![]() <写真1 JR新居浜駅> |
・・・いざり松 延命寺へ 13.9km・・・ ★新居浜市内★ 12月27日(月)朝6:20起床。昨夜コンビニで買ったパンを食べ、「ビジネスホテルにいはま」を7:00出発。太陽はまだ昇っていないので、人工の明かりも共存していた。 昨日は駅を大回りしたが、今朝はJR新居浜駅<写真1>を跨ぐ陸橋を渡り、駅南から国道へ向かった。新居浜市の中心街は駅よりずっと北(海)側にあるので、このあたりの道路は閑散としていた。<写真2> 国道11号線の長田交差点を横断し、7:28遍路道と合流。民家の中の遍路道を東へ向かった。 7:43国領川の国領橋を渡った。河床には砂礫が堆積し盛り上がっていた。コンクリートのブロックや流木もある。明らかに洪水の痕だ。川の水は、堆積物の高みを避け、河床の端をちょろちょろと流れていた。<写真3> 更地になって売り物件となっている土地もあった。このあたりも水害がひどかったのだろう。 遍路道は信号のある交差点や、生け垣<写真4>の続く民家の間を抜け、8:10国道11号線と合流した。 |
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![]() <写真2 新居浜市内> |
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![]() <写真3 国領川> |
![]() <写真4 生け垣の続く遍路道> |
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★四国中央市入り★ 交通量の多い国道を緩やかに上った。国道の右側には崖崩れ止めの鉄柵が施されていて、その先に、交通安全の観音様<写真5>と坂下大師堂があった。 遍路道は一旦国道から分岐したが、また合流し、再度緩やかな坂を上って9:09四国中央市に入った。この四国中央市も2004年4月1日に川之江市・伊予三島市・土居町・新宮村が合併し、新しく誕生したということらしい。 四国中央市に入ると遍路道は、また国道と別れた。道沿いにはサボテンの一種だろうか?トゲのある太く丈夫な葉と赤紫色の実を付けた植物があった。<写真6> 行く先の道が崩壊<写真7>していた。電柱を補修されてもいた。また関川の熊谷橋からは、河床や堤防のり面を改修されているのを見ることができた。 このあたりでも至るところで様々な土砂災害の爪痕が見られた。 遍路道に沿って新しい家と古くからの家が混在していた。新しい家はさほど興味を惹かれなかったが、古い家には惹かれた。 中でも薪を高く積まれている家<写真8>には惹かれた。薪は燃料になるだけでなく、防風・保温にもなるようだった。 |
![]() <写真5 観音様> |
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![]() <写真6 サボテン> |
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![]() <写真8 薪の家> |
![]() <写真7 道路崩壊> |
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![]() <写真9 沿道の柿> |
★いざり松 延命寺★ 9:45西福寺と心光寺の交差点に到着した。トイレを借りたかったので両方のお寺に立ち寄ったが、どちらの境内も無人でトイレらしき建物は見あたらなかった。 仕方ないのでそのまま歩いたが、しばらくで「関川公民館」があったので、そこでトイレを借りた。 平野がひらけ、土居の町並みが見え出した。沿道の柿<写真9>はまだ実を付けていた。 10:25国道11号を横断し、JR予讃線の踏切や浦山川の常盤橋を渡って、いざり松延命寺に10:49到着した。 本堂<写真10>でお参りしたあと、大師堂を探したが、よくわからなかったので納経所へ向かった。納経して頂いている時、千枚通しが目に入った。一昨年(2003年)の秋、「道の駅やす」で野宿のお遍路さんから頂いたものがあった。僕は一つ購入した。 隣りでは熱心に般若心経を唱えられていたので、そのお参りが終わってからお寺の方に「大師堂はどこですか?」と尋ねた。「ここが大師堂」<写真11>ということだったので、僕もそこでお参りした。 弘法大師お手植えの「いざり松」<写真12>があった。明治の頃には目通り直径5m、枝張り東西30m、南北20m余にも及んだと看板にはあったが、昭和43年暮に枯れてしまったらしい。 いざり松 延命寺 ![]() |
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![]() <写真10 延命寺本堂> |
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![]() <写真11 延命寺大師堂> |
![]() <写真12 いざり松> |
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・・・JR伊予三島駅へ 12.2km 合計26.1km 累計974.6km・・・ いざり松延命寺を11:14出発。手持ちの食料は、昨日Aさんすべてお接待したのでなにもなかった。何か暖かいものを食べようと思い歩いていると、「しのはら」という大衆食堂があった。 暖簾をくぐって中に入ると、初老の男性が二人でビールを飲みながら談笑されていた。<写真13>僕はおかみさんに焼きそば定食を注文したが、ご飯がないということで焼きそば大をすすめられた。何とも気さくな店だ。おかみさんによると、この時期はあまり歩きのお遍路さんは通らないが、春はかなり通られるらしい。 大盛りの焼きそばを食べ終えると、JR予讃線伊予三島駅の岡山行き特急列車の出発時刻を調べたりして、くつろぎ11:57「しのはら」を出発した。 JR土居駅や旅館の建つ町の中心を通り過ぎると、キャベツ畑があった。一つ一つのキャベツ<写真14>は大事そうに、大きな緑色の葉っぱにくるまれていた。キャベツは年3回種がまかれほぼ年中収穫されている。この時期、収穫されるものは夏に種がまかれたものらしい。 12:19再び国道11号線を渡った。13:00土居IC進入路のところに女性警備員が立っておられた。工事のトラックが行き来するようだ。 大地川を渡り、歩いていると、また女性の警備員がおられた。「こんにちは。」と挨拶をして「今日、歩きの人、何人ぐらい通られました?」と尋ねてみた。少し首を傾げられながら、「今日は五人かそこら。」と答えて頂いた。 収穫を終えた田んぼの向こうに煙突が2本<写真15>見えてきた。伊予三島の製紙工場のようだ。この辺りからは山が迫って来たので小さな川が何本もあった。 |
![]() <写真13 大衆食堂しのはらにて> |
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![]() <写真14 キャベツ> |
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![]() <写真16 中央構造線に沿う> |
![]() <写真15 煙突2本> |
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![]() <写真17 旧街道の遍路道> |
・・・ 帰路 ・・・ 松山自動車道は迫っている山の裾を通っているが、そこには中央構造線も走っている。<写真16>中央構造線は糸魚川-静岡構造線と並んで日本列島で有数の活断層である。そこでは過去何度も地震が発生し、そのたびに地層にずれを生じさせてきた。 今後も地震は起こるであろうが、最小限の被害にとどまることを願いたい。 13:50JR寒川駅への分岐を通り過ぎ、何本かの川を渡り、さらに旧街道の遍路道<写真17>を歩いた。伊予三島の市街に近づくにつれ山は遠ざかった。 交通量が増え、伊予三島郵便局の先を左折して、JR伊予三島駅に15:06到着。今回はここで”打ち終え”とした。 次の岡山行きの特急は15:42発のしおかぜ22号だった。しばらくの間、駅二階改札横の待合室のベンチで過ごし、ホームに降りた。やってきた列車はディーゼルカーだった。<写真19> 松山発の列車は電車なので、この列車は以前夏に乗ったことのある宇和島発のものだ。列車が瀬戸大橋を渡る頃には、日暮れかけていた。<写真20> そしていつものようにJR岡山駅で新幹線のぞみ号に乗り換え、新大阪駅まで乗車。さらに東海道線で京都駅を経由し、奈良線のJR宇治駅には、すっかり暗くなった午後7時前に到着した。 JR伊予三島駅 ![]() |
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![]() <写真18 JR伊予三島駅> |
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![]() <写真19 特急しおかぜ22号> |
![]() <写真20 瀬戸は日暮れて> |
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2004.12.27(月)の会計 | 金額 | |||
納経料 | 300円 | |||
いざり松千枚通し | 1000円 | |||
大衆食堂しのはら 焼きそば大 |
500円 | |||
JR乗車券 伊予三島→宇治 |
5670円 | |||
JR乗継自由席特急券 伊予三島→岡山 |
570円 | |||
JR新幹線自由席券 岡山→新大阪 |
2410円 | |||
ジュース | 250円 | |||
計 | 10700円 | |||
合計 | 39022円 | |||
累計 | 512584円 | |||
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2005年1月10日 記
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