<写真1 司旅館にて> |
・・・大善寺へ 3.6km・・・ 翌12月27日(土)朝、6時15分起床。少し朝寝坊した。昨夜の雨は上がっているが、前日と比べて寒い朝だった。朝食にパンとチーズ、それと昨夜お接待で頂いた牛乳を飲み、静かに宿を出ようとしたら、おかみさんが出て来られた。部屋のテーブルに置いてきた納札を手渡した。 おかみさんが寒い中、玄関で見送られる中、6:47司旅館<写真1>を出発した。 今朝は寒いので、最初から4枚を着た。国道56号に合流し、川を渡った。ここにも水門<写真2>があった。水門は地震発生時の津波対策である。国道を西へ進み、トンネルの手前、別格五番大善寺へ向かって左折<写真3>した。 民家の中の道を通り、大善寺石段下へ7:33到着。道路沿いの石段下に大師堂<写真4>があった。本堂への石段を上った。二ツ石大師様とぼけ封じ観音尊に出迎えて頂き、本堂に到着。このお寺には、有料だが本堂へのモノレールも用意されていた。本堂は強風のためか閉まっていた。 海の見えるベンチに座っているとモノレールが上がってきた。お坊さんが来られたようだ。本堂で納経をして下さるということなのでお願いした。ベンチに戻ると山の上から朝日<写真5>が差し込んでいた。 大善寺 |
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<写真2 大間津波水門> |
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<写真3 大善寺へ左折> |
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<写真4 大善寺大師堂> |
<写真5 大善寺にて朝日を浴びる> |
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・・・伊予屋旅館へ30.1km 合計33.7km 累計442.6km・・・ ★大善寺→久礼★ 大善寺を7:58出発。道路沿いの道端で朝市<写真6>をやっていた。道の駅すさきでトイレを借り、新荘川橋を8:18渡った。角谷トンネルを過ぎると道路左側が絶壁となっていてポンカンを売る屋台もいくつかあった。 安和トンネルを8:58通過すると安和の町に入り、9:06焼坂峠と焼坂トンネルの分岐<写真7>に到着。国道直進と焼坂峠越えで距離で1.6kmの違い、山道であることを合わせると30分以上の違いとなるだろうから、国道直進を選んだ。 9:22焼坂トンネルに入った。長さ966m。トンネルに入る前にタオルを口と鼻に巻き、車の排気ガスから守った。トンネルを出ると中土佐町<写真8>だった。坂を下り、焼坂休憩所で9:59休憩。トラックも数台止まって休憩していた。 僕はここでパン、ぶどうセリー、野菜ジュースを補給したあと、10:14休憩所を出発した。 国道と別れた旧道沿いの川には、ホタルが棲んでいるらしく、警告看板<写真9>があった。四国に限らないが山中などでの不法投棄、目に余るものがある。 遍路道シールに従い、JRの線路と国道を横断し、そえみみず遍路道への田園道<写真10>に進んだ。 |
<写真6 朝市> |
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<写真7 焼坂の分岐> |
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<写真8 中土佐町へ> |
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<写真10 そえみみずへの田園道> |
<写真9 警告!> |
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<写真11 そえみみず遍路道登り口> |
★そえみみず遍路道★ 何回か小さな川を渡り、11:11そえみみず遍路道登り口<写真11>に到着。岩本寺17.9kmとあった。登り出しの20〜30歩は急だが、あとはなだらかな登りだった。この遍路道は、へんろみち保存協力会の方々が復元され、今も草刈り奉仕を定期的にされている。 遍路道<写真12,13>は、杉や竹、その他広葉樹の林の中をくねくねと通っていた。別冊地図をみても、みみずがいくつか体節を曲げているようだ。 またこの季節、道は落ち葉で覆われふかふかだった。標高300mあたりから車の音が聞こえ出して来ると傾斜は緩み、楽になった。一回の大きな休憩をはさんでゆっくりと登り、一際たくさんの遍路道札が掛かっている峠の頂上と思われるところに12:19到着した。 ここで今回のお遍路で出会えた最初で最後の歩き遍路さんと出会った。東京からの方で2年ほど前から区切りで歩かれている。今回は28番大日寺から始められ、今日で6日目だそうだ。納経帳には日付を入れてもらっていると話された。 金剛杖は持たれていない。また菅笠は持ち運びに不便なので、区切りの度に新しく購入されるそうだ。従って、区切り終えは菅笠の売っているお寺ということになる。今回は岩本寺までなのだそうだ。 この方から、おかき(雪の宿)2枚とみかんを頂いた。僕には、またも何も渡すものがなかった。 また、以前の区切りの際に、幸月さんに出会われた話や、最御崎寺の先で6000円/月で生活をしている人の話などを聴いた。 峠で写真の取り合い<写真14>をしたあと、ゆっくり歩くと言われたので、12:45先に行かせて頂いた。峠からは、下山という感じはあまりしなかった。ゆるやかに下り、水の音が聞こえて来ると田んぼの広がる谷<写真15>に出た。 その時になって気付いたが、空からちらちら降っている。雪だ。山中ではわからなかっただけかも知れないが、雪が降って来た。 |
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<写真12 そえみみず遍路道1> |
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<写真13 そえみみず遍路道2> |
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<写真14 峠にて> |
<写真15 田んぼと合流> |
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★窪川町へ★ 車道に出て国道56号と13:20合流。お腹がすいたので、13:25ラーメン豚太郎に入った。順番待ち。やめようかと思ったが、待つ人がいるくらいなら、きっとおいしいだろうと思い待つことにした。 しばらく待ち、四人掛けのテーブルに相席で座り、トンコツキムチラーメンとミニサラダ<写真16>を注文した。外の雪はさっきよりきつくなってきた。 ラーメンを待つあいだに今日の宿泊予定の窪川町の宿に電話することにした。二日続けて宿で一人だけだったので、客が多そうな岩本寺に一番近い伊予屋旅館に電話した。食事の用意はできないが、それでよければということで素泊りさせて頂くことになった。 少し辛めのラーメンで暖まったあと、14:17店を出発した。14:40自転車遍路さんが、後ろから一言挨拶され、走り去っていかれた。自転車ならこんな時期でも一日に何人かの歩き遍路に出会うのだろう。彼からすると僕の存在は珍しいものでもないようだった。 14:55お雪椿休憩所通過。影野小学校前も通過。歩きの遍路道を見逃したので国道をそのまま歩いた。歩きの遍路道が再び国道と合流した少し先、歩道<写真17>が道路(国道)からはみ出し、川の上に出ていた。上はJRの鉄橋が通っている。この歩道はあとから設けられたようだ。 JRの線路と平行に国道を続いていた。単調な風景。15:29ベンチのある公園<写真18>があったので休憩することにした。別冊地図によるとまだ8km近く歩かなければならない。納経所は午後5時までなので、岩本寺での納経は明日になりそうだ。 そう思うとゆっくりしていこうと思い、メモ帳とペンを出そうとしたが、ペンがなかった。どこかで落としたようだ。メモ帳の方をなくさなかったので「まぁいいか」と思った。 公園を15:36出発。しばらく歩くとスリーエフというコンビニがあったので、ペンを購入。トイレも借りた。 さらにJRと平行している単調な国道を進み、16:16仁井田駅前を通過。16:46道の駅あぐり窪川<写真19>に到着。ゆっくり歩いたので汗が引いたことと夕方近くになり寒くなってきたことでトイレが近くなった。ここでもトイレを借り16:51出発。 夕焼けが綺麗だ。今日も日暮れまで歩くことになった。もうあたりは暗くなり、別冊地図もはっきり見えなくなってきた。 17:19窪川トンネルに入った。しまった。また道を間違えたようだ。窪川町内を迂回するバイパス<写真20>を歩いてしまっていた。ヘッドランプを照らしておよその現在地と宿への進路を確認してから宿へ急いだ。 今日も結局、日がどっぷり暮れた17:40ようやく伊予屋旅館に到着した。 伊予屋旅館に着くとおかみさんが出てこられ、二階の通りに面した部屋<写真21>に通して頂いた。そしておかみさんに勧められ、とりあえず風呂へ向かった。今日も宿泊客は僕一人のようである。 昨日、洗濯できなかったので、洗濯機を借りようとした。すると、おかみさんは「やっておくからゆっくりお風呂に入ってて」とおっしゃられた。有り難くゆっくり風呂に入り、上がってみると預けておいた袋に洗濯物を入れて下さっていた。 夕食は、旅館向かいのクール<写真22>という店で焼魚定食を食べた。僕の他にも二人食事をされていた。コンビニにも寄って朝のパンやジュース、ドリンクなどを購入した。そして旅館の部屋に戻り、記録をまとめたり写真を見たりして過ごした。 今回のお遍路では、自HPの掲示板に一日の記録を携帯電話から書き込みをしてきた。有り難いことに返信を頂いたりして大変励まされた。今回は明日で打ち終えるのであるが、もうあと何日か歩きたいと、本当にそう思った。 伊予屋旅館 |
<写真16 豚太郎にて> |
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<写真17 川へ張り出した歩道> |
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<写真18 ベンチのある公園> |
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<写真19 道の駅あぐり窪川> |
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<写真20 夕暮れのバイパス> |
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<写真22 クールにて> |
<写真21 伊予屋旅館の部屋> |
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2003.12.27(土)の会計 | 金額 | |||
納経料 | 300円 | |||
豚太郎 トンコツキムチラーメン、ミニサラダ | 966円 | |||
コンビニ ペン | 420円 | |||
伊予屋旅館素泊り | 5000円 | |||
コンビニ スパー | 949円 | |||
クール 焼魚定食 | 850円 | |||
計 | 8485円 | |||
合計 | 29077円 | |||
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2004年1月3日 記
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