足摺岬へ

2004年2月14日(土) 19日目
下田の町
<写真1 下田の町>
・・・足摺岬へ 39.3km 累計530.0km・・・

 ★下田から渡し船にて初崎へ★

 翌2月14日(土)朝6:30起床。すぐに出発できるようにザックを準備したあと、6:50朝食を摂りにレストランに向かった。朝からたくさんのメニューだった。朝食後、ザックを部屋に取りに戻り、チェックアウトした後、7:20歩き始めた。

 今日はまず下田港から渡し船に乗る。この船は一日に5便しかないので乗り損ねてしまうとあとの予定が大幅に狂ってくる。昨夜、フロントの方に下田港への地図を書いてもらっていたので、その地図を頼りに下田港に向かった。
 ホテルは高台にあるので道路から下田の町<写真1>が見下ろせた。そして、公園内のアスレチック施設の中を下り、住宅街に入った。

 渡し場<写真2>には7:40に到着した。渡し船は8:00発であるが、他に船を待っておられる人も船を運転される方も誰もおられなかった。
 船に乗りたいことを告げねばならないのかも?と思い、携帯で電話している最中におじさんが来られ、渡し船は7:50僕一人を乗せて出発した。
 船は13人乗りであるが、そんなに乗れそうに見えない。僕は100円の運賃を備え付けのプラスチックの箱に入れ、木製の椅子に腰かけた。
 船は四万十川河口を渡った<写真3>。大きな川の河口だから、さすがに対岸は遠い。川の流れはほとんどなく、清流という感じはあまりしなかった。

 対岸の初崎に7:58到着。おじさんは、「行け」と手で合図され、行き先も指で示して下さったので、僕は船から飛び降り、渡し船を見送った<写真4>。      
渡し場
<写真2 渡し場>
四万十川河口を渡る
<写真3 四万十川河口を渡る>
渡し船を見送る
<写真4 渡し船を見送る>
 ★初崎から今大師を経て久百々へ★

 河口付近には、釣りをされている方が何人かおられた。何が釣れるのだろう。川のものか?海のものか?気になったので浜に降り、水をすくってなめてみた。塩辛かった。
 近くで水を汲んでおられたおばさんによると、「今は、潮が満ちてくるから辛い。引くときは少し辛い。」とおしゃられた。

 初崎からの道路はトラックがよく通った。何か工事をしているようだった。赤い水門が見えてきた。別冊地図によると水門で右折し川を渡るようだが、歩いてきた道路は真っ直ぐ続いており、その方が近そうだった。
 後ろから自転車の荷台に薪を積んで運んでおられるおじさんが来られたので道を聞いてみたところ、やはりこの道を真っ直ぐで国道と合流できるようだった。しばらくご一緒して頂き、「あの橋を渡ったら青いトタン屋根のところで左に曲がれ。」と教えて頂いた。

 距離短縮でき、8:38津蔵渕合流点で国道と交差した。遍路道沿いのところどころで青海苔<写真5>が干されていた。津蔵渕川に沿う谷を遡り、伊豆田トンネル手前の今大師<写真6>に9:15到着した。お堂でお参りしたあとトイレを借り、9:24出発した。
 今日は、昨日と比べて風が強いが、1620mの長い伊豆田トンネルの間、少しは、ましだった。トンネルを抜けたあと市野瀬川の伊豆田橋を渡った。ドライブイン水車の隣にいい休憩所があったので9:58休憩し、パンを食べた。トラックや乗用車などかなりの交通量だった。

 休憩所を10:10出発。広い谷沿いを南下した。10:48市野瀬川を渡り、途中から旧道に入った。11:16旅館安宿の前を通り、下ノ加江川を渡った。
 橋を渡った先は三叉路になっていて、右・延光寺と左・金剛福寺、そして歩いてきた道・岩本寺との道しるべ<写真7>があった。
 僕は金剛福寺へ向かって左へ向かい、再び海に出た。

 このあたり海に向かって断崖となっているので、結構高いところを道はつながっており、逆風はさらに勢いを増した。
 国道沿いの製造直販店店頭でスルメイカ<写真8>が回転していた。早く乾燥させるためだろうが、今日に限ってはまわす必要がないように思われた。
 久百々集落の手前で崖崩れの道路復旧工事<写真9>をされていた。広範囲の崖が崩壊していた。一時は通行止だったらしいが、この時は片側通行となっていた。
 時刻は12:04。お昼休みなのだろう。重機が止まった。      
青海苔干し
<写真5 青海苔干し>
今大師堂
<写真6 今大師堂>
下ノ加江分岐
<写真7 下ノ加江三分岐>
道路復旧工事
<写真9 道路復旧工事>
まわるスルメイカ
<写真8 まわるスルメイカ>
椿
<写真10 椿>
 ★久百々から大岐海岸を経て幡陽へ★

 民宿久百々の先で良心市の看板があった。無農薬のポンカンが10個ほど透明袋に入れられ、100円で無人販売されていた。僕の自宅周辺のスーパーでは1個100円ぐらいだったから、1/10の価格だ。一つ二つなら欲しいところだが、10個は要らない。

 別冊地図によると、このあたりに国道から別れた遍路道があるようだが、国道のほうを歩いてしまった。しばらく歩くと別冊地図通り、遍路道と国道の分岐に出たので、今度は遍路道に入った。遍路道は意外と山道で、途中の椿<写真10>が綺麗だった。

 遍路道は国道と合流し、12:50大岐マリンに到着した。お腹も空いてきたのでここで昼食とすることにした。海水浴やサーフィン関係の品物が並んでおり、サーファー主体の店らしかった。
 実際、店内には二人のサーファーがおられ、食事をされていた。今日は風は強くてサーフィンには適さないらしい。かかってきた電話でも店の方はそう話されていた。
 僕はスタミナどんぶりを食べた。ご飯の上にキムチ、その上にカルビが乗っていて、サーフィンをしているようだった。味もおいしかった。

 大岐マリンを13:25に出発。大岐海岸<写真11>のはまみちに向かった。海に流れ込む川には簡素な橋が架けられいた。僕はそれを渡った。
 凄い風が吹いていた。逆風の中、砂が舞い上がるはまみちを歩いた。向こうから白装束のお遍路さんがやって来られた。今回のお遍路で初めて出会うお遍路さんだ。「こんにちは!」と互いに挨拶し、別れ際に「もっときれいなとこありますよ。どうぞ楽しんでいって下さい。」とおっしゃられた。
 この方、今日は38番から旅館安宿まで歩かれるということだった。

 浜の中に遍路道立て札<写真12>があった。このあたり靴を脱いで川を渡る場合もあるようだが、川の水は干上がっていた。
 立て札の方向に進むと一枚岩を越えるような矢印があった。「えらいとこやなぁ。」と思いながら、その通り進むと崖を登り、車道に出た<写真13>。
 さらに歩くと国道と合流し幡陽小学校前を通過した。途中、何と桜<写真14>が咲いていた。
大岐海岸へ
<写真11 大岐海岸へ>
浜の中の遍路札
<写真12 浜の中の遍路札>
崖を登り車道へ
<写真13 崖を登り車道へ>
桜
<写真14 桜>
 ★幡陽から以布利を経て窪津へ★

 さらに国道を南下し、民宿旅路・民宿星空前を通過した。そして14:20石碑の所で左折し遍路道に入った。遍路道は民家脇を細くつながっていたが、しばらくで車道に出、それを左へ下った。
 すると海に出て、以布利港を通り過ぎ、海岸づたい<写真15>に歩いた。この先、断崖になっているなと思っていると、遍路道札は山へと続いていた。


 その後一旦車道と合流したが、しばらくで別れ山道を下った。別冊地図を見ると確かにそれらしきところがあった。車道と比べて距離短縮となるが、その分、結構下り、その分、登った。
 道沿い、文旦<写真16>がその実を落としていた。


 さらに歩くと15:12広い車道に出た。「以布利3.3km、窪津1.9km」とある。以布利港から30分ほどしか歩いてないので、車道と比べてかなり距離短縮したようだ。
 また歩いた。風は相変わらず強い。振り返ると大岐海岸<写真17>の白い大きな建物(ホテル)が見えた。
 大岐海岸からここまでの間、砂浜や崖登り、狭い車道や国道、民家の脇道に漁港の道、海岸づたいや山道、谷越えと変化に富んだ道が続いていてとてもおもしろく楽しめた。”歩きならでは”の道だった。


 このあとも断崖が続き、海岸線より高いところの道路を南下した。そして、かつお工場前を15:40通過。かつお<写真18>が高く並べ積まれていた。
 15:45窪津到着。足摺岬10km<写真19>の道路標識があった。自販機とベンチがあったので、ジュースを購入し、ベンチに座ってパンとジュースを補給した。
 しばらく座っていたが、人は見かけず、道路は車2台と自転車1台しか通らなかった。静かな町だった。           
海岸づたいに
<写真15 海岸づたいに>
文旦
<写真16 文旦>
大岐海岸を振り返る
<写真17 大岐海岸を振り返る>
足摺岬まであと10km
<写真19 足摺岬まであと10km>
かつお
<写真18 かつお>
三つの石碑
<写真20 三つの石碑>
 ★窪津から津呂を経て足摺岬へ★

 窪津のベンチを15:55に出発。窪津川を渡ると、おじさんがおられた。手招きされたので右折し、階段状の遍路道へ向かった。何度か階段を折り返しながら高度が上がると窪津の町がよく見えた。
 階段を上りきったところに石碑が三つ<写真20>あった。おじさんは僕に「これから先(春)、遍路道は通られん。」とおっしゃられた。「どうしてですか?」と訊くと、「マムシが出よるけん。」と言われた。
 窪津小学校前を16:17に通過し、津呂へ向かった。県道はところどころ工事中で、正三角形の折れ曲がる二辺を一辺で行けるような短縮ルートを作っておられた。

 津呂集落に入ってすぐのところにへんろ小屋<写真21>があった。地元の方がお接待で管理されていて宿泊もできるようだ。僕も休ませて頂いた。
 17:02へんろ小屋を出発すると小学生から挨拶された。「この近くに大きい犬がいるんで、まあ、吠えないので見ていって下さい。」と彼は言った。
 このあたりの道はずっと、県道と遍路道<写真22>を選ぶことができた。概して県道は平坦だが距離が長く、遍路道はアップダウンがあるが、距離は短い。(必ずしもそうではない所のあったが)
 小学生と別れてから遍路道の方を歩いたからか、彼の言う大きな犬には出会えなかった。

 午後5時半をまわるとあたりは暗くなり始めた<写真23>。県道を歩いているとそう思わないが、遍路道では暗く感じた。午後5時半以降は県道を歩くことにした。旅窓で予約しておいた宿は、午後6時到着予定としていたが、午後6時に着けそうもないので、電話しようとしたが、圏外だった。
 しばらく歩くとアンテナが一本立ったので歩きを止めて宿に電話し、到着が6時半は過ぎることを伝えた。電話しているとき現在地を聞かれたが、津呂という地名をとっさに思い出せなかったので窪津を過ぎたところですというと、「あぁ、それなら15分ほどで着きますよ。」と言われた。
 ホテルの方はてっきり車だと思っているようだった。18:20暗くなったのでヘッドランプを灯した。そこにはちょうど歩き遍路道の下り階段<写真24>があった。暗かったので少し躊躇したが、ヘッドランプを頼りに下り車道と合流。距離短縮できた。あそこでヘッドランプを出さなければ見落としたかも知れない。

 18:40金剛福寺前到着。室戸岬の最御崎寺のように山の中腹にあるのかと想像していたが、通りに面して立っていた。さらに樹林の間の道を通り抜け、ホテル椿荘<写真25>に18:48到着した。
津呂へんろ小屋
<写真21 津呂へんろ小屋>
遍路道
<写真22 遍路道>
夕暮れ間近
<写真23 夕暮れ間近>
下り階段
<写真24 下り階段>
 ★ホテル椿荘にて★

 チェックインを済ませ、部屋<写真26>へ通してもらった。金剛杖を洗って立て掛けた。そして洗濯機を使わせて欲しいと言うと、風呂に行っている間にやっておくからと洗濯ネットを手渡された。
 着ていた衣類をネットに入れ、係の方にお願いしたあと、浴場に向かった。ここはあしずり温泉だ。ゆっくり浸かった。お風呂は改装中で一つしかなかった。僕が入っていると一人入って来られた。僕が出るときに二人入ってこられた。

 夕食<写真27>は別室に通してもらった。たくさんのメニューだったが、今日は頻繁に補給してきたのでさほど腹はすいていない。少し残してしまった。食事のあと一階のロビーで缶コーヒーを飲んだ。館内の自販機は定価の120円だった。宿によっては120円のものを130円とか150円とかにして、わずか20〜30円を余計に取るところがあるが、ここを含めて四国ではそんなことはなかった。
 ロビー<写真28>で缶コーヒーをのんでいると洗濯物を持って来られた。部屋に戻ってから、一日の記録をまとめたり、撮った写真を見たりした。
 NHKのニュースで今日は足摺岬で19℃まで気温が上がり、四国地方に春一番が吹いたと報道されていた。確かに今日の南風は凄かった。夜になってからも部屋の窓を揺さぶるように強風が吹いていた。
 明日は冬型の気圧配置となるが、最高気温は12℃ぐらいまで上がるらしい。12℃でもこの時期からすれば暖かい。部屋のエアコンを切り、眠った。

     ホテル椿荘
ホテル椿荘
<写真25 ホテル椿荘>
部屋
<写真26 部屋>
ロビー
<写真28 ロビー>
夕食
<写真27 夕食>
2004.2.14(土)の会計 金額
四万十の宿 一泊朝食 8347円
下田渡し 100円
昼食大岐マリン
スタミナどんぶり
650円
ジュース 140円
缶コーヒー 120円
9357円
合計 21827円
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2004年2月22日 記


           
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