第三十八回  Play Back"私の息子をみてくれ"

 2002FIFA ワールドカップが終わりました。

  とたんに"ワールドカップ症候群"なる
  奇病?がはやりだしたとか…。
  私も早々にこのはやり病に
  かかってしまったようです。

  トルコ戦に敗れた後、トルシェ監督の会見での
  「私は、私の息子たち、選んだ23人を誇りに思う」
  という言葉に思わず反応してしまいました。

  帰国間際におよばれしたパーティーでの
  ヨハンのお父さんのスピーチ
  を思い出したからです。

    
  
●ハンスのサマーハウス
  彼の一家は、夏はここで過ごします。
  ちょっと郊外にサマーハウスをもっている家族は
  結構たくさんいました。
「2人で出席してね」って言っていたよと
Tadashiがとっても美しいカードを
おみやげに持って帰ってきました。
ヨハンの学位取得記念パーティーの招待状でした。

ヨハンは主人の同僚で若くてハンサムで、
それでいてとっても気さくなドクターで、
美人でキャリアを持ったガールフレンドと
一緒に住んでいました。学位を取得するのは
とっても大変で、とても誇り高い事で、
そのお披露目のパーティーは
どなたも結構盛大にするとか…。

ヨハンのパーティーはルンドグランドホテル
で開かれ、チョッと正式なパーティーらしいと
小耳にはさんだものの、
2人のすてきなおうちに家族でおよばれして、
とっても楽しい時間を過ごしたことがあったので、
2人のパーティーならと
"すてきな機会をくださってありがとう"と
軽い気持ちで出席させていただくことに決めました。

子供たちは、仲良くしていた日本人の
留学生仲間の皆さんがお世話をしてくださる
事になり、当日はほんとに久しぶりに主人と2人
「よそいき」を着ての外出となりました。
晩秋から初冬にかけてのルンドは、
太陽の光も弱くて一番さみしい季節です。
そんな街を歩いてホテルに向かいました。
それが玄関を入ったとたん、ビックリ。
ゾクゾクと鳥肌がたったのを覚えています。
ホテルの豪華なしつらい、人々の華やかな装い、
すてきな香水のかおり。飛び交う笑い声と、
テンションの高いスウェーデン語。
なんだかとってもすごいところに来てしまったと、
その一瞬にして理解できました。
そして、それからはとにかく、
状況に流されるしかない私たちでありました。
  
  
●彼のバーベキューパーティーにおよばれしました。
どんな風に流されていったか…まず、私と主人は、
じきに一緒に行動することができなくなりました。
(私としては、大誤算、大ショックでした)

着席式の席順は、ヨハンが決めた
このパーティーでのパートナーと隣同士になります。
受付を済ませて、女性は控えの間で待っていると、
ペアの男性が迎えに来てくれます。
彼にエスコートされ、会場の席に着くのです。
きっと、このペア組が、主催者の腕の見せ所、
パーティーが盛り上がるかどうかの
キーポイントなのだと思います。
  パーティーはフルコースをいただく間、
  様々な方のスピーチが繰り返されます。
  そのあい間あい間にどのペアもおしゃべりを楽しみます。
  私に関して言えば、ヨハンの人選(心遣い)はとっても素晴らしいものでした。

  ペアの彼はそれはそれは親切な方でした。
  彼はパーティーの間中、大忙しでした。
  スウェーデン語で周りの人たちと会話を楽しみながらも私を退屈させたり、
  疎外感を感じさせないよう、常にわかりやすく
  様々な会話やスピーチの内容を英訳してくれました。

  料理の解説もしてくれました。ほんとうにご苦労さんでしたが、
  そのおかげで初めは主人と離れてしまって、
  一人になりすごく不安でどうしようかと思った私でしたが、
  パーティーが始まってからは楽しくて、うれしくて、おいしくて、
  すっかり私の世界に入ってしまい、主人がどこに座って何をしていたのか、
  全く気にならなくなってしまったのを覚えています。
  そして、そこで聞いたヨハンのお父さんのスピーチ。
  これがとってもステキだったのです。
  「おれの立派な息子を見てくれ!!」と
  ヨハンの事をとことん自慢するのです。
  (もちろんペアの彼のおかげで理解できました)

  生い立ちから今日までのエピソードを織りまぜながら、彼の容姿、性格、
  成績、そして彼が選んだ彼女、彼の仲間たち、指導者、
  何から何まで、誰も彼もヨハンが素晴らしいからみんな素晴らしいと
  、彼中心の見方をして、ほめる、ほめる、ほめる。。。。
  それもユーモアたっぷりに、お茶目なしぐさを交えながら
  愉快に楽しく、そして堂々と。
  当然会場はそれに対して、すごい反応で盛り上がります。
  くちぶえ、歓声、拍手、爆笑…。

  日本人が同じ事をしたら、
  きっとみんなの反感をかうだろうし、
  第一こんな場合父親はきわめて形式的に
  謙遜の衣を幾重にも着せたスピーチをすることでしょう。
  チョッと日本人は損をしているなってこの時思いました。
 コースの料理が終わるころになると、
  今度はまた控えの間に彼のリードで席を移します。
  そこで、コーヒーやブランデーを飲み、ペア同士、
  知り合い同士でおしゃべりタイムがあるのです。
  程なく、今度はまた、今までのパーティー会場への案内がありました。
  彼につられて中へ入ってみると…これまたビックリ。
   
   
●彼自慢の電気のバーベキューグリルです。
テーブルがすっかり片づけられて、
ダンスフロアーに変わっているのです。
ダンスなどしたことのない私は、
これまたビックリでした。
「できないからしない」とペアの彼に言うと、
一曲ダンスを踊るところまでが
パーティーのフルコースだそうで、
「リードしてあげるから最後まで楽しみましょう」
と言うことになり、生まれてはじめてこの時
「ダンス」なるものも体験できました。

一曲のダンスの後は、
それぞれのペアを解消してのフリータイムとなり、
私は数時間ぶりに憔悴しきった我が夫
Tadashiに会いました。
夢のような"ヨーロッパタイム"を過ごした私と、
日本男児、訳が解らなくてもするべきことは
しなければとエスコートに孤軍奮闘していた
彼とのご対面だった訳です。
(ちなみに主人のペアはヨハンの恩師の
女性だったそうです)

そして、余韻をもう少し味わっていたかった私と、
一刻も早くおうちに帰りたい主人が
そこで目にしたものは…
なんとボスのハンスと奥さんのライラが
フロアーを誰よりも広々と使って
実に楽しそうに優雅に舞っている姿でした。
なんせTadashiとハンスは2年来の有名な
勤勉コンビ。
 日本人並みの仕事大好きで、ちょっと"かたぶつ"の彼が
  にこやかにダンスを踊っている姿に主人はとっても、
  とっても大きな衝撃を受けたようでした。

  "これからはダンスくらいさらりと踊れる医者になる"とこの後しばらくは公言していましたが、
  帰国してからはそんな機会もないまま過ぎてきてしまっています。
  2年間、共有した数々の思い出の中で、私と主人の印象がこれほど違う一夜は、
  きっと他にないと思っています。

  P.S. 私が今回このパーティーのことを書こうと思うと主人に話したら
  「ゴメン、ゴメン!僕はあの日のことは全然覚えていない」
  との返事がかえってきました。