第十九回 初めてのバケーション6(再びドイツ編)

 今回の旅もここでついに折り返し地点とすることにしました。
 美しいスイスアルプスに別れを告げ、ドイツに戻ります。

 残り時間と見たいポイントを計算して、
 さてどのルートを通って北上するか地図を見て計画を立てました。
 そこで面白い街を見つけました。
 「バゼル」ってスイスとフランスとドイツが同居しているのです。
 つまり3カ国が接している国境の町って事です。

  ちょっと寄ってみたい気がしたのですが、ちょっと先の予定も気になったので通過!
  復路の一番目の目的地は「ハイデルベルグ」に決めました。ハイデルベルグは大学町です。
  ルンドと街の性格は似てるので興味がありました。
  ヨーロッパの街は多くは新市街と旧市街に分かれています。
  新市街にはビジネス街やショッピングセンター等があり旧市街は町並みや景観を守っています。
  ハイデルベルグもその典型のようなすてきな街でした。
  宿泊地は新市街と旧市街の間に位置する小さなホテルです。
  ここでも、ツーリストインフォーメーションで小さなファミリーホテルを紹介してもらいました。
  ついた日は日曜日、いや土曜日だったかな?とにかく週末でした。
  何でそんなことを覚えてるかって?実はその日に2つの事件があったのです。

  1つめは「あられ事件」です。ついた日にいつものように街を散策しました。
  街の大きさ、方向、何を売っているか等々をチェックするためです。
  すると、ハイデルベルグって街は日本人観光客がたくさん訪れる街だってわかりました。
  何でって?
  街中に何やらあやしげな日本語で案内が書いてあったり、
  なかなか手に入りにくかった「炭酸抜きのミネラルウオーター」がどこでも売ってたり、
  はてには「おにぎり等の日本食」まで売っていたり…。

  そして、ついつい見つけてしまったとっても高価な、
  でも見た目はとってもフツーの「おしょうゆ味のあられ」を2袋衝動買いしてしまいました。
  もちろん家族みんなの総意です!
  なぜ2袋か…といえば、おさいふの中身と相談したんです。ギリギリ2袋ならいける!!って。
  家族4人とっても満ち足りた気分で、その日が週末だって事もすっかり忘れていたんです!
  さあ、それからが大変でした。もうお分かりでしょうか?銀行が閉まってるんです。

  小銭を使い果たした我々はスイスフランは多少残っていてもドイツマルクは持っていなかったのです。
  ガーン、その日の夕食はいうまでもありません。
  広場に出ている屋台でハンバーガーとソーセージとだけを買って
  スーパーで飲み物を仕入れて家族4人で分かち合いました。
  娘たちが「ポテトもほしい!!」とさんざんおねだりをしましたが、買えませんでした。
  本当にお金がなくなってしまったんです。
  あの日、あの時は、このある分だけで食べ物を買って4人で分かち合わなければ!!
  とそれだけで頭がいっぱいでしたが、今思うと何でどこかでクレジットカードを使って
  食事することを思いつかなかったんだろう…って不思議です。

  

   
  ●久しぶりに
   「おしょうゆ味のあられ」を堪能しました。
でも、その後のデザート?は超豪華に
「おしょうゆ味のあられ」を久しぶりに堪能しました。
さみしく、しかし豪華に変な満足感をもって
あられパーティーをしていると、
何やら外が騒がしいんです。

学生街だって言うし、
自分の学生時代のことを思い出して
「学生はドイツも日本も同じだ、
僕も夜中にみんなで騒いだなあ…。」
なんて思っていました。
でも、異常に騒がしいんです。
騒がしさはやまないのです。
それどころかどんどん騒ぎは大きくなるのです。


  大きな声で歌を歌ったり、奇声をあげています。いったい何が起こっているのか訳もわからず?!
  夜中、外の騒ぎを気にしだすと、眠れないどころか、
  こんなところでのんきに寝ていて大丈夫だろうかと恐怖さえ覚えてきます。
  翌朝、訳がわかりました。
  なんとサッカーのワールドカップでドイツが優勝した記念すべき日だったのです。
  当時日本ではサッカーはまだマイナーな存在でした。
  Jリーグだってまだなかったし、「プロ野球選手になりたい」と答える子はいても
  「サッカー選手になりたい」と答える子はいなかった時代です。
  ワールドカップがサッカーの世界ではオリンピックよりも評価が高いなんて知りませんでした。
  あの時ハイデルベルグでドイツ人達と一緒に歌い叫べばいい記念になったのに!!
  と残念です。これが2つ目の事件です。

  翌日街を歩くと早速たくさんの「日本人の皆さん」にお会いしました。
  私達一家はあまりきれいな格好をしていません。
  (不潔って意味じゃないですよ。よれよれのジーパンと着込んであるTシャツって事です。)
  したがって、おそらく日本人には見えなかったのでしょうネ。
  あまり声をかけてくれる方もおられませんでしたが、子供達はおおはしゃぎ!
  日本人の方が団体行動されていると近寄ってはお話していました。

   
 
●ここから眺める
  ハイデルベルグ城は絶品です
それはさておき、ハイデルベルグ城を眺める
一番のポイントをお教えしましょう!
カールス広場です。
ここから眺めるハイデルベルグ城は絶品です。
翌日はハイデルベルグからネッカー川沿いの
「古城街道」を見学し散策しました。
日本の木の文化、建造物とは異なり、
ヨーロッパは石の文化、建造物ですから
非常に堅牢でしっかり中世の街並みが
ここかしこに残っています。
中世の雰囲気をさらに満喫しました。


  その後ケルンに入りました。
  今回の旅後半のポイントの一つがこのケルンの大聖堂!!
  ウルムより低いそうですが、何と509段!あるそうです。
  例によってはるなは自力で登りきり、
  みちるは特等席で頂上に、パパはへとへとでした。

  そしてブレーメンへ!「ブレーメンの音楽隊」で有名な街です。
  街には童話に出てくるいろんなシーンの像がちょこんと何気なく立っています。
  ほらほら、もちろん、音楽隊の像もありますよ!

  翌日は子供達の楽しみにしていたブレーメン郊外の
  フェルデンという街の「フライッァイトパーク」に行きました。
  ここは、入場料のみで後はお金のかからない遊園地です。
  日本の遊園地のように電気仕掛けや、ジェットコースターなんて乗り物はありません。

  印象に残っているアトラクション?をいくつかご紹介すると、
  まずは「大きなすべり台」。それに小さな「むしろ」のようなのを自分で
  持ってながーい階段をえっちらおっちら登るんです。
  それをお尻にしいてぴゅーんっていっきにすべるわけです。
  スピードが出てとっても面白く体力の続くかぎり?みんな何度も滑っていました。
  ポニーにも乗れます。
ほらはるなも乗っています。
ドイツ人のお姉さんと何語で何を
話してるんでしょうか??
ドイツ語は
全くダメなはずですが?

  もう一つは「いかだこぎ」。公園内に水路ができていて、
  グループで大きないかだに乗り込んでぎっちらぎっちらこいで一周します。
  また、小さなサーカス小屋でサーカスもしていました。
  とっても楽しくって実はこのフライッァイトパークに次の日も行きました。
  はるなやみちるもそれだけ喜んだって事です。

  いよいよ先が見えてきました。明後日はフェリーの予約の日です。
  最後の宿泊地を決めなくってはいけません。
  フェリー埠頭からあんまり遠いと計算ができないし、
  渋滞って事もないとは思うんですが初めてでちょっと心配だし…。
  って事で「リューベック」に決めました。
  
 
●お札にも描かれているホルステン門
リューベックはハンザ同盟の全盛期に
塩の貿易で最も栄えた街です。
そうそう確か20マルク紙幣にこの門
「ホルステン門」が描かれていたと思います。
この門も塩の貯蔵庫として使われたようで
中は博物館になっていました。

余談ですがドイツでも
20マルクは良く使われていましたし、
アメリカでは20ドル紙幣が良く使われるようです。
そこで日本でも2000円紙幣の登場と相成ったそうですが、
なかなか普及しませんね!何ででしょう?


  以前ご紹介したスウェーデンからの日帰り買出しバスツアーがやってくるのが
  このリューベックだそうです。そうとは知りませんでしたが、
  私たちも街のスーパーでセベリン家の人々にワインやサラミ、チーズ等をお土産に、
  そして我が家の日用雑貨や食料品のこまごまとした最後の買出しをすませ、フェリーに乗ったのでした。
  こうして、長かったはじめてのバケーションは異常な緊張と快い?疲れを残して終わりました。
  読んで下さった皆さんもお疲れ様!!

  次回からはまた留学記も日常の生活?に戻ります。
  いや、戻るはずです。