![]() <写真1 勝浦町生名の町並み> |
・・・二十番鶴林寺へ 3.1km ・・・ 6月15日(日)朝、まだうす暗いときに目が覚めた。向かい部屋の7人グループは身支度をされているようだ。夏至が近いので、まだ4時をまわったぐらいのはずだ。もう一度寝た。 次は6時過ぎに目が覚めた。廊下に出てみるとスリッパがない。もう出発されたのかと思い、階段を下りてみると昨夜の食事部屋に朝食の用意がしてあった。朝食は6:30からのようだ。インターホンで各部屋に連絡されていたので、そのまま食事部屋に入った。すぐにおひつとお茶、味噌汁が運ばれてきた。7人グループも入って来られた。朝から散歩に行かれていたようであった。6:30朝食終了。 二階の部屋に戻った。雨はあいかわらず降っていた。今日は山道がずっと続くのでレインウェアを最初から着用することにし、短パンとポロシャツの上から着込んだ。7時、支払をした。1泊2食付きで5000円だった。そして7:05民宿金子やを出発。この時、既に、玄関に靴はほとんどなかった。 鶴林寺への遍路道は、軽トラならギリギリ通れるぐらいの幅だった。歩くにつれ、高度を稼ぎ見晴らしのいいところに出た。勝浦町生名の町並み<写真1>がよく見えた。 さらに登り、水呑大師の水場<写真2>で喉を潤した。ここからは山道<写真3>である。 同宿した男性に追いついた。この方は、千葉県のご出身で定年となったので四国に来られたそうである。通される予定だ。「出発前日に、頭を丸めました」とおっしゃていた。 この方、焼山寺への登りでは、最初、遍路道を登らず車道を行き、焼山寺まで27kmの標識を見て遍路道に合流しようとして、崖をよじ登ったこと、その結果、午後5時の納経に間に合わず、なべいわ荘に連泊されたことなどを話して頂きながら、しばらく同行した。 あたりは霧が立ちこめ<写真4>幻想的であった。 雨と霧の中、さらに登り、二十番鶴林寺山門<写真5>に8:20到着した。本堂<写真6>、大師堂とお参りし、納経所へ。納経所では「歩きですか?ご苦労様です。」と声をかけていただき、太龍寺に向かう遍路道を教えて頂いた。 20鶴林寺 ![]() |
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![]() <写真2 水呑大師の水場> |
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![]() <写真3 これより山道> |
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![]() <写真4 霧中の山道> |
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![]() <写真5 鶴林寺山門> |
![]() <写真6 鶴林寺本堂> |
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・・・二十一番太龍寺へ 6.5km 計9.6km・・・ ★鶴林寺→水井橋★ 8:40鶴林寺をあとにし、教えられたとおり建物の左手から回りこむと階段があり、多くの方々がほうきを手に掃除<写真7>されていた。 今日は宝亀5年(西暦774)6月15日に佐伯真魚(弘法大師空海)様がお生まれになった日なので、特別な日なのだと思っていたが、この方々は今日にかぎらず、年に何度か、お遍路道の掃除をされているそうである。 雨に濡れた石段、落ち葉の積もったままの石段は滑りやすい。何度もスリップしそうになりながら、そのたびに金剛杖に助けられ、山を下った。<写真8> 遍路道の掃除は、車道を横切った先の階段でも、そこからさらに山道を下ったところでもされていた。阿南市大井町の皆様、お疲れさま、そしてありがとうございました。 太龍寺への遍路道はここから見える<写真9>山と山の間の若杉谷をさかのぼっていく。山を眺めながら歩いていると道路沿いの生活道に出る最後の坂でスリップし転けてしまった。30mほど先におられたご婦人に「大丈夫ですか?」と声を掛けられた。少し恥ずかしかった。 車道と合流し、那賀川に架かる水井橋前の三叉路でジュースを購入し飲んでいると、「よく降るねぇ」と地元のおばさんから話しかけられた。 9:55水井橋<写真10>で車とすれ違った。今日は鮎漁の解禁日でもある。適当な釣り場を探されているようであった。 |
![]() <写真7 お遍路道の掃除> |
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![]() <写真8 下山道> |
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![]() <写真9 山の中> |
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![]() <写真10 水井橋> |
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![]() <写真11 若杉谷休憩所> |
★水井橋→太龍寺★ 若杉谷をさかのぼる。沢ガニが足下にいた。ふんずけてしまわぬよう気をつけた。この谷では辰砂が採れるらしい。休憩所<写真11>もあった。 ゆるやかな谷間の道も終わり、10:48尾根に向かった<写真12>。雨で衣服が濡れているのがわかる。今回は、さっき同宿した方と出会った以外、歩きのお遍路さんと誰とも会わない。焼山寺の登りより、よほどきつく感じた。 つづら折れの道、石段の登りと一人うんざりするほど登ってようやくコンクリートの道と合流。左に下れば平等寺へ、右へ登れば太龍寺である。 コンクリートの道を右へ、さらに登り、ようやく11:30二十一番太龍寺山門前に到着。山門をくぐりさらに進んで、ようやく納経所前に到着。 本堂と大師堂は目の前にある長い急な階段の上らしい。ザックを納経所前のベンチに置き、急な階段を上った。ロープウェイの駅はその向こうにあるらしく本堂前<写真13>でようやく人の気配を感じた。 次に大師堂に向かった。高野山奥の院のような雰囲気である。御廟橋のような橋の前<写真14>で一礼し、大師堂をお参りした。 そして急な階段を下り、納経所で記帳して頂いてから、龍天井<写真15>を見た。龍は木の天井に描かれていた。 21太龍寺 ![]() |
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![]() <写真12 尾根道へ> |
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![]() <写真13 太龍寺本堂へ> |
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![]() <写真14 太龍寺大師堂前> |
![]() <写真15 龍天井> |
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・・・阿瀬比交差点へ 6.7km 合計16.3km 累計133.7km・・・ ここ太龍寺から”打ち終え”予定の阿瀬比バス停まで6.7kmだ。乗車予定のバス出発まで2時間あるが、念のため先を急ぐことにし、12:05山門を出た。 さっき登ってきた鶴林寺からの山道との分岐点<写真16>を過ぎた。軽装の方が向こうから来られた。どうやら駐車場がこの先にあるらしい。その駐車場に到着。10台ほど車があった。 車道は上りと下りで一方通行になっていた。歩きの僕はコンパスで方位を確かめ、東へ延びている方の道(上りの車道)を下ることにした。ところが一台の車も登ってこない。それに遍路道のシールも見当たらない。大丈夫なはずだと思い、さらに下ると車道の下り道と合流<写真17>し、遍路道シールも見つけた。下りの車道が本来の道だったのかも知れない。とにかくシールを見つけて安心し、さらに谷を東に下った。 遍路道は途中から崖を下るようになっていた。地図で確認すると2ケ所、ヘアピンカーブとなっている。これを崖を下ることによって距離短縮になるのであろうが、雨中滑りやすい今回は難儀した。 13:10龍山荘前<写真18>を通過。さらにその先の坂口屋前の三叉路に出た。昨日、立江寺近くの赤い橋を渡って以来、やたら三叉路が多かった。 太龍寺からここまで1時間少々、これなら充分、予定のバスに間に合いそうなのでジュースを購入し、飲みながら休憩した。休憩のあと阿瀬比バス停に向かって出発。ゆるやかに上りとなっている車道を歩くが、まわりには何もないし、車も通らない。 谷が広くなると民家が見えてきて、車が多数往来している道が見えてきた。この道を渡り真っ直ぐ行くと5kmで平等寺に着くが、今日はこの阿瀬比交差点<写真19>で”打ち終え”とした。 阿瀬比交差点 ![]() |
![]() <写真16 分岐点> |
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![]() <写真17 下り車道と合流> |
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![]() <写真18 龍山荘前> |
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![]() <写真19 阿瀬比交差点> |
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![]() <写真20 阿瀬比バス停> |
・・・帰路・・・ 交差点の東側に阿瀬比バス停<写真20>があり、ベンチも置かれていた。レインウェアを脱ぎ、汗と雨でずいぶん重たくなった短パンとポロシャツも着替えた。5分ほど遅れて路線バスは来た。バスの乗客は最初、僕を含めて4人だけだった。JR徳島駅まで1時間余りの間、乗客は入れ替わるものの常に4人から7人でガラガラ状態だった。 路線バスはJR徳島駅に15:28到着。高速バスチケットセンターで、16:15発京都行きのチケットを確保してから、駅前の「可成家」という店でラーメンと豚キムチライスを注文した。 京都行き高速バス<写真21>は、定刻通り16:15JR徳島駅を出発し、鳴門のバス停で最後の客を乗せ、予定時刻を少し遅れたが、19:20京都駅に到着した。 このあと京都駅近くの病院に入院している父を見舞った。今日は父の日でもある。自分にも子供がいるが、この日は僕が祝ってもらう日というよりも、父を祝う日であるという意識が強い。 僕の息子が誕生した時、父は「これでおまえもやっと一人前になったなぁ」と言った。成人したときや結婚したときにも言葉をかけてくれたと思うが、覚えていない。だから、この言葉には何か深いものを感じている。 父にはいつまでも健在で、父の日はいつまでも祝ってあげられる日であって欲しいと思う。 母も来ていた。両親に昨日、井戸寺で汲んだ御加持水を飲んでもらい、いい一日と両親に感謝し、病院をあとに帰宅した。 |
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![]() <写真21 京都行き高速バス> |
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2003.6.15(日)の会計 | 金額 | |||
民宿金子や 宿泊代 | 5000円 | |||
納経料2寺 | 600円 | |||
ジュース3本 | 340円 | |||
徳島バス 阿瀬比→徳島 | 960円 | |||
可成家 ラーメン、豚キムチライス | 780円 | |||
高速バス 徳島→京都 | 4100円 | |||
JR 京都→宇治 | 230円 | |||
計 | 12010円 | |||
合計 | 24408円 | |||
累計 | 90266円 | |||
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2003年6月21日 記
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