31.竹林寺 〜 34.種間寺

2003年12月25日(木) 14日目
フェリー ニューかつら
<写真1 フェリー ニューかつら>
・・・三十一番竹林寺へ 6.1km・・・

 ★フェリーにて四国入り★

 12月24日(水)京阪宇治駅から淀屋橋を経て、大阪南港フェリーターミナルに到着。大阪南港から高知港までの二等運賃は、JAFメイトプランで30%OFFの3500円だった。ターミナル内のサンポートというレストランでカツカレーを食べたあと、20:25フェリー ニューかつら<写真1>に乗船。

 フェリーには、二つの高校の男女剣道部の団体が同乗していた。高校生たちは男女計50名ほど。二等の一般乗客も50名ほど。広いカーペット敷の二等客室<写真2>片隅に敷布と荷物を広げた。レストランでお遍路らしき方を一人見かけたが、二等客室には、お遍路らしき人(金剛杖や菅笠を持っている)は、おられなかった。

 出航までにまだ時間があった。階段を上がったところにある浴室に向かった。よく乗る新日本海フェリーに比べると狭いが、充分なお風呂だった。男子高校生も数人入って来た。
 風呂から上がって客室に戻ると高校生たちは、それぞれ車座になって盛り上がっていた。他の一般乗客は、TVを見たり、本を読んだりして過ごされていた。21:20出航。

 デッキに出てみた。南港の様々な明かり<写真3>が見えた。黒い海面に映りとても綺麗だった。そのあと客室に戻り、本を読んだりして過ごした。毛布の貸し出しをするとの放送があった。一枚50円なので、僕も一枚借りた。午後11時消灯。消灯といっても明るいが、高校生たちも含めて静かになった。僕も安眠できた。




 翌12月25日(木)朝5:30起床。5:55室内点灯。船内スナックでモーニングセット500円食べた。パンとコーヒーの他、ゆで玉子、バナナ半分、サラダがついていた。ニューかつらは定刻の6:30高知港<写真4>に到着した。

 下船すると前に高知駅行きバスが止まっていた。僕を含めて3人を乗せ、バスは6:38出発。桟橋通五丁目を経てはりまや橋を渡り高知駅に到着。路面電車が乗り入れている駅前風景<写真5>見覚えがある。高校生の時、自転車でここまでに来たとき、フェリーが台風の余波で欠航となったので、この駅構内で野宿したのだ。

 駅の切符自販機でJR土佐一宮までの切符を購入し、改札を通り、7:03発の列車に乗った。一両編成で25名ほど乗っておられた。列車はJR土佐一宮駅<写真6>に7:08到着。駅のベンチで白衣、輪袈裟、菅笠など身支度をして7:20歩き始めた。
二等客室
<写真2 二等客室>
大阪南港の夜景
<写真3 大阪南港の夜景>
朝の高知港
<写真4 朝の高知港>
高知駅前
<写真5 高知駅前>
JR土佐一宮駅
<写真6 JR土佐一宮駅>
 ★JR土佐一宮駅→竹林寺★

 JR土佐一宮駅を出て、駅前の通りを左折し、川沿いの遍路道と合流した。向こうから車でやって来られた方から、「五台山へは、二本の鉄塔の方に向かって歩くように」と言われた。二本の鉄塔<写真7>に向かって、遍路道シールに従って歩き出した。

 田んぼ道を歩いていると太陽の光が差し込んできた。天候の心配はない。国分川の「下の瀬大橋」を渡り、しばらくで広い車道に出た。広い車道を横断し、再び田んぼの中の道を歩いた。電線には、たくさんの鳥が留まっていた。快晴だ。

 8:00舟入川を渡り、民家の間を抜け、路面電車の線路を横断した。文珠通という停留所<写真8>だった。高須小学校前を通過。小学生が登校していた。今日が終業式だろうか?小学校二年生の息子は今、ポケットモンスターに凝っている。ポケモンを育てたり闘わせたりしていくと、ポケモンのレベルが上がり進化するのだ。僕も今年2月にお遍路を始めてから今までにかなり”進化”したと思う。

 国道32号を歩道橋で越え、絶海池を過ぎて民家の間を抜けて、8:18竹林寺登り口<写真9>に到着。少し上ると高知市内の展望が開けた。登山道の脇にはたくさんのお墓があった。

 竹林寺へは、この山の北東側から上っていき、植物園前を通って8:40山門前<写真10>に出た。庭園が綺麗だ。本堂と大師堂とまわり、境内<写真11>の休憩所で用意されている熱いお茶を飲みながら休んだ。納経所は、階段下にあった。納経所前の庭園も朝から手入れをされていた。


      31竹林寺      
二本の鉄塔に向かって
<写真7 二本の鉄塔に向かって>
路面電車 文珠通停留所
<写真8 路面電車 文珠通停留所>
竹林寺登り口
<写真9 竹林寺登り口>
竹林寺境内
<写真11 竹林寺境内>
竹林寺山門
<写真10 竹林寺山門>
竹林寺と鉄塔を振り返る
<写真12 竹林寺と鉄塔を振り返る>
・・・三十二番禅師峯寺へ 6.0km 計12.1km・・・

 9:12竹林寺をあとに山を下った。途中、階段で右足をぐねった。前回のお遍路から履いているゲルフェザーは通気性が良く、アスファルトの平地歩きには最適だが、普段山を歩くとき、かかとまで覆う登山靴を愛用している僕には、少々頼りない。そう大きくない石を斜めに踏み、ぐねってしまった。五台山小学校前を経て、9:23橋を渡り、下田川の左岸を上流へ歩いた。振り返ると二つの鉄塔と五重塔<写真12>が見えた。
 石土トンネルを抜け南国市に入り、住宅街を通り、突き当たると10:16石土池だった。池を左手に見ながら進み、信号を左折。向こうから軽トラックがやって来て僕の横で止まった。白衣に輪袈裟姿で運転しておられた。僕に道案内して「がんばれ」と言って下さった。

 10:33禅師峯寺への歩き道に入る。道沿いに明治九年の石仏<写真13>があった。10:41禅師峯寺山門前<写真14>に到着。山門をくぐる前に水屋に寄り、手を清め、喉を潤した。水屋の前の池には不動明王様<写真15>がおられ、その背後には黒白の層状構造の砂泥互層が見えた。
 山門をくぐり石段を上り、本堂と大師堂でお参りしたあと、ベンチに座った。ここからの眺望<写真16>は、たくさんのビニールハウスや家の屋根、その向こうに太平洋と桂浜などがよく見えた。

 土佐桂浜と言えば、坂本龍馬だ。彼は天保6年(1835年)11月15日生まれで、奇しくも32年後の同月同日、京都の近江屋で暗殺された。僕の誕生日も龍馬と同じ11月15日なので自分では、龍馬の生まれ変わりかも?と思っている。が、そんな人は365人に一人いることになる。

 眺望もそこそこに納経所へ行った。お接待で餅を頂いた。禅師峯寺地蔵堂落成で地元のもち処が用意されたものだった。
 納経所の方に県営渡船の時刻を教えて頂いた。今は1時間に1便となっているそうだ。種崎乗り場は、ここから6kmあるので、次に乗れそうな便は13:10発になる。納経所のベンチで餅を食べたあと、11:24出発した。


      32禅師峯寺
    
遍路道沿いの石仏
<写真13 遍路道沿いの石仏>
禅師峯寺山門
<写真14 禅師峯寺山門>
不動明王様
<写真15 不動明王様>
禅師峯寺からの眺望
<写真16 禅師峯寺からの眺望>
・・・三十三番雪蹊寺へ 7.5km 計19.6km・・・

 ビニールハウスの点在する遍路道<写真17>を歩いた。南国市から高知市に戻り、高等技術学校前、三里中学校、三里小学校前を通過。中学生の下校時刻と重なり、僕の前を数人の中学生が歩いた。中学校も今日が終業式だったようだ。

 前を歩く中学生が一人二人と減っていき、賑やかな繁華街を過ぎ、渡船場に12:46到着。あたりには食べ物を売っている店も食堂もない。今から買いに戻る時間もないので、手持ちのカロリーメイトで済ませることにした。

 渡船を待ちながら、今日の宿泊予定宿である土佐市高岡の喜久屋旅館に電話した。快くお受け頂いた。13:00に対岸の長浜を出航した渡船<写真18>が到着。3人降りられ、僕を含めて6人(自転車3台とバイク1台含む)乗り込んだ。この渡船、運賃はいらない。渡船から浦戸大橋<写真19>が見えた。

 対岸の長浜に着き、歩き出した。漁船<写真20>がたくさん泊まっていた。商店街を通り過ぎ、13:33雪蹊寺<写真21>に到着。雪蹊寺は、本堂が新築中であった。


      33雪蹊寺
     
種崎への遍路道
<写真17 種崎への遍路道>
県営長浜種崎渡船
<写真18 県営長浜種崎渡船>
浦戸大橋
<写真19 浦戸大橋>
雪蹊寺境内
<写真21 雪蹊寺境内>
長浜にて
<写真20 長浜にて>
種間寺へ 西へ
<写真22 種間寺へ 西へ>
・・・三十四番種間寺へ 6.5km 計26.1km・・・

 雪蹊寺を13:51に出発。西へ<写真22>向かう。競馬場という立て看板があった。近くに「高知競馬」という地方競馬場があるようだ。100連敗中のハルウララという馬が、ついこの前、報道されていた。

 はるの若菜荘前を通り、新川川の平和橋を14:54渡った。少し遠回りをしたようだ。橋を渡ってどっちかなと思っていると軽トラックが止まり、運転していたおじさんが、種間寺への道を教えてくれた。

 「種間寺へは、水路沿いに真っ直ぐ」だそうだ。水路沿いの遍路道では、道路工事<写真23>を断続的にされていた。計7〜8ケ所。車両通行止だが、歩きには問題ない。

 道路沿いのガードレールに大根干し<写真24>があった。漬け物用だろうか?種間寺前<写真25>に15:35到着。本堂、大師堂とまわり納経所へ。納経所では、道を教えて頂いた。「すぐ右への道路標識は、車用のものだから道沿いに真っ直ぐ行き、広い車道で右折し、国道56号に出たら左へ行って川を渡ること」と。種間寺からさらに西へ15:54出発した。


     34種間寺
道路工事中
<写真23 道路工事中>
大根干し
<写真24 大根干し>
種間寺前
<写真25 種間寺前>
種間寺境内
<写真26 種間寺境内>
・・・喜久屋旅館へ 6.4km 計32.5km 累計368.1km・・・


 西に向かって田園の中を歩いた。収穫が終わったのだろうか?野焼き<写真27>をされていた。道が二股<写真28>に別れていた。どっちでもよさそうだが僕は左へ行った。

 広い仁淀川堤防下の車道に出て右折。一旦、仁淀川大橋<写真29>をくぐり16:47橋に出て国道56号線と合流し、仁淀川大橋を渡った。疲れていたのでゆっくり歩きだったのだろうが、渡り切るのに10分近く要した。大きな川だった。

 国道56号をさらに西へ向かった。繁華街<写真30>に入るとともに日が暮れてきた。国道を警察署のところまで来てしまった。警察署で喜久屋旅館への道を尋ねたが、喜久屋旅館の場所がわからないようだった。署内におられた地元の方が知っておられたので、車で送ると言われたが、「すいません、歩きたいので・・・」と辞退した。
 喜久屋旅館は旧道の商店街通り沿いにあった。商店街通りを戻り、途中、スーパーで買い出しをして、喜久屋旅館に18:00到着した。

 旅館に着いて声をかけると、中からおかみさんが出て来られた。そして僕が持っていた金剛杖を預かられて洗われ、二階の部屋に通して頂いた。そして金剛杖を床に立て掛けられた。お風呂、食事場所、洗濯機の場所なども教えて頂き、清瀧寺と青龍寺への地図コピーも頂いた。
 僕は、ザックを部屋に置いて、着ていた物を洗いにかけてから、入浴した。風呂から上がってくると食事はいつでもいいとおっしゃられた。洗濯物の都合があったので、すすいで脱水し乾燥機にかける時間を見越して、「20分後で」とお願いした。洗濯物を乾燥機にかけ終わった約20分後、下の食事場所へ向かった。おかみさんは僕一人のために夕食<写真31>を用意された。かつおのたたきや鯛の尾頭付き、うなぎや数々の野菜の煮物など。とてもおいしかった。
 明日、朝早いので朝食は頼まなかった。二階の部屋に戻り、一日の記録をまとめたり、写真を見たり、明日の行動を考えたりしながら、時間を過ごし、午後11時頃就寝した。


      喜久屋旅館
野焼き
<写真27 野焼き>
二股道路
<写真28 二股道路>
仁淀川大橋
<写真29 仁淀川大橋>
喜久屋旅館の夕食
<写真31 喜久屋旅館の夕食>
夕暮れの土佐市街
<写真30 夕暮れの土佐市街>
2003.12.24(水)の会計 金額 2003.12.25(木)の会計 金額
京阪電車 宇治→淀屋橋 400円 モーニングセット 500円
大阪市営地下鉄
 淀屋橋→フェリーターミナル
310円 県交通バス 高知港→高知駅 190円
大阪高知特急フェリー
 大阪南港→高知港
3500円 JR 高知→土佐一宮 200円
貸毛布 50円 納経料4寺 1200円
アイスクリーム 100円 コーラ 100円
4360円 スーパー サンシャイン高岡 793円
乾燥機使用料 100円
3083円
合計 7443円
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2004年1月1日 記


           
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