![]() <写真1 日和佐善人宿> |
・・・別格四番鯖大師へ 20.1km・・・ ★日和佐YH→牟岐町★ 8月10日(日)朝4:45起床。昨夜は千羽温泉を出てからコンビニで今日の食料その他を買い出した。YHに戻ってからは地図中の駅に汽車の出発時刻を書き込んだり、「掬水へんろ館」の談話室に携帯からの書き込みをさせて頂いたりした。少々寝不足気味だが、5:15日和佐YHを出発。 薬王寺前の交差点を左折し、国道55号線を南下した。千羽温泉前を通過後、左手にバスが見えた。有名な善人宿<写真1>のバスのようだ。 6:10日和佐トンネル<写真2>通過。長さ690mと長いが、早朝なので昨日のような恐怖感はない。 道路に朝日を背にした自分が映っていた<写真3>。写真に撮った。7:12牟岐町に入った<写真4>。 |
|||
![]() <写真2 日和佐トンネル> |
||||
![]() <写真3 自らを撮る> |
![]() <写真4 牟岐町へ> |
|||
★牟岐町→海南町★ 四国遍路ひとり歩き同行二人別冊によるとこのあたりに石佛があるようだが、確認できなかった。しばらく歩き、町の人に出会った。呼び止められ、へんろ道を教えて頂いた。別冊に載っている歩きのへんろ道だった。早朝なこともあり、ほとんど人とあわないのに、歩きへんろ道の分岐で出会い、へんろ道を教えて頂けたのも何かのご縁だろうか?ありがたいことである。へんろ道が国道55号と再び合流したところに8:05小松大師<写真5>があった。 このあたりでどうにもがまんできなくなった。山にでも入ろうかと思っていると、おかざき商店があった。店と郵便ポストの間を入って行くとトイレがあった。ここではドリンクとスプライトの二本飲んだ。 牟岐川と合流<写真6>、川幅が一段と広くなった。もはや台風による濁流はなく、川底も山々もきれいに映していた。 9:05JR牟岐駅の少し手前で若いお遍路さんに抜かれた。今日始めて出会ったおへんろさんだ。足が速い。あっという間だった。この方とは牟岐警察署テント<写真7>の所で休まれていたので話をした。 この方は鳥取県境港から来られていて、明日中に24番に着きたいので、今日は甲ノ浦を超えて行けるところまで歩いてバス停がどこかで野宿されるつもりだと話された。昨夜は善人宿に泊まられ、昨夜は5人で同宿されたそうである。 僕はこの牟岐警察署のテントでおにぎりを食べながらしばらく休んだ。さらに二人の若いおへんろさんに抜かれた。 9:53内妻海岸<写真8>到着。サーフィンの若者がたくさんいた。10:18海南町<写真9>入り。もうすぐ鯖大師である。 |
![]() <写真5 小松大師> |
|||
![]() <写真6 牟岐川と合流> |
||||
![]() <写真7 牟岐警察署テント> |
||||
![]() <写真9 海南町へ> |
![]() <写真8 内妻海岸> |
|||
![]() <写真10 修行大師様> |
★鯖大師にて★ 10:30鯖大師到着。赤い橋を渡り進んでいくと修行大師様<写真10>にお出迎え頂いた。 本堂<写真11>でお参りしたあと、靴を脱ぎ、四国霊場お砂ふみ修行道場<写真12>へ入洞した。写経場がありその奥に西国三十三観音、中国霊場、インド八大仏跡など計46ケ所の掛け軸と蓮華台<写真13>が用意してあった。一カ所ずつ踏みしめた。 納経をして頂くと、納経帳だけでなくお守りなども頂けた。牟岐町で僕を抜かしていった3人の若い方々とは再会しなかったが、あとから一人若い方(この方は歩きや自転車ではなさそうだったが)が来られた。 これまでの僕の三回の区切り打ちで、若い方にそうそう出会うものではなかったが、今回は出会う方、若い人ばかりである。夏休みだからだろうか? 夏山でも若い人より中高年の方のほうが目立つというのに・・・。とにかく若い人がインドアにいるより、山にせよ、お四国にせよ、歩いていることは、いいことだと思った。 鯖大師 ![]() |
|||
![]() <写真11 鯖大師本堂> |
||||
![]() <写真12 修行道場> |
![]() <写真13 お砂ふみ> |
|||
・・・海部駅へ 8.6km 合計28.7km 累計188.1km ・・・ 鯖大師を11:05出発。11:25大砂海岸<写真14>通過。ここにはサーファーはいない。家族連れの砂浜で波も穏やかであった。昼近くになってさらに暑くなってきた。泳いでいる人がうらやましい。11:30国道55線上に「24番55k」のへんろ標識があった。 11:45栗の浦バス停前の自販機でアクエリアス購入し、パンを食べた。足に違和感がずっとあったので、靴と靴下を脱いでみると両足の小指に水ぶくれができ膨らんでいた。この暑さで蒸れてしまいマメを作ってしまったようだが、どうしようもない。 このあたりの国道沿いに津波避難路の標識がいくつもあった。以前から大きな地震の度に津波も発生し、犠牲者が出てきた土地柄である。もし今、地震が発生したらやばいな、という恐怖感を感じた。 また歩き出した。別冊に載っているへんろ道とははずれるが、国道経由が本線のようなので<写真15>そちらに向かった。強い日射によって「逃げ水」<写真16>が発生している。立ち止まると道路のアスファルトから熱気が伝わってくる。 阿波海南駅の向かいにへんろ小屋第一号「おへんろさん休憩所」というのがあったが、ここで休むとしばらく歩けないような気がしたので通過。しかしペースは落ちる。13:25新海部川橋手前で二人連れの若いお遍路さん<写真17>に抜かれた。大きな荷物を背負われている。僕を抜かすとき「足、大丈夫ですか?」と気遣ってくれた。 海部川をどうにか渡り、海部駅前交差点<写真18>に13:40到着。目標としていた宍喰駅まで6.5kmあるが、この足では無理と判断し、今回はここで”打ち終え”とした。海部駅前の休憩所で靴と靴下を脱いでみると、両足の小指以外にも右足親指付け根の足裏にマメ(水ぶくれ状)ができていた。 海部駅 ![]() |
![]() <写真14 大砂海岸> |
|||
![]() <写真15 国道55号線にて> |
||||
![]() <写真16 逃げ水発生> |
||||
![]() <写真18 海部駅より> |
![]() <写真17 新海部川橋手前> |
|||
![]() <写真19 特急むろと2号> |
・・・帰路・・・ 次の徳島方面行きの汽車は14:36であった。時間があるので駅のトイレで着替えた。そのあと駅のベンチで座っていると小さな猫が来た。後足を痛めているようだ。足を痛めたもの同士で餌をやりたかったが、食べ物はもうなにもなかった。次回この駅からまた歩き始める。そのときには餌をやろうと思った。 甲ノ浦方面から「風鈴列車」が着いた。サーフボードを担いだ若者が降りてきた。ここで乗り換えるのだ。しばらくして、折り返しの特急むろと2号<写真19>がやってきた。2両編成だが、日曜日なのにガラガラであった。これも台風の影響だろう。 汽車は定刻通り出発し、JR徳島駅に定刻16:06に到着した。京都行きの高速バス乗り場に向かい、チケットを購入し高速バスは定刻の16:15出発。大鳴門橋<写真20>と明石海峡大橋をスムーズに通過したが、阪神高速道路が渋滞。しかし、30分ほどの遅れで19:37JR京都駅に到着した。 JR奈良線ホームに向かった。今日は宇治川花火大会の日なので電車は満員だった。行き違い列車の待ち合わせもあり、JR宇治駅に着いたのは20:25だった。これで帰れたと思ったが、花火見物の人でホームも駅階段もホコ天道路もいっぱい。結局自宅に着いたのは、最後の花火が始まる直前の20:50だった。 |
|||
![]() <写真20 大鳴門橋にて> |
||||
2003.8.10(日)の会計 | 金額 | |||
納経料 | 300円 | |||
お茶、ジュース等 4本 | 500円 | |||
JR乗車券 海部→徳島 | 1580円 | |||
JR特急料金 | 1150円 | |||
高速バス 徳島→京都 | 4100円 | |||
JR 京都→宇治 | 230円 | |||
計 | 7860円 | |||
合計 | 27143円 | |||
累計 | 117409円 | |||
☆ 7日目のページに戻る ☆ | ★ 9日目(次回)のページに進む click ! ★ |
2003年8月15日 記
![]() |
![]() |
|
お遍路記録へ戻る | TOPへ戻る |