65.三角寺 〜 66.雲辺寺

2005年2月11日(金) 37日目
岡山駅在来線のりかえ口
<写真1 岡山駅在来線のりかえ口>
 ★JRにてお四国入り★

  2月10日(木)午後、宇治の自宅を出発。京阪電車で京橋まで行き、JRみどりの窓口で大阪市内から伊予三島までのJR乗車券と岡山経由の新幹線及び特急券を購入。JR京橋駅の改札を入り、大阪環状線で大阪駅を経て東海道線で一駅の新大阪駅でさらに乗継ぎ、新幹線ホームへ向かった。
 平日の午後なので座れるかもと思い、のぞみ号の自由席車両に乗り込んだが満席。デッキや通路もいっぱいで車両を移動しようにも身動きできず、車両内の通路でしばらく立った。

 新大阪駅から40分少々の時間で岡山駅に到着。在来線のりかえ口<写真1>を経て、四国方面行きのホームへ向かった。四国からの帰路はJRを利用することがほとんどだが、四国への往路でJRを利用し岡山駅を経由するのは今回が初めてだった。歩き慣れた駅だが、いつもと逆向きだったので妙な気がした。
 入線してきた特急しおかぜ21号に乗車。ほぼ満席になり、17:22岡山駅を出発。いつの間にか日は暮れて18:46伊予三島駅に到着。ホーム階段を上がり、北口から予約しておいた三島第一ホテルに向かった。
 事前にネット予約したこのホテルは駅から200mほどのところにあり、玄関入口<写真2>には「お四国さん歓迎」とあった。

 チェックインし、素泊り料金を支払ったあと、エレベーターで八階802号室<写真3>に向かった。夕食も入浴もこれからなので部屋に荷物を置き、タオルを持って部屋を出た。
 駅からの道を真っ直ぐ下り、国道11号線を渡って「フジ三島店」の中を通り「おいしい広場」に着いた。4軒の店があったがその中の「開花亭」という店に入りビーフカレーとホットコーヒーを注文した。
 そのあと隣接する「湯あそびひろば三島乃湯」<写真4>で入浴。サウナや水風呂、ジェットバス、露天風呂などもある温泉だった。ゆっくりと温泉でくつろぎ、帰りにフジ三島店でパンやおにぎりなど明日の朝食を購入してから、21:40ホテルに戻り、就寝した。
三島第一ホテル玄関
<写真2 三島第一ホテル玄関>
802号室
<写真3 802号室>
湯あそびひろば三島乃湯
<写真4 湯あそびひろば三島乃湯>
雲辺寺を遠望
<写真5 雲辺寺を遠望>
・・・六十五番三角寺へ 6.2km・・・

  2月11日(金)朝6:00携帯のアラームで起床。ホテルの朝食は7時からでサービス(無料)だったが、部屋で簡単にパン2個で済ませ、6:35ホテルを出発した。まだ暗い。

 JR伊予三島駅まで戻り、駅構内を橋で渡り南口に出て歩きはじめた。6:46国道11号線バイパスを横断し、遍路道に合流。遍路道は民家の中を通り、7:03松山自動車道をくぐった。
 松山自動車道に沿う道を東へ歩いていると後からやって来られたバイクの方に呼び止められた。バイクのAさんは、僕に一緒に行こうと誘われ、この先の戸川公園で待っていると言われ、バイクで走り去られた。
 進行方向正面の山の頂に明かりが見えた。雲辺寺<写真5>のようだ。遙か遠くに見える。今日は彼の山を越える予定である。僕はAさんに教えて頂いた通り、高速道路に沿う道が、橋を渡る手前で右に曲がり坂を上った。発電所の上にある戸川公園<写真6>に7:17到着した。

 Aさんは僕の姿を見て、自販機で缶コーヒーを買われた。僕は有り難く頂戴し、暖かい缶をしばらく持って歩くことにした。7:30遍路道は車道との分岐に着いた。Aさんは車道を歩こうとされたが、僕は遍路道に拘ってしまった。結局Aさんに別冊地図の遍路道を案内して頂くことになった。
 この辺りでは遍路札<写真7>も立っていたが、Aさんによるとこの道は新しい地図で点々々の道となっているが遍路札もシールも少なく迷いやすいらしい。先日も身長180cmほどもある大きな人が2時間ほど山中を彷徨い登られたらしい。僕も前回、横峰寺への遍路道で2時間彷徨ったので他人事ではない。確かにAさんのあとを追っているから迷わないが一人なら迷うかも知れない道だった。

 Aさんは途中で道端の竹を、持っておられたナイフで適当な大きさに切られ杖にされた。川に沿った道を上ると、展望がさらに良くなった。三島や川之江の街や煙突もよく見えた。大王製紙は港に外国船を入れ、さらに海の埋め立てもしている。市も一緒になってやっているということを話された。

 見晴らしのいい道もしばらくで、林の中に入った<写真8>。林の中に入るとお堂があり、地図通り道はつづら折れになっていた。
 途中、倒れかけた道しるべ<写真9>があった。右、三角寺道。左、村松大師道と読めた。8:20遍路道は車道と合流し、8:32三角寺山門の石段下<写真10>に到着した。  
戸川公園
<写真6 戸川公園>
三角寺への遍路札
<写真7 三角寺への遍路札>
林の中へ
<写真8 林の中へ>
三角寺石段下
<写真10 三角寺石段下>
倒れかけた道しるべ
<写真9 倒れかけた道しるべ>
三角寺山門の鐘
<写真11 三角寺山門の鐘>
・・・六十六番雲辺寺へ 18.1km 合計24.3km・・・

 ★三角寺からゆらぎ休憩所へ★

 石段を上がると鐘が吊された山門<写真11>があった。山門をくぐるとき鐘を撞き境内に入った。静かな境内<写真12>で誰もおられないのかと思っていたが、よく見ると二人ほどお参りの方がおられた。
 ベンチでザックを下ろし納札を取り出そうとしたが見つからなかった。37番岩本寺で購入したものも残り少なくなっていたので納経所で購入することにした。納札を購入し、本堂へ向かった。三角寺というだけあって屋根が三角形だった。大師堂へ向かった。ここも屋根が三角形だった。
 お参りのあと再び納経所へ向かい納経して頂いていると、Aさんが入って来られた。Aさんはお寺の方々と顔見知りなようで朝の挨拶や世間話をされ、今朝は僕と久しぶりに旧道を歩いてきたことも話しておられた。
 この時刻から雲辺寺を超えるとなると麓の民宿に着くのは夕方5時か6時になるだろうとおっしゃられた。

 Aさんとお別れし石段を下りて8:58三角寺を出発した。9:15三星カントリー倶楽部のクラブハウス前を通過。ゴルフ場は廃業されているようだった。高台の道なので四国中央市<写真13>がよく見えた。地図で見ても、山と平地がくっきりと直線的に別れていた。中央構造線に沿って歩いているのだろう。道は全面通行止となっていたが歩きには問題ないだろう。歩いていると道路工事されていて確かに自動車の通行は不可だった。工事の方々と挨拶を交わした。
 工事現場を過ぎ迂回車道と合流してから、トラックが向こうからやって来た。トラック運転手は僕に「通れる?」と訊かれた。僕は左へ迂回路を行かなくてはならないことを告げた。

 遍路道は階段を下り、折り返して県道5号線を横断。平山バス停の前に出て、さらに折り返して東に向かった。ちょうどZ字のような折り返しだった。9:55遍路道の右手に「ゆらぎ休憩所」<写真14>があったので休むことにした。ここは屋根付きで木製のベンチやトイレもあった。


     65三角寺
三角寺境内
<写真12 三角寺境内>
四国中央市
<写真13 四国中央市>
ゆらぎ休憩所
<写真14 ゆらぎ休憩所>
ガードレール椿堂へ
<写真15 ガードレール椿堂へ>
 ★ゆらぎ休憩所から椿堂へ★

 ゆらぎ休憩所を出発して、すぐ遍路道は崖斜面を階段で下った。別冊地図でもここは黄色から緑色に変わっていた。三角寺を出て標高もだいぶ下がったようだ。崖を下った川沿いの遍路道には、白いガードレールに遍路シールが貼ってあり「椿堂」と赤ペンでなぞられていた。<写真15>
 最近誰かがなぞられたものだろう。

 遍路道に沿って民家があらわれだした。家の前で車を洗っている若者の姿や横川公会堂、民家の外壁に「万人幸福の栞」というものもあり、生活感があった。
 10:16高知自動車道の向こうの幾重にも重なる山々のうち、一番遠くの山には鉄塔が見えた。早朝、明かりが見えた雲辺寺のようだ。かなり近づいたはずだがまだまだ遠くに感じた。<写真16>本当に今日の夕方には山を越えているのだろうか?雪は大丈夫だろうか?ふと不安が過ぎった。

 10:16高知自動車道のトンネルをくぐり歩いていると、視線を感じた。なんだろう?と思って後を振り返ると犬に見つめられていた。しっかりと仕事を果たす犬のようだ。<写真17>
 さらに歩くと10:35中央構造線、川滝断層の標識があった。450mとある。断層への道は上りになっていたので少し躊躇したが、そこへ向かうことにした。網で囲われた大きな犬小屋があった。この犬は吠えなかった。その上の民家の庭先で鎖につながれている犬はけたたましく吠え立てた。この辺り犬が多い。10:44川滝断層到着。<写真18>標高差80mほどあっただろうか?

 中央構造線(川滝断層)の露頭には、説明・紹介の看板が立てられていた。看板から引用させて頂く。”この露頭により、中央構造線と呼ばれている大きな断層を見ることができる。右上側の黒っぽい岩石は、結晶片岩(数億年前の地層)で、左下茶褐色の和泉層群(6〜7千年前の地層)の上に乗り上げている逆断層である。断層面には、その後噴出した白っぽい火山岩が見られる。中央構造線は、中部地方から紀伊半島を横断し、四国から九州に達する世界でも有数な大断層であり、これからも活動の可能性があると考えられている”とあった。
 一頻り写真を撮ったり観察したあと、上ってきた道を下り遍路道に合流し、10:55常福寺(椿堂)<写真19>に到着した。
遙か雲辺寺
<写真16 遙か雲辺寺>
見つめる犬
<写真17 見つめる犬>
中央構造線、川滝断層
<写真18 中央構造線、川滝断層>
梅花咲く
<写真20 梅花咲く>
椿堂
<写真19 椿堂>
境目トンネル
<写真21 境目トンネル>
 ★椿堂から佐野道へ★

 椿堂に到着した時、歩きらしい若い方が出発されるところだった。入れ違いだったので特に挨拶もできなかった。僕は赤い柱の門(鐘楼門)をくぐり本堂でお参りした。境内には赤い椿の花が咲いていた。赤い柱は椿の赤を連想させた。
 納経して頂いたあと「歩かれているのですか?」と訊かれた。「はい」というと納経料は受け取られず、「お茶でもお入れしましょうか?」と言って頂いた。ここまでゆっくり寄り道もして来たので、納経のお接待を頂き11:07椿堂を出発した。

 11:14国道192号線と合流。後を見ると椿堂ですれ違った方がおられた。どこかでお昼にされていたようだ。お話ししようと思いゆっくり歩いていたが追いつかれないようなので先に行くことにした。道はごくゆるやかに上っていた。
 旧道に入ると梅が咲いていた。<写真20>犬もいた。旧道は国道と合流し、曼陀峠へ向かう分岐を過ぎて、12:11境目トンネル<写真21>に入った。

 トンネルを出たところは徳島県池田町だった。12:29道沿いにうどんの看板があるレストラン水車<写真22>があったので昼食を摂ることにした。店には一組の客がおられるだけで空いていた。
 僕は日替り定食の「山菜そば定食」を注文。窓際のテーブルに座って通りを眺めていたが、あの歩きらしき方は通られなかった。曼陀峠の方へ向かわれたのだろうか?そばを食べているうちに二組の方々が来られた。が、歩きの人は来られなかった。

 レストラン水車を12:57に出発。国道から佐野旧道に入り、ゲートボール場の横の民宿岡田前を13:17通過した。この先、川沿いの遍路道は損壊していて全面通行止となっていたが歩きには問題なかった。
 遍路道は旧道車道から13:31山道に分岐し、高速道の上へと続いていた。<写真23>いよいよ雲辺寺への登りだ。一本調子の登りが林の中、続いていた。木に吊された「遍路道」や「元気を出して」などの札<写真24>の他、青い遍路札やシールも見かけた。青は雲辺寺の空を表わしているのだろうか?
レストラン水車
<写真22 レストラン水車>
佐野集落より雲辺寺へ
<写真23 佐野集落より雲辺寺へ>
元気を出して
<写真24 元気を出して>
明るい稜線を歩く
<写真25 明るい稜線を歩く>
 ★佐野道から雲辺寺へ★

 高速道路下からの山道をおよそ1時間、14:36曼陀道と合流した。頭の上を覆っていた木々はもはやなく、開放的な明るい稜線<写真25>となっていた。日当たりが良いせいかここまで雪は全くなく、空は青くそして近くに感じた。僕は鉄塔に沿う明るい道を雲辺寺へと向かった。
 木陰に入ると雪が残っていた。そして車道から歩きの遍路道に入るとさらに残雪は多くなった。<写真26>しかし歩きにはほぼ問題なかった。

 15:24雲辺寺山門前通過。山門の右側には無勝尊者様<写真27>がおられ、Vサインをされていた。さらにゆるやかに上り、本堂前の境内に出るとそこには多量の残雪があった。<写真28>
 本堂には10人ほどの方々がおられたが、白衣を着ているのは僕だけだった。お参りをされつつ雪を見て歓声を上げられている中、僕はお参りをしたが歩くのを止めたからか、寒くなってきた。本堂境内の「おたのみなす」に腰掛けたあと大師堂へと向かった。大師堂への道には燈籠が並べられ残雪もたくさんあった。<写真29>
 納経して頂いたあと宿に電話をした。できれば大興寺近くの民宿まで歩いておきたかったが、午後4時近くなっていたので雲辺寺すぐ麓の民宿青空屋に宿泊することにした。電話をすると「空いてますよ」と快く宿泊を引き受けて頂けた。

 ロープウェイ山頂駅と67番大興寺への遍路道との分岐を15:54出発した。大興寺への遍路道沿いには羅漢様がたくさんおられた。<写真30>
 500体あるということか多数あるということか「五百羅漢」というようだ。一体一体、様々な表情や仕草の羅漢様がおられた。稜線の右手には雪を抱いている剣山<写真31>が見えた。別冊地図によると遍路道沿いに標高910.7mの三角点があるようだが見落としてしまい、どうやら標高最高地点は通りすぎてしまったようだった。

 帰宅後、調べてみると雲辺寺山山頂はロープウェイ駅の近くにあるらしく、その標高は927mだった。このことを事前に調べなかったので、立ち寄ることができず後悔している。

    66雲辺寺
雪残る遍路道
<写真26 雪残る遍路道>
無勝尊者様
<写真27 無勝尊者様>
雲辺寺本堂境内
<写真28 雲辺寺本堂境内>
五百羅漢様
<写真30 五百羅漢様>
雲辺寺大師堂へ
<写真29 雲辺寺大師堂へ>
雪抱く剣山
<写真31 雪抱く剣山>
・・・民宿青空屋へ 4.6km 合計28.9km 累計1003.5km・・・

 16:10稜線の道から「車止め」となっている遍路道を下った。残雪が筋となっている遍路道では、灌木のすき間から夕陽が漏れていた。<写真32>
 下りであるが、歩きにはほぼ問題なかったが、一箇所だけ5mほど全面凍結しているところがあり、転ばないように慎重に下った。
 林の中をどんどん下った。へんろみちや野鳥のことを紹介した案内板があった。あれば立ち止まって目を通した。
 17:35車道に出たところに杖置き場<写真33>があり、大小様々な杖が置かれていた。さらに車道を下り、民宿青空屋<写真34>に17:44到着。僕が宿に到着したとき、宿の方が出て来られ出迎えて頂いた。

 民宿青空屋は2004年4月に開業されたばかりの新しい民宿で木の匂いがした。僕は玄関の大きな下駄箱向いの、表広場に面した部屋に通して頂いた。畳もまだ真新しい。
 お風呂の前に洗濯をしに行った。民宿横の洗濯場には洗剤が置かれ、乾燥機も無料だった。風呂は湯船が広くゆっくり手足を伸ばすことができた。夕食は畳敷きの部屋で頂いた。天ぷらや刺身、ぶりの照り焼きなどの豊富なメニューで、熱い天ぷらや焼きたての魚を頂いた。<写真35>
 この日の宿泊は僕以外に逆打ちのお遍路さんが一人おられた。この方は神戸からのBさんで、昨年末に1番から43番まで打たれ、今回は88番から逆に打たれ、44番まで歩かれるということだった。
 食事部屋には本棚があった。僕がよく読んでいる新田次郎氏や椎名誠氏のものもたくさんあった。まだ読んでいない新田氏のものを部屋で読もうと食事部屋から持ち出したがほとんど読むことができなかった。
 部屋には宿帳が置かれていた。住所や氏名を書いてもいいようだが、この宿帳には、この部屋に泊まられた方々の感想や思いなど色々なことが書き込まれていた。
 宿については、どの方も好印象を書いておられた。僕も好印象を持ったので宿帳に書き込ませて頂いた。


   民宿青空屋
木漏れ日の下山道
<写真32 木漏れ日の下山道>
杖置き場
<写真33 杖置き場>
民宿青空屋
<写真34 民宿青空屋>
青空屋夕食
<写真35 青空屋夕食>
2005.2.10(木)の会計 金額 2005.2.11(金)の会計 金額
京阪電車
宇治→京橋
390円 納経料2寺 600円
JR乗車券
大阪市内→伊予三島
4850円 納札 100円
JR新幹線自由席券
新大阪→岡山
2410円 昼食、水車
山菜そば定食
714円
JR乗継自由席特急券
岡山→伊予三島
570円 1414円
三島第一ホテル
シングル素泊り
5500円 合計 17442円
ハイカラ洋食開花亭
ビーフカレー・HC
945円
湯あそびひろば
三島乃湯
550円
フジ三島店
パン、ジュース等
813円
16028円
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2005年2月23日 記


           
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