78.郷照寺 〜 82.根香寺

2005年3月20日(日) 40日目
アンパンマンの絵柄
<写真1 アンパンマンの絵柄>
 ★JR経由、お四国入り★

・・・四国健康村へ 0.8km・・・

 3月19日(土)夕刻宇治の自宅を出発。前回と同様、京阪京橋駅を経て、JR大阪環状線・東海道線で新大阪駅へ向い、新幹線ホーム自由席の列に並んだ。僕の前に10人程おられたが、それ以上の方々が下車されたようで座ることができた。
 40分程で岡山駅に到着。在来線ホームに下り、停車していた特急南風号に乗り込んだ。南風号の車体には、アンパンマンの絵柄<写真1>が描かれていた。八割方席が埋まったところで出発時刻となり出発。車内放送では須崎や窪川、土佐佐賀など懐かしい地名のアナウンスがあった。先日(2005.3.2)土佐くろしお鉄道の終着駅である宿毛駅で特急南風17号が二階駅舎に衝突する事故があったばかりで、中村から宿毛駅までは運休となりバスによる代行輸送がなされていた。

 特急南風号は瀬戸大橋を渡り、40分ほどの所要時間で19:30宇多津駅に到着。徳島方面に向かう特急うずしお号の切り離しを見てから、駅の東側へ出た。青い巨大な塔がよく目立つ。途中夕食として回転寿司を食べたり、古本屋のブックマーケットに立ち寄ったりしながら今夜の宿泊予定地である四国健康村へ向かった。
 少し行き過ぎたようで町を歩いていた方に四国健康村への道を尋ねると、一旦拒否されたが、道を尋ねているだけとわかると親切に教えて頂けた。青い塔(ゴールドタワーというらしい)に向かって少し戻り、20:20四国健康村<写真2>到着した。

 フロントで入館料を支払いロッカーキーを預かった。駐車場もいっぱいで館内<写真3>にもたくさんの人がおられ混雑しているようなので、荷物をロッカールームに置き、仮眠室(ビックシアター)<写真4>にねぐらを確保してからお風呂へ向かった。お風呂にはサウナや塩サウナ、露天として草津温泉や薬湯などがあり、サウナでは1時間毎に店の方がアロマ水を掛けその蒸気を大きなうちわで扇ぐロウリュサウナというのがあった。これはかなりはきついが癖になりそうないいものだった。
 風呂から上がって見るとやはり仮眠室(ビッグシアター)はほぼ満席になっていた。
四国健康村
<写真2 四国健康村>
健康村館内
<写真3 健康村館内>
仮眠室ビッグシアター
<写真4 仮眠室ビッグシアター>
青ノ山
<写真5 青ノ山>
・・・七十八番郷照寺へ 1.8km 合計2.6km・・・

 3月20日(日)5:30起床。朝風呂のあと館内の自販機で購入したパンとコーヒーを朝食とし、6:22四国健康村を出発した。東の方に山が見えた。別冊地図によると青ノ山のようだ。その方向に向かって歩き、高架横に広い敷地を確保しているJR予讃線を越えた。犬を連れて散歩されていた方に道を尋ね、教えて頂いた通り、住宅地内を通り宇多津北小学校隣の公園を横断し青ノ山<写真5>の東麓に向かった。
 県道33号線に出てようやく現在地を確認。宇夫階神社の先でようやく遍路道に合流し、閻魔堂の角を右に折れて6:48郷照寺山門前に到着した。

 山門をくぐると白い犬がどこからともなく現れて境内へ案内してくれた。鐘楼などで写真を撮っていると犬はやきもきしているようであったが、僕が階段を上がり終えると役目を果たしたかのように階段の上で寝そべり、遠く宇多津の町を眺めていた。左後足を怪我しているようだ。
 高台にある郷照寺境内からは高層マンションやJR高架橋、瀬戸大橋など宇多津の町<写真6>が見えた。本堂でお参りをし大師堂へ向かおうとすると上から降りて来られた方から先に納経するように言われた。どうやら納経所がしばらく閉まるらしいので先に納経して頂いてから大師堂<写真7>へ向かった。

     78郷照寺        
宇多津の町
<写真6 宇多津の町>
郷照寺大師堂
<写真7 郷照寺大師堂>
アーケードの商店街
<写真9 アーケードの商店街>
蛭田池
<写真8 蛭田池>
八十場の水
<写真10 八十場の水>
・・・七十九番高照院へ 5.9km 合計8.5km・・・

 7:15郷照寺を出発。すぐ先の大束川には水門があり、よく見ると海側と山側で水位に差があり、海側が30cm程高かった。潮が入らないようにされているのだろうか。
 遍路道は県道33号線と合流。蛭田池<写真8>には讃岐富士が映っていた。7:34坂出市に入り県道から斜め右へ別れ瀬戸中央自動車道をくぐり旧道に入った。旧道は途中からアーケードの商店街<写真9>となったが、朝早いので歩かれている人は見かけなかったが、アーケード内は明るく綺麗で装飾などもあり活気を感じた。
 JR坂出駅への交差点を過ぎ車道を歩いた。大きな球形のガスタンクがあった。都市ガス供給されているようだが町中のガスタンクは異様にも感じた。
 道しるべに従って右への遍路道に入った。JR予讃線の踏切では貨物列車と特急列車が行き交った。線路は複線で電化されている。ガスタンクや本州への架橋、高速道路、複線電化の線路と都会を感じた。

 八十場の水<写真10>到着。ところてんなど売っておられるようだが誰もおられず、池には鯉が放されていた。
 8:33白峰宮に到着。ここは崇徳天皇(崇徳院)を祀る神社で境内には大きな楠木があった。崇徳院は小倉百人一首の「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ」という和歌を詠まれた方で僕が覚えている数少ない百人一首の一つだ。
 写真を撮り、手を合わせてから奥に進み、高照院(天皇寺)に到着した。白衣で金剛杖を手にされた方々と、本堂<写真11>とすぐ隣の大師堂でお参りをした。本堂横の梅が綺麗に咲いていた。
 お参りのあと納経所へ向かったが窓が締められており少々待った。納経のあとお寺を出ると崇徳天皇と書かれた赤い鳥居<写真12>があり、その隣りに天皇寺との石碑があった。

     79高照院(天皇寺)
高照院本堂
<写真11 高照院本堂>
赤い鳥居
<写真12 赤い鳥居>
五色台
<写真13 五色台>
三つの富士
<写真14 三つの富士>
・・・八十番国分寺へ 6.6km 合計15.1km・・・

 8:55高照院(天皇寺)を出発しJR予讃線に沿って歩いた。線路と高架道路が交差しているところで遍路道は二手に別れていた。僕は線路に沿う国分寺への遍路道を歩いた。
 9:12五色台<写真13>が見えた。春霞だろうかおぼろげだったが、ギザギザの頂部ながらまとまった山体であった。
 JRの踏切を渡りJR鴨川駅前で左折し綾川の堤防を歩いた。綾川の堤防から国道11号線に合流し小さな峠に上ったところからは讃岐富士とよく似た円錐形の山が三つ<写真14>見えた。

 国道から旧道に入りしばらくで10:23国分寺山門前に到着した。途中で手打の讃岐うどんを食べようと思っていたが通り過ぎてしまった。
 山門をくぐり境内<写真15>に入った。境内の鐘を撞こうとしたが、撞くのに志納金100円必要だったのでやめた。本堂でお参りをしたあと大師堂と納経所が一緒になっている礼拝殿に入った。
 礼拝殿では様々な遍路用品が販売されていて、その品々の奥に大師堂<写真16>があった。僕は見かけることはなかったが、山門に近所のサギ師がいるらしくお金をやらないで下さい。との張り紙があった。
 広い境内には金箔像などもありその像に貼る金箔なども販売されていた。

 10:48国分寺を出発。山門のすぐ前に「おへんろの駅こくぶ」<写真17>という"店"があった。この先、山に向かうので店に入り、昼食を注文するとご飯が炊けるのにしばらく時間がかかると言われた。僕は「何でも食べますので」と言うと昨日のご飯でよければすぐに用意しますということで昼食を作って頂いた。
 待っている間に店の代表らしい方が来られパンフレットを持って来られた。それを見るとこの店はNPO法人が運営されていて地域で暮らす障害者が生き生きと働くことのできる場所づくりを目的とされている。ということだった。
 僕がいる間にも地元の老婆が来られたり歩きのお遍路さん(Aさん)が来られたりした。昼食後チョコクッキー一袋を購入し11:17「おへんろの駅こくぶ」を出発した。

     80国分寺     
国分寺境内
<写真15 国分寺境内>
国分寺大師堂
<写真16 国分寺大師堂>
おへんろの駅こくぶ
<写真17 おへんろの駅こくぶ>
五色台への山道
<写真19 五色台への山道>
白い崖へ
<写真18 白い崖へ>
国分寺町
<写真20 国分寺町>
・・・八十一番白峯寺へ 6.5km 合計21.6km・・・

 車道を山に向かった。畑におられた方に挨拶をすると道を教えて頂いた。別冊地図どおり右折のあと左折し、「山が白く禿げている方に向かって」ということだった。<写真18>
 11:43墓地を通過し五色台への山道<写真19>に入った。遠くから見えていた白い崖の前に着いた。案内板によると白い崖は凝灰角レキ岩でガーネットも産するということだった。

 ベンチが置かれているトイレ棟を過ぎ12:22展望台に到着。木々の切れ間から国分寺の町がよく見えた。<写真20>
 歩き出すと後から近づいてくる足音がして登山道が車道と合流する一本松<写真21>で追いつかれた。お昼「おへんろの駅こくぶ」で一緒だったAさんだった。Aさんは足が早い。一番霊山寺からで28日目だそうだ。今夜は百百家旅館に泊まられるということだった。

 車道沿いには「防衛庁」と黄色く塗られた標石や立入禁止との柵があった。車道の左側は自衛隊の施設のようだった。別冊地図を見ると車道と別れた遍路道が点線で示されていた。立入禁止の柵の横から遍路道がつながっていそうなのでそこを歩くことにした。木々の間の落ち葉の道はつながっていたが車道への出口は網のフェンスで囲ってあった。
 網のフェンス沿いに車道へ出て少し戻り山道へ入った。ここには自衛隊の宿泊施設<写真22>があり、すぐ先の三叉路を12:59左折した。ハイキングの男性や戻りのお遍路さん二人とすれ違った。

 13:13白峯寺山門前<写真23>に到着。余り広くはない駐車場に大型観光バスやマイカー多数停まっていた。山門をくぐり境内に入り、本堂と大師堂への石段を上り、本堂<写真24>と大師堂でお参りをした。納経のして頂いたあと、今夜泊まる予定の宿に電話することにした。
 今夜の宿はまだ決めていなかったが、先程出会ったAさんが宿泊されるので僕も百百家旅館に宿泊することにし、電話すると快諾して頂けた。

     81白峯寺     
一本松
<写真21 一本松>
自衛隊の宿泊施設
<写真22 自衛隊の宿泊施設>
白峯寺山門
<写真23 白峯寺山門>
白峯寺本堂
<写真24 白峯寺本堂>
・・・八十二番根香寺へ 5.0km 合計26.6km・・・

 白峯寺を13:39出発し自衛隊宿泊施設のある三叉路<写真25>に戻った。すぐ先で休んでおられたご夫婦を抜いた。山中のとても気分のいい道で丁石や石仏なども多く目にした。
 14:39十九丁<写真26>に到着。ここは国分寺、白峯寺、根香寺からの道が合流する場所でベンチなども置かれていた。僕は白峯寺から来たが、国分寺(一本松)の方からハイキングの方がやって来られた。地元のBさんで僕にパンを勧められいろいろとお話をして頂いた。
 Bさんによると80番国分寺から一本松までは旧来の遍路道ではないということだった。確かにその間遍路の道しるべや丁石、石仏などは見かけなかった。十九丁に設置してある案内板でもそのことはわかった。旧遍路道は善通寺の自衛隊の敷地があって通れないそうだ。自衛隊の方々は草刈りなどもされるらしくところどころできれいにしてあるということだった。

 14:50十九丁を出発。すぐにBさんが後から追いつかれ道案内して頂いた。歩きながらBさんは指宿からずっと歩いてきた人や北海道からの人の話などをされた。僕には「ずっと歩いていて何か変わった?」と聞かれた。僕は「いつも中途半端なことしてましたが、この度は何とかやり遂げられそうで・・・」と話した。Bさんは途中落ちている空き缶を拾ったりされた。さり気なく素晴らしい人に出会った感がした。
 Bさんは車道から地図にない旧道を歩かれ車道との分岐<写真27>まで案内して頂き別れた。

 根香寺山門前に15:21到着。石段を一旦下りまた上って境内に入った。本堂前<写真28>には金剛杖がたくさん立て掛けられていて、時計回りにお堂内の回廊をまわり正面に出た。
 団体のお遍路さんが声を揃えて般若心経を唱えられていた。本堂前のたくさんの金剛杖はこの方々のものだろう。よくあることであるがこの団体のお遍路さんも白衣や金剛杖はあるが菅笠はされていなかった。
 本堂のあと大師堂<写真29>へ向かった。大師堂は朱色に塗られたお堂であった。

     82根香寺
三叉路
<写真25 三叉路>
十九丁
<写真26 十九丁>
車道との分岐
<写真27 車道との分岐>
根香寺大師堂
<写真29 根香寺大師堂>
根香寺本堂前のお杖立
<写真28 根香寺本堂前のお杖立>
瀬戸内海
<写真30 瀬戸内海>
・・・百百家旅館へ 5.6km 合計32.2km 累計1090.3km・・・

 15:49根香寺を出発し誰とも出会わず車道分岐まで戻り高松市方面に下った。瀬戸内海<写真30>やそこに浮かぶ島々が見えた。車道や地道をどんどん下り、造成中の土地<写真31>や畑、花畑の横を通り、さらに下って住宅地に入った。

 県道33号線とJR予讃線の踏切を渡り、左折して17:34百百家旅館<写真32>到着した。旅館玄関には靴一組があった。Aさんのものだろう。
 二階の部屋<写真33>に通して頂き、洗面で金剛杖を洗い着替えて洗濯機にかけてから風呂に入った。
 そのあと風呂場隣りの広間<写真34>に夕食を食べに行くと、五人分用意してあった。おかみさんに尋ねると僕とAさんの他、3人連れの方が泊まられるそうだ。Aさんは広間に入って来られたが、部屋が寒いとおっしゃられ一旦自室に戻られた。おかみさんは刺身があるからと言われたが、風呂上がりの僕は寒くも暑くもなかった。

 先に夕食を食べ始めているとAさんが入って来られた。横浜からのAさんは今回が二巡目であることや、前回は34日間でまわったこと(ゆっくりまわるとお金がかかるので早くまわっているということだった。)、今回のお遍路での様々な出来事を話して頂いた。
 もっといろいろなお話を聞きたかったが明日の朝は早い(Aさんは朝食5:30から頼まれた。)ので部屋に戻ることにした。

 二階の部屋に戻り洗濯物を赤外線ファンヒーターで乾燥させたり、携帯電話から明日乗車予定の高速バスチケットを予約したり、今日撮った写真を見たりメモを整理したりしながら部屋でごろごろし、22:30頃就寝した。

     百百家旅館
造成中の土地
<写真31 造成中の土地>
百百家旅館
<写真32 百百家旅館>
二階の部屋
<写真33 二階の部屋>
食事広間
<写真34 食事広間>
2005.3.19(土)の会計 金額 2005.3.20(日)の会計 金額
京阪電車
京橋→宇治
390円 四国健康村深夜割増 525円
JR乗車券
大阪市内→宇多津
4020円 パン、コーヒー 250円
JR新幹線自由席券
岡山→新大阪
2410円 納経料5寺 1500円
JR乗継自由席特急券
岡山→宇多津
260円 おへんろの駅こくぶ
昼食、チョコクッキー
750円
夕食、小松寿司 1980円 缶コーヒー 120円
四国健康村 1890円 コーラ 120円
パン、ジュース 250円 3265円
11200円 合計 14465円
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2005年4月13日 記


           
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