。★〃。☆〃。☆〃。★〃。★〃。☆〃。☆〃。★ やまのい和則の 「国政に福祉の風を!」 - Yamanoi Kazunori Mail Magazine - 第18号(2000/06/11) 。★〃。☆〃。☆〃。★〃。★〃。☆〃。☆〃。★ 6月9日には、京都南部で私が共に政治活動をしている、 玉置一弥前衆議院議員を招いて、私の知り合いの方々と20人で ミニ集会を開いた。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. 玉置さんは、政治家であるにもかかわらず、自分が何をやった、 とあまり自慢しないところにある。 今ではどの政党も交通バリアフリーのことを政策で訴えている が、その草分けが玉置さんである。 民主党の高齢者・障害者の交通バリアフリー対策プロジェクト チームのリーダーとして、バリアフリー法案の成立をリードされ たのが玉置さんである。 しかし、そのことを自分ではあまりPRされないので、地域の 方もそのことをあまり知らない。 今回はそんな玉置さんの話をじっくり聞いた。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. 交通バリアフリーは本当に地道なテーマである。お金にも票に もなりにくいテーマ。しかし、玉置さんが必死に取り組んだせい で、今ではすべての党がバリアフリーと言っている。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. 玉置さんは運輸問題に強い。だから、同じ福祉でも私は介護保 険やグループホームが専門であるが、街や駅や乗り物のバリアフ リーは玉置さんが強い。 玉置さんは、「家や建物の中での介護や福祉はやまのいさんの 専門で、家から出て町に出れば、自分の担当だ」と言っておられ る。 このバリアフリーも民主党の石毛えい子前衆議院議員が、市民 運動の方々と共に根強く運動をされてきた。 その石毛さんと、運輸問題に強い玉置さんがドッキングして、 力を合わせてバリアフリー法案ができた。 パブリックコメントという形で、市民や障害のある当事者の方 々からの声を吸い上げて法案をつくったことも画期的だ。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. 6期20年間の玉置さんの経験と実績、顔の広さは、すごい。 私も、まだまだ若輩なので、玉置さんに教えてもらいながら政治 活動をしたい。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. 玉置さんがバリアフリー法案を推進した過程のビデオをミニ集 会でみんなで見ながらつくづく思ったのは、バリアフリーもまだ まだ政治の世界で議論され始めたばかりということだ。 これからも玉置さんには引き続き、バリアフリーの実現にリー ダーシップを発揮してほしい。 玉置さんは、「障害者にとって移動の権利を保障することが大 切。外出を助けてあげるという発想ではだめだ」という。 その通りだ。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. 昨年、私が感動した本に、「no pity! (哀れみはいらない)」と いう本。これは、アメリカのジャーナリストが書いた本を、石毛 前衆議院議員の秘書であり、私が尊敬する秋山さんが翻訳した素 晴らしい本だ。 この本のタイトルの「哀れみはいらない!」という言葉が、す べてを象徴している。 障害のある方が気兼ねして、みんなのお情けで外出ができるの ではダメだ。 気兼ねなく、一人で自立して街に出られるようにせねばならない。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. 遅まきながらとはいえ、20世紀の最後に国会でこのようなバ リアフリーが議論されたことは素晴らしいことだ。しかし、これ はまだ始まりに過ぎない。これからが本番だ。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. そう言えば、玉置さんは、よく「これからまた東京だ。明日の 委員会までにバリアフリー法案の議論を仲間とせねばならない」 と言って、地元を後にした。 この玉置さんの執念でバリアフリー法案が可決された。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. しかし、私は考えさせられた。国会議員の仕事とは何だろう。 あえて逆説的に言えば、バリアフリー法案よりも、地元のあいさ つ回りをしたほうが選挙には有利だ。 しかし、そのような政治に私たちは20世紀で「おさらば」せ ねばならない。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. 国のために仕事するより、地元に公共事業を誘致したほうが選 挙に強い。 このような政治を何とか変えたい! このような政治が、国と地方を合わせて645兆円もの借金を つくり、景気回復もできなかったのだ。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. 京都南部には、玉置さんの政治活動のポスターが貼ってある。 私も写真に入っている。 「交通バリアフリーで高齢者や障害者にやさしい街づくりを!」 というのがメインコピー。 日本広しと言えども、こんな地道なテーマで活動している国会 議員も少ない。 だからこそ私は素晴らしいと思う。 ミニ集会で一人の女性が聞いた。「玉置さん、こんなにバリア フリーに力を入れられてるんだったら、障害者団体なども応援し てくれるの?」と。 答えられない。そんな応援などあるはずない。 政治とは「この問題に取り組めば、選挙で応援しますよ」とい う話だけでには、あまりにむなしい。ロマンがない。 票になろうがなるまいが、国のために、困っている弱い立場の 方々の役に立つことは、断固としてやる。このような気概が政治 には必要だ。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. 玉置さんには頑張ってほしい。ミニ集会の時に、玉置さんと私 のツーショットの写真を政治のホームページに載せました。良か ったら見てください。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. 長いメールマガジンで申し訳ないが、私にも積もり積もった思 いがある。 大学時代、今から20年前、ボランティアとして京都を観光に 来る車椅子の方をよく案内した。 また、今から10年前、京都ボランティア協会の職員として私 が働いていたとき、よく車椅子の方を京都観光に案内した。 しかし、そのボランティア集めも大変。ボランティアも疲れき り、ある日曜日は、静岡と大阪から来た電動車椅子の人二人を京 都駅から三十三間堂に案内した。 最悪なことに二人とも途中で電動車椅子の、バッテリーが切れ た。その重い重い車椅子を私は押しつづけた。せっかく、遠くか ら京都に来てくれたのだ。 疲れて私はぼろぼろになり、翌日、寝込んだ。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. そのほかも車椅子に乗った私の友人と飛行機に乗って一緒に一 泊で東京旅行に行ったり、いろんなことをした。でも、どの駅で も段差などに苦しめられた。 その親友が私に、京都の四条烏丸駅の魔の13階段。阪急から 地下鉄に乗り継ぐときに13階段がある。それ以外はバリアフリ ーだけど、ここに13階段あるせいで、彼はひとりで移動できな い。 「元気なときは、階段の下で助けてください!」と声をあげて、 助けてもらえるが、元気がないときは、「外出やめとこ、という ことになる」と彼は言った。 その友は、とうとう京都から東京郊外のバリアフリーが進んだ 町に引っ越した。 「人生は一回にしかないから、福祉の進んだ町で人生を送りたい」 と言ったのだ。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. また、当時のボランティア協会での私の仕事は、ボランティア のあっせん。一番多いのが外出介助ボランティア。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. ある20歳くらいの車椅子の女性から電話があった。今度の日 曜日に大阪に映画を見に行きたい。介助のボランティアさんを探 して欲しいという依頼だ。こんな電話が何本もある。 しかし、なかなか見つからない。 結局、前日の晩に謝りの電話をした。 電話にでた、その女性は「見つかりましたか!」と嬉しそうに 言った。 「すみません。見つかりませんでした」と私。 「ああ、そうですか。やっぱり」と力なく彼女。 すると、受話器の向こうからお母さんの叫び声が。 「また、あんた、ボランティア協会電話してるんか。電話しても 無理や言うてるやろ。何回いうてもわからんこやなあ。人様に迷 惑かけたらあかん!」 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. 若い女の子が映画を見に行きたい。こんな当たり前の願いがバ リアフリーが進んでいないためにかなえられない。 私は頭をかかえた。曜日やお互いの相性などを考えると、なか なかボランティアも見つかりにくいのだ。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. それから私はスウェーデンに2年間、留学した。 そこで見たものは、駅ではスロープ、エレベーター、エスカレ ーターの3点セット。 街には車椅子タクシーが走り回っている。そして、街には車椅 子の方や乳母車の人たちがそこらじゅうにいる。 私はそのバリアフリー社会を見て、ショックを受けた。 私がボランティア協会でやっていたことは何だったのか。 社会がバリアフリーになれば、そして、車椅子タクシーなどの スペシャルトランスポートサービスが整備されれば、ボランティ アに頼らなくとも、車椅子の方は自由に街に出られるのだ。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. 私はなにもボランティアが不要だと言っているのではない。 バリアフリー社会になれば、ボランティアは話し相手などもっ と心の支えの部分になれる。 スロープやエレベーターの変わりにボランティアがなるのは無 理がある。 この経験を通じて、私は、ボランティアも大事だけれど、行政 がしっかりとバリアフリーの取り組みを進めないとダメだ、と痛 感した。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. このような事情があるので、私はバリアフリーに必死で取り組 む玉置さんには、本当に頑張ってもらいたいと切に願っている。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. 私の一つの不安は、このメールマガジンが13日(公示日)以 降、どうなるのかということだ。法律に触れない形で、純粋な政 治活動報告という形で続けていきたいと思う。 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:. 今日もこれから玉置さんと合同のミニ集会を二回。 バリアフリー法案成立までの苦労話や、今後の取り組みについて 教えてもらいたい。 やまのい和則 拝 |