いざり松 延命寺

2004年12月27日(月) 36日目
JR新居浜駅
<写真1 JR新居浜駅>
・・・いざり松 延命寺へ 13.9km・・・

 ★新居浜市内★

 12月27日(月)朝6:20起床。昨夜コンビニで買ったパンを食べ、「ビジネスホテルにいはま」を7:00出発。太陽はまだ昇っていないので、人工の明かりも共存していた。
 昨日は駅を大回りしたが、今朝はJR新居浜駅<写真1>を跨ぐ陸橋を渡り、駅南から国道へ向かった。新居浜市の中心街は駅よりずっと北(海)側にあるので、このあたりの道路は閑散としていた。<写真2>

 国道11号線の長田交差点を横断し、7:28遍路道と合流。民家の中の遍路道を東へ向かった。
 7:43国領川の国領橋を渡った。河床には砂礫が堆積し盛り上がっていた。コンクリートのブロックや流木もある。明らかに洪水の痕だ。川の水は、堆積物の高みを避け、河床の端をちょろちょろと流れていた。<写真3>
 更地になって売り物件となっている土地もあった。このあたりも水害がひどかったのだろう。
 遍路道は信号のある交差点や、生け垣<写真4>の続く民家の間を抜け、8:10国道11号線と合流した。
新居浜市内
<写真2 新居浜市内>
国領川
<写真3 国領川>
生け垣の続く遍路道
<写真4 生け垣の続く遍路道>
 ★四国中央市入り★

 交通量の多い国道を緩やかに上った。国道の右側には崖崩れ止めの鉄柵が施されていて、その先に、交通安全の観音様<写真5>と坂下大師堂があった。
 遍路道は一旦国道から分岐したが、また合流し、再度緩やかな坂を上って9:09四国中央市に入った。この四国中央市も2004年4月1日に川之江市・伊予三島市・土居町・新宮村が合併し、新しく誕生したということらしい。

 四国中央市に入ると遍路道は、また国道と別れた。道沿いにはサボテンの一種だろうか?トゲのある太く丈夫な葉と赤紫色の実を付けた植物があった。<写真6>
 行く先の道が崩壊<写真7>していた。電柱を補修されてもいた。また関川の熊谷橋からは、河床や堤防のり面を改修されているのを見ることができた。
 このあたりでも至るところで様々な土砂災害の爪痕が見られた。

 遍路道に沿って新しい家と古くからの家が混在していた。新しい家はさほど興味を惹かれなかったが、古い家には惹かれた。
 中でも薪を高く積まれている家<写真8>には惹かれた。薪は燃料になるだけでなく、防風・保温にもなるようだった。
観音様
<写真5 観音様>
サボテン
<写真6 サボテン>
薪の家
<写真8 薪の家>
道路崩壊
<写真7 道路崩壊>
沿道の柿
<写真9 沿道の柿>
 ★いざり松 延命寺★

 9:45西福寺と心光寺の交差点に到着した。トイレを借りたかったので両方のお寺に立ち寄ったが、どちらの境内も無人でトイレらしき建物は見あたらなかった。
 仕方ないのでそのまま歩いたが、しばらくで「関川公民館」があったので、そこでトイレを借りた。
 平野がひらけ、土居の町並みが見え出した。沿道の柿<写真9>はまだ実を付けていた。

 10:25国道11号を横断し、JR予讃線の踏切や浦山川の常盤橋を渡って、いざり松延命寺に10:49到着した。
 本堂<写真10>でお参りしたあと、大師堂を探したが、よくわからなかったので納経所へ向かった。納経して頂いている時、千枚通しが目に入った。一昨年(2003年)の秋、「道の駅やす」で野宿のお遍路さんから頂いたものがあった。僕は一つ購入した。
 隣りでは熱心に般若心経を唱えられていたので、そのお参りが終わってからお寺の方に「大師堂はどこですか?」と尋ねた。「ここが大師堂」<写真11>ということだったので、僕もそこでお参りした。
 弘法大師お手植えの「いざり松」<写真12>があった。明治の頃には目通り直径5m、枝張り東西30m、南北20m余にも及んだと看板にはあったが、昭和43年暮に枯れてしまったらしい。

     いざり松 延命寺
延命寺本堂
<写真10 延命寺本堂>
延命寺大師堂
<写真11 延命寺大師堂>
いざり松
<写真12 いざり松>
・・・JR伊予三島駅へ 12.2km 合計26.1km 累計974.6km・・・

 いざり松延命寺を11:14出発。手持ちの食料は、昨日Aさんすべてお接待したのでなにもなかった。何か暖かいものを食べようと思い歩いていると、「しのはら」という大衆食堂があった。
 暖簾をくぐって中に入ると、初老の男性が二人でビールを飲みながら談笑されていた。<写真13>僕はおかみさんに焼きそば定食を注文したが、ご飯がないということで焼きそば大をすすめられた。何とも気さくな店だ。おかみさんによると、この時期はあまり歩きのお遍路さんは通らないが、春はかなり通られるらしい。
 大盛りの焼きそばを食べ終えると、JR予讃線伊予三島駅の岡山行き特急列車の出発時刻を調べたりして、くつろぎ11:57「しのはら」を出発した。

 JR土居駅や旅館の建つ町の中心を通り過ぎると、キャベツ畑があった。一つ一つのキャベツ<写真14>は大事そうに、大きな緑色の葉っぱにくるまれていた。キャベツは年3回種がまかれほぼ年中収穫されている。この時期、収穫されるものは夏に種がまかれたものらしい。
 12:19再び国道11号線を渡った。13:00土居IC進入路のところに女性警備員が立っておられた。工事のトラックが行き来するようだ。
 大地川を渡り、歩いていると、また女性の警備員がおられた。「こんにちは。」と挨拶をして「今日、歩きの人、何人ぐらい通られました?」と尋ねてみた。少し首を傾げられながら、「今日は五人かそこら。」と答えて頂いた。
 収穫を終えた田んぼの向こうに煙突が2本<写真15>見えてきた。伊予三島の製紙工場のようだ。この辺りからは山が迫って来たので小さな川が何本もあった。
大衆食堂しのはらにて
<写真13 大衆食堂しのはらにて>
キャベツ
<写真14 キャベツ>
中央構造線に沿う
<写真16 中央構造線に沿う>
煙突2本
<写真15 煙突2本>
旧街道の遍路道
<写真17 旧街道の遍路道>
・・・ 帰路 ・・・

 松山自動車道は迫っている山の裾を通っているが、そこには中央構造線も走っている。<写真16>中央構造線は糸魚川-静岡構造線と並んで日本列島で有数の活断層である。そこでは過去何度も地震が発生し、そのたびに地層にずれを生じさせてきた。
 今後も地震は起こるであろうが、最小限の被害にとどまることを願いたい。
 
 13:50JR寒川駅への分岐を通り過ぎ、何本かの川を渡り、さらに旧街道の遍路道<写真17>を歩いた。伊予三島の市街に近づくにつれ山は遠ざかった。
 交通量が増え、伊予三島郵便局の先を左折して、JR伊予三島駅に15:06到着。今回はここで”打ち終え”とした。

 次の岡山行きの特急は15:42発のしおかぜ22号だった。しばらくの間、駅二階改札横の待合室のベンチで過ごし、ホームに降りた。やってきた列車はディーゼルカーだった。<写真19>
 松山発の列車は電車なので、この列車は以前夏に乗ったことのある宇和島発のものだ。列車が瀬戸大橋を渡る頃には、日暮れかけていた。<写真20>
 そしていつものようにJR岡山駅で新幹線のぞみ号に乗り換え、新大阪駅まで乗車。さらに東海道線で京都駅を経由し、奈良線のJR宇治駅には、すっかり暗くなった午後7時前に到着した。

     JR伊予三島駅
JR伊予三島駅
<写真18 JR伊予三島駅>
特急しおかぜ22号
<写真19 特急しおかぜ22号>
瀬戸は日暮れて
<写真20 瀬戸は日暮れて>
2004.12.27(月)の会計 金額
納経料 300円
いざり松千枚通し 1000円
大衆食堂しのはら
焼きそば大
500円
JR乗車券
伊予三島→宇治
5670円
JR乗継自由席特急券
伊予三島→岡山
570円
JR新幹線自由席券
岡山→新大阪
2410円
ジュース 250円
10700円
合計 39022円
累計 512584円
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2005年1月10日 記


           
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