第十二回 エーゲ海と地中海?!


   ある朝、シュラーが突然言いました。
   「来週は休んでいいよ!学会の準備等があってあまり面倒を見てやれないから」??

  「えーっ、急にそんなこと言われても…。」と思いましたが、
   上手に表現できずに突然降ってわいたように1週間のお休みを頂戴してしまいました。
   この頃は、まだまだお客さんで、足手まといだったようです。
   しかし、1週間のお休みなんて日本では考えられません。
   当時は私もお休みをどう過ごして良いか解らない日本人でしたから、途方に暮れました。

   夜、例によって、セベリン家のお茶に呼ばれて(ほぼ毎日のように、
   デザートとコーヒーをごちそうになっていたんです。)いた時にポロッと
   「来週はお休み」と言ってしまいました。

   そうしたら、「いいなー」「どうするんだ?」「予定は何かあるのか?」と聞かれる聞かれる。
   本当に何もなかった私たちは、「別に何も予定がない。」と答えると、
   「何ともったいない。」とおもむろに彼らはその日の新聞を取り出しました。
   新聞には「激安、出発間際のスーパーディスカウントツアー」
   とでも書いてあるかのようなページがありました。
   確かスピースという会社のパッケージツアーで、色々とありましたが、
   価格的にも出発日的にも「クレタ島1週間」が目に留まりました。
   本当に出発直前なので捨て値だったのだと思います。

   はっきりした金額は覚えていませんが、クローネを円に換算し、
   世界地図を頭の中に広げ「これって本当??」と信じられないほど安かったと思います。
   でも、そんなツアーに申し込むのも本当は勇気がいるし、気後れするでしょう?
   ましてや3才と1才の子供を連れてゆくんですよ。問い合わせるのだって大変ですよね?

   でも、我々には数々のトラブルを乗り越えてきた自信とともにセベリン家の人々がいます。
   「これはいい、これはすごーく安い安い」とまるで我が事のように大騒ぎ。
   「聞いてやろうか?」「早く申し込まなくっちゃ」と即座に電話をしてくれました。
   「今なら空いてるって、どうする?」と聞かれ、
   その勢いについつい「行っちゃおうか?」ということになり、
   暇な1週間の休みがほんの一瞬でクレタ島1週間の旅に変わってしまいました。
   電話で予約をしたことになりましたが、
   2日以内に旅行会社の窓口に正式な申し込みに行くことになりました。
   となり街のマルメのスピースまで、パスポート等の必要書類を持って翌日馳せ参じました。
   やれやれと思ったらすぐ出発です。

  1週間の海外旅行?!だというのに、とりあえず手当たり次第身近なものをものを
   トランクに詰めて旅支度も完了。
   本当にバタバタとあっという間に当日になり、集合場所のコペンハーゲン空港にたどり着きました。
   もちろん海外に行くんだから国際線、疑いもなく出発ロビーに行きました。
   しかし、いくら探しても私たちの便がありません。
   「えーっ、遅れちゃったかなー??」と思ってふと国内線の案内を見るとあったあった???
   「チャーター便なので出発ゲートがちがう」ってそんなこと知ってる日本人がいるわけないですよね!
   滑り込みセーフで荷物を預け搭乗口へ、何とか間に合い私たちを待っていたように飛び立ちました。
   中はもちろん(外国人いや外国人は私たちで)スカンジナビア人ばかり、
   機内の案内もデンマーク語とスウェーデン語とノルウェー語のみ、英語の案内もありませんでした。
   全く訳が分からずチャーター便はクレタ島に着陸しました。

  「解らないときは聞くしかない。」着いてからは現地の人は英語でも案内してくれていたので、
   何とか正しいホテル行きのバスに乗り込みました。
   帰りは又バスで空港につれてきてくれるようです。
   でも、「時間通りに出ていないとバスは待っていない。」と言われました。
   ホテルにチェックイン!小さなキッチンと4つのベッドのあるお部屋で、快適そう。
   フロントの横には小さなスーパー(コンビニ風)がありました。
   朝食や昼食は自炊で済ませることもできそうです。

  スウェーデンに発つとき、まさかギリシャへ旅行するなどと思ってもおらず、
   またルンドで英語版のガイドブックを見つける間もなくクレタへ来た私たち。
   ギリシャといえばエーゲ海、数々の遺跡…。
   そんな予備知識しかないのでとりあえずエーゲ海、エーゲ海と夕暮れの海を見に行きました。
   家族4人美しいエーゲ海の夕焼けを見る…なんてロマンチックな…というより、
   何だかとっても不思議な気分だったのを覚えています。
   
        
●柱の跡がわかりますか?
そのまま、ヘラソニソスの町に繰り出しました。
街にはいろんなお店、
もちろん観光客お目当ての店もたくさんあります。
私たちも今回はめいっぱい
観光客ですからいろんなお店を冷やかしました。
そうそう街にはツアー会社もたくさんありました。
スピースのツアーにもオプショナルツアーは
いくつかあったのですが、
スカンジナビア語を解さない私たちには全く不向き。
街で3つの興味深いツアーをみつけ、
イングリッシュツアーに申し込みました。
「渓谷を歩くツアー」、
「クノッソスの遺跡と博物館の見学コース」、
「ギリシャ料理とダンスの夕べ」それぞれ楽しそうでしょう?


   翌日から海遊び三昧の日が続きました。
   朝から海に出てボーッと甲羅干し、昼はホテルに帰り軽食、
   昼から夕暮れまで海でボーッと又過ごす…。
   こんな生活、日本では考えられません。日本のツアーは移動型、
   ヨーロッパのツアーは滞在型って頭では解っていてもこれがそういうことなんだって
   実体験しないとなかなか解りません。

  クレタ島の小さな街でぼーっと1週間過ごす自分がいるなんて
   半年前には絶対に考えられなかったことです。
   海の水は思ったより冷たく泳ぐことはできませんでしたが、水遊びと砂遊びはたっぷりできました。
   冬を越して太陽の光に飢えていた我々には良い太陽の恵みでした。海に入って気づいたのですが…。
   写真で解るでしょうか?何と海の中に遺跡があるんです。遺跡の一部が海の中に…。
   柱の跡が解りますか?その次の日はレンタカーを借りました。 
   何でって、「エーゲ海と地中海の海の色を比べるため?」です。
   クレタ島は北はエーゲ海、南は地中海です。

  つまり北から南に突き抜ければエーゲ海と地中海を同じ日に眺めることができると企てたのです。
   でも、クレタ島の中央には高地があって、
   この企画は考えていたより大変だったことが途中からわかりました。
   中央の高地はレシチと言われ、山に囲まれた盆地になっています。
   その盆地がクレタでは一番の肥沃な土地だそうです。
   耕作はこのあたりで行われているようで畑が広がっていました。
   盆地に至る山には至る所に風車が並んでいます。
   クレタ内陸部の有名な風景です。この風車で粉をひいていたそうです。
   ゼウスが生まれたという言い伝えがある鍾乳洞もここにあります。
   
         
●クレタ島の風車

南へようやく走りぬけた我々が目にしたものは…。
地中海です。何となく色も暗く波もなく
観光客もいない静かな海でした。夕方のせいでしょうか?
この向こうにはアフリカ大陸があるって思うと
何か見えてきそうな気さえし妙に感動しました。
さて、その次の日は「渓谷を歩くツアー」です。
なんせ、みちるを背中に背負っての
ハイキングになるのですから、
しっかり体調を整えなくてはと早く寝ました。

そして翌朝起きて待ち合わせのツアー会社前に
10分前に行きましたが…。誰もいません??
誰も申し込まなかったのかな?って
少し待ちましたがやっぱり誰も来ません。
旅行会社の中を覗いて…。壁に掛かった時計を
見て目が点?になりました。
だって、1時間時間が過ぎてるんですもの。
この時初めて気がつきました。
ヨーロッパの中でも時差がある数少ない国の
一つがギリシャだって事を…。

   1時間前が集合時刻で私たちは既にほって行かれていたんでした。
   ここで初めて時計をギリシャ時間にあわせました。
   あぶないあぶない、もしここで気づいていなかったら帰りにほって行かれていたかも…。
   と思うとぞっとしました。そういえば機内のスカンジナビア語の案内で
   時間のことを言っていたような気はしたんですが…。

   気を取り直して太陽を一杯あびて真っ黒になった私たち。
   そのあとクレタ文明にもクノッソスの遺跡で触れ、お買い物もして、おいしいものも一杯食べて、
   ツアーの最後の晩に「ギリシャ料理とダンスの夕べ」に参加しました。
   これぞまさに観光客相手のツアーです。

   いろんな国の観光客が一杯来ています。
   ちなみに私たちのテーブルで一緒になったのはドイツ人のカップル。色々とおしゃべりしました。

  ふと見ると…。はるながいません…。探すといましたいました。一番前に陣取って
   ダンスを食い入るように見ていました。
   でも、どこにいたかって、イタリア人のおじいちゃんの膝の上でした。
   そのおじいちゃんは日本語はもちろん英語もスウェーデン語も解らない方でした。
   どうやっておじいちゃんの膝の上にたどり着いたのかは最後まで解りませんでしたが、
   すっかりはるなはおじいちゃんと意気投合していました。
   ダンスが盛り上がり観客が輪に入っていく頃には
   もちろんはるなもおじいちゃんを連れて一緒におどっていました。
   いろんな文化や新しいものに触れ、無事時間に遅れず意気揚々と
   スウェーデンにチャーター便でお腹も一杯、太陽も一杯の帰国と相成りました。

      
             
●はるなとおじいちゃん