67.大興寺 〜 71.弥谷寺

2005年2月12日(土) 38日目
青空屋朝食
<写真1 青空屋朝食>
・・・六十七番大興寺へ 4.8km・・・

 2月12日(土)6時半起床。身支度をして布団を上げてから昨夜の食事部屋の同じテーブルで朝食を頂いた。<写真1>ご夫婦で民宿を切り盛りされていて、朝食の時もお二人で出て来られた。みそ汁や鮭、卵焼きなど家庭的な朝食メニューだった。ご主人がパックに入れたおにぎり二つとお茶缶を持って来られた。道中でどうぞということでお接待して頂き、有り難く頂戴した。
 部屋に帰ってザックを背負いそのまま出発そうになってしまった。ビジネスホテルなどに宿泊した時はチェックイン時に支払うことが多いので、ついうっかりしそうになった。台所に向かって声を掛け宿代を支払い、7:17お二人に見送られて出発した。

 街へ向かう一本道を歩いた。宿のご主人から「3km先を右へ」と聞いていたが、正面に台地状の山が見えたので少し行き越して写真を撮っていた。すると車が停まり大興寺への道を教えて下さり、僕が正しい道に戻るまで見送って頂いた。
 遍路道沿いにはいくつも石地蔵様<写真2>や石碑があった。それぞれ赤いよだれかけが掛けられたり草花が飾られたりしていた。遍路道は三叉路に出て民宿おおひらの横を下り8:20大興寺山門前<写真3>に到着した。

 山門をくぐり、カヤとクスノキの巨木を見ながら石段を上がり本堂に出た。本堂と大師堂でお参りし納経して頂きザックに納経帳をしまっていると、境内におられた方が僕の顔を見て「すごくいい艶ですね。歩いている方は・・・」と言われた。どうやら僕を60才ぐらいと勘違いされたようだ。

 お話しながら境内をよく見ると本堂の右側にもお堂があった。お話のあと行って見ると天台大師堂<写真4>としてあった。天台宗といえば空海の当時のライバルとも言える存在であったばずだが、本堂の両脇に二つの大師堂は置かれていた。ご意向を感じ、お参りさせて頂いた。


     67大興寺
石地蔵様
<写真2 石地蔵様>
大興寺山門
<写真3 大興寺山門>
大興寺天台大師堂
<写真4 大興寺天台大師堂>
一ノ谷池
<写真5 一ノ谷池>
・・・六十八番神恵院・六十九番観音寺へ 8.7km 合計13.5km・・・

 ★大興寺から観音寺市々街へ★

 大興寺を8:52出発。田畑の中の道を経て国道377号線を横断し、一ノ谷池に向かう遍路道を歩いた。別冊地図には記されていないが、銭形くんのへんろ石でも、指先案内は西へ8キロとしてあった。
 一ノ谷池<写真5>に突き当たり、東側から池を巻いて県道6号線に出た。一ノ谷池を挟んでその向こうの山上にアンテナが見えた。雲辺寺<写真6>だろう。西の方には雪を頂いた山々が見えた。石鎚山や愛媛・高知県境の山々だろう。これらの山々は標高1500mほどもあるようだ。

 遍路道は旧道に入ったり、他の道と合流したり分岐したりして9:55高松自動車道をくぐった。遍路道沿いの和菓子やさんの前を通り過ぎた時、店の方が「お遍路さーん」と言って走って来られ僕に「お接待です」と言ってお餅を手渡された。見ると商品の焼き餅とよもぎ餅だった。有り難く頂戴した。

 いつも間にか通りは賑やかで交通量も増えていた。JR予讃線踏切<写真7>を渡り、一の谷川の明治橋を渡ると、市街地の様相で「大平正芳記念館」や「三豊合同庁舎」などがあった。
 さらに市街地を歩き、財田川の三架橋を渡ると、お寺への静かな道がつながっていた。
雲辺寺を振り返る
<写真6 雲辺寺を振り返る>
JR予讃線踏切
<写真7 JR予讃線踏切>
神恵院本堂奥の庭園
<写真9 神恵院本堂奥の庭園>
神恵院・観音寺境内
<写真8 神恵院・観音寺境内>
観音寺本堂
<写真10 観音寺本堂>
 ★68番神恵院・69番観音寺にて★

 10:58神恵院と観音寺の共通の山門に到着。山門をくぐり石段を上がると放されている犬がいた。僕は犬の方を見たが犬は僕を見るでなく、なに気にしていた。

 石段上の境内<写真8>は、緑色の標識で68番神恵院(左)、黄色で69番観音寺(右)と案内されていた。順序通り68番神恵院(左)の本堂へ向かった。本堂は新しいコンクリート建物のトンネル奥にあり、そのさらに奥には庭園<写真9>があった。大師堂はコンクリート本堂の隣りにあった。

 69番観音寺の本堂<写真10>と大師堂は朱色のお堂だった。合計四ヶ所でお参りしたあと納経所へ向かった。両方の札所共通の納経所<写真11>だったが、お一人で書かれていたこともあり数人並ばれていた。
 納経のあと、青空屋さんから頂いたお接待のおにぎりと、さっき頂いた和菓子やさんのお餅を、境内のベンチで食べながら休憩した。
 境内の様子を見ているとあとからあとから参拝の方はやって来られた。団体の方もおられる。三連休の中日であることや観音寺市々街にあるのでお参りしやすいのだろう。


     68番神恵院・69番観音寺     
納経所
<写真11 納経所>
財田川右岸
<写真12 財田川右岸>
お接待
<写真13 お接待>
・・・七十番本山寺へ 4.5km 合計18.0km・・・

 神恵院と観音寺の山門を11:41出発し、財田川右岸<写真12>を本山寺に向かった。車道と分離帯で仕切られた歩道を歩いていると、後からご婦人に呼び止められた。
 自転車に乗っておられた女性は、自転車から降りて財布から小銭を取り出し、「お賽銭にして下さい。」と言って僕に手渡された。そしてさらに「これだけ(37円)しかないから」と言って、かばんから「そばかりん糖」というお菓子を出して僕に手渡され、自転車でスーと走って行かれた。
 そばかりん糖をザックにしまい、また歩いていると今度は向こうから来られた車の方が、車を停めて下りて来られ、「伊予柑じゃないんですけど」と言ってミカンを3つお接待して下さった。<写真13> お礼をいいザックにしまいまた歩き出した。

 本山寺への道案内に従って12:18小さな橋を渡り、田畑の中の堤防の道<写真14>を歩いた。この堤防の道辺りはまわりに建物がなく見晴らしのいい道で気持ちよかった。そしてJR予讃線の下をくぐり、いなり運動公園への橋を通過して、12:46本山寺仁王門前に到着した。
 境内では五重塔が一際目を惹き、本堂はその隣りにあった。<写真15>
前の札所でお参りされていた方がおられた。歩きではなさそうなのでどこかで昼食にされていたのだろう。僕は本堂と大師堂<写真16>でお参りし、さっきご婦人から預かった「お賽銭」も賽銭箱に入れた。

     70本山寺    
堤防の道
<写真14 堤防の道>
本山寺本堂と五重塔
<写真15 本山寺本堂と五重塔>
へらブナ捕り
<写真17 へらブナ捕り>
本山寺大師堂
<写真16 本山寺大師堂>
通行止解除中
<写真18 通行止解除中>
・・・七十一番弥谷寺へ 11.3km 合計29.3km・・・

 本山寺仁王門を13:09出発。道路標識に従って橋を渡ってしまったので少々遠回りをしてしまったが、国道11号線に出て北上した。しばらく交通量の多い国道を歩いたあと、14:09高瀬町に入り旧道を歩いた。(別冊地図では国道に赤線が引いてある。)
 直線的な国道と比べて、旧道はくねくねと曲がり遠回りであるが快適的な道だった。川ではへらブナを獲られていた<写真17>。工事で通行止の看板がいくつかあったが「解除中」との紙が貼れれていた<写真18>。

 15:16三野町に入り、民家の立ち並ぶ遍路道を抜けた。弥谷寺に近づいて来たからか石碑やお地蔵様が増えてきた。15:55遍路道の両側に立てられた弥谷寺の石碑を通過。このあたりから道は上りとなり、石碑やお地蔵様の数はますます増えた。白梅<写真19>もきれいに咲いていた。
 16:15天然いやだに温泉の広い駐車場<写真20>に到着。バスから大勢のお遍路さんが降りて来られた。白衣に金剛杖などほとんどの方が身に付けておられたが不思議なことに菅笠を付けておられる方はおられなかった。
 一緒に坂を上り弥谷寺へと向かった。そして俳句茶屋を過ぎ、16:23弥谷寺山門<写真21>を通過した。    
白梅咲く
<写真19 白梅咲く>
天然いやだに温泉駐車場
<写真20 天然いやだに温泉駐車場>
弥谷寺山門
<写真21 弥谷寺山門>
 ★71番弥谷寺にて★

 山門をくぐってからもずっと石段が続いた。赤い手すりの百八階段<写真22>を上っると、そのすぐ上は大師堂のようだったので、僕は右へ曲がり本堂へ向かった。さらに石段を上った。壁には三体の仏像が刻まれていた。磨崖仏<写真23>というらしい。

 16:36弥谷寺本堂<写真24>に到着。いやだに温泉の駐車場から20分かかった。標高差にすると120mほどあっただろうか。本堂には大勢のお遍路さんがおられ、先達の声に合わせて般若心経をあげられていた。線香のけむりも凄い。団体のお遍路さんが去られたあと、僕もお参りし静かな本堂をあとにした。

 石段を下り大師堂へ向かった。お堂の入り口にはたくさんの金剛杖と靴が置かれ、”はきものぬいでください”との木札もあった。<写真25>僕も靴を脱ぎ金剛杖を置いてお堂に入り木の階段を上がった。ここにも大勢のお遍路さんがおられた。先程、本堂におられた方々かどうかわからなかったがちょうど先達さんの講話が終わり読経されるところだったので僕も便乗させて頂いた。<写真26>

 納経所もこのお堂内にあった。山と積まれた納経帳や白衣に朱印を押されたり書かれたりしておられたのでしばらくかかりそうだったが、納経所の方は、僕のものを受け取られ先に書いて下さった。
 納経して頂いているとき「どすん」と大きな音がした。お堂入り口の木の階段で団体お遍路さんの誰かが足を踏み外されたようだった。添乗員らしき方は血相を変えて見に行かれたがお寺の方々は平然としておられた。よくあることなのかも知れない。
 お堂で出て百八階段を下り、17:11弥谷寺山門をあとにした。


     71弥谷寺
百八階段
<写真22 百八階段>
磨崖仏
<写真23 磨崖仏>
弥谷寺本堂
<写真24 弥谷寺本堂>
弥谷寺大師堂
<写真26 弥谷寺大師堂>
はきものぬいで
<写真25 はきものぬいで>
山道分岐
<写真27 山道分岐>
・・・門先屋旅館へ 3.5km 合計32.8km 累計1036.3km・・・

 分岐<写真27>に出た。駐車場へはさらに階段を下りるが、僕は歩きなので真っ直ぐの山道に入った。駐車場を右手に見下ろながら山を下り、いつしか市町境を越えて小さな池の畔<写真28>に出ると3つの山々が見えた。別冊地図によると筆ノ山や我拝師山のようだ。高松自動車道をくぐって大池に出た。青く暮れゆく池の向こうには端正な円錐形の山が見えた。讃岐富士のようだ。
 国道11号線<写真29>に出るとうす暗くなっていて車のヘッドランプが眩しかった。大池に打ち込むゴルフ練習場を見ながら旧道に入るとラブホテルがあり、その隣りには七佛寺があった。もうすっかり暗くなった道を歩き門先屋旅館に18:15到着した。

 門先屋の玄関が開き中に入り、住所氏名などを書き2階の223号室<写真30>に通して頂いた。暖かく広い和室でザックを下ろし金剛杖を洗いに行った。明日は帰宅するので洗濯はせず大浴場に向かった。大浴場にはジェットバスもありゆっくり疲れを癒すことができた。
 入浴のあと一階の広間<写真31>に夕食を食べに行った。仏壇の置かれた広間には一人分の用意がしてあった。鍋に火をつけ食べ始めた。メニューは煮魚や鍋、野菜の煮物、山菜などでシーフードカレーも用意されていた。食べているとおかみさんがやって来られ、刺身と吸い物も持って来られた。

 門先屋旅館は、昨夜のうちに携帯から予約しておいたが、この日の宿泊は僕だけだった。僕一人のためにお風呂や夕食を準備されたわけで、おかみさんに感謝の気持ちを表わした。昨夜の青空屋もそうであったが、食事メニューにも気を遣っておられ、肉や鶏は出さないようにされていた。夕食のあとおかみさんから頂いたキウィジュースを持って部屋に戻ると布団が敷かれていた。
 布団の中でゆっくりと今日撮影した写真を見たり、本を読んだり、テレビを見たり、お接待で頂いたミカンを食べたりして就寝した。


     門先屋旅館
小さな池の畔
<写真28 小さな池の畔>
国道11号線
<写真29 国道11号線>
門先屋223号室
<写真30 門先屋223号室>
門先屋広間
<写真31 門先屋広間>
 
2005.2.12(土)の会計 金額
民宿青空屋一泊二食 6300円
納経料5寺 1500円
7800円
合計 25242円
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2005年2月26日 記


           
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