87.長尾寺 〜 88.大窪寺

2005年5月3日(火) 42日目
天然温泉きらら
<写真1 天然温泉きらら>
 ★自家用車にてお四国入り★

 5月2日(月)夜、宇治の自宅を自動車にて出発。西へ向かった。ゴールデンウィークの真っ直中でもあり、宿も高速バスも一杯で取れなかったので、車中泊でお山に行こうと思っていた。自宅を出る前にもう一度と思い宿に電話してみるとキャンセルが出たということだった。
 急遽予定を変更し、ザックの中身を詰め替えお四国へ向かった。宇治西ICから名神、中国道、そして明石海峡大橋、大鳴門橋と渡り、高松自動車道に入った。途中、鳴門西PAに立ち寄り志度BSに向かうバス時刻をメモした。今回は大窪寺で結願したのち霊山寺まで打ち戻り高速道路で志度BSまで戻る予定である。
 GWであったが渋滞はほとんどなかったので意外と早く着いた。車中泊するには時間が早かったので高松中央ICまで行き、天然温泉きらら<写真1>でゆっくりと入浴した。そのあと高速志度バス停まで戻り、そこの駐車場で車中泊<写真2>とした。寝る準備と明日の準備を終えライトを消して寝付こうとすると車が一台やってきた。変にからまれるのは厭だなあと思っていると、ドアを叩かれた。参ったなぁと思って外を見ると制服姿のおまわりさんが立っておられた。何か事件でもあったのか?と思いドアを開けると、免許証の提示を求められ、何やら僕に質問をされた。どうやら不審なのは僕のようだった。
 僕は余暇を利用して四国に来ているが、相手は夜中まで勤務をされている。行動を怪しまれているのはいい気がしないが、ご自身の職務を全うされているのだからと思った。無線で問い合わせなどもされたようだが特にお咎めもなく去って行かれ、結局寝付いたのは午前1時をまわっていた。
車中泊
<写真2 車中泊>
高速志度バス停駐車場
<写真3 高速志度バス停駐車場>
長尾寺への遍路道
<写真4 長尾寺への遍路道>
・・・八十七番長尾寺へ 5.7km・・・

 5月3日(火)5:40起床。パンを食べ駐車場のトイレを借りて身支度を整えて6:00高速志度バス停駐車場<写真3>を出発。高松自動車道に沿って東に歩き長尾寺への遍路道<写真4>と合流した。空には雲一つない。五月晴れのいい天気だ。
 歩いていると僕の横で車が停まった。窓を開けられ「長尾までお接待しましょうか?」と言われた。もう何台車のお接待を申し出て頂いたことだろう。「ありがとうございます。歩きたいので・・・。」と伝えた。
 遍路道の左手には大きな池があり、その向こうはオレンジタウンという住宅地となっていた。個性的な区画の大きい家が建っていた。遍路道は左の旧道に別れ、ほどなくで6:40玉泉寺(八十七番奥の院)に到着。石段を上がったところの境内には藤棚があり藤が見事に咲いていた。<写真5>

 玉泉寺を出てさらに旧道を歩き、県道3号線を横断して鴨部川に沿う堤防の道に入ろうとしたが向こうから車がきた。人と車でもすれ違いが困難なようなので少し待った。堤防に沿って歩くと、7:03まだ新しげな東屋のあるへんろ橋(長尾橋)<写真6>に到着した。立ったまま東屋の案内板を見て、へんろ橋を渡ると後から自転車に乗った老婆に声を掛けられ、ドリンクと励ましのお言葉をお接待して頂いた。ありがとうございます。

 そしてほぼ真っ直ぐ南へ向かい最後の角を右に曲がって7:20長尾寺山門<写真7>に到着した。山門前では宿のおかみさんが宿泊客を見送られ写真を撮っておられた。ちょうどそんな時間だ。山門をくぐると大きなクスノキがあった。樹齢800年、根まわり6mの存在は広い境内でも一際目立っていて、太く隆々とした幹や若々しい葉、その葉は日の光を独占することなく地面にも分け与える余裕さえ感じさせた。
 何人かの方々と相前後して本堂<写真8>と大師堂でお参りし納経して頂いたあと、7:46長尾寺を出発した。しばらくして妙なのに気付いた。金剛杖を納経所に置き忘れてしまったのだ。最後の札所、大窪寺に向かうところでやってしまった。勿論、長尾寺まで取りに戻り、7:58再出発した。

     87長尾寺
玉泉寺の藤
<写真5 玉泉寺の藤>
へんろ橋(長尾橋)
<写真6 へんろ橋(長尾橋)>
長尾寺山門
<写真7 長尾寺山門>
女体山を望む
<写真9 女体山を望む>
長尾寺本堂
<写真8 長尾寺本堂>
おへんろさん休憩所
<写真10 おへんろさん休憩所>
・・・八十八番大窪寺へ 12.3km 合計18.0km・・・

 ★前山おへんろ交流サロンへ★

 しばらく車道を歩き、塚原交差点で鴨部川を渡り旧道に入った。別冊地図と照らし合わせると進行方向の少し左手が女体山のようである。僕はてっきり<写真9>左端の山が女体山だと思っていたが、農作業をされていた方に尋ねると<写真9>中央民家の屋根左端のピークが女体山だということだった。
 一心庵を過ぎると「おへんろさん休憩所」<写真10>があり僕が金剛杖を取りに引き返したときに行き違った男性2名がおられた。大窪寺への道など少しお話をしたあと先に出発された。鴨部川を渡る橋が崩壊していた。まだ昨年の台風による被害は完全に復旧していないようだ。

 遍路道は一旦車道と合流したがまた別れた。来栖神社への遍路道が左に分岐していたが見送り、真っ直ぐ前山ダムの方へ向かい車道と合流して坂を上った。<写真11>
 ダム湖面まで上がると道は平坦になり車道に沿って左に曲がると道の駅ながおの向いの「前山おへんろ交流サロン」に9:18到着した。館内には様々な展示物やお四国の立体地図などがあった。歩きの場合、ノートに記帳すると「遍路大使」に任命し記念品を郵送されるということだったので記帳させて頂き、お茶を接待して頂いた。

 後日、おへんろ交流サロンより四国八十八ヶ所遍路大使任命書と徽章が郵送されてきました。ありがとうございます。
前山ダムへ
<写真11 前山ダムへ>
前山おへんろ交流サロン
<写真12 前山おへんろ交流サロン>
道しるべのある分岐
<写真13 道しるべのある分岐>
 ★女体山へ★

 9:26前山おへんろ交流サロンを出発。車道ガードレールに貼ってある遍路シールは来栖神社への道を指していたが、そのまま車道を直進し、9:40道しるべのある分岐<写真13>に到着。ここから大窪寺まで、県道助光経由9.5km、女体山経由5.9kmとあった。僕は予定通り女体山経由の道を選んだ。
 すぐ先に通行止との看板があった。通行止は車両のことだろうと思いそのまま歩いたが、本当に道は崩壊していて工事中<写真14>だった。
 そこは土の上を歩き通過できたが、その先は道を完全に取り壊しての工事作業中だった。工事の方から「通れないよ」と言われたが、引き返すより崖を下りた方がよさそうなので、無理を言って崖を下ろさせて頂いた。(決してお勧めできることではありません。)

 しばらく静かなアスファルトの道が続いた。地元の方がおられたので道を確認すると女体山まで歩けるとのことであった。10:05大きな杉が立つ多和神社<写真15>を通過。山の向こうに鯉のぼりが見えた。吹き流しを含めて6つ泳いでいた。
 またしばらく歩くと「法面崩壊のため全面通行止」<写真16>との表示があった。さっき地元の方に道を尋ねたばかりだし、今更引き返すには相当な勇気が要る。引き返すことも考えたがそのまま通過することにした。
 昼寝城址への分岐を過ぎると次第に車道の上りはきつくなり左右に草木が迫ってきた。そして頭上まで草木に覆われるようになると10:40太郎兵衛館前に到着し、来栖神社からの道とも合流した。これで一安心である。

 さらに車道を歩くと、10:50「女体山山頂まで1138m」<写真17>の分岐に到着。ここから新緑の中、階段状になっている山道を標高を稼ぎながら上った。一旦車道と合流し、11:02「山頂709m」の分岐に到着。別冊地図を見ると標高774m地点はすぐそこのようになっていたが、それは間違っているようだ。僕は最後の上りの前にザックを下ろしてお茶を飲んだ。
 ここからまた山道に入った。お二人連れの男女がおられた。お遍路姿ではない。ハイキングをされているようだ。久しぶりに人に出会った。
遍路道工事中
<写真14 遍路道工事中>
多和神社
<写真15 多和神社>
全面通行止
<写真16 全面通行止>
女体山遍路道保全橋
<写真18 女体山遍路道保全橋>
女体山山頂まで1138m
<写真17 女体山山頂まで1138m>
階段から岩場へ
<写真19 階段から岩場へ>
 ★女体山越え★

 少し上ると小さな沢があり新しい橋が架けてあった。さらに上ると大きく崩れた崖斜面がありここにも新しい橋「女体山遍路道保全橋 平成17年3月16日架設 へんろみち保存協力会」<写真18>が架けてあった。この架橋がなければ崩壊した崖斜面の通過は大変難しく、とてもありがたい架橋だった。
 保全橋からは歩いてきた長尾方面の町が見えた。いい眺めだ。この先で若い男性お一人を抜かした。ゆっくり歩いておられた。木製の階段を上りベンチのある広場を過ぎて階段がなくなると岩場に入った。<写真19>緑色の変成岩は硬く尾根を形成していた。ここまで来ると頂上は近い。
 岩場を過ぎると尾根を左からまわり込み、柵が設けられた登山道や手すりが埋め込まれた急な登路<写真20>を上った。最後、崖斜面を滑り落ちないように気を付け、11:32女体山の祠<写真21>がある展望台に到着した。
 緑色の岩石が尾根として伸びた先には、歩いてきた長尾や志度の町、そして瀬戸内海などがよく見えた。祠のある展望台からさらに大きな岩をまわり込むと東屋のある女体山山頂(標高774m)に到着した。お茶を飲みながらしばし休憩し11:42女体山山頂を出発した。

 少し下ると意外なことに車道に出た。大窪寺へは登りの階段となっていて階段脇には「南無大師遍照金剛」の石碑<写真22>があった。妙に納得したが、登りはほんのわずかでまた下りに入り、階段をひたすら下った。
 三叉路に出た。左へペアピンに下ると大窪寺、右に上ると奥の院とあった。このまま結願してしまうのが惜しいような気がした。僕は三叉路から右に上り奥の院に向かった。
 12:08奥の院到着。垂直な崖の下には石仏<写真23>やお堂が祀られていた。お堂の扉を開け一礼させて頂いた。お堂の奥からは水の落ちる音がしていた。お堂の扉を閉め来た道を三叉路まで戻り大窪寺への道と合流した。  
急な登路
<写真20 急な登路>
女体山の祠
<写真21 女体山の祠>
南無大師遍照金剛の石碑
<写真22 南無大師遍照金剛の石碑>
奥の院の石仏
<写真23 奥の院の石仏>
 ★大窪寺にて★

 三叉路<写真24>のすぐ先には、ベンチの置かれた展望台広場があった。さほど展望はよくなかったが、谷あいの道路が見え車の音がした。すぐ下が大窪寺なのだろう。
 さらに下ると結願と書かれた遍路札が増えてきた。いよいよだ。下から登って来られた方から奥の院や女体山山頂までの様子を聞かれた。家族連れやお一人の方など数人の方とすれ違った。
 下るにつれ車のエンジン音やクラクションがはっきり聞こえるようになり、人の話声もわずかに聞こえてきた。そして12:34突然、林の向こうにお堂と人影が見えた。ついに大窪寺に到着したようだ。<写真25>

 案内板に従って本堂に向かった。山が迫ったあまり広くない本堂前には大勢の人がおられた。大きな卒塔婆が印象的で山の中のお寺だがとても賑やかだった。保全橋先で抜かした若い男性がおられた。結局、僕より早く到着されたようだ。
 ザックをいくつか並べられたベンチの一角に置いたあと、本堂<写真26>に向いお参りをした。本堂のすぐ隣に納経所があったが順序どおり先に大師堂へ向かった。大師堂<写真27>には立派な藤棚があり静かだった。
 お参りのあと納経所に引き返し、いつものように納経帳を差し出すと墨書されたあと「結願」の朱印を押された。納経所の前には金剛杖<写真28>を奉納するところがあった。長短様々、何本もの金剛杖が奉納されていた。僕は明日も一番霊山寺に向かって歩くので奉納しなかった。納経を終え12:56鐘楼門を出ると野宿道具など大きな荷物を置き托鉢している若い方がおられた。
 昼食は大窪寺すぐ隣の野田屋でざるそばを食べた。長尾寺に戻るバスの出発が近かったので店内にはたくさんの人がおられ大変混雑していた。

     88大窪寺     
三叉路
<写真24 三叉路>
大窪寺到着
<写真25 大窪寺到着>
大窪寺本堂
<写真26 大窪寺本堂>
金剛杖奉納
<写真28 金剛杖奉納>
大窪寺大師堂
<写真27 大窪寺大師堂>
遍路道分岐
<写真29 遍路道分岐>
・・・黒川温泉へ 9.3km 合計27.3km 累計1151.3km・・・

 13:30野田屋を出発し車道を歩いた。店の前はコミュニティバスを待つ人やお土産物を買う人など大勢の方々がおられた。道路もやって来られた車や出て行かれる車、そして駐車場にもたくさんの車が停まっていた。こんなに混雑した札所はこれまで記憶にない。
 しかし民宿八十窪の前を過ぎるとあたりは静かになり初夏の日射しが眩しく感じられた。季節はまた夏に向かっている。

 ゆるい下りの遍路道は13:39さぬき市から東かがわ市に入った。誰にも出会わないどころか車も通らない。14:09地蔵堂の先を左折してしばらく歩き、遍路道は県道377号線と分岐した。そして14:38古い石碑や遍路札のある分岐<写真29>に到着した。ここが切幡寺への遍路道との分かれのようだった。
 遍路道がある一日の行程内で分岐するのは珍しいことではないが、二日間以上の行程で分岐するのは、38番金剛福寺から39番延光寺までの西南四国と、88番大窪寺から1番霊山寺までのここ東北四国だけだろう。
 僕はここでは大坂越えを選んだので左への細い小道に入った。細い小道は田植え前<写真30>の田んぼの横を抜けると山道(八丁坂)に入った。行く手を倒木が阻んでいた。人がよく通る道ではないようだ。
 14:58八丁坂の峠<写真31>に到着。ここから上った分だけ下り15:09車道に出た。道路標識は「徳島県阿波市」となっていた。別冊地図を見ると確かにほんの少しだけ徳島県を歩くようだ。車道が三叉路となっているところの自販機でペットジュースを購入しそれを飲みながら座って休憩した。

 そのあと三分岐を黒川温泉の方に向かって長閑な車道<写真32>を歩いた。車道は緩やかに上り15:36中尾峠到着した。ここからは歩きの道を下ろうと思っていたが、台風23号の影響で通行できないとの標識があった。歩く人に対しての警告なのでその道は諦め車道を下ることにした。
 車道はぐるぐると遠巻きに下っていた。別冊地図ではさほど距離の違いはないようだがとても長く感じた。崖が崩壊しているところもあった。白いガードレール<写真33>は崩壊した崖にへばりつくようにつながっていた。
 右手に池が現れ四国の道が合流した。ここにも中尾峠と同じ通行止との看板があった。
田植え前
<写真30 田植え前>
八丁坂の峠
<写真31 八丁坂の峠>
長閑な車道
<写真32 長閑な車道>
白いガードレール
<写真33 白いガードレール>
 ★黒川温泉にて★

 谷が広がり道が直線的になって来ると民家が見えてきた。山藤が群れをなしてきれいに咲いていた。向こうに大きな建物が見えてきた。道路の右手なので白鳥温泉の施設のようだ。道路の左手にも建物が見えてきた。こちらが黒川温泉<写真34>のようだ。
 16:28宿の方は玄関先に出て来られていて僕の名前を呼ばれ、「早かったですね。」とおっしゃられた。昨夜予約したときは午後5時過ぎに到着予定と伝えていたのだ。

 玄関で靴を脱ぎスリッパに履き替えて部屋に通して頂いた。部屋は二階の「桐」で六畳の和室<写真35>だった。いつものように金剛杖を部屋の洗面で洗い、立て掛けた。そして部屋に用意されていた浴衣に着替えた。
 テレビでは甲子園球場での阪神対広島のデイゲームをやっていたが、洗濯物とタオルを持って部屋を出た。洗濯場は洗剤が用意され乾燥機も無料で利用できた。そのあと温泉(内湯)に行った。岩が組まれた大浴場でお湯はヌルリとしたいい湯だった。
 夕食<写真36>は部屋食で品数豊富だった。夕食後、黒川沿いに少し歩いたところにある露天風呂<写真37>に行った。貸し切り利用できたのでゆっくり一人で入った。
 温泉のあとはいつものように写真やメモの整理をしたり自HPに投稿したりして一人ゆっくり四国最後の夜をくつろいだ。

     黒川温泉
黒川温泉
<写真34 黒川温泉>
桐の間
<写真35 桐の間>
露天風呂
<写真37 露天風呂>
夕食
<写真36 夕食>
2005.5.2(月)の会計 金額 2005.5.3(火)の会計 金額
高速道路
宇治西→高松中央
9600円 納経料2寺 600円
きららの湯 600円 ペットジュース2 300円
ペットジュース 140円 野田屋、ざるそば 400円
ローソン
パン、ジュース等
755円 オレンジジュース2 240円
11095円 缶コーヒー 120円
ポテトチップス、チョコ 260円
1920円
合計 13015円
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2005年5月22日 記


           
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