17.井戸寺 〜 19.立江寺

2003年6月14日(土) 5日目
JR徳島線
<写真1 JR徳島線>
・・・十七番井戸寺へ 1.5km ・・・

 6月14日(土)5:30起き、洗面のあと5:45サミットプラザを出発。徳島駅近くのローソンで朝食用のサンドイッチとジュースを購入。出発待ちの列車内で食べた。2両編成の後ろの車両に乗ったが、ぼくを入れて二人しか乗っていない。
 列車は6:15出発。前回打ち終えたJR府中(こう)駅には、6:25に到着。前回4月、昇り龍のお遍路さんと話をしたベンチには誰もいない。


 昨日13日(金)は、いつものように夕刻、京都を出発。今回は、JR京都駅から徳島駅行きの高速バスに乗車した。午後7時過ぎ、きれいな夕陽を見た。梅雨入りしたはずだが、西の方は晴れていた。夜になって徳島駅に到着。
 今回歩く遍路道の下見も兼ねて眉山ロープウェイ下交差点を経由し、サミットプラザに向かうことにした。もうすぐ夏、徳島の夜は阿波踊りのリズムがいたるところから流れていた。夕食はサミットプラザ近くの「福助」でなべ焼きうどんを頼んだ。自家製麺で平べったい、こしのあるうどんだった。


 早朝のJR府中駅をあとに、駅前の道を左に折れ、遍路道と合流。前回はこのわずか300mの道も長く感じたが、今日はあっという間だった。単線のJR徳島線<写真1>を渡る。民家の間の生活道路を抜け、6:45十七番井戸寺山門<写真2>に到着。境内には、まだ7時前なのに3人ほどおられた。


 本堂<写真3>と大師堂とお参りし、納経所へ。記帳して頂いた納経帳をザックにしまっているとき、朝7時の鐘の音を聞いた。ここ井戸寺には、お大師様が錫杖で一夜にして掘られたという「面影の井戸」<写真4>がある。この井戸の底に自分の姿が映ると無病息災、罪が滅び、映らなければ3年以内に不幸が訪れるという言い伝えがある。井戸をのぞき込むと、井戸をのぞき込んでいる自分の姿が映った。


 井戸のあるお堂内には御加持水があり、地元の方らしき女性が水を汲まれていた。小さな容器がおいてあったが、持ち運びにくそうだったので、ここで一口飲むだけにしておこうと思っていたところ、その女性、車までペットボトルを探しに行かれ、ご親切に水を入れて下さった。ここの水は腐らないので道中、飲むようにと言われた。お礼をいい、7:15井戸寺を出発。

    17井戸寺
   
井戸寺山門
<写真2 井戸寺山門>
井戸寺本堂
<写真3 井戸寺本堂>
面影の井戸
<写真4 面影の井戸>
・・・十八番恩山寺へ 18.8km 計20.3km・・・

   ★井戸寺→勝浦川橋★

 井戸寺を出て南下。田んぼの中<写真5>を歩いた。今回はお遍路は、梅雨の最中ということもあって天候のことも気がかりだったので、道中の安全もお願いしたが、田んぼの稲を見て、恥ずかしくなってしまった。梅雨の最中、雨が降ってこそ稲は育つ。この2日間の自分の都合をお願いしたことを反省した。


 鮎喰川に架かる橋を渡りきったところで、気が付いた。「橋の上では杖をつかない」という教えをすっかり忘れてしまっていたのだ。そして、そのことと同時に井戸寺で御影を頂くのを忘れていたことにも気が付いた。もう2km歩いている。引き返すと1時間のロスとなる。今日はこれまでで最長の34kmを歩く予定なので井戸寺の御影はあきらめることにした。


 徳島銀行の手前を右折し、車の少ない遍路道を東に進んだ。雨がぽつりぽつりと降ってきた。ザックの中には納経帳が入っている。ザックカバーをかけた。長袖長ズボンのレインウェアは、暑そうなので折りたたみ傘を広げた。
 雨の土曜日の朝、犬を連れて散歩されている方、ゲートボールをされている方々らと挨拶を交わしながら歩いた。右手には眉山がある。崖崩れの痕だろうか?山の斜面にコンクリートとパネルが貼ってあるところがあった。
 左手に公園、右手に長い階段の神社を過ぎると、多くの車が往来する県道と8:50合流。そこを右折し南下。眉山はあいかわらず右手にある。


 阿波踊り会館眉山ロープウェイ下の交差点<写真6>で信号待ちをしているとき、事故を目撃した。バイクが交差点内で転倒したのだ。乗っていた方は横に2、3回転したまま起き上がって来られなかった。近くにおられた方が携帯で電話された。
 僕は青信号に促されて一度、その交差点を通り過ぎてしまったが、心配だったので引き返した。しばらくして救急車が到着し、運ばれていくところまで見送った。


 救急車を見送ったあとさらに南下。新町温泉(銭湯)を過ぎ、サミットプラザ近くの薬局でテーピングテープを購入、その場で巻いた。
 今回はいつもの軽登山靴ではなく、新しく買ったワールドマーチのウオーキングシューズを履いている。前回のお遍路で足の皮がめくれそうになったことと登山靴はやはり重いので軽めのものをと思い購入したのだが、履きなれないせいか違和感があったので念のためテーピングしたのだ。


 サミットプラザ前<写真7>を9:20通過。さらに南下し、国道55号と合流。勝浦川橋<写真8>を11:00渡った。水鳥が一羽いた。国道沿いのバーミヤンに11:22到着し、雨が強くなってきたこともあり、ここで昼食とし、12:00出発。
田んぼ
<写真5 田んぼ>
眉山ロープウェイ下
<写真6 眉山ロープウェイ下>
サミットプラザ前
<写真7 サミットプラザ前>
勝浦川橋
<写真8 勝浦川橋>
花
<写真9 花>
   ★勝浦川橋→恩山寺★

 さらに南下し、ついに国道と別れ静かな遍路道へ入った。
きれいな花<写真9>が咲く民家やむき出しになっている露頭を見ながら歩き、赤い欄干の橋を渡り、道なりに進んだ。
 ところが、いつの間にか恩山寺への距離が増えているのに気が付いた。どうやら車道に入り込み、遠回りをしてしまったようだ。


 民宿ちばの前を通り少々ロスはしたが、恩山寺駐車場に12:40到着。あじさい<写真10>がここでも見事に咲いていた。
 お大師様<写真11>に迎えられ、12:45十八番恩山寺<写真12>に到着。境内への階段を上り本堂、大師堂、納経所とお参りし、13:10出発した。

    18恩山寺
あじさい
<写真10 あじさい>
お大師様
<写真11 お大師様>
恩山寺
<写真12 恩山寺>
・・・十九番立江寺へ 3.8km 計24.1km・・・

 立江寺へは、牛舎<写真13>のそばを通り、ツルマキ坂の遍路道を歩いた。雨がきつくなってきたが、林の中なので歩きやすかった。この山道のあと、田んぼの中の小川沿いの道<写真14>、アスファルトの車道と歩いた。
 アスファルトの車道にはあちこちに水たまりがあり、ほとんどの車は歩きの僕を見て、水がかからないよう減速してくれた。しかし、1台はまともに水をかけてくれた。他の大多数の車に免じて何とも思わないことにしようと思った。


 十九番立江寺<写真15>に14:10到着。九州から来られている団体さんなど、雨にもかかわらずたくさんの方々がお参りされていた。僕も本堂<写真16>、大師堂と雨の中、お参りをした。

    19立江寺
牛舎
<写真13 牛舎>
小川沿いの遍路道
<写真14 小川沿いの遍路道>
立江寺本堂
<写真16 立江寺本堂>
立江寺
<写真15 立江寺>
赤い橋
<写真17 赤い橋>
・・・民宿金子やへ 10.3km 合計34.4km 累計117.4km・・・

 14:35立江寺をあとにし、民宿金子やに向かって出発。赤い橋<写真17>を渡り、田んぼの広がる広い谷<写真18>の中を歩いた。萱原三叉路<写真19>ここを右折。大型トラックが脇を通る。何台かのトラックのナンバープレートを覚えてしまった。割と短い距離を何台かのトラックでピストン輸送されているようである。向こうもきっと僕を覚えただろうと思う。


 また三叉路に出た。今度は左折。今日はかなり歩いた。バス停に着くたびにあといくつと数えた。旧道とバイパスとの別れに着いた。もうすぐだ。旧道を歩き、17:15ようやく民宿金子や<写真20>に到着した。

    民宿金子や
広い谷
<写真18 広い谷>
萱原三叉路
<写真19 萱原三叉路>
民宿金子や
<写真20 民宿金子や>
・・・民宿金子やにて・・・

 宿泊カードに必要事項を記入し、二階の部屋<写真21>に入った。六畳間だった。ザックを降ろし、金剛杖を清め、部屋で落ち着いた。風呂は一箇所しかないので順番待ちをしてから風呂に入り、その後、夕食<写真22>を食べた。


 この日の宿泊者は、7+2+2+1+1の13名だった。夕食の後、一人でごろごろしていたが、4月のお遍路でも見ていた帯ドラマ「ぼくの魔法使い」を放送していたのでそれを見てから就寝した
二階の部屋
<写真21 二階の部屋>
夕食
<写真22 夕食>
2003.6.13(金)の会計 金額 2003.6.14(土)の会計 金額
京阪バス 醍醐新町→山科駅 210円 朝食 388円
JR 山科→京都 180円 JR 徳島→府中 210円
高速バス 京都→徳島 4100円 納経料3寺 900円
メモ帳、ペン、行動食他 530円 御加持水 100円
夕食 福助 なべ焼きうどん 650円 テーピングテープ 304円
サミットプラザ宿泊代 3500円 ドリンク 367円
ペプシコーラ 150円 昼食 バーミヤン 609円
9320円 ジュース2本 200円
3078円
合計 12398円
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2003年6月21日 記


           
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