第四十六回 "ヴィエナからパリへ"
●ノートルダム寺院(上) シャンゼリゼ通りと凱旋門(下) |
第三一回から四五回まで一年数ヶ月に渡って、 家内が留学記を違った視点で書いてくれましたが、 チョッとお疲れモードに入ってきたみたいです。 充電期間をおいて再度書いてもらうためにも、 私が再登場し91年の4月以降の事を また季節の流れとともに書いてみたいと思います。 時は1991年4月…再度タイムスリップ(^_-) |
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両親ご一行様、昨年の夏に来た時に、 さんざん私たちが賞賛した"透き通るような 青い空と黄色い菜の花"とを期待して 北欧にお着きになりました。それなのに、 なんと北欧はどんよりと曇った空と 「白い雪」でお出迎え。菜の花なんてまだまだ ずーっと先という状況! 前の年となんという違い!! とにかく、寒いので観光どころでもなく、 |
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このころは、なんだか、自分たちの出会ったもの 気に入ったものを何でもかんでも 「どう、ステキでしょ」と見せびらかしたい 時期でもありました。 工場見学というのは、 日本のような説明や案内の行き届いたショー的な 見学コースがあるわけではなく、 実際に製品を作っている工場の立入りOKのエリアを 自由に歩き回れるというスタイルです。 |
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職人さん達も自由な服装で和気あいあいと、 仲間同士や見学者とおしゃべりしながら、 あるいはウォークマンを耳にリズミカルに "世界の名品"を作っていきます。 私たちは、ガラス工房の熱と音の中、 ここでもまるで自分がガラスを作っているのを 両親に見せているかのような気分でした。 翌日から、両親と我々一家はともに 「ヨーロッパ周遊の旅」に出かけました。 今回の予定は、まずウイーンへ飛び ザルツブルグへ列車で移動。 その後、空路でフランス花の都「パリ」へ移動、 ルンドへ帰宅というコースでした。 日本ではごく当たり前の周遊旅行です。 |
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![]() ●ウイーン国会議事堂 |
ウィーンは「ヴィエナ」とも言います。知ってました? 最初、ボスに 「両親が来るのでチョット休むね」って断ったとき、 「今度はどこに行くんだ」って聞くので 「ウイーン」って言うと 「ヴィエナ」ね!って言われて…。 「ヴィエナ」で印象的だったのは なんといっても「ホイリゲ」です。 葡萄酒の新酒のことで、 山の斜面に居酒屋風のたくさんのレストランが集まる ペンション村?のようなところでホイリゲを 飲ませてくれます。 料理は実はあまり印象に残っていませんが、 ピッチャーになみなみと注がれた 「ホイリゲ」はそのフルーテイな味とあいまって 今でも思い出します。新酒ができると「杉玉」 を飾るんだそうです。 私は酒どころとして有名な?伏見に住んでいますが、 日本酒も新酒ができると「杉玉」を飾るんです。 不思議な共通点を見つけてビックリしました。 |
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![]() ●ルーブル美術館 |
今までの、我々のバケーションの旅はというと…。 自家用車で移動し、先ずはホテルを確保! 少なくとも同じ街に数日居を構えて(大げさですね) そこを拠点にして近隣を見て回り、 気に入った教会があればそこで 「ぼーっ」と時の過ぎるのも忘れて過ごし、 有名なところでも逆に気に入らなければ 前を通って見過ごしてしまう。そんな旅でした。 街はとりあえず自分たちの足で歩く! しかも大都会にはあまり足を踏み入れなかった! ところが、今回の旅行は、それとは全く違う訳で…。 有名ポイントを効率よく、くまなく回るバス旅行、 しかも「モーツアルト号」のコンパートメントでの 列車移動までセットされていました。 有名どころは時間の許す限りまわり、 写真もたくさん撮りました。 どっちが私たちにあっていたか。 私たちと言うよりスウェーデンに染まっていた 私たち向きだったか…。 |
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![]() ●サクレクール寺院と観光客 |
もうわかっていただけますよね〜。
足で歩くと色んなものが見えてきます。 実はこの中身の濃い旅行、 |
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