竜串海岸

2004年3月20日(土) 21日目
二等客室
<写真1 二等客室>
 ★大阪高知特急フェリーにて四国入り★

 3月19日(金)宇治の自宅を18:35に出発。京阪電車で淀屋橋へ、そして大阪市地下鉄御堂筋線・四つ橋線で住之江公園を経て、南港ポートタウン線でフェリーターミナル駅に20:35到着した。
 高知行きの切符発売窓口は長蛇の列だったが、あしずり行きの窓口は人がいなかった。大阪高知特急フェリーのあしずり航路は4月8日を以て休止となる。前回お遍路の帰り、春一番の影響であしずり港からのフェリーに乗り損ねたことや、足摺岬や灯台を海から見てみたかったことから、急に思い立ち乗船した。この週のチャンスに乗船しなくてはこの先、多分乗れないのだ。


 今回の船も年末に乗船した「ニューかつら」であった。乗船後、二等客室<写真1>に向かった。年末の時は閑散としていたが今回は混んでいた。客室カーペット区画の角地はもちろん、壁に沿った”一等地”は既に確保されていた。
 僕は通路に面した適当なところに場所を占めた。出航時刻が近づくにつれ乗客はさらに増えていった。カーペット敷きの場所は荷物を置かれているせいもあるが、新たな人が入り込める余地はなくなっていた。
 居場所を探されている人もいるなか、船はいつの間にか出航し、毛布貸し出しのアナウンスがあった。船内は充分暖かかったが、場所取りのこともあるので列に並んだ。これだけの混雑なのでゆっくり風呂に入ろうという気にならず、貸毛布を敷き本を読んだり、デッキに出て風に当ったりした。


 午後11時になり消灯となった。が、真っ暗という訳ではなく、読書できそうなほど明るい。僕は、明日のことを考え目を瞑った。
 ところが、壁際の集団(50代?男性、30代?男性、20代?女性3人)は車座になってしゃべり続けていた。ビールも入っている。50代男性が話しの中心のようだ。30代男性が朝までつきあいますよと笑いながら言った。他の区画で車座になって騒いでいるところはなかったので、区画内の責任を感じてしまい、「11時を過ぎているんでお話やめて頂けませんか?」というと、静かになった。


 すぐに眠れたわけではないがいつしか眠り、乗客の物音で目を覚ますと朝5時を過ぎていた。外の様子を見に二等客室から出ると、乗客の何グループかは通路や階上のフリースペースで貸毛布を敷き寝ておられた。
 フェリーは浦戸大橋をくぐり定刻の6:30高知港に入港した。ここでほとんどの乗客が下船された。昨夜注文しておいた「朝食弁当」が出来たとのアナウンスがあったのでチケットと引き換えに行き、ガランとした客室<写真2>内で食べた。


 7:30高知港を出航。左舷には種崎岸壁と浦戸大橋<写真3>が、右舷には桂浜の龍馬像<写真4>が見えた。
 あしずり港到着までのおよそ4時間。僕は客室に戻り読書したり、ホエールウォッチングに外に出たりした。右手には陸が見えるので意外と陸から近いところを進んでいる。外洋の左手を目を凝らして観察したが、くじらを見ることはできなかった。


 足摺岬<写真5、6>が近づいてきた。大岐海岸の白い大きなホテルもよく見えた。灯台はかなり遠くからでも確認できた。が、金剛福寺の多宝塔はわからなかった。
 岬に近づくと船のまわりに白い波頭が目立ち始めた。こんなところに岩礁があるわけないと思っていると何か跳ねた。どうやらイルカのようだ。船のまわりを追うようにしばらく併走していた。船はイルカにとって大きな物体のはずだ。怖くないのだろうか?
 あとから聞くとこの時のイルカは全部で30頭ほどの群れだったらしい。
ガランとした客室
<写真2 ガランとした客室>
種崎岸壁と浦戸大橋
<写真3 種崎岸壁と浦戸大橋>
桂浜龍馬像
<写真4 桂浜龍馬像>
デッキより足摺岬
<写真5 デッキより足摺岬>
足摺岬
<写真6 足摺岬>
あしずり港入港
<写真7 あしずり港入港>
・・・竜串海岸へ 8.0km ・・・

 ★土佐清水港から竜串海岸へ★

 フェリーはほぼ定刻の11:50あしずり港<写真7>に入港した。40人ほどの乗客は、車両甲板から降りた。ここまで運ばれてきた車両はワゴン車が一台だけだった。12:03あしずり港をあとに歩き出した。フェリーニューかつら<写真8>は車両積載のためのゲートを開けているが、フェリーに入って行く車も待機している車も見当たらない。航路休止になるのもやむを得ないだろう。


 国道321号線に出て、三叉路<写真9>を西に向かった。養老小学校脇の桜はちらほら咲きだった。
 落窪海岸<写真10>に出た。このあたりの海岸は、1946(昭和21)年の南海道地震によって地盤が隆起し、かつての平らな海底(海食台)が海面上にあらわれたものである。このような海岸地形はここだけでなく、高知県の南海岸では至る所に見られる。
 またここでは波の化石である化石漣痕(かせきれんこん)も見られる。漣痕とはかつての波静かな海底に波や水流の影響で漣(さざなみ)の凸凹ができ、そこに土砂が堆積して、地層面に漣(さざなみ)の痕が残されたものだ。ただし、当時の水平な地層面は、後の地殻変動により傾斜してしまっている。


 12:34水鳥橋を渡り海岸から離れた。道沿いに良心市<写真11>があった。今回は荷物も少なく、今日はあまり歩かないのでポンカン一袋を購入した。袋にはポンカンが14個入っていた。


 最近できたらしい下ノ加江への分岐を過ぎ、13:08上野(三原村)方面への分岐に到着した。バス停留所の両脇に何軒もの良心市が軒を連ねていた。
 13:30道の駅「めじかの里」到着。ここで昼食とし、総合案内所のうどんそば処でなべ焼きうどん<写真12>を注文した。


 昼食後13:57出発。商店や郵便局のある三崎を通過し、14:12三崎川の竜串橋を渡り、広い駐車場のある竜串案内所に14:18到着した。休日なのに誰もいないし車もない。
 僕は駐車場の車止めブロックに腰掛け、今夜宿泊予定である叶崎の民宿に電話した。二軒あるうち民宿叶崎に電話してみると、今日は釣り客が他に二人おられ、部屋は空いていた。
 夕食も何でもいいからとお願いし、宿と夕食は確保できた。駐車場の端の方にお土産物屋<写真13>があった。店には色とりどりの珊瑚や貝の置物や装飾品が置いてあった。お土産物屋のおばさんと話した。今の時期は週末でも人はあまり来られないらしい。僕はおばさんに道を尋ね、竜串海岸に向かった。
      
フェリーニューかつら
<写真8 フェリーニューかつら>
三叉路
<写真9 三叉路>
落窪海岸
<写真10 落窪海岸>
良心市
<写真11 良心市>
竜串お土産物屋
<写真13 竜串お土産物屋>
なべ焼きうどん
<写真12 なべ焼きうどん>
竜串海岸入口
<写真14 竜串海岸入口>
 ★竜串海岸にて★

<写真14 竜串海岸入口>

 ”この海岸は3千万年〜6千万年前の砂岩からなる海食台地で、浸食によってできた怪岩奇岩が続いています。
 特に見残し海岸では、この地域独特の蜂の巣のように蝕された奇岩が連続しておりその景観は自然の芸術といわれています。一方、竜串海岸では、節理の発達した奇岩が競うようにせり出していて、その上を歩くとまるで恐竜の背骨を歩いているように感じます。
 岩の形によって名前がつけられていますが、それは見残しとは、また違ったユーモアがあります。”

    竜串海岸駐車場の案内板より引用しました。
大竹小竹
<写真15 大竹小竹>
<写真15 大竹小竹>

 海底に泥と砂レキが交互に堆積して形成された砂泥互層のうち、軟らかく浸食されやすい泥岩層が浸食され、硬く浸食されにくい砂岩層は残る。
 厚い砂岩層のうち比較的厚い層は「大竹」となり、薄い層は「小竹」となる。
サンゴと貝殻
<写真16 サンゴと貝殻>
<写真16 サンゴと貝殻>

 波のはたらきでサンゴや貝殻などが、波打ち際などに寄せ集められ豊富に見られた。
 特に綺麗なものはお土産物として店先に並ぶが、ごく中程度のものなら、いくらでも見つけることができた。
蛙千匹
<写真17 蛙千匹>
<写真17 蛙千匹>

 軟らかい泥の海底に様々な海の生物が、穴を掘って巣としていた。そこに洪水など時、砂レキが堆積すると、海の生物の巣穴を砂レキが埋めることになる。
 砂レキは泥と比べて硬く浸食に強いので、泥岩の表面に出っ張りとして残される。
 また巣穴は下に向かって形成されるので、この地層は逆転したことになる。
 蛙千匹とは、この砂レキの出っ張りがちょうどカエルの座る?姿に似ていることから名付けられた。
兜岩
<写真18 兜岩>
<写真18 兜岩>

 団塊(ノジュール)が、人の顔またはお面のように見えることから兜岩(かぶといわ)と名付けられた。
 このあたりで見られる団塊(ノジュール)は、赤褐色球状の異質岩体で、堆積物の中の化石や砂粒などが核になり、粘着性の高い化学成分が濃集してできたと考えられます。赤い色をしているのは鉄成分の影響と思われます。
座頭の昼寝石
<写真19 座頭の昼寝石>
<写真19 座頭の昼寝石>

 これも泥岩に比べて、硬い砂レキ層が浸食されず残ったものであるが、何という偶然か?丸いノジュールが並んでいるので、横向きに寝ている人の姿に見えます。
鯉の滝のぼり
<写真20 鯉の滝のぼり>
<写真20 鯉の滝のぼり>

 千畳敷の方に向かわず階段を少し上るとこの奇岩に出会える。これも硬い砂岩が浸食に耐え、このような形を残したのだろう。
千畳敷
<写真21 千畳敷>
<写真21 千畳敷>

 かつての平らな海底である海食台が隆起し、広く平らな地形を形成した。しかし、どう見ても畳は千枚敷ける広さはなく、せいぜい200枚ぐらいか?
・・・大津集落へ 8.7km 合計16.7km 累計565.2km・・・

 ★竜串海岸から大津、民宿叶崎へ★

 竜串海岸から「夢の浮橋」を最後に15:00桜浜に出た。すぐ国道と合流することもできたが、桜浜<写真22>を海中展望塔の方に向かって歩いた。この砂浜にも竜串海岸の大竹小竹のような砂岩があった。
 ちょうど見残し海岸から戻ってきたグラスボートが到着したところで、僕の姿を見て「ずっと歩いているのえらいわねぇ」と言われた。「えらい」つもりは全くないが、人が見ると「えらく」見えるらしい。

 爪白キャンプ場通過。ここには緑の芝生の片隅にオレンジ色の山行用アライテントが一張りとゴルフクラブを振っておられる方が一人おられるだけだった。また道路沿いに赤い実をつけた樹木<写真23>があった。何という樹木だろうか?
 15:30下川口トンネルをくぐり、宿毛への県道と別れた。15:56片粕トンネルに入った。片粕トンネルは1km近い長いトンネルだった。片粕トンネルを出る<写真24>と次に歯朶ノ浦トンネルに入った。このあたりトンネルは連続した。車はほとんど通らない。トンネル内で金剛杖をつく音が、こだました。

 貝ノ川川を渡ると商店があった。ここで塩あめとドリンクを購入。レジの方は、「明日は雨が降りそうね。」とおっしゃられ、ついこの間は12人ほど通過し、今日は朝から2人通った、と話された。
 商店を出発し、16:42貝ノ川中学前を通過し、貝ノ川トンネルに入った。トンネルを出たところで野鳥<写真25>を見た。スズメより少し大きいぐらいで背は青く、腹は赤い。何という鳥だろう?

 歩修さんよりメールにて、写真25の野鳥は、「イソヒヨドリ」であろうと教えて頂きました。ありがとうございます。(2005.1.30追記)


 大津集落前で道は三つに別れていた。右の道は大津の集落へ。真ん中の道は古い橋へ。左の道は新しい橋へだった。宿に電話して場所を確かめようかとも思ったが、大津の民宿なので右の集落への道を選んだ。民宿宮本はあったが民宿叶崎の方は見当たらない。それどころか誰一人見かけない。立ち止まっていると軽自動車が来た。手をあげて停まって頂き道を尋ねた。が、ご存じなかった。
 民家の玄関からおじいさんが出てこられた。民宿叶崎を尋ねると、古い方の橋を行くと看板があるのですぐわかると教えて頂いた。少し戻り古い方の橋を歩いた。橋の上からは大津集落<写真26>がよく見え、民宿叶崎も確認できた。

 17:06民宿叶崎到着。88ケ寺お姿の額が飾られている部屋<写真27>に通された。別冊地図には載ってない宿である。風呂に入れと言われた。着替えて洗濯物を持って行くと洗濯しておくと言われた。お言葉に甘えた。
 風呂から上がり部屋で洗濯物を干したりしていると夕食の準備ができたとおっしゃられた。降りてみると玄関先に卓袱台<写真28>が置かれ、おかずが並んでいた。電話では「何もない」とおっしゃられたが、そんなことはなく僕には十分な夕食であった。
 食べていると「田舎寿司ですが・・・」と言われ、ちらし寿司を持って来られた。酢がよく利いていて疲れた体にはとてもおいしかった。
 夕食後、「明日は早く発ちたいのでお宿代を払いたいのですが、」というと、「いつもは5500円もらっているけど明日の朝食はいらないのだから4500円」といわれた。「おにぎりを用意して頂きますし、普通に払います。」と言っても、5500円受け取られないどころか、5000円札出したところ1000円のお釣りを頂き、結局4000円で泊めて頂いた。

 夕食後、部屋に戻ると布団が敷いてあった。布団に転がり、今日撮影した写真を見たり一日の記録整理をしたりした。部屋では携帯電話が圏外だったので、外に出て自HPの掲示板に投稿した。部屋に戻ってみると明日のおにぎりが置いてあった。
 読書しているとすぐ眠たくなった。昨夜は熟睡できていないので当然だ。午後9時には電灯を消し、眠りについた。

   民宿叶崎
桜浜と海中展望塔
<写真22 桜浜と海中展望塔>
赤い実をつけた樹木
<写真23 赤い実をつけた樹木>
片粕トンネルと歯朶ノ浦トンネル
<写真24 片粕トンネルと歯朶ノ浦トンネル>
野鳥
<写真25 野鳥>
大津集落
<写真26 大津集落>
卓袱台で夕食
<写真28 卓袱台で夕食>
民宿叶崎の客室
<写真27 民宿叶崎の客室>
2004.3.19(金)の会計 金額 2004.3.20(土)の会計 金額
京阪 宇治→淀屋橋 400円 缶コーヒー 150円
大阪市地下鉄
淀屋橋→フェリーターミナル
310円 良心市ポンカン 100円
大阪高知特急フェリー
大阪南港→あしずり港
4900円 昼食なべ焼きうどん 650円
貸毛布 50円 ドリンク 315円
ポテトチップス 150円 塩あめ 153円
ペット茶・缶コーラ 330円 民宿叶崎1泊2食 4000円
朝食弁当 650円 5368円
6790円 合計 12158円
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2004年3月28日 記


           
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