61.香園寺 〜 64.前神寺

2004年12月26日(日) 35日目
石鎚山を仰ぐ
<写真1 石鎚山を仰ぐ>
・・・六十一番香園寺へ 6.9km・・・

 ★京屋旅館より★

 12月26日(日)朝6:00起床。部屋の電灯を点け身支度をして、6:30朝食を食べに行った。朝食後、部屋の窓から外を見ると黒瀬湖の向こうに石鎚山<写真1>が見えた。
 昨夕はガスがかかっていたのでわからなかったが、今朝はよく晴れていた。
 京屋旅館を7:08出発。県道142号線で左折。道路が崩壊<写真2>していた。赤と青のペンキで数字が書かれた土嚢が崩れたところに積まれていて、片側通行になっていた。
 松山自動車道<写真3>の向こうには西条の町や田畑、瀬戸内海が見えた。

 車道を歩いていると、7:52「寄っていかんか?」と呼ばれた。行って見るとイノハン会の方々で、焚き火<写真4>を囲んで猟銃の準備や猟犬の世話をされていた。今日もこれからイノシシ猟に行かれるらしい。プレハブの部屋には熊のような大きなイノシシの頭の剥製があった。
 熱いコーヒーとシュークリームのお接待を頂きながら、焚き火にあたらせてもらった。
 缶コーヒーも持たせて頂き8:10出発。さらに町へと下っていると、車に乗った男性から「どこまで行かれるんですか?」と行き先を聞かれた。「香園寺まで歩きます。」と答えた。
 僕の道迷いを心配して頂いたか?車のお接待か?愛媛では男性の方から、お接待やお言葉を頂くことが多い。
道路崩壊
<写真2 道路崩壊>
松山自動車道
<写真3 松山自動車道>
焚き火
<写真4 焚き火>
 ★香園寺へ★

 63番吉祥寺に8:27到着。本堂前のベンチにザックを置いた。<写真5>ここから61番香園寺まで2.7kmあるが、どうせここに戻ってくるので、納経帳など必要なものだけを持って、8:35吉祥寺を出発した。
 国道11号線を西に向かい、「小松町」の道路標識のところで左に曲がり遍路道に合流。9:00小松橋を渡った。東の空では、雲の切れ間から日が射し込んでいた。<写真6>

 9:12香園寺到着。巨大なあずき色の建物<写真7>が目に入った。そこで白衣を着た二人のお遍路さんがお参りをされていた。どうやらここが本堂のようである。僕もそこでお参りをした。
 さて大師堂は、と探したがそれらしきお堂はない。さっきのお遍路さんはどこかに行かれたようだ。
 大きなあずき色の建物の端に階段があり、掃除をされていた。大師堂の所在はわからないが、とりあえず階段を上り中へ入って見た。<写真8>
 中は椅子がたくさん並べられ、数体の仏像が安置されていた。中央の仏像前でお参りし階段を下りる時、「大師堂はどこですか?」と尋ねると、「この中ですよ。」とおっしゃられたので、もう一度階段を上り奥の大師堂で、お参りした。
 後で調べると、この建物は鉄筋コンクリートの3階建で大聖堂ということだった。

     61香園寺
ザックを置く
<写真5 ザックを置く>
日射す
<写真6 日射す>
大聖堂内部
<写真8 大聖堂内部>
香園寺大聖堂
<写真7 香園寺大聖堂>
旧小松町役場
<写真9 旧小松町役場>
・・・六十二番宝寿寺へ 1.3km 合計8.2km・・・

 9:37香園寺出発。三島神社前を通り、国道11号線に出て、旧小松町役場<写真9>前を通過した。平成16年11月1日西条市・東予市・丹原町・小松町が合併し、新「西条市」になったらしい。日本全国、市町村の合併が進んでるが、ここもその一つのようだ。地図で見ると旧西条市の西に旧東予市があってややこしい。

 9:55宝寿寺門前<写真10>に到着。さっきの香園寺とはうって変わって静かな佇まいだ。本堂<写真11>と、そのすぐ右隣の大師堂でお参りし、納経のあと10:04宝寿寺を出発した。

 JR伊予小松駅の前を経て国道11号線に戻った。賽銭用の小銭がなくなったので国道沿いのコンビニでジュースを購入し小銭をつくった。
 さらに国道を東進すると、地元の小学生とその母親らしき方々が信号待ちされていた。手には、空き缶やその他ゴミの入ったスーパーのポリ袋や、はさみなどを持たれていた。
 休日朝の清掃活動<写真12>を終えられ、小学校に戻られるようだった。小学生たちは、挨拶の声も大きく、大変元気だった。清々しい。

     62宝寿寺
宝寿寺門前
<写真10 宝寿寺門前>
宝寿寺本堂
<写真11 宝寿寺本堂>
清掃活動
<写真12 清掃活動>
・・・六十三番吉祥寺へ 1.4km 合計9.6km・・・

 10:28吉祥寺<写真13>に戻ってきた。本堂前ベンチのザックは無事だ。ザックはそのままに本堂<写真14>と大師堂でお参りし、納経して頂いてから、ザックのところに戻り納経帳をしまった。
 ベンチに座ったついでに、ザックからリッツを取り出し食べた。そしてトイレを借りた後、11:01吉祥寺を出発した。

 吉祥寺を出ると、芝之井への案内<写真15>があったので、そちらに向かうことにした。道の先に覚法寺<写真16>というお寺があった。ここが芝之井かどうかわからなかったが、この覚法寺は、境内が工事中であった。今回の道中では、改修や工事をされているお寺が多い。

 覚法寺を出発し、前神寺に向かって遍路道を歩いていると、11:20地元の老婆に声を掛けられ、「ここのお地蔵さんでお参りして下さい。」と頼まれた。
 「僕でよければ」とお参りさせて頂くと、とても喜んで下さった。この老婆、大正の午年生まれだそうだが、とてもそんなお歳には見えなかった。

     63吉祥寺
吉祥寺門前
<写真13 吉祥寺門前>
吉祥寺本堂
<写真14 吉祥寺本堂>
覚法寺
<写真16 覚法寺>
芝之井へ
<写真15 芝之井へ>
寒椿の遍路道
<写真17 寒椿の遍路道>
・・・六十四番前神寺へ 3.2km 合計12.8km・・・

 民家の間の生活道路でもあろう遍路道をさらに東へ進んだ。道沿いでは、寒椿<写真17>が見られたり、伊予柑<写真18>がなっていたりした。冬であるが色鮮やかだ。

 大きな鳥居のある石鎚神社前を過ぎて、11:58前神寺の門前に到着した。石碑や狛犬の間を通り、極楽橋を渡って、前神寺境内<写真19>に着いた。
 ここには鐘楼や大師堂があったが、本堂はさらに奥のようだ。鐘を撞いたあと、さらに奥へ浄土橋を渡り、本堂<写真20>に到着した。

 本堂でのお参りが済み大師堂へ向かおうとした時、一昨日お出会いしたAさんと再会した。Aさんも僕のことを覚えておられた。臼井御来迎の東屋で「燃料切れだ。」とおっしゃっておられたので、心配していたのだがご無事だった。
 また後でお話しさせて頂こうと思いその場は別れた。そして大師堂でお参りをし、納経所を出てみると、Aさんの姿はすでに境内になかった。

     64前神寺
伊予柑ナル
<写真18 伊予柑ナル>
前神寺境内
<写真19 前神寺境内>
前神寺本堂
<写真20 前神寺本堂>
・・・ビジネスホテルにいはまへ 17.3km 合計30.1km 累計948.5km・・・

 ★お遍路二人連れ★

 前神寺を12:25出発。遍路道を歩いているとAさんがおられた。僕は何か嬉しくなってAさんとしばらく同行させて頂いた。一昨日は気付かなかったが、持っておられる杖は、手製で彫り物<写真21>がしてあった。仙遊寺への山中で頃合いのものを見つけたとおっしゃった。また広島県のご出身であることや、徳島では免役後、来日されたイスラエルの女性としばらく同行されたことなどを話して頂いた。

 このあたりの遍路道でも土砂災害の痕が生々しかった。崖崩れで山斜面の木々がなぎ倒されているところがあったり、ビニールハウスの中が泥に埋まったままのところ<写真22>があったりした。
 Aさんは、今回の一巡目では夏に新居浜で泥かきのボランティアをされたそうだ。
 道沿いにタバコの自販機があった。Aさんはタバコを切らされたらしく自販機で買おうとされたいた。いろいろとお話をして頂いたこともあり、お接待させて頂こうと思った。
 タバコはピースで、僕の父が吸っているものと同じだったので、僕は何年ぶりかでピースを買った。

 13:15加茂川の伊曽の橋<写真23>を渡り、武丈公園のベンチで休憩しながら、カロリーメイトなど簡単な食事を摂った。Aさんは野宿されているのでコンロや食器、ナイフ、ほうきなど色々な物を持っておられた。
 僕は明日で、打ち終えるので、残った食べ物をAさんにお接待させて頂き、13:45Aさんとお別れをして出発した。

 一人になって山沿いの遍路道を歩いていると、後ろから歩き遍路のBさんがやって来られた。Bさんは兵庫県の方で3年程前から青春キップで週末、お四国に歩きに来ているということだった。僕と同じ週末遍路のようだった。
 山沿いの遍路道をしばらくご一緒した。沿道の木<写真24>は、幹が太く根も大きい。とても存在感があった。
 14:35上室川橋を渡り、国道と平行したところで、Bさんと別れた。Bさんは昼食がまだらしく国道の方へ向かわれた。
手彫りの杖
<写真21 手彫りの杖>
ビニールハウス
<写真22 ビニールハウス>
伊曽の橋
<写真23 伊曽の橋>
新居浜市入り
<写真25 新居浜市入り>
遍路道の大木
<写真24 遍路道の大木>
うどんとかやくご飯
<写真26 うどんとかやくご飯>
 ★新居浜市にて★

 Bさんと別れ、遍路道をまた一人で歩いていると交差点に立っておられた男性から呼び止められた。その男性は財布から100円を取り出され、「線香代にして下さい。」と僕に手渡された。現金のお接待ははじめてだったので戸惑ったが、有り難く、預からせて頂いた。

 14:58遍路道は国道11号線と合流し、15:10新居浜市に入った。<写真25>アスファルト歩道の少しくぼんだところには、砂泥がたまっていた。これも土砂災害の残骸だろう。
 遍路道は再び国道と分岐し旧道へ入ったが、お昼が簡単なものだったので、国道に戻り15:47「かな泉」といううどん屋に入った。
 テーブルに着き、メニューを広げて、うどんとかやくご飯<写真26>のセットを注文した。今日もまだ宿を決めていなかった。別冊地図で遍路道沿いのビジネスホテルの電話番号を調べ電話したが、電源が切れているとのメッセージが流れた。その先の宿となると、かなり距離がありそうなのでJR新居浜駅周辺のビジネスホテルに向かうことにした。

 16:38「かな泉」を出発。国道から遍路道に戻り東へ向かった。中萩小の前を経て、17:10遍路道は友岡食肉店<写真27>のところで二手に分岐していた。僕はJR新居浜駅の方に向かうので直進した。夕暮れが近いので店の中は一際明るかった。
 遍路道から国道に出て、17:30長田交差点<写真28>を左折した。そして少々遠回りをしたが、JR新居浜駅前の「ビジネスホテルにいはま」<写真29>に18:00到着。今日も飛び込みの客となり、フロントで宿泊をお願いした。

 ホテルの部屋はシングルルーム<写真30>の308号室だった。二階には大浴場があるそうなので行ってみると、ジェットバスもあるいい浴場だった。
 入浴後、外出した。コンビニは駅前にはないらしく、駅と逆方向に歩いて行った。そこで明日の朝食などを買った。ついでにラーメンでも食べようと思ったが、コンビニ周辺にはなにもなかった。
 また歩いてホテル前を通り過ぎ、JR新居浜駅前まで行き、「オロチョンラーメン」という店でラーメンと野菜サラダを食べた。

     ビジネスホテルにいはま
友岡食肉店
<写真27 友岡食肉店>
長田交差点
<写真28 長田交差点>
ビジネスホテルにいはま
<写真29 ビジネスホテルにいはま>
シングルルーム
<写真30 シングルルーム>
2004.12.26(日)の会計 金額
京屋旅館一泊二食 5000円
納経料4寺 1200円
ジュース 105円
ロングピース 280円
かな泉
うどんとかやくご飯
610円
ビジネスホテル
にいはま素泊り
4200円
サンクス
パン、ジュース等
498円
オロチョンラーメン
野菜サラダ
800円
缶コーヒー 120円
12813円
合計 28322円
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2005年1月8日 記


           
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