39.延光寺 〜 40.観自在寺

2004年5月15日(土) 24日目
朝霧の道
<写真1 朝霧の道>
・・・三十九番延光寺へ 1.1km・・・

 翌5月15日(土)朝5:45起床。仮眠室は薄暗く携帯電話の使用も禁止されていたので、アラームもオフにしていた。心配だったが思っていた時刻に起きることが出来た。昨夜朝食を買い忘れたので、軽く一風呂浴びてから出発しようと思い玄関に行って見るとお遍路姿の方がおられた。昨夜はフロントで借りたものを皆、着ていたのでわからなかったが、お遍路さんに出会うことができた。
 僕は別冊地図を家に忘れてきたので、お遍路さんに出会って持っておられたら見せてもらおう思っていた。声を掛けたところ、新しい第六版地図を持っておられた。「どうぞ」ということで有り難く見せてもらい、ビーパル地図に要所の印を書き込んだ。

 ソファーで少しお話しをした。Aさんは千葉県の方で16日間でここまで来られた。38番からは今ノ山峠を経て来られ、ここまでで履いてきた靴がぼろぼろになったので、今日は宿毛市内で新しい靴を買うとおっしゃた。少し足を痛めているので昨日早く到着し、今日もゆっくり出発するとのことだった。

 僕は予定していた時刻になったのでAさんにお礼をいい6:30アサヒ健康ランドを出発した。すぐ前の国道を渡ると60才過ぎぐらいの男性が向うから歩いてこられ、宿毛市内への方向を僕に確かめられた。昨夜はへんくつ屋に泊まられたそうだ。

 延光寺への道は朝霧<写真1>がかかっていた。田んぼや畑の間を抜け、6:45観自在寺山門前に到着した。誰もおられない静かな境内だった。水屋<写真2>に寄った。蛇口は魚のしっぽを回すようになっていた。写真でよく見かける鐘を背負ったカメ(赤亀像)<写真3>があった。「目洗い井戸」もあった。もちろん本堂も大師堂も納経所もあった。今日は通算24日目。38番金剛福寺を打ったのが通算20日目だったので、ここまでずいぶん日数がかかったが、久しぶりに納経帳に朱印を頂き、7:07延光寺出発した。


     39延光寺
水屋
<写真2 水屋>
赤亀像
<写真3 赤亀像>
松田川
<写真4 松田川>
標識
<写真5 標識>
・・・四十番観自在寺へ 25.8km・・・

 ★延光寺から松尾峠へ★

 延光寺を出て歩きの遍路道がわからなかったので、アサヒ健康ランドへの車道を引き返した。納経所におられた二人連れの方が車で脇を通り去られた。
 昨夜は真っ直ぐ国道を歩いたが、旧道が遍路道となっているところもあった。その旧道で自転車を押して来られたお遍路さんとすれ違った。その方は76周されているそうで今年は閏年なので逆打ちなのだそうだ。また、幸月さんとは飲み友だちだとおっしゃた。

 国道バイパスと市内への道の分岐にあるサンドーラという喫茶店の前でお遍路さん(Bさん)が追いつかれた。遍路道を聞かれたので僕は、「旧道の方らしいですよ」と答えた。朝食をまだ摂ってなかったので、8:13店に入りモーニングを食べた。
 朝食後8:40出発。昨夜も歩いてきた道を戻り、メモ地図どおり松田川<写真4>を渡り、大井田病院(すごい名前!)で右折した。遍路道シールもその通りだった。さらに数百mで左折。ここにもシールがあった。そしてバスセンターや郵便局のある宿毛市街を通り抜け、ガソリンスタンドのある交差点で斜め方向に延びている遍路道を歩いた。

 貝塚橋を9:20渡ると松尾峠入口、宿毛貝塚の標識<写真5>があった。今回、別冊地図を持ってないので、遍路道シールや立て札を見つけながらの歩きとなった。そのためかえって迷わなかったのかも知れない。貝塚からは山に入るようなので一本道のはずだ。市街地で迷う心配はもうない。
 貝塚を通過し、宿毛市内が一望できる高台の家を過ぎると地道となった。カサカサ何か音がした。見ると長さ40cmほど色は黒っぽかった。ヘビのようだが種類はわからない。いよいよ登りかと思っていると道は下りとなり、山間の集落<写真6>に出た。集落を過ぎると再び道は狭くなり山道を越えるとまた広い谷間の集落に出た。ここでは牛が草を食む、のどかな風景<写真7>を垣間見た。

 さらにもう一つ小さな山を越え小川を渡るとアスファルトの車道と合流し、普段着姿のCさんと出会った。足が速い。先に行ってもらった。車道をしばらく歩き松尾坂番所跡の先は山道となった。地蔵堂<写真8>があるようなので10:25寄ってみると、さっきの方(Cさん)がおられた。      
山間の集落
<写真6 山間の集落>
のどかな風景
<写真7 のどかな風景>
地蔵堂
<写真8 地蔵堂>
松尾大師
<写真10 松尾大師>
松尾峠への遍路道
<写真9 松尾峠への遍路道>
国境の石柱
<写真11 国境の石柱>
 ★松尾峠から一本松町へ★

 Cさんは中村市の方で週1回程度、松尾大師(峠)に登られているということだった。四国を一周歩かれたことはないが宇和島までは歩かれたそうである。ヘビの話しもし、しばらくお堂内の椅子に座ってお話しをした。
 地蔵堂は最近できたそうで、「大深浦里人一同」で建てられたと看板にあった。またお堂内のお地蔵様にはよだれかけがいくつも掛けてあったり、新しい草花で飾られていた。Cさんからこの先はへびは出ないというお話を聞き、10:35先に出発した。ヘビは苦手である。

 松尾峠への遍路道<写真9>に引き返し、山道を登った。枯葉に覆われた緩やかな登りや木々の根っこが露出した幾分急な道のなか、ところどころ丸太の階段や石畳の道などもあった。
 しばらくでCさんが追いついて来られたので、先に行ってもらった。しばらく歩くと宿毛湾がよく見えるベンチがあり、Cさんは休憩されていた。軽い会釈をし先に行かせてもらった。Cさんはさりげない方である。

 11:15松尾大師<写真10>到着。トイレがあったので用を足しているとCさんが到着され、大師堂を開けておられた。週一回程度登って来られるのは大師堂を開けるためで、山中の大師堂をボランティアで管理されているようだった。このような地元の方のご厚意で四国遍路は成り立っていることがよくわかった。
 Cさんはお遍路さんが通過する午後3時頃までここにおられるそうで、「お遍路さんと話すのが好きなんです。」と本当にさりげなくおっしゃられた。

 大師堂の中は、桜の木が通っていた。そのせいでアリやたまには毛虫も出るそうだが、そこに元々あった桜の木を生かして大師堂を建てられた地元の方々には好感を持った。国境の石柱<写真11>を確認すると、”従是西伊豫國”と”従是東土佐國”、二つの古い石柱があった。
 土佐側から登って来る人がいた。よく見ると宿毛市街手前で出会ったBさんだった。Bさんは「宿毛市街で道を間違え、トンネルの方まで歩いてしまい、40分ほど時間をロスした。」とおっしゃた。先を急がれているようでそのまま峠を通過された。

 僕はCさんに勧められた純友城址展望台に行ってみることにした。竹の混じった林の中を10分足らずで櫓のある展望台に到着した。ここからは宿毛湾<写真12>が一望できた。今のところ遠望できたが南東の生暖かい風が吹いていた。午後からの天候の崩れを予感した。
宿毛湾
<写真12 宿毛湾>
伊豫の國へ
<写真13 伊豫の國へ>
緑豊かな遍路道
<写真14 緑豊かな遍路道>
余った苗
<写真15 余った苗>
遍路道立て札
<写真16 遍路道立て札>
 ★一本松町から観自在寺へ★

 展望台から戻り、12:00伊豫國(愛媛県)に入る<写真13>と、遍路道には木の柵があり傾斜も緩くやさしく感じた。緑豊かな遍路道<写真14>では、五月の新緑に負けじと越冬した緑も勢いづいていた。
 車道と合流し川が流れる谷に入ると田んぼが目立つようになった。田植え直後の田んぼでは綺麗に苗が並び、余った苗<写真15>は田んぼの隅に置かれていた。地図はほとんど見ないが、その分遍路道シールや遍路道立て札<写真16>を頼りに歩いた。

 13:10一本松の集落に出た。バス停<写真17>のベンチがいくつも並んでいた。昼食がまだなのでどこかでと思っていたが、見当たらなかった。バス道と国道を渡り、さらに旧道を歩いた。
 この先、食堂らしきところはなさそうなので、13:25自販機でCCレモンを購入しカロリーメイトで軽い昼食とした。食べているとついに雨が降ってきた。13:35出発前にレインウェアの上だけ着用した。下のズボンは撥水性が高いので多少雨は大丈夫である。このあたりの道は「四国のみち」と重なっている。四国のみちの標識と遍路道立て札が並んで立っているところもあった。

 しばらくアスファルトの道を行くと13:55旧赤坂街道(遍路道)の案内があったので、地道の坂を下った。距離で少し短縮できるようだ。
 川を渡って谷を越えまた雑木林の中に入った。そして高く伸びた竹藪<写真18>の間を通り抜け、国道を交差し旧道へ入り、最終的には国道に合流し国道に沿って歩いた。

 14:37城辺町に入りまた国道を別れた。田植え直後の田んぼ、しばらく経ち苗が生え揃った田んぼ、まだ田植えの済んでない田んぼ、いろいろだったが秋の収穫の時にはほぼ同じような生長をしているのだろう。
 僧都川のとよた橋前を15:00通過。毎年5月中旬ホタルが乱舞するらしい。見てみたいが叶いそうもない。川岸にはアヒル<写真19>がいた。堤防沿いにずっと城辺橋まで歩き、川を渡り町へ入った。
 15:40御荘町に入り、南宇和高校や役場前を通過。15:52観自在寺前に到着した。広い境内<写真20>の石畳は雨に濡れて光っていた。
 本堂<写真21>へ向かった。大勢の人がおられた。本堂傍のベンチでアサヒ健康ランドで出会ったAさんと再会した。どこで抜かれたのかな?と思っていると松尾峠で僕が展望台に行っている時に峠を通過したということだった。Aさんがここまで履いてきた靴は500円のものだったそうで、今日宿毛市内で1万円ほどの靴を買われたそうである。今日はこの周辺のビジネスホテルに泊まられる。
 Aさんと別れ大師堂へ向かった。賽銭箱の上に、三鈷杵(さんこしょ)<写真22>があった。そして本堂に戻り納経して頂いた。


     40観自在寺
一本松バス停
<写真17 一本松バス停>
赤坂遍路道の竹藪
<写真18 赤坂遍路道の竹藪>
僧都川のアヒル
<写真19 僧都川のアヒル>
観自在寺境内
<写真20 観自在寺境内>
三鈷杵
<写真22 三鈷杵>
観自在寺本堂
<写真21 観自在寺本堂>
御荘の海
<写真23 御荘の海>
・・・リゾートホテル内海へ 9.8km 計36.7km 累計641.7km・・・

 16:23観自在寺を出発。大師堂で見かけたザックを背負われた母娘も出発された。歩きか?と思ったが、バス停に向かわれた。
 16:31国道バイパスと合流。交通量の多い国道を歩いた。海<写真23>が見えた。晴れていれば御荘湾に架かるロープウェイのよく見えることだろうが、雨だった。歩くにつれひどくなってきたので17:08宇和島バス平山バス停<写真24>でレインウェアの下ズボンも履いた。今日の昼はカロリーメイトだけだったので素泊りの予約をしていたが二食付に変更してもらうため、宿に電話した。

 17:15出発。八百坂峠を通過した。地図がおおざっぱなのであとどのくらいかわからない。携帯に電話が入った。レインウェア下の上服ポケットに入っているので取り遅れた。着信番号は知らないものだった。歩いているとまた入った。取ってみると宿の方からで「車に迎えに向かっている」と言われた。ビックリして「えッ!」というと「社長に(迎えに行けと)言われたので・・・」とおっしゃた。雨の中、日暮れも近い遅い時刻なので気を利かせて頂いたのであろうが、「歩きたいので・・・」とお断りした。電話を切ってしばらくで後ろから宿の車が追いつかれた。
 室手を通過し18:45内海村入り。内海村の海<写真25>では何か養殖をされているようだ。辺りは薄暗くなってきた。もう少しのようだと思っているとホテルの立て看板が見え、19:00宿に到着した。

 びしょ濡れだったのでホテル玄関前<写真26>でレインウェアを脱ぎ水気を払ってから入った。フロントでチェックインしたあと料金を前払いし客室<写真27>に通された。
 まず金剛杖を清め床に立て掛けた。濡れているものを全部脱ぎ、着替えてから風呂に向かった。先客があった。「石鹸使っていいですか?」と話しかけると、今日サンドーラと松尾峠で出会ったBさんだった。
 Bさんは午後4時半にここに着いたということだった。40分のロスがあったばずなのに早い。年齢差を感じてしまった。
 風呂のあと洗濯物を処理しに入った。暗くてよくわからなかった洗剤がない。水洗いだけだが明日帰るので問題ない。洗濯機を回しそのあと食事に行った。食事場所は隣りのレストランだった。夕食<写真28>のあと雑誌を見ていると宿の方が古新聞を持ってきて下さった。濡れた靴を乾かすためだ。洗濯場に戻るとふたが開いていたのでエラーランプが灯っていた。ふたを閉め脱水をかけた。
 その間に館外にペットジュースを買いに行った。洗濯物は客室内で乾かした。久しぶりの本格的な雨で、明日はどうなることやらと思いながら「エンタの神様」を見て11:00過ぎ就寝した。


     リゾートホテル内海
平山バス停
<写真24 平山バス停>
内海村の海
<写真25 内海村の海>
リゾートホテル内海
<写真26 リゾートホテル内海>
客室
<写真27 客室>
夕食
<写真28 夕食>
2004.5.15(土)の会計 金額
アサヒ健康ランド追徴 500円
 サンドーラ モーニング 400円
納経料2寺 600円
CCレモン 110円
ペット茶 150円
コーラ、缶コーヒー 220円
リゾートホテル内海
1泊2食
6000円
キリンレモン 150円
8130円
合計 28490円
☆ 23日目のページに戻る ☆ ★ 25日目のページに進む click ! ★

2004年5月31日 記


           
お遍路記録へ戻る TOPへ戻る