37.岩本寺

2003年12月28日(日) 17日目
朝の伊予屋旅館前
<写真1 朝の伊予屋旅館前>
・・・三十七番岩本寺へ 0.1km・・・

 翌12月28日(日)朝6:20起床。昨夜もよく寝られた。身支度をして、6:52伊予屋旅館<写真1>を出発。部屋のテーブルに住所や名前、携帯番号を書いた納札を置いて来た。
 今日4日目が今回の最終日だ。今日”打ち終え”とするのは、特急列車や高速バスが停車する土佐佐賀駅か土佐入野駅のどちらかと決めていた。

 6:54岩本寺山門入口<写真2>到着。山門横の喫茶店も昨日食事をしたクールも営業していた。朝が早い町だ。今朝の冷え込みは寒かった昨日以上だ。草木など至るところに霜がついていた。

 本堂をお参りしてから大師堂に向かう前に納経所に寄った。一番霊山寺で買った納札がついになくなったのだ。納札(120円)を購入し書き込みをしてから大師堂へ向かった。
 大師堂<写真3>のうしろの山々の山裾(窪川の町中を流れている川が四万十川に合流するあたり)に川霧が出ていた。岩本寺境内は少し高台なっているのでその様子が見えた。
 お参りを終えたあと、納経して頂き7:14岩本寺を出発した。

 伊予屋旅館前を通り過ぎ、線路の高架下<写真4>をくぐった。朝日の方向に向かっているので、逆な感じがしたが、しばらく歩くと国道と合流し、南へ向かった。国道沿いの草木や花<写真5>にも霜が降りていた。


      37岩本寺
岩本寺山門入口
<写真2 岩本寺山門入口>
岩本寺大師堂
<写真3 岩本寺大師堂>
線路の高架下をくぐる
<写真4 線路の高架下をくぐる>
霜が降りた寒椿
<写真5 霜が降りた寒椿>
・・・土佐佐賀駅へ 19.0km 計19.1km 累計461.7km・・・

 ★岩本寺から片坂へ★

 国道は片坂<写真6>にさしかかってきた。歩いているうちに佐賀町の道路標識があらわれた。別冊地図によると左へ分岐する歩きの遍路道があったはずだが、見落としてしまったようだ。

 地図によると片坂第一トンネルを出たあたりで歩きの遍路道と交差するように描かれているので8:40第一トンネルを出て遍路道を探した。
 トンネル出た右手に赤い遍路札があり、歩きの遍路道<写真7>を確認できたので、ここから歩きの遍路道を下った。
 この遍路道、あまり整備されていない。足場の悪いところもあったが、下るにつれ歩きやすくなった<写真8>。しかし、この下山道は雨の日などはやめた方がいいように思った。

 上った高度差に比べて、かなり下って(そえみみず遍路道であまり下らなかった分、ここで下った感じがした。)、市野瀬<写真9>で国道に8:58合流した。
 別冊地図の遍路道は国道沿いだが、伊与木川をはさんで国道の対岸に「四国のみち」が続いていたので、そちらを歩くことにした。
 伊与木川の広い谷に作られている棚田に沿った気持ちのいい道<写真10>が続き、まだ陽のあたらない田んぼは凍っていた。

 伊与木川左岸の「四国のみち」をしばらく歩き、川を渡って国道も横断した。そこで道路工事されていたので、「この道繋がっていますか?」と聞くと、若い方は「続いているけどあっち(国道)の方が近い。」と言われた。お年の方は、「みんなこっち(四国のみち)を通る。」と言われたので、僕もこっちを通ることにした。
      
片坂にて
<写真6 片坂にて>
片坂 歩きの遍路道
<写真7 片坂 歩きの遍路道>
片坂下山道
<写真8 片坂下山道>
四国のみち
<写真10 四国のみち>
市野瀬集落
<写真9 市野瀬集落>
拳の川天満宮にて
<写真11 拳の川天満宮にて>
 ★四国のみちにて★

 若い方が言った通り「四国のみち」は曲がりくねっていた。国道の方が多少の高低差はあるが、距離が短く、早そうだった。
 9:52拳の川天満宮<写真11>に到着。パンを食べながら休憩した。「四国のみち」を通ってやはり時間がかかったので、川を渡り国道に合流しようかと思ったが、そう急ぐこともなく、地図によるとこの先はどちらの道でも大差ないように思われたので、このままの「四国のみち」を歩くことにして10:05出発した。

 佐賀温泉裏、八坂神社前を通過。10:31「この先崩壊の為通行止」との看板<写真12>があった。歩きなら問題ないだろうと思い進んだ。しかし、通行止としてあったのに車やトラックがたくさん止まっている。遠くにプレハブの事務所や簡易トイレらしきものも見えてきた。
 「何だ。何だ。」と思っているとここまで繋がっていた「四国のみち」が、土砂で埋まり、白いガードレールだけが向こうに繋がっていた<写真13>。

 しばらく立ち止まってしまった。迂回路らしきものもない。引き返すにもしばらく橋がなかったような気がする。どうしよう?
 通れなくても工事の写真だけでも撮らせてもらおうと思い、土砂の斜面を登った。するとそこには線路<写真14>が敷かれており、それが土砂で埋まっていた。土砂は道路だけでなくその上の線路も埋めていたのだ。

 「どうしたんですか?」「災害復旧じゃき」。そういえば土佐くろしお鉄道中村線が土砂崩れで不通になっているという記事を思い出した。
 崖斜面の、のり面が崩壊<写真15>している。これは、通るの無理だなと思っていると、現場の方が「お遍路さんじゃ、通してやってくれ」と、重機の方に声を掛けられ、重機を止めて道を空けて下さった。
 僕は、恐縮しながら「ありがとうございます。お疲れ様です。」と言いながら、帰りどうなるんだろう?と心配しながらみちを通して頂いた。

 災害復旧現場を無事通過し、「流人万六の墓」のところで川のすぐ向こうに国道が見えた。地図によると川沿いの「四国のみち」は曲がりくねっている。
 それに、あの災害復旧現場を見ることができたのにも満足?した。迷わず川を渡り、国道と10:55合流した。
この先崩壊?
<写真12 この先崩壊?>
通行止
<写真13 通行止>
線路
<写真14 線路>
のり面崩壊
<写真15 のり面崩壊>
 ★旧国道を経て土佐佐賀駅へ★

 国道に合流し南下した。車の交通量の多い単調な道だ。時間は要したが、「四国のみち」を歩いて良かったと思った。11:30国道沿いのたこやき屋横のバス停ベンチ<写真16>で休憩。残っていた手持ちのパンとチーズを食べ、11:43出発した。

 12:02伊与喜駅到着。土佐くろしお鉄道代替バスの時刻表があった。発車時刻を確認すると、土佐佐賀駅発13:00の代替バスが、窪川駅で特急南風号に接続していた。土佐佐賀駅までここから3km程ちょうど良い時間になる。今回は、土佐佐賀駅で”打ち終え”とすることにして、旧国道に入った。

 田園の中を進んだ。さすがに柿の木<写真17>は、その実を落としていた。崖も上った。そして、12:18熊井トンネル<写真18,19>に到着した。
 明治38年(1905年)12月に完成した長さ90mのトンネルだ。「このトンネルの壁などに使われているレンガは、佐賀港から一個一銭の運び賃で小学生などが運んだ」と立て看板に書かれていた。
 ここにも通行止の看板があった。トンネルを出た先、確かに路肩が崩壊していた。

 山を緩やかに下り、12:26線路を渡った<写真20>。民家の道を通り、12:39国道と合流するが、しばらくで駅に向かう道へ左に国道と別れ、12:48土佐佐賀駅<写真21>に到着した。
 駅構内のガラス窓に「運転再開延期のお知らせ」として、「12月26日に運転再開予定だったが、12月22日にのり面の一部から新たに崩壊があったため、12月26日の運転再開は延期することといたしました」とのお知らせが掲示されていた。


      土佐佐賀駅
     
ベンチで休憩
<写真16 ベンチで休憩>
柿の木
<写真17 柿の木>
熊井トンネル入口
<写真18 熊井トンネル入口>
線路を渡る
<写真20 線路を渡る>
熊井トンネル出口
<写真19 熊井トンネル出口>
土佐佐賀駅
<写真21 土佐佐賀駅>
・・・帰路・・・

 土佐佐賀駅で窪川駅までの切符を購入。定刻から少し遅れて、13:08代替バス<写真22>到着。降りる人はなく、ここから乗ったのは、僕とあと男性一人、バスには約25人ほど乗っていた。

 13:35窪川駅到着。京都市内までのJR乗車券と岡山までの南風20号の特急自由席券、そして岡山から新大阪までの新幹線自由席券を購入し、改札<写真23>を通った。新幹線を京都までにせず、新大阪までにしたのは料金を安くするためだ。このことは事前に調べておいた。

 南風20号の禁煙自由席車両に、歩き遍路らしき女性が一人乗っておられた。話しかけようかと思ったが、もはやここは、お四国ではなく、四国なので、やめた。

 南風20号は、定刻の13:55に出発。途中5分ほど遅れたようだが、車窓から夕陽に輝く讃岐富士<写真24>や瀬戸大橋から瀬戸内海の小島を見て楽しみ、岡山駅に定刻の17:28に到着した。
 岡山駅で新幹線のぞみ26号<写真25>に乗車。のぞみはこれまで自由席がなく料金も高かったので乗らなかったが、この秋のダイヤ改正で自由席が設けられ料金もひかりと同額になったので乗れた。700系だ。

 のぞみ26号は定刻の17:37岡山駅を出発し、新大阪に定刻の18:28に到着した。新大阪駅は帰省の乗客などで混雑していた。菅笠と金剛杖が少し恥ずかしい。
 東海道線はダイヤが乱れていた。18:34発の新快速が9分遅れと放送があり、次にホームに入ると放送があったが、先に来たのは18:43発の快速の方だった。
 結局15分ほど遅れて到着した新快速に18:49乗車。京都駅に到着し、奈良線ホームに向かい、19:18発の快速に乗り、19:36宇治駅に到着した。
代替バス
<写真22 代替バス>
窪川駅改札
<写真23 窪川駅改札>
夕陽に輝く讃岐富士
<写真24 夕陽に輝く讃岐富士>
700系のぞみ
<写真25 700系のぞみ>
2003.12.28(日)の会計 金額
納経料 300円
納札 120円
代替バス 土佐佐賀→窪川 530円
JR乗車券 窪川→京都市内→宇治 7780円
乗継自由席特急券 窪川→岡山 1150円
新幹線自由席特急券 岡山→新大阪 2410円
缶コーヒー 120円
12410円
合計 41487円
累計 232436円
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2004年1月4日 記


           
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