やまのい和則の
     「軽老の国」から「敬老の国」へ

            第134号(2001/05/06 No.2)

 メールマガジンの読者の皆さん、こんにちは。東京行きの新幹線
の中でさきほどメールマガジンを書いて、また、4時間後、京都に
戻る新幹線の中で書いています。

先ほどは帰省ラッシュのため、ドアの前に座り込んでパソコンを叩
いていましたが、京都への帰りは無事座れました。
いま、5月6日午後9時40分。


 先ほどまで、東京新宿で開かれた、全国自立生活者協議会(JIL)
の総会と懇親会に参加していました。

実は、明日7日は午後1時から2時まで、衆議院本会議で小泉新首
相の所信表明演説を聞くため、朝10時の新幹線で東京に戻ります。

しかし、7日6時50分から玉置一弥衆議院議員と共に、新田辺駅
で松井孝治さんのチラシまきと街頭演説をするため、いま京都に戻
っているのです。 


 懇親会を後にする時、「山井さん、今から新幹線の中で、今日の
ことメールマガジンに書くんでしょ」と要望があったので、今日
(6日)2通目のメールマガジンを書きます。

 ただし、往きの新幹線の中でも、メールマガジンを打ったので、
もうバッテリーがなくなりつつあります。手短に書きます。
バッテリーがなくなれば、洗面所に行って、そこにあるひげそり用
のコンセントに、パソコンをつないで打たねばならない、という悲
惨なことになるのです。


 5月6日(日)は、夕方6時から8時まで、全国自立生活者協議
会の総会と懇親会。
全国から、車いすの障害者の方々と、介助者の方など約200人が集
った。そこに、議員として、民主党から鳩山由紀夫代表、堀利和議
員、石毛えい子議員、私が参加した。


全国自立生活者協議会は、あくまでの不偏不党の中立な団体である。
ただ、この協議会の前代表であり、国政を目指して政治活動をして
おられる樋口恵子さんとのトークのために、民主党関係者も参加し
たのだ。


 ちなみに、私は民主党組織委員会のNPO局長として、樋口恵子
さんと高比良(たかひら)正司さん(前子ども劇場全国センター代
表理事、前NPO事業サポートセンター代表理事、
http://www.s-takahira.com )を支援する事務局を担当している。
 

 さて、「自立生活運動」とは何か?
 にわか勉強だが、簡単に言えば、障害者施設ではなくて、また、
親との自宅での同居でもなく、「自分の選んだ場所」で、一人暮ら
しをしたり、自分の選んだ人と暮らす運動である。

つまり、「自分の選んだ場所で自立して生活する運動」である。


かつて、障害者は、家族の介助を受けて自宅で暮らしていた。しか
し、20歳を過ぎれば、家族と離れて自由に生きたいと思うのは当
然である。

 しかし、身体が不自由な人々が一人暮らしをするのは簡単なこと
ではない。十分な介助が受けられねば無理だ。つまり、住んでいる
市町村の障害者福祉の進み具合で、人生が左右されるのだ。

自立生活センターは、介助者の派遣をはじめとする社会環境づくり
を推進し、過去15年の運動の結果、いま全国で98ヶ所に自立生活
センターは増えた。

そのリーダーが樋口恵子さんなのだ。

ひぐち恵子さん




 樋口恵子さんは、脊椎(せきつい)カリエスの障害を持ち、身長
は136センチ。肺活量は570ccで、普通の人の5分の1。
中学時代は寝たきりで施設で暮らし、その不自由さを痛感した。

また、アメリカに留学し、自立生活が当たり前のアメリカの障害者
の姿に衝撃を受け、帰国後、1991年に全国自立生活センターを設
立し、人生を自立生活運動を捧げてきた。

彼女は、「私は元気になって施設から出られたからいい。でも、手
助けがあれば、自立できる多くの仲間が、施設で暮らしている」と
心を痛めている。

 施設では、懸命に献身的に、安い給料で悪い労働条件で、働いて
おられる職員の方々は多い。その方々には本当に頭が下がるし、施
設を否定するのではない。

実際、施設での生活を望んでいる障害者もいる。

ただ、一方で、地域で自由に暮らしたいと、障害者本人が願ってい
る場合には、それをかなえる環境づくりも大事である。


 今日の懇親会では、鳩山由紀夫代表を囲んで、車いすの方々がマ
イクを握り、募る思いをぶつけた。

民主党代表 鳩山由紀夫さんへ 要望を伝える

民主党代表 鳩山由紀夫さんとの 懇談



「『ありがとう、ごめんなさい』とだけ毎日言って施設で生きてき
た。私はいま自立生活ができているからいいが、仲間にも望めば自
立生活ができるような社会にしたい」

「関西から来た。自分の住んでいる町と東京では、障害者福祉に落
差がありすぎる。いい加減にしろ!と言いたい」

「障害のある人々が毎日夕方6時以降に、睡眠薬で寝かされ、オム
ツをつけての生活を強いられている施設もあった。障害者が差別さ
れる社会を一日も早く変えてほしい」


 「多くの障害者は地域で自立して生活したいと願っているんです。
この点について、民主党はどう考えているんですか!?」という厳
しい質問が、鳩山さんに飛んだ。


 「障害者であるがゆえに差別される現状を変えたい。望めば自立
して生活できる社会をつくるために民主党も力を入れていく」と鳩
山さんは語った。

また、昔、鳩山さんが留学していたカリフォルニアと、日本との障
害者福祉の落差についても話をされた。

 そして、「日本の障害者福祉の遅れている現状に対して、自分と
してもお詫びしたい気持ちだ」と鳩山さんは言った。


 確かに、日本の障害者福祉の遅れは、鳩山さんの責任ではないか
もしれない。しかし、このような集りに政治家が来れば、「何とか
して下さいよ」と言いたくなるのも当然だ。

書き出せばキリがないが、私はこのトークを40分くらい聞きなが
ら、熱いものがこみあげてきた。

 日本の歴史上、政党の党首、野党第一党の党首が、このように多
くの障害者に囲まれて生の声を聞いたことがあったのだろうか。

不思議なもので、このような会合には新聞記者も来ない。報道もさ
れない。

 この会合の中で、私は多くの障害のある方々と出会った。一人ひ
とりから切実な要望も聞いた。ずっしりと責任を感じた。

たとえば、札幌から担架(たんか)のような、病院で使うストレッ
チャーのような、大きな車いすに乗って、寝たきり状態で参加して
いる女性は、
「自分は寝たきりなので、飛行機に乗ると二人分、倍の運賃を払わ
ねばならない。何とか一人分ですむようにしてほしい」という声を
聞いた。

確かに、スペースを二人分とると考えれば運賃も二人分になる。

しかし、実際には一人なのだから、運賃はやはり一人分でいいので
はないか。


 トークでの要望は一言で言えば、
「日本版ADA(障害者差別禁止法)をつくってほしい」という要
望に尽きる。

アメリカでは、障害者が移動などで、不自由を強いられないような
権利法が1990年にできているのに、日本ではまだないのだ。


 最後に鳩山さんは、会場の参加者に3つのことを約束した。

1)施設だけの選択でなく、のぞめば地域で、自立生活ができる
  障害者福祉を推進する。

2)どこでどのように住み、暮らすかを、当事者(障害者本人)が
  自己決定できるようにする。

3)日本版ADA、つまり、JDA(障害者差別禁止法)を一日も早く
  つくりたい。


 鳩山さんの演説が終わるや否や、会場全体から、「ウォー!」と
いううなり声が巻き起こった。

手を十分に叩くことができない、障害者の方々が、身体をよじりな
がらも、必死に手を叩いている。


 その歓声を聞きながら、私は、「これが政治なんだ」と感じた。

夢を形にする。切なる願いを現実のものとする。それが政治である。

 もっと言えば、今までの常識や延長線上では、不可能に思えるこ
とを、「エイ、ヤー!」という勢いで一気に、早急に実現する。

憂いやあきらめを希望の光に変える。それが政治である。政治でし
かできないことだ。


 残念ながら、民主党は野党である。

しかし、与党がこのような問題にほとんど関心を持っていない以上、
私たちが頑張るしかない。

上記の3項目は、鳩山さんの約束であるが、同時に、私自身の約束、
公約でもある。

なぜなら、外交問題、金融問題など、あらゆる問題に忙しい鳩山さ
んに、じっくり障害者福祉をフォローしてもらうのは事実上、不可
能だからだ。

それゆえ、鳩山さんの発言に責任を持つのは、鳩山さんだけではく、
今日出席した堀議員、石毛議員、そして、私である。

 樋口恵子さんについて詳しくは、ホームページ
http://www.ilpeer-net.com を見てください。
また、前述の高比良正司さん(日本のNPO運動の第一人者)の
ホームページも見てください。


樋口恵子さんへの応援のメッセージをここに載せます。

 ILピアネット代表 安積遊歩さん
 「樋口恵子は立ち上がりました。長く社会に無視されていた歴史
を変えるために。日本の政策決定の場へ、初めての女性障害者を送
りましょう」

 人材育成コンサルタント 辛淑玉さん
 「樋口恵子を見て欲しい。見続けて欲しい。何も語らなくても、
彼女と会うだけで生きることの意味が見えてくる。重要なのは、彼
女は私たちの社会にいるということだ。それだけで、私たちは変わ
ることが出来る。だから、彼女を政治の舞台に送りたい」


 今日、トークで思いを語ったある車いすの女性は、たどたどしい
震える声でこう語った。

「自分は以前、施設で暮らしていた。その施設生活の中で、日々私
が受けたメッセージは、『あなたがいないほうが社会は助かるのよ』
というメッセージだった。私はそんな生き方を今後、再び迫られる
ことがあるなら、舌を噛み切って死にたい」


 会合が終わってから、仲間と話をした。
「明日の小泉さんの所信表明演説の中に、JDA障害者差別禁止法
なんか入らないかなあ。小泉さんは介護保険を導入した時の厚生大
臣だったんだけどなあ」と私。

「明日の小泉さんの演説の原稿を入手して調べたけれど、障害者福
祉については『バリアフリー』という言葉が1ヶ所出てくるだけ」
と知人。


 また、明日から国会が再開。頑張りたい。山井和則 拝

追伸1
 今日、会場で樋口恵子さんのパートナーである、近藤秀夫さんに
初めて会った。車いすで町田市の福祉課職員になった第一号である。
私が名刺を差し出すと、
「山井さんのメールはよく見てるよ。あんた、よく書くねえ。あん
たは『メール魔』だねえ」と笑われた。でも、嬉しかった。


追伸2
 懇親会の中で、仙台から来たというある電動車いすの青年が、私
の新刊「福祉メールマガジン 福祉現場VS国会」(講談社、1700
円)を持って、私のところに来てくれた。
「仙台の本屋で買ったところです。まさか、今日、山井さんに会え
るとは思ってませんでした」とのこと。サインをし、記念撮影した。
感激!


追伸3
 私の尊敬する同僚議員である、細野さんの今回のメールマガジン
を是非、お目通しください。彼も私と同様、この連休に障害者福祉
について考えたのです。冒頭だけ紹介します。
 
細野豪志の国会へ行こう#34『障害者福祉を考える』

■ゴールデンウィークの過ごし方
皆さんゴールデンウィーク中はどのように過ごされたでしょうか。
GW中は国会も休みですので、国会議員も自由な時間を過ごします。
行事にこまめに出席する議員、海外視察に出かける議員、再開され
る国会に備えて議員立法などの準備をする議員、もちろん、滅多に
一緒の時間の取れない家族と過ごす議員もいます。

私は、選挙区内にある障害者関係の施設を集中的に見てまわりまし
た。

■障害者施設をまわった理由
最近、立て続けに、何人かの方から障害者福祉に対する要望をいた
だきました。
養護学校の中等部を卒業した後に、近くに高校がないので困ってい
る方。
お子さんが入っている施設が、児童用から大人用に変わるため、出
ていかなければならないのではないかとの不安を訴える方。
小中学校のバリアフリー化を訴える方。

役所の説明は東京で聞けるのですが、今一つピンときません。
学生時代に、障害のある方の外出支援を、何度か経験したものの、
議員になってからは、まだ障害者福祉の問題に本格的に取組んでい
ません。現状を見てまわる必要性を切実に感じました。

 詳しくは、細野さんのホームページ(随時更新中)へ 
http://goshi.org/

☆やまのい和則の「軽老の国」から「敬老の国」へ☆
    (2001/05/07現在 読者数 1354)


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