大坂越え -霊山寺へ-

2005年5月4日(水) 43日目
黒川温泉食堂
<写真1 黒川温泉食堂>
・・・一番霊山寺へ 29.5km 累計1180.8km・・・

 ★引田へ★

 5月4日(水)6:00起床。朝食は7:00からなので朝風呂に行った。温泉はお湯が張られつつあるところで、まだ若干ぬるかったがそれがまたいい。
 少し早めに食堂<写真1>に行くと朝食のお膳が並べられているところだった。すぐ手前の席を勧められ、座るとご飯とお味噌汁を運んで来られた。朝食のあとコーヒーを頂きながらおかみさんと雑談をした。ここの温泉は120年前からで当時、香川県(讃岐)では塩江温泉とここだけだということだった。また昨夜は満室で夜中12時まで貸切露天風呂は使われたそうである。食後、宿泊代を支払い挨拶をして二階の自室に戻った。

 7:30黒川温泉を出発。沿道を彩る紅白のツツジ<写真2>やノアザミを見ながら歩き、興田寺との分岐に到着。僕は直進する引田への最短コースを選び、しばらくで国道377号線と合流した。旧道があったのでそこを歩き福栄小学校前で合流した。麦畑の向こうにはふたこぶの山<写真3>が見えた。たまたま二つの頂上が重なっているだけなようだがいいバランスだった。
 国道318号線との交差点を横断すると、田んぼの中に石鳥居<写真4>が見えた。そこへ至る田んぼの中の道は太くなっていたが何という神社なのだろうか?
 石鳥居から少し歩くと8:54宮奥池が見えた。青緑の水を豊かに貯めた大きな池でこの辺りにも池は多いようだった。
紅白のツツジ
<写真2 紅白のツツジ>
ふたこぶの山
<写真3 ふたこぶの山>
田んぼの中の石鳥居
<写真4 田んぼの中の石鳥居>

 ★東海寺へ★

 車道の遍路道は緩いが上りに入った。四国のみちの標識が左を指していたのでそちらへ入った。しかし数百mほど歩いたところで標識が興田寺に至ることを示していたので引き返し、もとの車道で小さな峠を越えた。
 峠を下ると遍路道は小海川を縫うように何度か橋を渡り、10:23車が行き交う高松自動車道<写真5>をくぐった。そしてJR引田駅に向かう交差点で左折し、JR高徳線の踏切を渡り、国道11号線を歩いた。交通量の多い国道11号線は他府県ナンバーも目立つ。10:50JR引田駅でトイレを借り馬宿川の大川橋を渡った。

 四国番外東海寺に立ち寄るつもりが行き越してしまい、馬宿三差路から少し戻って11:27東海寺に到着した。広い境内<写真6>に誰一人おられる様子はなく、ひとり本堂と大師堂でお参りをして11:39東海寺を出発した。
 また国道11号線を歩いた。左手には海が見え、遠くに二つ並んだ島<写真7>が見えた。波は穏やかで今日もいい天気だった。JR讃岐相生駅からは国道と併走する旧道を歩いた。この先の旧道沿いや大坂越えでは食堂はないだろう。最終日もお昼を食べ損ねることになりそうだったが、ペット茶ぐらいは確保しようと自販機をさがしていると旧道沿いにお店があった。
 店に入りパン一個、お餅二つとペット茶を購入。ザックにしまう前にお餅一つを食べ、残りは大坂越えのどこかで食べることにした。

     東海寺
高松自動車道
<写真5 高松自動車道>
東海寺境内
<写真6 東海寺境内>
右の遍路道へ
<写真8 右の遍路道へ>
二つ並んだ島
<写真7 二つ並んだ島>
大坂越え遍路道
<写真9 大坂越え遍路道>
 ★大坂越え★

 店を出発し歩くとアクエリアス500mlが100円の自販機があったので購入しその場で飲んだ。さらに歩くとその先、道は二手に分れていて、僕は遍路道である右へ向かった。<写真8>
 遍路道は古い民家の間を抜けJRの線路をくぐっていた。僕はそこから真っ直ぐ道を上がってしまった。するとモヒカン状に刈られた小山に出た。そこを右から巻く道が本線のようだったので行って見たが道はなくなっていた。モヒカンまで引き返し今度は左に行ったがやはり道はなくなった。仕方なくJR線路まで引き返しと四国のみちの標識と遍路シールを発見した。

 15分ほど時間をロスしたが、12:38大坂越えの遍路道<写真9>と合流した。この道は明治の初めに「歩荷の道」から「駄荷や車の道」に大改修されたと案内板に書かれていた。
 高度が上がるにつれ遍路道から様々な景色が見えた。徳島方面への高速道路が渋滞している様子や、引田の町や瀬戸内海<写真10>などよく見えた。
 13:18県境<写真11>に到着した。県境は峠となっていてベンチなどが置かれていることが多いが、ここは「県境」との道標があるだけで上りの途中でしかなかった。むしろこの先、道幅は狭くなり丸太が歩幅程度に並べられた階段<写真12>をひたすら上ることとなった。
 丸太の階段もついにはなくなり、13:37標高最高地点(H380m)に到着した。
引田の町や瀬戸内海
<写真10 引田の町や瀬戸内海>
県境
<写真11 県境>
丸太階段
<写真12 丸太階段>
 ★大坂下り★

 下りは早かった。ほんの10分ほどで標高差160mを下り車道を横断した。さらに急な階段が続いた。階段の足場は砂や落ち葉で覆われ、またそれ自体が前に傾いていたのでスリップしないよう気を付けて下った。<写真13>
 5分ほどで車道に出た。車道を横断した先の遍路道は「全面通行止」とあったが昨日の中尾峠のようにロープは張られていなかったので、白いコンクリートの遍路道<写真14>を下った。途中2台のブルドーザーが道に置かれていて車は確かに通れない状態だったが歩きには問題なかった。

 下り終えて平坦路となりJR高徳線の踏切を渡った。ここはもうとっくに徳島県板野町で遍路道沿いには民家も多数あり、路傍には五輪のヒルザキツキミソウ<写真15>が咲いていた。
 14:26JR阿波大宮駅<写真16>に到着。銀色に水色のラインが入った列車が止まっていた。扉は開けられていてすぐに出発する様子もない。特急通過を待っているようだった。
 お昼も2時をまわりお腹が空いてきた。大坂越えのどこかで食べるともりだったが、下りて来てしまったので、この駅の待合室で手持ちのパンとお餅を食べた。
 待合室には発車時刻が掲示してあった。それによると徳島行きは一日に13本なのに対して高松行きは12本しかなかった。逆打ちより順打ちの方が1本多いのだ。不思議である。  
スリップ注意
<写真13 スリップ注意>
白いコンクリートの遍路道
<写真14 白いコンクリートの遍路道>
JR阿波大宮駅
<写真16 JR阿波大宮駅>
ヒルザキツキミソウ
<写真15 ヒルザキツキミソウ>
JR高徳線の鉄橋
<写真17 JR高徳線の鉄橋>

 ★金泉寺へ★

 14:37JR阿波大宮駅を出発。線路と平行に歩き県道1号線と合流した。県道は二車線でセンターラインはオレンジ色だったがほとんど車は通らなかった。14:55大坂谷川の鎧橋を渡り、JR高徳線の鉄橋<写真17>と交差した。
 実感が湧いてきた。それはいつも歩くときは手にしている別冊地図がついに最後のページとなり、そこには1番霊山寺が載っていたのだ。

 15:07太郎橋を渡ると町の気配が一層強くなった。人々の行き交う生活道路を遍路札や道しるべに従って歩き、高松自動車道が近づいてくると左に折れJR線路を渡ってから高松自動車道をくぐった。
 犬に吠えられた。塀から顔を突き上げ3匹ほどで激しく吠えられた。これもいよいよ最後かと思うと寂しくなった。そんな僕を見てか?地元の方が声を掛けて来られ金泉寺への道<写真18>を教えて下さった。
 県道1号線を横断し板野小学校のグランド横を過ぎると「金泉寺ここを左折300m」の看板があった。そこを左折して15:43金泉寺山門前<写真19>に到着した。
 3番金泉寺はお遍路初日、何と派手な朱色の山門か?と思ったものだが、この度は違和感はなかった。静かな境内に入り本堂<写真20>と大師堂でお参りをした。

     3金泉寺     
金泉寺への道
<写真18 金泉寺への道>
金泉寺山門
<写真19 金泉寺山門>
金泉寺本堂
<写真20 金泉寺本堂>

 ★極楽寺へ★

 15:48金泉寺を出発し、境内の森からの細い遍路道<写真21>を辿った。この細い道は、とても遍路道らしくて嬉しかったものだ。僕はこの細い遍路道の入口で何度も振り返り別れを惜しんだ。

 高速道路進入路をくぐり橋を渡り県道12号線と平行する生活道路を歩いた。お遍路を始めたばかりの頃は橋が近づくごとに金剛杖を上げようと緊張したものだが今では無意識に手が上がる。
 民家の玄関先にピカチュウの石像があった。以前からあったのだろうか?諏訪神社前を通過。この神社は覚えている。遍路道を思い返しながら歩き16:13鳴門市に入った。<写真22>
 遍路道は途中から坂を上がり竹藪の中を墓地へと続いていた。この道もよく覚えている。道脇のマーガレットがとてもきれいに咲いていた。

 16:26極楽寺に到着した。境内の長命杉もよく覚えている。納経所は個人と団体で別れていた。境内を奥に進み本堂でお参りをしようと思ったら、本堂と大師堂は石段の上との案内があった。これには覚えがなかった。
 僕は以前、この石段を上っておらず、従って本堂と大師堂に行かなかったことに気付いた。僕は改めて石段<写真23>を上り、本堂と大師堂<写真24>でお参りをした。

     2極楽寺     
細い遍路道
<写真21 細い遍路道>
鳴門市へ
<写真22 鳴門市へ>
極楽寺大師堂
<写真24 極楽寺大師堂>
石段を上がる
<写真23 石段を上がる>
門前一番街
<写真25 門前一番街>
 ★霊山寺へ★

 16:42極楽寺を出発。霊山寺まで1.4kmあるので急いだ。ドイツ館と鳴門西バスストップへの曲がり角を過ぎ、板東谷橋を渡ると「門前一番街」<写真25>の大きな看板が見えてきた。僕は金剛杖をここで購入したので新品のものと長さを比べようと思っていたのだが、残念ながら店は閉まっていた。

 16:57霊山寺山門前に到着。<写真26>山門の前で菅笠に手をやり一礼すると一巡した喜びがこみ上がってきた。山門をくぐり泉水池<写真27>に架かる橋を渡って本堂<写真28>で読経した。本堂でのお参りを終えベンチに腰掛けた。時刻は午後5時をまわっていたので「納経はいいか」と思っていたが、お寺の方が「納経されますか?」と訊いて下さった。
 本堂横の納経所に入り納経して頂くと、満願の日付(平成十七年五月四日)を入れて下さり記念にと数珠をお接待して頂いた。そのあと大師堂へ向かい最後の般若心経を唱え満願御礼の報告をさせて頂いた。

 僕の満願とは何だろうか?或いは結願とは?僕にも願いがないわけではない。家内安全、無病息災、世界平和、人生の成就・・・、そもそもお四国を歩きたいという願い(これには暇や体力、金も要る。)が叶っているではないか?
 結願、満願の日が近づくにつれ、ずっと思い悩んできたが、最終日自分なりに一定の考えに達した。
 僕の一番の願いとは無事お四国を一巡することだったのではないか?ということだ。勿論歩き始めた頃、それは願いではなかったのだが、歩くにつれお四国を歩けることに幸運を感じ、できればそれを成就したいと思うようになった。つまり、お四国を歩くことそのこと自体が、無事一巡したいという願いを作ったのではないかということである。
 願いというものは様々であるが、自らそれを追うことによって願いはより大きくだろう。行動(遍路)を起こすことによって願いは増幅しそれを解決(満願)するためまた行動(遍路)する。行動(遍路)がそのものが原因となって願いが生じ次の行動(遍路)が始まる。曼陀羅の世界だろうか?
 お遍路というものについて自分なりに一つの考えを得たとき頭の中、安らぎが支配するのを感じた。

     1霊山寺
霊山寺山門
<写真26 霊山寺山門>
泉水池
<写真27 泉水池>
霊山寺本堂
<写真28 霊山寺本堂>
霊山寺大師堂
<写真29 霊山寺大師堂>
・・・帰路・・・

 17:20霊山寺を出発。菅笠と白衣、輪袈裟はザックにしまい、霊山寺納経所で頂いた数珠は左手の手首に巻いた。板東谷橋を戻り鳴門西PAに向かって右に折れた。
 ドイツ館との案内があり、きらびやかな展示館かと思っていたが、そうではなく板東俘虜収容所や当時のドイツ兵俘虜と地域の人々との交流を展示した館のようだった。<写真30>
 鳴門西PA入口への階段からは吉野川流域の町並み<写真31>が見えた。PAに入りトイレを借り自販機でペットジュースを購入しバス待合い室に向かった。17:52発の高速バス(高徳エクスプレス)はほんの数分遅れただけで到着した。乗っておられたのは6,7人ほどで、ここから乗り込んだのは僕だけだった。
 高速バスの車窓からは五剣山<写真32>が見えた。尖った独特の形だ。対向の徳島方面行きは相変わらずひどい渋滞だった。
 18:27高徳エクスプレス<写真33>は志度BSに到着。僕を含めて4人が降りた。そして高速道路から階段を下り高速道路をくぐって志度高速バス駐車場に一日半ぶりに戻った。

 停めておいた自動車に乗り込み帰路についた。高速道路はまだ渋滞しているであろうから、志度の「手打うどん若鮎」という店で冷ぶっかけやさい天うどんを食べ、東かがわ市の「ベッセルおおち」でゆっくりと入浴した。
 そして徳島から大鳴門橋、明石海峡大橋経由でまだ渋滞の残る高速道路を走り日付が変わる頃、帰宅した。
板東俘虜収容所跡
<写真30 板東俘虜収容所跡>
吉野川流域の町並み
<写真31 吉野川流域の町並み>
高徳エクスプレス
<写真33 高徳エクスプレス>
五剣山
<写真32 五剣山>
 

・・・あとがき・・・


 2003年2月から2005年5月まで2年3ヶ月の期間、歩いた日数43日間、要した費用60万円余り、撮影した写真1万枚余りと大変贅沢な長い遍路旅をすることができました。お四国で出会った皆様や宿でお世話になった方々、こんな僕を通してお接待して頂いた方々、ありがとうございました。また忙しい時期でもお四国に行かせて頂いた職場の方々、それに休日をお四国で過ごすことを認めてくれた家族にも感謝します。さらに僕の歩きの記録を見に来て下さったり、掲示板やメールなどで励ましのお言葉をかけて頂いたことも僕が結願・満願に至った動力となりました。皆様本当にありがとうございました。
 お四国を一巡し霊山寺に戻った今、らせん階段を一周したような感じがしています。地上1階かららせん階段を一周し2階に上がりました。そのまま3階へ4階へと上ることもできるでしょうが、少し2階フロアーで過ごしたいと思います。またいつの日か階段を上り始めるその日を期して新たな遍しみちを歩み始めます。


 
2005.5.4(水)の会計 金額
黒川温泉
一泊二食
7870円
パン、餅、ペット茶 320円
アクエリアス 100円
納経料 300円
ペットジュース2 300円
高速バス
鳴門西→志度
1100円
手打うどん若鮎
冷ぶっかけやさい天うどん
490円
ベッセルおおち 700円
高速道路
白鳥大内→宇治西
7700円
ガソリン38g 4484円
23364円
合計 36379円
累計 618160円
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2005年5月28日 記


           
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