35.清瀧寺 〜 36.青龍寺

2003年12月26日(金) 15日目
土佐市高岡の商店街通り
<写真1 土佐市高岡の商店街通り>
・・・三十五番清瀧寺へ 3.4km・・・

 12月26日(金)5:50起床。昨夜購入したパンとチーズの簡単な朝食を摂ったあと、身支度をして6:43喜久屋旅館をおかみさんに見送られて出発した。
 清瀧寺を打ったあと、ここに戻ってくるので、ザックは旅館に置き、白衣の前ポケットに納経帳や数珠、納札、経本などを入れた。

 おかみさんに早朝なので商店街通り<写真1>を歩くことを勧められた。勧めに従って商店街通りを真っ直ぐ歩き、標識に沿って右折した。
 大きな車道(バイパス)を横断し、7:10高知道高架をくぐり、田んぼや畑の中の道を歩いた。白塀とポンカン畑<写真2>の間を抜け、車道から離れ遍路道へ。太陽は既に昇っているが、今朝は雲が厚い。

 清瀧寺山門前に7:30到着。境内<写真3>には大きな観音像があった。本堂と大師堂でお参りし、納経所へ向かった。納経所前の休憩所<写真4>からは土佐市街がよく見えた。

 7:54清瀧寺を出発。帰りは遍路道を戻った。軍人墓地、三島神社前を通り、8:39喜久屋旅館<写真5>に到着。おかみさんに出迎えて頂き、手書きの地図で道案内と、遍路宿や昼食場所の紹介をして頂いた。そしてザックを背負い、再度おかみさんに見送られて8:45再出発した。


      35清瀧寺
白壁とポンカン畑
<写真2 白塀とポンカン畑>
清瀧寺境内
<写真3 清瀧寺境内>
清瀧寺休憩所
<写真4 清瀧寺休憩所>
喜久屋旅館
<写真5 喜久屋旅館>
・・・三十六番青龍寺へ 14.8km 計18.2km・・・

 ★喜久屋旅館→ドライブイン大橋★

 教えてもらった通り、水路に沿って道なりに進んだ。そして最初の信号<写真6>で9:02右折し、県道と合流した。そして、やくろう橋を渡り、9:35塚地峠休憩所<写真7>に到着した。ここには、水が流れる庭や水車などのある「大師の泉」もあった。
 僕は、東屋のベンチに座り、自販機で購入した缶コーヒーとパン、チーズでエネルギーを補給した。

 9:50塚地峠休憩所を出発。杉木立や竹林の中のよく整備された階段状の遍路道<写真8>を登った。白地に赤文字の遍路道札や、黄地に黒文字の遍路道札がいくつも木々の枝にかけてあった。10:12峠到着。しかし林の中で展望はない。しばらく下ると、宇佐大橋<写真9>が見えてきた。10:32水場を通過すると、すぐ下には砂防ダムがあった。

 谷が広がり、人家が見えてきてすぐのところに「安政地震の碑」<写真10>があった。ここが安政元年(1854年)に発生した安政地震の潮先らしい。こんなところまで津波が来るとはビックリした。
 宇佐小学校前を通過し、11:10水門前通過。そのまま川沿いに下ってしまい、須崎市との市境に11:15到着した。

 県道を戻り、ドライブイン大橋<写真11>に11:25到着した。ここで昼食を摂ることにし、ラーメンと焼飯のセットを注文した。ここまでのペースを考えると、今日は浦ノ内の民宿さざなみに泊まるのが良さそうなので、電話したが繋がらなかった。
      
最初の信号交差点
<写真6 最初の信号交差点>
塚地峠休憩所
<写真7 塚地峠休憩所>
塚地峠への遍路道
<写真8 塚地峠への遍路道>
安政地震の碑
<写真10 安政地震の碑>
宇佐大橋を遠望
<写真9 宇佐大橋を遠望>
ドライブイン大橋
<写真11 ドライブイン大橋>
 ★ドライブイン大橋→青龍寺★    

 昼食後、店でザックを預かってもらい、12:00出発。宇佐大橋<写真12>を渡る。風が強いので飛ばされそうになる。そういえば、今回は、前回のお遍路で広島からのAさんから菅笠の紐の結び方を教えてもらった通り補強したので、強風でも、トンネル内でトラックにあおられても飛ばない。

 橋を渡りきり、快晴の穏やかな太陽の下、左手に海を見ながら歩いた。竜の浜のシュロの木<写真13>が異国情緒を醸し出していた。
 遍路道は、三陽荘の先で右折し、海から離れた。遍路道沿いに石仏<写真14>が数体ずつ寄り添っていた。

 青龍寺への石段下に12:39到着。本堂への長い石段の中ほどに仁王門と滝があった。石段を上りきり、本堂<写真15>と新築されたばかりの大師堂をお参りした。
 お参りのあと、石段を下り納経所へ向かった。トイレも借り、13:07出発した。

 午後になって風が強くなってきた。竜の浜の砂が舞っている。突風に気を付けながらもう一度、宇佐大橋を渡り、13:50ドライブイン大橋に戻った。そして、店で預かって頂いていたザックを背負い、お礼をいい、13:52出発した。


      36青龍寺
宇佐大橋
<写真12 宇佐大橋>
竜の浜のシュロ
<写真13 竜の浜のシュロ>
遍路道沿いの石仏
<写真14 遍路道沿いの石仏>
青龍寺本堂
<写真15 青龍寺本堂>
・・・司旅館へ 22.6km 合計40.8km 累計408.9km・・・

 浦ノ内湾に沿って西へ向かった。日没まであと3時間余り、今日の宿がまだ決まっていない。昼食時以外にも電話をするチャンスはあったのだが、距離30km少々の民宿さざなみか、さらに8kmほど先のおおのごうまで歩くかまだ決めかねていた。どちらにしても素泊りでいいと思っていたので、多少遅くてもいいだろうとも思っていた。

 14:02須崎市に入り<写真16>、湾に沿って歩いた。小さなボート<写真17>がいくつもあった。14:58深浦の森田酒店<写真18>自販機でファンタグレープを購入し休憩。ここで民宿さざなみに電話した。「さざなみさん、ですか?今日なんですが・・・」というと、「12月はやっておりません」ということだった。
 おおのごうに宿をとることになった。一番近いのはゆり屋だが、その先の司旅館ならば、今日の歩行距離が40kmを越えることになるので、司旅館にしようと思った。司旅館に電話した。が、繋がらなかった。

 さらに西へ向かって歩いた。このあたりの歩道は、防波堤脇にあり、車道より一段高くなっていた。浦ノ内小学校入口前を通過し、輝く海<写真19>に向かってひたすら歩いた。
 浦ノ内トンネルを15:57抜け、グリーンピア土佐横波入口前を通り過ぎ、16:45中平酒店・民宿さざなみ前を通過した。

 佛坂への分岐があったが、今から山道は無謀なので鳥坂トンネルを経由する道を歩くことにした。午後5時をまわり、向かい風がさらに強くなり気温も下がってきた。ここまで登山用の下着とベスト、その上に白衣の三枚で歩いて来たが、寒くなってきた。それに金剛杖を持つ手も冷たい。
 道端の風が多少避けられるところでザック下ろして、長袖シャツと手袋を取り出した。そしてもう一度、司旅館に電話した。今度は電話が繋がり、宿泊を了解して頂けた。

 いよいよ日は暮れてきた。風は強いのになぜか夕暮れの浦ノ内湾<写真20>は穏やかだった。車のヘッドランプに照らされ、クリスマスの電灯<写真21>を灯している家を見ながら鳥坂トンネルに向かって歩いた。
 鳥坂トンネルを17:43通過。トンネルを出るとあたりはもう真っ暗だった。歩いている脇を家路を急ぐ車が飛ばして行く。外灯もところどころにしかないので危険だ。外灯の下でザックからヘッドランプを取り出そうと探したが、ない。宿に忘れてしまったのかなと思い、また歩いた。
 歩きながら思い出した。今朝早くから歩いたので、ベストのポケットにヘッドランプを入れたのだ。それを思いだし、ヘッドランプを手に持って灯した。進行方向の上空には細い三日月と金星が出ていた。今夜も晴れていた。

 押岡で自転車遍路さんと出会った。こんな時間まで走っておられるとはびっくりした。向こうも歩いている僕に驚かれたようで、一旦僕を追い越されたが待っておられた。
 この自転車遍路さん、まだ今夜の宿を予約されていないらしく、僕に宿情報を聞かれた。別冊地図は持っておられなかった。
 お別れの時に、東京の物産展でも売っていたという切幡寺?の絹入り飴を2コ頂いた。ぼくは、その時簡単に差し上げるものがなかったので、何も渡すことができなかった。

 暗い中、遍路道シールを見つけた。案内によると橋を左折するようだ。その通り進んだ。押岡川左岸を進み、突きあたって右折。高速道路の下をくぐりJRの踏切を渡り、右折。少し戻るような恰好になったが、JRおおのごう駅前を通過し、司旅館に19:20に到着した。

         
須崎市へ
<写真16 須崎市へ>
浦ノ内湾のボート
<写真17 浦ノ内湾のボート>
森田酒店
<写真18 森田酒店>
輝く海へ
<写真19 輝く海へ>
クリスマスの電灯
<写真21 クリスマスの電灯>
夕暮れの浦ノ内湾
<写真20 夕暮れの浦ノ内湾>
司旅館
<写真22 司旅館>
・・・司旅館にて・・・

 玄関が閉まっていた。電灯も点いていない。電話して「今、前にいます。」というとおかみさんが中から出て来られた。午後7時頃到着すると電話で言ったが遅れてしまったので、来ないものだと思われたようだった。

 二階の部屋に通して頂き、風呂を勧められた。夕食がまだであることを言うと、スーパーでおかずを買って来るようにといわれた。午後7時をまわっているので、半額になっているらしい。
 自転車も貸して下さり、歩いてきた道を戻り、スーパーへ急いだ。カツオとウツボのたたきと酢豚、サラダを購入。おにぎりは売り切れでもうなかったので、手持ちのパンを食べることにした。

 旅館に戻るとストーブの入った部屋に通された。パンを取りに行こうとすると、ご飯は接待するとおっしゃられ、大豆入れのご飯を頂いた。
 暖かい部屋でご飯をゆっくり食べているとおかみさんがお風呂から上がって来られた。ここで泊まったいろいろな人の話を聞いた。東京の学生や17歳の少年、ショーケン(萩原健一)の話しなど。僕の座っている席にショーケンも座ったらしい。

 また、最近の教育の問題も話され、山口県津和野出身の吉田松蔭が安政の大獄で29歳で処刑された時の辞世の句である「親思ふこころにまさる親ごころけふのおとづれ何ときくらん」を引用され、母への気持ちや修行とは?など考えさせられた。

 この宿では、宿泊客は(いわゆる宿帳の代わりに)納札を預けることにされていて、預かった納札は毎年、お正月に高野山へ納めに行くとおっしゃられた。
 今年はこのあと予約がないので「あんたが最後」と言って頂いた。そして、一旦、自部屋に戻るときに、またお接待といって、牛乳とみかん2コを持って来られた。
 そのあと、お風呂にゆっくりつかり、自部屋に戻ってみるとお布団の用意もして頂いていた。今日は歩行距離が40kmを越え、夜になってからも歩いたのでとにかく疲れていた。外は雨が降っている。明日は大丈夫?歩けるのだろうか?と思いながら眠ってしまった。


      司旅館
司旅館の食卓
<写真23 司旅館の食卓>
司旅館の部屋
<写真24 司旅館の部屋>
2003.12.26(金)の会計 金額
喜久屋旅館1泊夕食付 5800円
納経料2寺 600円
缶コーヒー 130円
ドライブイン大橋 ラーメン焼飯セット 1000円
ファンタグレープ 100円
ショッピングやまき 1019円
司旅館素泊り 4500円
13149円
合計 20592円
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2004年1月2日 記


           
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