(かみむら)節子さん(75歳)を国会見学に案内
するため、京都から東京へと同行した。
駅や乗り物のバリアフリーチェックをしながら、そのレポートを
以下、報告したい。長くなりました。

 ことの起こりは、私が国会に初登院した7月4日。
その日は私の事務所のスタッフ5人が、一緒に東京に来てくれた。
みんなも議員会館を訪問し、感激し、喜んでくれた。

そのとき、元やまのい事務所スタッフで、現在、京田辺市会議員
の上村崇君(27歳)も一緒にいた。
私は、上村君におばあさんへのおみやげをことづけた。歴代の首
相の絵が入った国会みやげの扇子だ。

 後日、上村君から「うちのおばあちゃんが、おみやげをとても
喜んでました。生きてる間にこんな結構な国会みやげをもらえる
なんて、と感激して泣いてました」と言われた。

 「そんなに喜んでもらえるのなら、今度、おばあちゃんに国会
見学に来てもらいたい」と私は思わず言った。
しかし、おばあちゃん(上村節子さん)は、ここ数年、足が弱り、
室内では松葉杖、外出時は、車椅子である。

「うーん、おばあちゃんなあ。喜ぶやろけど、車椅子だし、国会
議事堂までたどり着けるかどうか」と悩む上村君に、
「これはやるしかない!駅や新幹線のバリアフリーチェックを兼
ねて、来てもらおう」と私は言った。

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 民主党のバリアフリープロジェクトの座長であり、今回の選挙
を私と二人三脚で戦った、玉置一弥衆議院議員に相談すると、
「7月17日、18日なら東京にいるよ!」とのこと。

 そこで、7月17日に上村節子さんに国会に来てもらうことに
決まった。
 翌日、上村君に「おばあちゃんは行けるかな」と聞くと、「お
ばあちゃん、大喜び。服買わないかん。靴買わないかん。パーマ
あてないかん、と喜んでいる」とのこと。
 上村君のご両親、つまり、節子さんの息子さん夫婦も、仕事を
休んで、車椅子を押すために、同行することになった。

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 まずは、新幹線選び。
「9時10分発の、のぞみ号に乗れば、11時半に東京駅に着き、
国会の食堂で昼食を食べられる」と私は提案した。

しかし、上村君が調べてわかったのは、9時10分発の、のぞみは
車椅子では乗れないが、9時7分発の、新型のぞみならオーケー。

 17日朝9時7分京都駅発の、のぞみ号に乗ることが決定。
となると、近鉄新田辺駅(京都府京田辺市)は、何時の電車に乗
ればよいか。

「まあ、8時20分の急行に乗れば十分間に合う」ことになった。
しかし、翌日、上村君からまた電話。

「新田辺駅に相談したら、8時20分の急行は満員で、車椅子は
乗れないことがあるので、7時34分発の準急の、一番後ろの乗
降口から乗って欲しい。これなら新田辺が始発なので、確実に乗
れるし、車掌が手伝ってくれる」とのこと。

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 そして、17日当日。
朝7時前にタクシーで自宅から節子さんは新田辺駅に。
7時20分に駅で私と妻と待ち合わせ。まずは、エレベータで二
階の改札へ。窓口で聞くと、介助者一人は無料とのこと。

 ホームで車掌さんに介助してもらい無事、電車に乗り込み発車。

私はビデオ、私の妻はカメラを片手に乗り込む。私は一泊二日の
東京の荷物。このパソコンも入った大きなかばんを左手に、右手
はビデオで節子さんの動きを追う。妻も東京で、講演なので、大
きなかばんを左手、カメラを右手に節子さんを追う。

ビデオとカメラで、この国会見学を記録に残し、今後も車椅子の
方々に気軽に国会見学に来てもらうためだ。

 電車に乗り、「やっと、出発ですね」と節子さんに声をかける。

「東京に行くのは20年ぶりです。昨日は興奮して眠れませんで
した」と感慨深げ。

上村君(正確には「上村市会議員」)は、「うちのおばあちゃん
も数年前までは、車椅子を、カッコ悪いと言って、嫌がってたん
です。それで、外出もせず、閉じこもりになっていました」。

また、上村君のお母さんは、「近所の人も実はバリアフリーと言
っても、意味がよくわかっていませんでした。バスが無料になる
のがバリアフリーだと思っていました」とのこと。

 電車が大久保駅(京都府宇治市)を越えたあたりで電車は満員
になった。たしかに、これでは車椅子は新たには乗れない。

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 8時6分に京都駅に到着。
エレベーターで一階に降り、緑の窓口で障害者手帳を見せて、チ
ケットを入手。事前に駅には車椅子で新幹線に乗ると予約は入れ
て席はとってあった。

 みどりの窓口に駅員さんが迎えに来てくださる。
さて、ここからどのような経路で新幹線のホームに行くのか。

 普通の改札を通るのかと思うと違った。どんどんと駅の端に駅
員さんは私たちを誘導する。着いたのは、貨物用の入口。
そこから入って貨物用のエレベーターに乗る。
そして、着いたのが新幹線のホームの端。

「直接、ホームについてしまったら、二階のおみやげもの売り場
が通れない。車椅子の人はおみやげを買えないのか。それにして
も貨物用のエレベーターに乗せるのはひどい」と思った。

 実は私は10年前にも、車椅子の知人と一緒に東京に行ったこ
とがあり、そのときにもこの貨物用エレベーターを利用したこと
があった。

 この10年、京都駅のバリアフリーは進展なしだ。

 しかし、不思議なことにあとでチェックしてわかったのは、正
規の改札を通ったところのエスカレーターにも車椅子オーケーも
マークは入っているのだ。

しかし、おそらく、こちらのエスカレーターの場合、車椅子の方
が利用するときには、車椅子で利用できるように設定を変えねば
ならないので、手間がかるので、駅員さんは貨物用のエレベータ
ーに案内したのであろう。

 ホームで待つこと30分。やっと9時7分ののぞみが到着。
駅員さんに介助してもらい、無事乗車。
車椅子のマークの入った乗降口から入り、車椅子用のスペースに
座る。その車両のすぐ横には、車椅子用のトイレもある。

しかし、素朴な疑問。このスペースは一人分しかないが、車椅子
の方が数人一緒に新幹線を利用したいと言った場合、どうなるの
か。

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 新幹線の中で遅まきながら、東京駅から国会の議員会館までの
移動を考える。車椅子用のリフトつきタクシーがあることを事前
に調べていたので電話する。

 しかし、東京駅から永田町の議員会館までなんと14650円。
これは高すぎる。結局、普通のタクシーに乗ることにする。

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 11時半に東京駅到着。玉置事務所の秘書の竹鼻さんが出迎え
てくださる。駅員さんに相談し、丸の内口に向かう。

しかし、これが悲惨。京都駅と同じく貨物用運搬用のエレベータ
ーに乗り、暗くて汚い地下通路を移動。

 5分くらいで丸の内口の到着。そこから、タクシー。
節子さんは普通のタクシーにも何とか乗れるようだ。車椅子はた
たんでトランクに入れる。

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 やっと11時45分に、衆議院第一議員会館240号の、私の部屋
に到着。一休みしてから議員食堂でお寿司を食べる。「江戸前の
お寿司は美味しい」と節子さん。

 その後、上村君ファミリーは、バリアフリーに対応したホテル
に宿泊。 晩は、節子さんの希望で銀座に行った。車椅子での「銀
ぶら」である。

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 翌日は、朝からバリアフリーの専門家である、玉置衆議院議員
の事務所をみんなで訪問。
会うなり玉置さんは、満面の笑みを浮かべて「節子さんのおかげ
で、私は当選できました!」と歓迎の言葉。

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これには多少説明がいる。今回の選挙の2000人決起集会で、こ
の車椅子の節子さんが、玉置さんに応援の花束を贈呈したのだ。
2000人の観客の前で節子さんが、スポットライトを浴びた。
バリアフリーを公約の柱と掲げる玉置さんに、ピッタリであった。

翌日の地元紙に大きく、その写真が載り、おまけに玉置さんの政
見放送にも、節子さんから花束を受け取るシーンが放映された。
節子さんは、「今晩、私がテレビに出る」と、ベッドの上から知
り合いに電話をかけまくったのだ。

 このように選挙によって、節子さんが出番を持ち、元気になっ
た。後日談だが、選挙が終わって、出番が減り、節子さんは少し
退屈しておられたので、この国会見学はちょうどよかった。

 そんな事情があったので、玉置さんは節子さんにお礼を言った
のだ。

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 玉置さんの事務所のあと、私たちはその足で、徒歩5分の民主
党本部の7階に行った。10時から常任幹事会がある。
その部屋の前で、私たちは陣取った。

そして、「20年ぶりに東京に来た方です。バリアフリーのチェッ
クをしながら京都から民主党本部まで来ました」と、玉置さんと
私が頭を下げ、常任幹事会に入る直前の鳩山由紀夫代表、羽田孜
さん、菅直人さんに立ち止まってもらい、車椅子の節子さんを囲
んで、大急ぎで記念撮影。

菅さんは、「民主党本部が一番バリアフリーが遅れてるんじゃな
いですか」と冗談を言って笑わせてくださった。
節子さんも「一生の記念になった」と大喜びであった。

 午後は、玉置さんが主催する交通バリアフリーの勉強会に上村
ファミリーは参加。

 そこには、私をバリアフリー問題に開眼させてくれた、師匠で
ある今福義明さんも、電動車椅子で来ておられた。懐かしい!

 10年前、今福さんと一緒に東京にバリアフリーチェックをし
ながら旅行をして、私はバリアフリー問題の切実さを今福さんに
教えてもらったのだ。

 当時、今福さんは京都に住んでいて「アクセス京都」という雑
誌をつくっておられた。
不自由な身体でワープロを打つ姿は感動的だ。

その今福さんは今は東久留米市に住み、10年ぶり名刺交換した
ら「アクセス東京」となっていた。
東京近郊のアクセスを、今日も今福さんは電動車椅子に乗りなが
ら、されているのだ。今福さんと別れて10年。

その間、ずっと今福さんはバリアフリーのために生き抜いてこら
れた。私も志を同じくし、福祉に生き、このたび国会に来て、バ
リアフリー問題に乗り組んでいる。そして今日の再会。うれしい。

石毛事務所の秋山さんも、今日、この勉強会に来ておられた。
秋山さんは「NO PITY(哀れみはいらない)」という素晴らしい
アメリカのバリアフリー運動の本を、日本語に翻訳された方だ。
今福さんと記念撮影し、これからの共同戦線を誓い合って別れる。

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 そして、上村ファミリーは国会議事堂などを見学し、18日の
夕方、上村君ファミリーは無事。京都に戻った。
18時28分。上村君から私の携帯にメッセージが入った。
「無事、いま、京都駅に着きました。帰りは貨物用の通路ではな
く、駅のエスカレーターに乗って、二階でおみやげを今、買って
いるところです」とのことであった。

 無事に旅が終わって何より。

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 私の議員事務所、衆議院第一議員会館240号室は、日本の福祉
の拠点にしたい。

 このように車椅子の方でも、何とか国会見学はできますので、
ご関心のある方はお越しください。もちろん、車椅子でない方も
大歓迎です。

 気軽に240号を訪ねてください(連絡先は下記)。私は週の半
分くらいは東京ですので、私がいれば一緒に議員食堂で昼食をし
ながら、お話させていただきます。

 また、今回の「バリアフリーチェックの旅」のビデオを編集し
ますので、2〜3週間後には、ビデオになると思います。
ご関心ある方はご一報頂ければお貸しします。

 以上、長い長いメールマガジンでした。最後まで読んでくださ
った方に感謝! 
 私にメールマガジンの発行を薦めてくれたSさんからのアド
バイス。
「メールマガジンの長さは長くて、A4一枚が限界。それ以上は
読者に迷惑!(八枚デス)」。この言葉を思い出し反省。

         やまのい和則 拝

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