月山神社

2004年3月21日(日) 22日目
民宿叶崎
<写真1 民宿叶崎>
・・・月山神社へ 8.3km・・・

 ★大津集落から叶崎へ★

 翌3月21日、朝5:40起床。民宿奥の部屋からの物音で目が覚めた。釣りの方々が出発の用意をされているようだった。外はまだ薄暗かった。
 昨夜のうちに用意して頂いた朝食おにぎりのパックを開けると海苔を巻いたおにぎりが4つと、きな粉のおはぎが1つ、それに漬け物が入っていた。布団を上げ着替えてからおにぎり一つを食べた。
 民宿の方も起きておられる様子だったが、納札を枕の上に置き6:05、民宿叶崎<写真1>を出発した。

 昨日夕方、大津集落でたくさんの猫を見かけたが、今朝は見なかった。そのかわり国道に通じる道の途中に犬がいた。犬は近づいてくる僕を吠えたが、僕は犬と目を合わさないように無視した。犬は僕が近づくにつれ激しく吠えたが、犬はその場から動けない様子。それ以上のことはなかった。なんとか犬の脇を無事通過し、犬から遠ざかるにつれ吠えは収まった。

 新しい橋の国道に合流すると叶崎<写真2>が見えた。国道の先には叶崎トンネルがあり、その手前に叶崎灯台への遊歩道(旧道)があった。岬と灯台は見たかったので左折し遊歩道に入った。歩いていると白い仔犬が二匹しっぽを振ってこちらへやってきた。写真に収めようと首から下げたカメラを白衣から取り出すと、また犬の吠え声がした。仔犬たちはその犬の方へ走り行った。
 どうやら親犬のようだ。僕は、またもけたたましく吠えられた。カメラを胸元にしまい犬たちを無視した。犬は僕に向かって吠えながらもその場を動かなかった。
 灯台へは犬たちがいる手前で左に曲るので、犬たちの脇を通過するのを回避できた。しかし、灯台から戻ったとき進行方向の先に犬がいるので、その時は遠回りしようと思った。犬は苦手である。

 叶崎灯台<写真3>に6:16到着。広い芝生の上に立つ白い(これは当たり前か?)灯台で、照明灯が回転していた。岬の突端<写真4>に向かって歩いた。白いロープが固定してあり、両側、断崖絶壁だった。ここで犬たちに迫られるとちょっとヤバい所だったが、追っ手は来なかった。
 晴れていれば、きっといい眺めなのだろうが、早朝で雲が厚く空と海の境がはっきりしなかった。
叶崎へ
<写真2 叶崎へ>
叶崎灯台
<写真3 叶崎灯台>
岬の突端
<写真4 岬の突端>
小才角漁港
<写真5 小才角漁港>
 ★叶崎から月山神社へ★

 岬と灯台をあとに遊歩道に戻った。犬たちはもはやいなかったので、遠回りをせず真っ直ぐ西に進むことができた。曇り空から雨がちらほら降ってきたが、まだレインウェアを着用するまでもなかった。
 脇ノ川トンネル通過し、6:47大月町に入った。通算19日目に土佐清水市に入って以来ずっと歩いてきた土佐清水市がようやく終わった。
 大月町に入ってすぐ小才角(こさいつの)漁港<写真5>を通過。激しくはないもののずっと降り続いている雨で、道はまだらに黒くなってきた。
 7:15国道321号と月山神社との分岐である松崎<写真6>に到着。雨がいよいよひどくなってきたので、バス待合所に入ってレインウェアを着用した。


 松崎で分岐した遍路道は国道から離れた。そして廃業して売りに出されているホテルや神社の横を通過し、7:33大浦漁港に到着した。日曜日の早朝にもかかわらず漁から戻って来られたようで、僕のものと同じような青いレインウェアを着用された方が投網を干されていた。
 遍路道は大浦漁港を過ぎると海から離れ山に入った。電灯も電線もない、車も通らない、家もない、人もいない道をただただ歩いた。しかし、このような人口密度のかなり小さい山の中にも畑<写真7>があり作付けされていた。北海道なら原野だろう。


 雨はさらにひどくなりアスファルトの道は黒く光り出した。そして海が見えてきて<写真8>道なりに右へ回り込むと、朴崎休憩所があった。
 休憩所を過ぎると再び山の中へ入った。しばらく何もない道を歩いていると、8:15その先に突然民家が見え、さらに赤い鳥居も見えた。そこが月山(つきやま)神社だった。


   月山神社
      
松崎分岐
<写真6 松崎分岐>
大浦の畑
<写真7 大浦の畑>
朴崎休憩所付近
<写真8 朴崎休憩所付近>
月山神社休憩所
<写真10 月山神社休憩所>
月山神社本殿
<写真9 月山神社本殿>
月山神社大師堂
<写真11 月山神社大師堂>
・・・宿毛駅へ 24.0km 計32.3km 累計597.5km・・・

 ★月山神社から幡多郷ヘンロ小屋へ★

 月山神社本殿<写真9>は民家の隣りにあった。本殿と月の形をした御神体(本物ではない。)<写真10>を参拝したあと、大師堂<写真11>をお参りし読経した。

 『当時、僕は道路脇の月形の石<写真10>が御神体だと、思っていましたが、本物の御神体は、本殿奥の階段の上にあるそうである。詳しくは、「宿&居酒屋 幡多郷」のページをご参照下さい。』

 月山神社については、四国のみちの看板に紹介してあったので、引用させて頂く。
 ”当神社は、もと守月山月光院南照寺と称せられ、神仏混合の霊場であったが、明治元年に月山神社と改称され、現在に至っています。
 月山の名は、神社の御神体が月形の石であり、月夜見尊を奉斎したことにより起こったと伝えられています。
 サンゴの名産地で知られた大月一帯の護り神として、また、四国八十八カ所番外札所として、今も参詣する人が絶えません。”

 お参りのあと、おにぎりを二つ頂き、8:40月山神社を出発した。一部未舗装の砂利道を過ぎ、さらに歩くと民家があった。道はそこで二股に分岐していた。別冊地図で確認し、あたりを見回すと電柱に貼られていた遍路道シールを見つけた。僕はシールに従い右の山へと向かった。
 別冊地図によると標高200mほどの山を越えるようで確かに道は上っていた。道は舗装されていたが民家はなかった。しかし、ポンカンの木やビニール栽培の畑があり人の存在を感じさせた。車道は曲がりくねっていたが、Uの字の両端を結ぶようにショートカットして歩いたり、山桜<写真12>を見たりしながら山を越え、9:58国道321号と合流した。

 10:02姫ノ井小学校<写真13>前を通過した。この日、姫ノ井小学校で消火訓練があるらしく、町内放送でしきりに参加を呼びかけられていた。
 国道321号をさらに北へ進んだ。国道321号線は、足摺サニーロードともいわれる。これは南の太陽の道ということと、321(サニー)の掛詞のようである。
 サニーロード沿いには、菜の花<写真14>が綺麗に咲いていた。道の駅大月、そして郵便局・役場を過ぎると様々な商店が立ち並ぶ大月町の中心街へ入った。いつも間にか交通量も増えていた。
山中の桜
<写真12 山中の桜>
姫ノ井小学校
<写真13 姫ノ井小学校>
菜の花
<写真14 菜の花>
幡多郷ヘンロ小屋
<写真15 幡多郷ヘンロ小屋>
 ★幡多郷ヘンロ小屋から宿毛駅へ、そして帰路★

 幡多郷(はたご)のヘンロ小屋<写真15>に11:47に到着した。お店の方で昼食を頂こうと思っていたが、当日夕方からのようで準備中だった。
 ヘンロ小屋は竹が組まれたもので、中には木製のベンチも用意されていた。掃除が行き届いていてゆっくり休むことができたので、残りのおにぎりとおばぎ(各1個ずつ)を食べながら休憩した。


 朝から降り続いていた雨はほぼ上がったようだが、用心のためレインウェアはそのままで幡多郷ヘンロ小屋を12:03出発した。小高い丘を越え、12:40宿毛市に入ると再び海が見えた。どうやら雨の心配はなくなったようなので、13:15伊与野川を渡った先のバス待合所でレインウェアを脱いだ。
 バス待合所を13:26出発。沿道の桜<写真16>が綺麗だ。湊浦漁港を通過し、14:10道の駅すくもに到着。何軒か並んでいる店のうち「木のもの」に入り、たこやきとおでん3つを食べ、そのあと海<写真17>を見に行った。
 このあたりでは、太陽が南寄りの水平線に沈む冬至の頃は、水平線に接した太陽の裾が広がった形になる「だるま太陽」がよく見えるらしい。


 14:40道の駅すくもを出発し、松田川橋<写真18>を15:00に渡り、15:10宿毛駅に到着した。上り列車は、50分後の16:00発の普通だったので、宿毛から京都市内までの乗車券、中村から岡山までの乗継特急券、岡山から新大阪までの新幹線特急券を購入したあと、駅待合所でソフトクリーム・羊羹・缶コーヒ・ペット茶を飲み食いした。
 改札時刻になったので、改札を通り階段を上がり、駅の二階ホームに上がった。入線していた一両編成の土佐くろしお鉄道<写真19>のヘッドマークは「だるま太陽」だった。
 中村駅で特急南風号に乗り換えた。特急南風号は年末、土砂災害のあったところ<写真20>は徐行運転していた。
 結局5本の列車を乗り継いでJR宇治駅に到着したのは23:20だった。


     宿毛駅
沿道の桜
<写真16 沿道の桜>
「道の駅すくも」の海
<写真17 「道の駅すくも」の海>
松田川橋
<写真18 松田川橋>
土砂災害現場通過
<写真20 土砂災害現場通過>
土佐くろしお鉄道
<写真19 土佐くろしお鉄道>
2004.3.21(日)の会計 金額
道の駅すくも
たこ焼き、おでん
540円
ソフトクリーム 150円
ペット茶 150円
羊羹 150円
缶コーヒー 120円
JR乗車券中村→
京都市内→宇治
9330円
乗継自由席特急券
中村→岡山
1550円
新幹線自由席特急券
岡山→新大阪
2410円
14400円
合計 26558円
累計 305231円
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2004年4月4日 記


           
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