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       やまのい和則の
         「国政に福祉の風を!」

         - Yamanoi Kazunori Mail Magazine -

                第32号(2000/07/21)

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 読者に皆さん、暑いですね。
私の京都の事務所のコンピューターが暑さで故障しました。

 選挙後初の「やまのいニュース」支持者に発送するもの)を
作成し、印刷所にまわし、いま、ほっとしています。

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 やまのいニュースは、このメールマガジンと似ていますが、
また、新たな内容も入っています。もし、ご希望の方があれば、
ご一報ください。私の「やまのいニュース」を郵送します。

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 また、前回のバリアフリーチェックの国会見学レポートで、
「気軽に国会事務所にお越しください」と書いたものの、「国会
事務所の連絡先が書いてない」と問い合わせがありました。申し
訳ありませんでした。私の国会の議員会館の連絡先は下記です。

 〒100-8981 東京都千代田区永田町2-2-1
                 衆議院第一議員会館240号室 
            電話03-3508-7240 FAX03-3508-8882

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 さて、今日も例によって長文のメールマガジンです。正直、こ
の原稿をメールマガジンで送っていいものか、と悩みました。
重く暗い内容だからです。ホームページに掲載するだけにしよう
かとも思いましたが、思い切ってメールマガジンで送ります。

 赤裸々な私の思いとしてお受け取りください。 

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 さようなら ありがとう 志づ子さん

 当選は嬉しかったが、今回の選挙が終わって、私には悲しいニ
ュースが1つありました。長くて暗い話ですが、ご報告します。

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  そもそも何故、私が選挙に出ようと決意したのか。今から5
年前の5月、私に一通の手紙をくれたのが、志づ子さん(当時80
歳)でした。

  志づ子さんとの出会いは、今からもう8年も前にさかのぼり
ます。ある市でホームヘルパーさんに1週間同行し、私は老人福
祉の調査をしました。その時すでに志づ子さんは寝たきりで、当
時84歳のご主人の万治さんが介護をしておられました。

 本好きの志づ子さんは、寝たきりですがおしゃべり好き。
寝たきりの末に亡くなった私の祖母と雰囲気が似ており、私も
すぐに仲良くなりました。
「寝たきり生活で大変でしょう」と尋ねると、「私は寝てるだ
けだから楽よ。介護してる主人のほうが倒れてしまうわ」と。

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  そのとき聞いた志づ子さんの悩みは、「ホームヘルパーさん
が交代するのがかなわない」ということ。
 人間関係が近くなりすぎるとよくないという判断から、その町
ではヘルパーさんが定期的に担当を代わるのだ。

  「今までの慣れたヘルパーさんは、かわってほしくない。釘
を飲まされるように心が痛む。今のヘルパーさんはせっかく気心
が知れて仲良くなったところなのに、寝たきりの私にこの年で新
しいヘルパーにまた一から仲良くしろ、というのは酷よ」と、志
づ子さんはショックを受けておられた。

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  本が好きということで早速、私の本をプレゼントした。
実は、志づ子さんは私の本の中にも登場している。私が本を書く
たびに、私は本を謹呈し、志づ子さんは感想文をたどたどしい字
で送ってくださった。「とっても読みやすくていい本ですね」な
どと、いつも誉めてもらった。

  しかし、六年前。ご主人の万治さんが介護疲れで亡くなられ
た。介護しておられた万治さんが倒れ、1つのベッドの中で二人
が寝たきりになり、寝たきりの志づ子さんが、医師やヘルパーさ
んなどとともにご主人を介護するという壮絶な最期でした。
「主人の待つ天国に私も早く行きたい」と、志づ子さんは泣きな
がら言っておられた。 

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  それからしばらくして、また、志づ子さんから私の本への感
想が届いた。ひとしきり私の本を誉めてあったが、最後にこう書
いてありました。

「やまのいさんの本に書いてあることは絵に描いた餅で、私には
食べられません。実際、私の住んでいる町にはやまのいさんの言
うような進んだ福祉はありません。主人も介護疲れで亡くなりま
した・・・・・」

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  私は、ただたどしい字で書かれた「絵に描いた餅」という言
葉を見て、バッドで頭を叩かれたような衝撃を受けた。
そして、決意した。
「そうだ。今まで本に書き、講演で訴えてきた福祉を実現するた
めには政治家を目指すしかない。政治家になって、食べられる餅
をつくろう」と。

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  その後、当時勤務していた奈良女子大学という国家公務員の
教員を辞し、私は1995年9月15日(敬老の日)に、私は政治活
動を始めました。だから、私はこの5年間、500回くらい行った
講演では必ず志づ子さんのスライドを見せ、私のリーフレットに
も志づ子さんの写真を載せました。志づ子さんとの出会いが私の
政治を原点だったからです。

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 志づ子さんは函館出身。その後も北海道に講演に私が行ったと
きには北海道のラーメンを贈ったり、電話をしたり、手紙のやり
とりもしていました。しわしわの3000円をカンパで送ってもら
ったこともあった。また、1万円の夕食会を企画した時には、「そ
んな金のかかる政治はやめなさい。原点を忘れたの。今までの政
治と変わらない」と、手紙で叱られ、あわててお詫びの電話をし
たこともありました。

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  前回の選挙に私が落選し、落ち込んでいたときは、「かよわ
い寝たきりの私のようなものの味方の政治家はやまのいさんだけ
です。私たちの分まで頑張ってください」と、励まして下さいま
した。

 ですから、私は苦しいことがあっても、志づ子さんのような寝
たきりや痴呆症で、自分で自分の意見を言えない人の身代わりと
して、政治活動をしているんだと自分に言い聞かせ、頑張ってき
ました。寝たきりのお年よりは自分で頭を下げたり、チラシを配
れないから、その身代わりとして私が政治活動をしているんだと
自分に言い聞かせてきました。

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  さて、このたび当選させて頂きました。今までは政治活動で
京都ばかりにいましたが、5年ぶりに少し離れた志づ子さんに会
いに行けます。きっと喜んでくださるだろうと思って、私は、当
選が決まった翌日、電話をしました。

 しかし、呼び出し音がなるだけです。「入院でもしているのだ
ろうか。寝たきりである志づ子さんの枕元に電話があるのだから、
出ないはずはないのになあ」と不安になった。数日後、やっと志
づ子さんの知り合いと連絡がとれました。

 「実は、志づ子さんはもう亡くなってしまわれたんです」。
 「・・・・・・・・」

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 事情は次のとおりでした。

 介護保険によって、その市ではホームヘルパーの大規模な組織
替えがあり、志づ子さんにホームヘルパーを提供していた事業者
がなくなり、社会福祉協議会にサービスが移ることになったので
す。

 その結果、志づ子さんはまた、今までの担当のホームヘルパー
さんとお別れをすることになったのです。

 そこで、志づ子さんは、「もうこれ以上、ヘルパーさんが代わ
るのは嫌だ。耐えられない」と言って、節食拒否。

 つまり、絶食をしたというのです。
 心身ともに弱り、「早く主人の待つ天国に行きたい!」とかね
てから志づ子さんは言っておられました。

  絶食を20日間続けたのち、志づ子さんは天国に召されたので
す。これは、ある意味では抗議の自殺です。

 「せっかく気心知れて、命の綱としているホームヘルパーをこ
ろころと行政の都合で代えて、もういい加減にして!」と志づ子
さんは言いたかったのかもしれません。

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  志づ子さんは、すでに亡くなっていた。私の選挙の前に亡く
なっていた。この事実を電話で聞き、私は涙が止まりませんでし
た。電話を切るなり、「選挙が終わって、せっかく、会えると思
ったのに」と、私は泣きました。「泣かないで。私まで悲しくな
るじゃない」と妻も一緒に泣きました。

 志づ子さんが亡くなったことだけが悲しいのではありません。
その無念の最期。そして、もっと前に電話をしていればよかった
という反省と後悔。政治活動に専念して、志づ子さんにしばらく
電話をしなかった自分が情けなかった。

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  やっぱり、前回の落選から3年8ヶ月は長かった。志づ子さ
んは待てなかったのです。
 5年前に私が大学を辞して、政治活動に入るときに、私はある
方から次のように止められました。「何も焦ることはない。次の
選挙まで待てばいい。本をたくさん書いて、テレビにも出て顔を
売れば、選挙資金もたまる。今回は立候補を見送って次回にした
ほうが、当選する確率も高い」と。

 しかし、私は言いました。「お年寄りは待てないんです。次の
選挙まで待ったほうが当選しやすい、というのは確かにそうかも
しれませんが、それは所詮、私の都合じゃないですか。選挙に勝
つ確率が高いかどうかではなく、私は目の前で苦しんでいる寝た
きりや痴ほう症のお年寄りやそのご家族を少しでも救いたいので
す。

 漠然と、寝たきり老人のために政治をしたいと言ってるんじゃ
ないんです。私の知り合いの寝たきりや痴呆症のお年寄りが、今
すぐによい福祉サービスを受けたいと切に願っているのです。次
の選挙までは4年。私の知り合いの寝たきりのお年寄りが4年も
持たないです。

 介護は1日、1日が勝負。4年先に福祉をよくします、なんて
言ったら、私は寝たきりのお年寄りやそのご家族からどつかれま
すよ」と。

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 今回、多くの皆様のおかげで当選させて頂いた。しかし、私が
選挙活動をしている間にも日本各地では、多くのお年寄りが十分
な福祉サービスを受けられずに亡くなったケースも多かったであ
ろう。
 今回の志づ子さんのケースも、「では、誰が悪いのか」と、言
いづらい面もありますが、一言で言えば、血の通った行政、血の
通った福祉が必要なのではないでしょうか。
 志づ子さんが、絶食したとき、なぜ、「志づ子さんだけでも今
までのホームヘルパーさんが続ける」ということができなかった
のか。
 もちろん、不公平という批判もあるかもしれません。
 しかし、何とかやりようはなかったのでしょうか。人の命がか
かったことなのですから。

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 私は、今回のことで象徴されるように、いまの全国の高齢者福
祉現場で苦しんでおられる方々の声なき声を国会に届けたいと思
います。

 「軽老」社会でなく、「敬老」社会に。
そして、一人一人の人間が大切にされる社会を目指して頑張りま
す。

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  早速、私は国会で厚生委員会(介護・年金・医療を担当する
委員会)に所属が決定しました。
 また、民主党の中で「介護保険をより良くするプロジェクトチ
ーム」の事務局長として、スタートして4ヶ月の介護保険の問題
点や改善点をまとめ、国会で取りあげる大役を頂きました。

 残念ながら、志づ子さんには私の国会での活動は見てもらうこ
とはできませんでした。しかし、第二、第三の志づ子さんをつく
らないように、私は精一杯仕事をしたいと思います。

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 それにしても、ひと目、志づ子さんには会いたかった。
さようなら、志づ子さん。ありがとう、志づ子さん。
         
                やまのい和則 拝

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