柏坂越え

2004年5月16日(日) 25日目
内海村ドーム
<写真1 内海村ドーム>
・・・岩松バス停へ 15.0km 累計656.7km・・・

 ★リゾートホテル内海から柳水大師へ★

 翌5月16日(日)朝6:00起床。雨は降り続いていた。昨日コンビニが見当たらなかったので、食料を買い込むことができなかった。
 宿の方に朝食代わりにお弁当を用意してもらっていたが、それには手を付けず、昨日の昼食べ残したカロリーメイトとお茶で朝食を済ませた。
 朝食後、身支度をした。レインウェアは上下、ザックカバーと用意したが、足回りが心配だった。靴はこのところずっと愛用しているアシックスのゲルフェザーを今回も履いてきたが、昨日午後からの車道歩きでも相当浸水してしまった。昨夜3回、古新聞紙の入れ替えをしたので靴内もほぼ乾いていたが、今日は山道だ。

 多少の不安を抱えながらも、6:25ホテルをあとにした。ホテルを出てすぐのところで逆打ちの荷車を牽かれているお遍路さんとすれ違った。荷物の量に生活を感じた。週末だけ歩いている僕とは大違いだ。
 銀色のドーム<写真1>が見えた。「DE・あ・い・21」という内海村の施設である。柏坂越えの遍路道は、その手前の柏川沿いに遡る。増水した川を見ながら歩き、柏坂遍路道の入口である「坂口」<写真2>に6:42に到着した。
坂口
<写真2 坂口>
深い緑のトンネル
<写真3 深い緑のトンネル>
癒しの椅子
<写真4 癒しの椅子>
 ★柏坂越え★

 坂口から柏坂越えの山道に入った。深い緑の樹林に覆われた山道は暗かった。デジカメは光量不足で写らないほどだった。
 7:24柳水大師到着。大師堂をお参りし、そのとなりの東屋で休憩した。7:30出発。深い緑のトンネル<写真3>の向うが明るくなっていた。山頂が近いようだ。

 緑のトンネルを抜けると明るくなり、7:48「癒しの椅子」<写真4>に到着した。野口雨情氏の短歌があった。”山は遠いし柏原はひろし水は流れる雲はやく”。「山」「柏」「水」「雲」と今回の歩きは雨情氏の歌そのものだった。

 8:02水準点の標高460.1m通過。霧の中<写真5>を進む。この辺りに清水大師があるようだがわからなかった。8:10つわな奥展望台通過。晴れていれば遠く九州まで見えるそうだ。昨夜から降り続いた雨は、道に沿って流れていて、僕は流水とともに歩いた<写真6>。当然、靴はもうずくずくだった。

 道沿いに、「猪のヌタ場」「女兵さん 思案の石」「狸の尾曲がり」「鼻欠けオウマの墓」「クチヒメ屋敷 由来」「トッポ話」などたくさんの案内板<写真7>のほか、距離標識や癒しの椅子など整備されていた。
 8:41両側は崖になっている「馬の背」<写真8>を通過。8:54茶堂休憩地到着。ここにもトイレがあった。しらばく休憩し8:58出発。坂を下りツツジ<写真9>の脇を抜け9:00民家前に出た。      
霧の中
<写真5 霧の中>
流水とともに歩く
<写真6 流水とともに歩く>
案内板
<写真7 案内板>
ツツジ
<写真9 ツツジ>
馬の背
<写真8 馬の背>
ヤナギハナガサ
<写真10 ナヤギハナガサ>
 ★柏坂から岩松営業所へ★

 民家を過ぎてからも細い道は続いた。道路に大きな青黒いミミズがいた。太さ1cm、長さ30cmはあろうか?道が乾く前に土中に帰ってもらいたいものである。
 三本松大橋を渡り、しばらく歩くと9:28三叉路に出た。国道56号線へは三叉路を右だが、「へんろ椿、これより先150メートル」の看板があったので、行ってみることにした。民家の数軒あり、ヤナギハナガサ<写真10>が咲いていた。ところが「へんろ椿」まですぐそこのはずが行き過ぎてしまったようで民家が途絶えてしまった。少し戻り「へんろ椿」<写真11>前に9:43到着した。

 椿の季節が過ぎていたので花はなかったが、大きな椿の木だった。三叉路まで引き返し、川沿いの車道を歩いた。谷が広くなり田んぼや民家が見えて出すところまで来ると、川は増水し濁流となっていた。かなりの水量だった。そして、白塀の造り酒屋<写真12>を過ぎると国道56号線の大門に10:15到着した。
 国道に沿って北上した。交通量が多い。行き交う路線バスも見かけた。山越えでお腹も空いてきたので、10:28畑地バス停<写真13>で昼食とし、宿の方に朝食として作って頂いたお弁当を食べた。食べていると宇和島行きのバスがやってきた。僕はお箸を持っている右手を挙げながら頭を下げた。

 昼食が済み10:50出発。雨が小降りになってきた。どうやら雨のピークは過ぎたようだ。11:12金剛橋バス停を通過。近くの田んぼに大きな鳥がいた。翼を広げると1m60〜70cmくらいはありそうだった。
 於泥橋を過ぎて芳原川と国道に挟まれた遍路道(四国のみち)<写真14>を歩いた。国道の歩道は、車が側道へ出入りするための僅かではあるが、前後や左右に傾いているものだが、歩き専用の道ではそのようなことはない。快適な道を歩くことができた。また、このあたりの芳原川には、木板を敷いただけの簡素な橋<写真15>がいくつかあった。

 11:50津島大橋を渡り、津島町の町中に入った。宇和島まであと15km、4時間ほどだ。宇和島駅に夕方到着すれば今日中に自宅に到着できるので充分間に合う時間だ。もう少し歩こうと思ったが、カメラレンズも曇りに気が付いた。以前(通算10日目の東洋大師)も同様のレンズの曇りが生じたが今回はもっとひどかった。レンズの曇りはどうやら山から下りてきたり天候が回復傾向にあると、気圧が上昇し、湿気を充分含んだ空気がカメラレンズ内に入ったためと考えられる。今回はその両方が原因していると思われるのでひどく曇ったのだろう。
へんろ椿
<写真11 へんろ椿>
白塀の造り酒屋
<写真12 白塀の造り酒屋>
畑地バス停
<写真13 畑地バス停>
四国のみち
<写真14 四国のみち>
・・・帰路・・・

 曇ったレンズを抱えたまま12:00宇和島バス岩松バス停<写真16>に到着した。バス時刻表を見るともうすぐ宇和島駅行きのバスが来る。曇ったレンズを眺めながらどうしようかと思案したが、次回、大阪梅田発城辺行きの夜行バスで四国入りするので、ここが高速バスの停留所であることを確かめた上、宇和島駅行きのバス乗車券を購入した。

 12:05宇和島駅行きのバスが到着した。時間がなかったのでレインウェア上下は着たままだった。混雑していれば大変ヒンシュクだったが、幸い乗客は半分程度。二人掛けのシートに座り、レインウェアを脱ぎ持参してきたスーパーの袋にしまった。
 バスは国道56号線の松尾トンネルを抜け宇和島市内に入った。いくつかのバス停で乗車して来られ、バスはそこそこの人数になった。
 僕はやはり疲れていたせいか、居眠ってしまい、目が覚めると宇和島市街に入っていた。宇和島駅には12:39到着し、駅切符売り場に向かった。

 前もって調べておいたメモによると、宇和島駅で乗車した特急は、松山駅で乗り換えだった。時間があるので道後温泉に立ち寄ろう思ったが、次の列車は岡山駅までの直通だった。
 道後温泉は次回の楽しみにすることにして、京都市内までの乗車券と岡山駅までの乗継自由席特急券、岡山から新大阪までの自由席新幹線券を購入し駅改札を通った。

 12:47発の特急しおかぜ22号に乗車。前回までは高知まわりの特急南風号を利用したが、今回は松山まわりだ。
 四国お遍路の約半分の行程を終えた妙な実感が湧いてきた。皮肉なものでエアコンの効いた車内でカメラレンズの曇りはほぼ取れた。まだ陽の高いうちに瀬戸大橋<写真17>を渡った。
 特急しおかぜ22号<写真18>は定刻の16:57岡山駅に到着。新幹線乗り場に向かった。新幹線のぞみ号は、よく混む時間帯だったからか超満員だった。後ろ3両の自由席車両はデッキまでいっぱいのようでそこへは到達できず、指定席車両内で新大阪駅まで立った。
 新大阪から京都までの新快速も満員だったので、京都駅で乗り換えた奈良線普通電車<写真19>でようやく座ることができた。そして宇治駅には19:05到着しまだ明るいなか自宅へ急いだ。


    岩松バス停
木板の橋
<写真15 木板の橋>
岩松バス停
<写真16 岩松バス停>
瀬戸大橋
<写真17 瀬戸大橋>
奈良線普通電車
<写真19 奈良線普通電車>
特急しおかぜ号
<写真18 特急しおかぜ号>
2004.5.16(日)の会計 金額
宇和島バス
岩松→宇和島駅
580円
JR乗車券 宇和島→
京都市内→宇治
8620円
乗継自由席特急券
宇和島→岡山
1260円
新幹線自由席特急券
岡山→新大阪
2410円
缶コーヒー 120円
12990円
合計 41480円
累計 346711円
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2004年6月5日 記


           
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