自己紹介

名前 バイソン
住所 京都府宇治市
年齢 40代
性別
趣味 登山、読書

 
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2009. 1 2009. 2 2009. 3 2009. 4 2009. 5 2009. 6
2008. 1 2008. 2 2008. 3 2008. 4 2008. 5 2008. 6 2008. 7 2008. 8 2008. 9 2008.10 2008.11 2008.12
2007. 1 2007. 2 2007. 3 2007. 4 2007. 5 2007. 6 2007. 7 2007. 8 2007. 9 2007.10 2007.11 2007.12
2006. 1 2006. 2 2006. 3 2006. 4 2006. 5 2006. 6 2006. 7 2006. 8 2006. 9 2006.10 2006.11 2006.12
2005. 1 2005. 2 2005. 3 2005. 4 2005. 5 2005. 6 2005. 7 2005. 8 2005. 9 2005.10 2005.11 2005.12
2004. 1 2004. 2 2004. 3 2004. 4 2004. 5 2004. 6 2004. 7 2004. 8 2004. 9 2004.10 2004.11 2004.12
2003. 1 2003. 2 2003. 3 2003. 4 2003. 5 2003. 6 2003. 7 2003. 8 2003. 9 2003.10 2003.11 2003.12
2002.11 2002.12


2009.6.7
 群馬県赤城山の記録を公開しました。山梨県瑞牆山の山頂部には残雪があったのですが赤城山にはまったくありませんでした。赤城山黒檜山は対岸の地蔵岳などとともにカルデラ湖である大沼(おの)の外輪山を形成している複式火山です。北海道の摩周湖や青森・秋田県の十和田湖と同じような構造の湖で、車で山坂道を登り切ってはじめて見ることできます。登山もいいですが市街地から離れた風光明媚な観光地でした。
 毎年6月5日に宇治では県祭があるのですが、今年は新型インフルエンザのため「梵天渡御(ぼんてんとぎょ)」や「露店の出店販売」等が中止となりました。
 

2009.5.24
 5月の五連休前半の二日間、山梨県の瑞牆山と群馬県の赤城山に登って来ました。瑞牆山山頂部の黒森分岐から先の登山道は雪に覆われ、凍結したところもあり危険な状態でした。急に行くことにしたので準備不足だったことや標高が高くないので油断してアイゼンを用意しなかったことは悔やまれます。山頂からは五丈岩が目印の金峰山や、甲斐駒・仙丈と北岳・間ノ岳・・・と連なる南アルプス、遙か遠くに大きな富士山と昨年登った山々が見えました。
 昨日5.23(土)、新型のトヨタWISHが納車されました。勇退させた旧型WISHは約6年間で107000km余り走行し、山行や歩きなどで車中泊は34回を数えました。あちこちを擦ることはありましたが大きな事故やトラブルなく過ごすことができました。今回の車両入れ替えは旧型から新型に乗り換えですので車両感覚がほぼ同じで違和感なく車を操作できるのがいいところです。
 

2009.4.12
 先週の日曜日、塔の島公園に行き、いい桜を撮ることができました。今年、暖冬でさくらの開花は早い予想でしたが、塔の島公園の桜は平年並みか、ここ2,3年のうちではむしろ遅いめだったように思います。宇治ではこれから「あがた祭」、「宇治川花火大会」・・・と毎年恒例の行事が続きます。今年もできる限り、これらのものを撮影したいと思います。
 

2009.3.22
 今月3月6日(金)に第31回気象予報士試験の合格発表がありました。気象予報士試験は、多肢選択式の学科試験2つ(予報業務に関する一般知識と、予報業務に関する専門知識)と、記述式の実技試験がある国家試験です。僕は第30回(前回)の試験で学科一般を合格していましたので、今回は学科専門と実技を受験し、合格することができました。3月8日(日)東海道歩き最後の二日間から帰宅すると、気象予報士登録申請書が届いていましたので、それを提出し気象予報士の登録も終えました。
 気象観測の方法や天気予報の発表の仕方は、例えば20年前からすると、大きく様変わりしています。従来からの地上観測や高層観測に加え、アメダスや気象レーダーによる解析やウィンドプロファイラによる上空の風、気象衛星による雲画像などの解析がなされ、それらのデータを格子点ごとに気圧・気温・風などの値としてコンピューターを活用して数値予報されています。一定形式の様々な図表や、多様な画像などから、地図上に気象現象を起こしている大気の立体図を描いたり、時系列に並べ今後の予想図から出された予報を読むだけでなく、防災関係や季節予報などの情報も発表されており、それらも読めるようにと思っています。
 僕は気象庁に勤務されていた作家の新田次郎氏の作品を読むにつれ、同氏に大きく影響されたことや、空や海についてよく知りたいという気持ちを試験合格という形で実現することができ嬉しく思っています。まだまだ技量不足ですが、発表された図表や衛星画像、空や雲の見分などを通して、さらに知り、今後様々な場面で、得た知識や資格を生かすことができればと思っています。
 

2009.2.28
 新田次郎氏の小説・短編集を読みました。小説「孤愁サウダーデ」は同氏の絶筆となった未完作品です。小説に登場するポルトガル領事のモラエスは実在の人物でラフカディオハーン(小泉八雲)とともに日本をヨーロッパに紹介した人物として知られています。モラエスは神戸でポルトガル領事を務めたあと妻ヨネの故郷である徳島市で晩年を過ごされ、現在は徳島市の眉山にモラエス旧宅が残されているそうです。6年前、徳島市内を歩きましたが、モラエスのことは知らず、何も気付きませんでした。
 短編「富士、異邦人登頂」は江戸末期の1860年にイギリス公使オールコックが江戸から藤沢、小田原、そして箱根を越え、富士宮の村山から登山道を富士山頂へ登ったことを描かれていました。昨年の夏に富士宮市村山から村山古道を標高1600m地点まで歩きましたが、その同じルートのことが描かれていました。今回、他にもいくつか短編を読了しましたが、なんとも感慨深いものがありました。
 

2009.1.29
 東海道十六日目の記録を更新しました。東京や日本橋までの距離が、青い道路の上に掲げてある案内板のものと距離ポストのものでは違っていました。青い標識の東京は新宿都庁のことのようです。また今回東海道十六日目のページを作成するため撮影したデジカメ画像を見てはじめて気付いたのですが、国道1号線沿いの日本橋との距離をあらわす道路脇の距離ポストの表示が、大磯町西小磯では”日本橋まで69km”でしたが、平塚市の相模川馬入橋上では”日本橋から62km”とあり、”まで”から”から”に変わっていました。どこから変わるのか興味あるところです。
 

2008.12.29
 今月の6日(土)、JR小田原からJR茅ヶ崎までの26.5kmを歩いてきました。前回11月3日に見た富士山山頂は黒かったのですが、今回は五合目あたりまで白くなっていました。この先は富士を左後方に歩くことになります。また今回の更新では「東海道写真集」の14,15日目と16日目のコメントを追加しました。
 年内と年始めは日程が取れませんが、次回は二日間歩き、東京日本橋に至りたいと思います。
 

2008.11.29
 この夏、富士山頂から下山した御殿場口新五合目を東京日本橋に向かって再出発しました。今回は御殿場口新五合目から乙女峠、箱根を越えJR小田原駅までで、通算十一日目に富士川を渡り分かれた旧東海道と箱根湯本の三枚橋で合流しました。東京日本橋まで残り80km余りですのであと三日です。
 

2008.10.19
 この秋、秩父山塊の北奥仙丈岳と金峰山、南アルプスの甲斐駒ヶ岳と仙丈岳を登ってきました。秩父の山は大弛峠に車を停め、東側の北奥仙丈岳と西側の金峰山を登りました。大弛峠は車で到達できる最高地点の峠とのことです。今回、長野県側の県道からアプローチしましたが未舗装路なので、距離では遠回りになっても舗装してある山梨県側から入るほうが良さそうです。
 甲斐駒ヶ岳と仙丈岳は憧れの山でした。南アルプスの北端に位置するので北アルプスや八ヶ岳、中信高原などからよく見え、白く尖った甲斐駒ヶ岳と大きく横に広がった仙丈岳をいつも見てきました。今回、北沢峠下のテント場をベースにして二泊し、ゆっくり登ることができました。
 

2008.9.15
 東海道十二日目・十三日目の富士登山を「山行記録」と「山岳写真集」のページからも見られるようにリンクを張りました。内容は同じです。また「山岳写真集」はページ内にラベルを張り、「山」を探しやすくしました。
 「本当にやりたいことは最後にちょっとだけやる」というつもりで三条大橋からずっと歩いてきましたが、途中からは「旧東海道」を歩くことがおもしろくなってきました。今回で当初の目標である富士山頂に至ることができましたが、次回、御殿場口新五合目から日本橋に向かって歩くことにします。もう少しお付き合い下さい。
 

2008.8.7
 昨年(2007年)の2月、京都三条大橋を出発した「東海道富士登山」ですが、通算十三日目にして富士山頂に辿り着くことができました。
 今回初日の十二日目は、前回区切り終えた村山浅間神社を出発し、村山古道から富士宮口六合目を目指しましたが、村山古道を六合目まで完全踏破することはできませんでした。今回のルートは一般的な道ではないので、1:25,000地形図やコンパスのほか、携帯GPSも用意し歩きましたが山麓から予定していたルートを何度か外してしまい、標高1140mあたりでは踏み跡を見失い、ヤブの中に入ってしまいました。携帯GPSにより現在地はほぼ捕捉でき、村山古道へ戻る方向もわかっていましたが、ヤブが深く、姿勢を低くしても思う方向に進めない状態でした。そんな中、ストックを一時なくしてしまったり、日頃の運動不足に加え、発汗により塩分を失ったことなどから足がつってしまいました。こうなるとどうしようもないのでしばらく座り込んで手持ちのパンやお茶を飲んで休憩しました。足の「つり」がやや治まったので、ゆっくり歩き始めたところ幸運にも見失ったストックを発見し、村山古道の踏み跡に戻ることもできました。充分な下調べや試登もせず、踏み跡を辿っていくのは困難だと感じたので林道に出てタクシーを呼び撤退しようかと思いましたが、結局標高1600mの富士スカイラインとの交差地点まで村山古道を歩きました。その先もなんとかなりそうな気もして決断に時間を要しましたが、標高2500mの六合目までエスケープルートがないことなどを考え、車道の富士スカイラインを歩く安全策をとり、早朝から約13時間かかって富士宮口六合目の宝永山荘に到着しました。
 翌日(十三日目)は予定通り、六合目から富士宮口を登り、富士山頂に至ることができました。最後、剣ヶ峰への急坂は金属製の手摺りにつかまりながら一歩一歩進みました。この僅かな一歩一歩でも積み重なると京都から富士山頂まで繋がることを改めて実感し、当初の大きな目標を達成することができ、うれしく思いました。
 

2008.7.24
 今年も乗鞍岳に行って来ました。手軽に3000mまで登れるのでお気に入りの山です。乗鞍岳は東海北陸道の飛騨清見ICから高山市内の国道41号線付近まで自動車道が整備されましたのでさらに近くなりました。ご来光バスに乗れず、お花畑周回路も歩くことができませんでしたが、この夏3776mまで登るための高所順応はできました。
 

2008.6.28
 5月4日の那須岳の記録をアップしました。ゴールデンウィークの真っ直中で、宿泊した健康ランドや登山口駐車場の混雑、高速道路はもちろん一般道も大渋滞である意味、ゴールデンウィークを満喫しました。帰りは東京周りで東名高速を走り、どこかで車中泊して富士山スカイラインで五合目まで行き、下見もしたかったのですが、あきらめました。
 6月後半になって週末毎に梅雨らしくなりなかなか山行の機会に恵まれません。ガーミン社の携帯GPSと地図ソフト(TOPO-10M)を購入したのですが山行では試せていません。天気のことだから仕方ないのですが少々残念です。
 

2008.5.31
 5月3,4日と南東北の磐梯山と那須岳を登って来ました。日程に無理があり遠距離でもあったのですが、両方で雪を踏む山行ができました。近々那須岳の記録もアップします。
 

2008.4.27
 東海道十日目は藤枝から宇津ノ谷峠を経て丸子宿で角を曲がって突然見えた富士山に驚きました。京都三条大橋から東海道を経て富士山頂に至ることが歩きの目的なのですが、富士山を見ることなく旧東海道をずっと歩いているとそのことを忘れてしまい目先の行程ばかりに気が入ってしまってました。日常の中でもよくあることかも知れません。静岡市街に入り青葉シンボルロードでは様々な奇妙なオブジェを目にしました。それぞれのオブジェに関連性は見い出すことはできませんでしたが、文化度の高い洒落っ気を感じました。静岡県はまだ歩き終えておらず途中ですが富士山を有することや歴史上の上でも、東海道の、または日本の中心という感じがしました。
 東海道十一日目は興津から薩た峠を経て由比・蒲原宿、富士川を渡って旧東海道と分かれ、富士宮市の村山浅間神社まで歩きました。旧東海道の道程は山と渓谷社の「東海道を歩く」や東海道を歩かれた方々のWebページを参考にしましたが、ここからしばらくの行程は資料が少なく自分でルートを決めることになります。この度もあらかじめ歩くルートは考えてましたが現地で変更しました。村山浅間神社に到着し参拝したあと、富士山に向かって村山古道を少し上ってみたりしながら日没を待ちました。夕方西の空に雲がかかってしまったので顕著とはなりませんでしたが赤く染まった富士の頂を見ることができました。次回はいよいよ麓の村山浅間神社から村山古道を経て富士山頂へ至ります。
 

2008.3.27
 東海道九日目は掛川から日坂、中山峠を経て金谷、大井川を渡り島田、藤枝と歩きました。そろそろ富士山が見えるかと期待していましたが、この日、見ることはできませんでいた。小夜の中山への峠道や、菊川坂石畳・金谷坂石畳など整備され復元された旧東海道や広い川幅の大井川が印象的でした。
 また今回は歩きの記録をまとめることなく次の歩きに出かけました。3月15、16日は寒冷前線が通過し、黄砂や春霞みの影響が少なく富士山がよく見えるだろうと予想しましたが、両日とも富士山がよく見えました。富士山麓の富士宮市、村山浅間神社まで行ってしまったので次の富士山頂への行程は夏となります。近々、この度の東海道十日目・十一日目の記録をまとめます。
 

2008.2.22
 東海道八日目は浜松・磐田・袋井・掛川と静岡県西部の都市を歩きつなぎました。袋井宿は東海道五十三次の27番目の宿場でようやく「東海道の中間点」まで至りました。このあたりの街道沿いには、金原明善記念館や澤野医院記念館、また東海道どまん中茶屋などがあり、地元やボランティアの方々で運営されていて館内を案内して頂いたりお茶やお菓子を頂戴しました。ありがとうございました。そろそろ富士山が見えるところまで来ましたが、今回は見えず次回にお預けになりました。
 新田次郎氏の密航船水安丸を読了しました。及川甚三郎という実在の人物の生涯を描いた小説で明治時代に日本国内の産業だけでなくカナダ・バンクーバーでも多くの事業を手掛けて日本人の理想郷をつくるため帆船で太平洋を渡り移民させることなどもされました。同氏は小説で様々な人物の興味深い業績を描き紹介されています。
 

2008.1.20
 東海道七日目は、2007年11月23日(金)JR東海道本線の電車を乗り継いでJR豊橋駅近くのビジネスホテルで前日泊しました。週末旧東海道を日帰りで歩く場合、早朝宇治の自宅を出発すると8時頃からの歩き始めとなりますが、前日泊すると早朝から歩けるので、日没時刻が早く行動可能(撮影可能)時間が少なくなるこの時期では特に有効な方法だったと思います。しかし宿泊代が余分にかかるので、新幹線は往復とも利用せず経費を切りつめました。時期によっては青春18切符を使えるのでさらに安くなります。次回はJR浜松駅からJR掛川駅まで歩くつもりです。
 

2007.12.5
 12月2日(日)宇治橋から橋寺、大吉山(仏徳山)、興聖寺、恵心院、塔の島公園、平等院参道と宇治周辺の紅葉を見てきました。毎年、11月下旬から12月上旬が紅葉の見頃で多くの観光客で賑やかです。また先月の11月24日(土)はJR豊橋駅からJR浜松駅までの約36km、東海道七日目を歩いてきました。「東海道写真集」の画像のみをアップしています。後日、「東海道写真集」のコメントと「記録」を公開します。
 

2007.11.15
 10月20日、岡崎市から豊橋市まで東海道を歩いてきました。東海道三日目夕方に到着した三重県四日市市からずっと名古屋市やその周辺の平坦な市街地が続いていました。今回、岡崎宿の先、藤川宿から赤坂宿の間では小さな分水嶺があり、山あいの自然豊かな道が続いていました。また宿場町の風情もここまでの宿場町と同様に残されており松並木や常夜燈、一里塚なども数多く見かけました。夏の間は東海道を歩かなかったので久しぶりに東海道の風情に触れ懐かしい感じがしました。
 今回午後5時過ぎに日没を迎え、暗くなってきたのでJR豊橋駅までとしました。四国と比べて東に位置している(名古屋周辺で経度差4度ほど)ので日没時刻はほんの15分ほどの違いですが、差を実感しました。豊橋市では号砲が聞こえ、季節はずれの花火大会でもあるのかと思っていましたが、「豊橋まつり」で駅前の道路は交通規制がひかれ、道路は大勢の人で埋め尽くされていました。「豊橋まつり」は参加型の祭りイベントのようで、見ている人より参加し踊っている人の方が多い感じで賑わっていました。
 今秋からまた東海道を東へ向かいます。春には富士山の麓に達し、夏、麓のまちから富士山頂に登りたいと思っています。amazonで「富士山村山古道を歩く」という本を見つけました。この本を読むまでは、車道の富士山スカイラインを歩き富士山五合目へ向かおうと思っていましたが、平安末期に開かれ、しばらく廃道をなっていた幻の村山古道が地元の方々のお陰で復活したということなので、できればこの道を歩いてみたいと思っています。
 

2007.10.23
 10月6〜7日、立山に行って来ました。今年はラニーニャで夏は猛暑、また秋になってからも残暑厳しく、例年では紅葉も見頃を過ぎていることが多いようですが、今年はむしろ見頃前といったところでした。二日間とも天候に恵まれましたので、初日夕方は夕陽に輝く立山連峰や暮れてゆく雷鳥沢にピンク色のガスが立ち込めていく様子を見ることが出来ました。また翌日はまだ暗い午前5時頃から、ゆっくりと明けていく夜空や東の空に輝く月と金星、また雲の色が刻々と変化する様や奥大日岳に朝日が射し、そのオレンジ色の領域が次第に下がっていく様子を見ました。
 朝食後、家族とともに室堂から一ノ越を経て立山雄山、そして立山最高峰の大汝山まで登ってきました。登山道から見える室堂平はまだ濃い緑が残るなか、チングルマやナナカマドなどが紅葉していて、澄んだ空気を通して裏銀座の山々や薬師岳、笠ヶ岳、槍ヶ岳、富士山、白馬方面の山々など山岳風景も楽しめました。
 

2007.9.30
 尾瀬(至仏山・燧ヶ岳)の山行記録と、大峰山の山岳写真集と高山植物写真集を作成しました。尾瀬ではガイドブックなどの標準コースタイムの1.5倍ほどの時間をかけて歩いていたようです。写真を撮りながらのひとり歩きなので時間を気にする必要がありませんが、1日目夕立がいつ降り出すかと、2日目戸倉に行きの乗合バスが大清水発15:50でしたので、後半少々急ぎました。真夏の尾瀬(特に二つの山)は人が少なくて静かでしたが、初夏ミズバショウの頃か、秋の紅葉の頃にもう一度訪れたいところです。
 涼しくなってきたので愛知県岡崎市まで至った東海道の続きを歩きたいと思います。この秋から再開し、来年の春までに静岡県富士宮市まで歩き、夏に富士山頂へ至れないものかと考えています。
 素晴らしい才能を持った人から影響を受けますが、新田次郎氏は気象庁職員で富士山気象レーダー建設に携わり、退職後は執筆活動に専念し、山岳を舞台とした登山や気象に関する小説や、特異な生涯を送った人物を題材とした小説などを描かれました。その新田次郎氏の作品を読んだり、自分自身でも気象のことを調べ、空や海を知りたいと思います。
 

2007.8.12
 7月28日、乗鞍岳に行って来たときの「山岳写真集」と、8月8,9日の尾瀬(至仏山・燧ヶ岳)の「山岳写真集」を作成しました。7月の乗鞍岳は、ほおのき平駐車場で車中泊してご来光バスに乗り、富士見岳を経て乗鞍岳山頂を往復してお花畑を一周しました。何度も歩いている行程ですが、行く度に違った山の様子が見られました。8月尾瀬は戸倉に車を駐車し、一日目は鳩待峠から至仏山を経て尾瀬ヶ原に下り、山ノ鼻、竜宮、見晴を木道を歩き見晴の山小屋に泊まりました。二日目は見晴から見晴新道を経て燧ヶ岳の柴安ー、俎ーの山頂に至り、長英新道を尾瀬沼に下って三平峠を経て大清水に戻りました。至仏山や燧ヶ岳は人が少なく、尾瀬ヶ原や尾瀬沼でも延々と続く木道以外、人工物がない景色でとてもいいところでした。乗鞍岳と尾瀬の「高山植物写真集」と「山行記録」は後日、作成します。
 

2007.7.22
 福井県荒島岳の記録をアップしました。ニガナやコイワカガミなど高山植物や白山、乗鞍、御嶽など山体の大きな山が綺麗に見えました。これらの山々は東から見ることが多いのですが、今回は西側から見て少々、不思議な感じがしました。今月はラニーニャで梅雨明けが早いと思っていたのですが、土日ごとに梅雨や台風など雨模様なので山行できずにいます。来週はどこかに行ければと思っています。
 

2007.6.24
 東海道五日目の記録を1ヶ月遅れでようやく作成しました。前回は名古屋市街に西から入りましたが、今回は名古屋市街から東に抜ける道程で市街地を歩きました。東名高速道路ではこのあたりの少し東の山間を20分足らずで走り抜けるので馴染みが少なかったのですが、伝馬や呼続、鳴海、有松、前後、豊明、知立、宇頭など少し詳しい歴史書に出てくる地名にたくさん出会えました。歴史ある町、そして街道筋なのでしょう。次回からしばらくは今回区切った岡崎から東海道新幹線を一駅ずつ東へ向かうことになりそうです。
 

2007.6.3
 5月の連休、九州のお山に行って来ました。5月2日夕刻に京都を出発し3日深夜にえびのPAに到着し車中泊で仮眠、5月3日に7年前に歩いたことがあるえびの高原から高千穂河原への鹿児島県・宮崎県境、霧島連山の縦走と高千穂河原から高千穂峰の往復をしました。7年前は高千穂峰には翌日登ろうとしましたが悪天のため撤退したので今回が初登頂でした。二日目の5月4日は宮崎県・大分県境の祖母山に登りました。九州のお山は(屋久島の宮之浦岳を除いて)火山というイメージがありましたが、祖母山は紀伊半島の山々や四国山地の石鎚山など、西日本の中央構造線南側に位置する褶曲山脈で急峻な峰がつながっていました。大崩山〜古祖母山〜祖母山の縦走をされている方々はテントを担がれていて中部山岳のアルプスのような雰囲気がありました。自宅宇治からえびの高原までほとんどの行程で高速道路の利用ができましたが約850kmの長い道程でしたので、車中3泊しました。
 

2007.5.13
 東海道四日目は、三重県四日市市のJR富田浜駅から愛知県名古屋市中川区のあおなみ線中島駅まで約31kmを歩きました。河口に近いこのあたりでは揖斐川・長良川や木曽川の川幅は1km近くもあり、三河川以外にも中小河川がたくさんあるので増水時には辺り一帯が浸水してしまうことが多かったことでしょう。そのためかつては川渡しをせず、「桑名」から「宮」までを船で繋ぎ「七里の渡し」としていました。今ではそれら河川に橋が架かっていますので、国道1号線を東へ辿りました。
 

2007.4.1
 旧東海道歩きの3日目となった今回(3/17)は三重県のJR関駅から亀山宿・庄野宿・石薬師宿・四日市宿と4つの宿場町を繋ぎました。宿場町の中では最も小規模で最も遅くできた庄野宿が印象的でした。庄野宿には現在も本陣跡や資料館があり、館内の案内の方に説明して頂いて江戸時代当時の様子を感じ取ることができました。今回歩いた道はずっと平地で峠や山道がなく変化が少ないように思いましたが、いろいろな町や沿道を歩いて、その土地の文化や歴史、生活を察し、人との関わりを考えながら歩きました。
 どんな小さな町や集落にも道が繋がり家や田畑、そして商店や学校があります。町が大きくても小さくてもそこはそこに住む人々の生活の基盤がありました。歩きながら通り過ぎるだけの旅人でしかありませんが、そんな町や人の生活の一つ一つに敬意を持ち大切にしたいと思いました。
 

2007.3.11
 今回(2/25)はJR三雲駅から鈴鹿峠を越えてJR関駅まで、旧東海道の宿場としては水口宿・土山宿・坂下宿・関宿と4つの宿場町をつなぎ33km余りを歩いてきました。どの町も旧東海道の石碑や史蹟が残されていました。特に土山宿や関宿では宿場町を意識した景観づくりをされていて町並みを見せる意図を感じました。旧東海道を歩くものとしてありがたいことです。また鈴鹿峠は滋賀県側からは緩い坂が続きますが峠を越え三重県に入ると急峻な地形となるので階段となります。今年は雪がありませんでしたが例年なら土山宿でも街道脇にも雪があるということなので峠道にも雪が残り、まわりの山々の稜線は白いことでしょう。ところで初回1日目は京都三条大橋から滋賀県の三雲まで、そして今回2日目は三雲から三重県関宿と「三」に縁があり、それが橋から地域そして県とだんだんとスケールアップしています。次回三日目は、三の次で四日市までかなぁ、とか思っています。単に語呂合わせでしかありませんが。
 新田次郎氏の「富士山頂」を読了しました。この小説は同氏が気象庁に勤められていたとき最後の大きな仕事となった富士山気象レーダー建設のとき気象庁担当者だった経験を小説にされていました。同氏は登山関係の小説や歴史小説が多いですが、気象庁での経験を生かされ富士山に関する小説も多く書かれています。台風監視の砦として活躍してきた富士山気象レーダーは1999年にその役割を終え、ひまわりなどの気象衛星が取って代わることになりました。様々な困難ののち建設された気象レーダーが取り外されることになって当時建設に携わった方々はどのような思いだったことでしょう。また新田次郎氏がご存命なら・・・。
 松尾芭蕉の言葉の一つに「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ。」というのがあります。富士山気象レーダーの取り外しに関して考えるなら、「時代が変われば必要だったものがそうでなくなることがあるが、それを作った(台風など気象災害を防ぐという)精神は変えず追求し続けよ。」ということになるでしょうか。いかに時が流れある目標達成のための手段を変えることになっても、初志を見抜きそれを貫こうとする心を持ち続けようということです。
 

2007.2.21
 富士山へ向かって東へ歩き始めました。主に冬と春の時期に「旧東海道」を何年かかけて富士山麓まで歩き、山頂へは夏に登るつもりです。今回は2月3日(土)に京都三条大橋を起点として「旧東海道」を山科・大津・瀬田・草津・石部そして三雲と歩いてきました。「山と渓谷社」の歩く旅シリーズ、「東海道を歩く」を参考文献として歩きましたが、その本によると三条大橋から石部まで37.7km、石部から三雲まで推定7kmでしたので、今回は推定44.7km歩いたことになります。四国のとき一日に歩いた最長距離は高知県土佐市から須崎市までの40.8kmでしたので今回もちろん自己最長距離です。次回は今回歩き終えたJR三雲駅から鈴鹿峠を越えて関まで歩く予定です。
 また富士山頂へ至る「東海道 富士登山」の記録を順次、公開していきます。何年か、かかりますが、また見に来てやって下さい。
 

2007.1.30
 新田次郎氏の「怒る富士(上・下)」を読了しました。宝永4年(1707年)12月16日新暦に始まった富士山の宝永噴火によって被害を受けた農民や関東郡代・伊那半左衛門の生き様を描いた”小説”ですが、多くの資料やその引用が取り入れられており、宝永噴火による被害状況が実録的に伝わってきます。
 今年(2007年)は宝永噴火からちょうど300年の年であり、富士山はユネスコ世界文化遺産候補の暫定リストに追加登録もされました。以前、世界自然遺産の候補とされていましたが、ゴミなど環境保全の問題があり、この度は世界文化遺産としての候補となったとのことです。
 富士山は山梨県や長野県、群馬県から見ても静岡県側から見ても一際目を惹く存在で、その容姿はまさしく「美しい」と思います。宇宙から日本列島を見たとき、人が作った高速道路や新幹線など鉄路、橋やビルなどはかなり地上に近づかないと判別できないでしょうが、富士山はかなりの上空からでもその存在が確認できることでしょう。
 

2006.12.20
 ペンタックスのデジタル一眼レフカメラ「PENTAX K10D」を購入しました。発売前の1ヶ月前からカメラ専門店で予約していましたが、発売日に手にすることができず、次の納期は未定でかなり遅れる見込みということだったので、発売日(11/30)に大手家電店でも予約したところ(12/8)にカメラ(本体のみ)が手に入りました。
 交換レンズは、「PENTAX istDs」とセットで購入した18mm〜55mm標準ズームのほか、50mm〜200mm望遠ズーム、21mm単焦点レンズ、タムロン製90mmマクロのレンズ構成となりました。新しい「PENTAX K10D」の映りは噂通りなかなかのものです。画素数が増え画質が高まっただけでなく、手ぶれ補正機能やCCDのほこりを落とすダストリムーバル機能など付加されました。
 今回の更新では宇治百景の「興聖寺」が「PENTAX K10D」で撮影したものです。
 

2006.11.21
 前々からずっと行きたいと思っていた高野山町石道を歩いてきました。九度山町のどこかで車中泊して早朝から登ろうかとも思いましたが、京阪宇治から中書島行きの二番電車に乗れば8:10に南海高野線九度山駅に到着できましたので鉄路で行きました。
 九度山駅から慈尊院までは25分ほどの車道歩きで、慈尊院にある出発点の百八十町町石を探したのですがわかりませんでした。町石道の歩きはじめは登りがしばらく続きます。途中、展望台がありますが、展望台からの眺めが格別素晴らしいわけではないので時間がなければ省略してもよいと思いました。このあたりは柿の果樹園となっているのでどこからでも紀ノ川など眼下の景色が眺められます。赤白の塔を越えて山に入ると杉林に囲まれ、ひたすら登りの道となり慈尊院から1時間30分で「六本杉」に到着しました。ここからは起伏が少ない里山らしい道となり、二ツ鳥居まで続きました。二ツ鳥居あたりの町石は百二十町でしたので、全百八十町の1/3を歩いたことになり2時間を要しました。
 二ツ鳥居から道は下り、ゴルフ場の横を過ぎると集落や棚田があらわれ神田地蔵堂へ到着しました。ここからは緩やかに上り下りしながら笠木峠を経てさらに歩き南海電車や車の音を聞きながら最後は下って矢立に到着しました。矢立あたりの町石は六十町でしたので、全百八十町の行程の2/3を終えここまでで3時間45分を要しました。矢立からはそれまでと一転して登りの道となり大門を経て町石の基点一町の根本大塔まで慈尊院から5時間50分を要しました。
 

2006.10.24
 今月7日(土)、石鎚山を登拝して来ました。当日は北海道東方海上に台風並みに発達した低気圧により東日本を中心に大荒れの天候となり、山岳遭難や海難により33名の死者・行方不明者となりました。石鎚山でもほぼ一日中、霧に包まれ、「二の鎖」あたりで尾根に出てからはみぞれ混じりの強風が吹く天候でした。
 折角、石鎚山に来たのだからと「試しの鎖」、「一の鎖」、「二の鎖」と登りました。鎖は知恵の輪を繋いだような格好で安心感がありましたが、雨露や霧で岩も鎖も濡れていましたので鎖場の足場いいところで何度か手袋をはずしそれを絞りながら登りました。「三の鎖」は下部は登ったのですが、上部はあきらめました。
 また石鎚神社頂上社のある石鎚山(弥山)標高1974mから石鎚山(天狗岳)標高1982mを目指しましたが、強風のため最後?の一枚岩を越すことができずこれもあきらめました。次回、登拝できる機会があれば登りたいと思います。
 ずっと霧に覆われていましたので登山道沿いのみを見ることができましたが紅葉には少々早いようでした。
 また19日(木)は大台ヶ原山でご来光を見ることができました。また日出ヶ岳山頂の周囲、ガスがかかっていましたので、霧の中に自分の姿が映り、その周りに虹の輪があらわれるブロッケン現象を見ることができました。

2006.9.29
 「孤高の人」や「銀嶺の人」、「栄光の岩壁」など山を背景や舞台にした新田次郎氏の小説を読んできました。著者はさらに「槍ヶ岳開山」や「劔岳<点の記>など山の歴史ものや、「武田信玄」をはじめとする戦国時代や江戸時代の歴史小説や、孤島やアラスカ・南極など山岳に限らない厳しい自然環境を描かれたり、環境破壊や自然保護に関しても、登場人物の生き様を通していろいろな自然現象や科学技術を小説の中に盛り込み描かれています。
 新田次郎氏は気象庁に勤務されていた方でもあり気象現象のご洞察を小説に生かされ、山での事柄だけではなく、空や海もについても小説の題材や舞台や背景となることことが多くあります。
 これまで天(宇宙)や地(地象)について関心を持ち調べたりすることもありましたが、これからは空や海についてよく知りたいと思います。
 

2006.8.31
 今回は1993年夏に静岡県側の表富士宮口五合目から登った富士山の写真をアップしました。朝7時頃から登り始め昼過ぎに浅間大社に到着し夕方に下山という日帰りだったせいか途中から高山病のような状態になってました。次回はゆっくりと登りたいものです。また当時は、富士山スカイラインで静岡県側の五合目までマイカーで入れたのですが、今は海の日やお盆の頃はマイカー規制されているようです。
 夏ももう終わってしまいます。今年はついに山に行く機会に恵まれませんでした。紅葉の頃には行けないものかな、と思っています。
 

2006.7.31
 1996年御嶽山の拡大写真をアップしました。もう10年も前になりますが、御岳ロープウェイを利用して七合目から登り出し二ノ池小屋に荷物を置いてから頂上の剣ヶ峰(御嶽神社)を経て王滝頂上から王滝奥ノ院を歩きました。翌日は賽の河原から飛騨頂上、継子岳そして四ノ池から流れ出る川の源流を探したりと、前日歩いた行程を合わせるとほぼ御嶽山の頂上部を歩きました。御嶽山は中央道の中津川あたりからよく見えますし乗鞍岳や八ヶ岳からもその壮大な山体を見ることができる素晴らしいお山だと思います。
 また今回は2年前の裏銀座(高瀬ダム〜新穂高温泉)を歩いたときに水晶岳山頂でお出会いした方の連絡を取ることができリンクさせて頂きました。ありがとうございます。

2006.6.8
 先日(6/5月)地元宇治であがた祭がありました。当日は昼過ぎから露店が立ち並び人出がありますが、夜が更けてくると御旅所や県神社では御神燈が灯されたり、深夜には梵天渡御が行われたりと毎年賑わっています。地元にいながらお祭りの様子をカメラに収めたりすることがなかったのですが、この度は三脚も用意して撮影させて頂きました。
 

2006.5.28
 藤原正彦氏の「国家の品格」を読了しました。著書は講演記録をもとに日本の果たすべき事柄についていくつかの観点から述べられています。
 最初に論理に関して、これを徹底すると破綻を生んでしまうことや論理はそれ自体に内在する問題があること。すなわち論理や理性には限界があること、論理ですべてを説明できないこと、また論理は出発点になりえないことや長くもなりえないこと。そして自由や平等、民主主義についてはそれら論理の限界や教養を背景とした大局観や総合判断力を持つ気概のある真のエリートの必要性などを述べられました。
 また自然に対する繊細な感受性を持つことや悠久の自然と儚い人生の対比に美を感じること家族愛から順に発展させることなどを通して情緒と形を重んじることや、武士道精神を復活させ慈愛・誠実・忍耐・正義・勇気・惻隠を行動や判断基準とし卑怯を憎む心を育むことの大切さ。また美しい情緒や形は、互いに尊重しあったり、論理の出発点を定めるために必要であることなどを述べられました。
 最後に国家の品格を取り戻すため、国家の底力である数学のレベルを上げることや美の存在、跪く心、精神性を尊ぶ風土などを育むとともに、国家の独立や高い道徳心、美しい田園を保つこと、天才を輩出することなどを挙げられ、国家の品格を守り孤高を保つことが大切と提言されていました。
 同氏はこの読書部屋でよく紹介している新田次郎氏の次男であり数学者としても様々な執筆もされておられる方です。論理というものや自然と人間についての考え方など共感しました。
 

2006.4.16
 春先になって木々のつぼみが膨らんで花を咲かせます。桜の場合、冬の間、ずっと葉もない状態で過ごしたあと枝のあちらこちらで赤い小さなつぼみが育ちあるとき一斉に開花します。それはまさに見事であり感動さえ覚えます。
 感動が日常となりかけた頃、桜は花を保ちつつ葉も出し、ついにはそれらを交替させて緑の樹木となります。そして緑の樹木となってしまうと、僕はそれが桜の木であったことすら忘れ去ることもあり、夏が過ぎて秋になれば他の樹木と同様に葉を色付かせたり落葉させる樹木のひとつに数えたりしてしまいます。
 年間を通してずっと桜の木を注目しているわけではありませんが、長い冬の充電期間を過ごしたこの時期の桜は楽しみです。
 

2006.3.19
 井上靖氏の「氷壁」がNHK土曜ドラマで放映されていました。原作ではナイロンザイルが切断したという実際に起こった事件を元にして小説化されていましたが、この度のTV脚本ではカラビナの破損という設定になっていました。人間関係も原作とは多少違った設定になっていて原作を読んだものとしては結末など?とも思いましたが、昭和30年代に書かれた小説なので現代で放映されればリニューアルされるのも当たり前のことかも知れません。山でのストーリーや映像だけでなく、「白い巨塔」のように裁判所が舞台となっていたり、また恋愛もの風であったり、またそれらによく見合った彼方の光という主題歌など、おもしろいドラマでした。

2006.2.19
 今回は2000年夏白馬岳の拡大写真をアップしました。当時デジタルビデオカメラとフィルムカメラを持って行ったようですが、ビデオカメラで撮影した静止画の方は画素数が小さくとても拡大できたものではありません。フィルムカメラで撮影したものは以前ネガをスキャンしたものを用いましたが、その時点でも保存が良くなかったようで色褪せやキズが目立ちましたので、多少の修整を加えて見ました。
 

2006.1.15
 自宅のコンピューターを入れ替えました。DELL社のDimension 9150でCPUはHTテクノロジ インテル(R) Pentium(R)4 プロセッサ 640 (2MB L2 キャッシュ、3.20GHz、800MHz FSB) 、メモリは1GB(512MB x2) デュアルチャネル DDR2-SDRAMメモリ、160GBのハードディスク、ドライブはDVD+/-RW ドライブ (DVD+R 2層書込み対応)、FDD・IEEE1394・13メディア対応RW、モニタはデル E196FP 19インチ TFT液晶モニタ、OSにWindows(R) XP Home Edition Service Pack 2 正規版、Microsoft(R) Office Professional Enterprise Edition 2003 +Adobe(R) Acrobat(R) 6.0 Standard、その他・・・で165205 円 (税込)で購入しました。
 DELLのコンピューターとしては低スペックですが価格のことを考えると充分な性能だと満足しています。ただ注文してすぐ届いたわけではなく(10日程要しました)、シャーシが思いのほか大きかったです。
 

2005.12.28
 今から5年前の世紀末、2000年12月に行ってきた屋久島宮之浦岳の写真をアップしました。登山ルートは最も一般的なコースであろう淀川登山口から登り始め、緑豊かな樹林帯を抜け湿地帯の花之江河を過ぎて、稜線に出ました。そこでは強風が吹いていて山頂付近ではさらに凍結もあり難儀しましたが、標高が下がり樹林帯に入るとおさまりました。そして無人山小屋の新高塚小屋に泊まりました。小屋では夜中にねずみが出て安眠できませんでした。次回はテント泊で行きたいものです。翌日は縄文杉やウィルソン株を見ながらさらに下って、森林軌道から小杉谷事業所跡を経て荒川登山口に戻りました。
 出発の2週間ほど前にNHKプロジェクトX、「伝説の深き森を守れ」というタイトルで、屋久島の屋久杉伐採問題が放映されてました。内容は屋久島から東京に出ていた二人の若者が屋久島の自然を守るために屋久島に戻ったが、当時(一時的にせよ)屋久杉伐採によって島の生活は豊かになっていたので、”伐採反対”を反対された。そんな林業に頼る島の暮らしを守るか、先祖代々の屋久島の森を子孫に残すべく島の自然を守るか?と議論は平行線を辿りますが、そんな折り台風が屋久島を直撃し土石流が生じて森の大切さが改めて見直されました。その後、屋久島町議会は伐採禁止を決議しましたが決定権は国にあるので、二人は県や国をも動かし屋久島の自然が守られたというものでした。
 現在の豊かな暮らしを維持し消費を続けるか、未来の為に節制していくか?豊かさの既得権を認め続けるか、見直しをし始めるか?その場しのぎの損得や苦楽だけではなく、適切な判断や洞察に基づいた力が必要ですが、このことは当時の屋久島だけの問題ではく、今の日本国内の諸問題や地球規模で生じる課題でも同様のことが言えると思いました。
 また屋久島が舞台になった最近の映画には「もののけ姫」や「一五才学校W」などがありますが、屋久島を訪れる際には、プロジェクトX「伝説の深き森を守れ」をDVDなどでご覧になることをお勧めしたいと思います。 

2005.12.4
 今回は2001年正月に中房温泉から燕山荘に向かった時の写真をアップしました。JR穂高駅からタクシーで宮城ゲートまで入り、そこから小さな峠を二つ越え13kmほど雪の積もった車道を歩いて中房温泉に至りました。温泉宿としての一般営業は終了しており、残念ながら数々の露天風呂には入れませんでしたが、新しくできたばかりの内湯に入ったり夕食のあと食堂でストーブを囲んで何人かの方々と山の様々な話しで談笑しました。
 翌朝、宿から燕山荘い向かったのは僕と当時の職場同僚M氏の他、単独で写真を撮りに来られていた方、ガイド氏らしき方と一緒だった3名組の6名で、ラッセル痕が残る登山道を第一ベンチ、第二ベンチと楽に登ることができました。
 富士見ベンチを過ぎたあたりで先行されていたテント泊の2人組に追いつきラッセルを交代しながら進みましたが、ガイド氏を伴われた3人組は富士見ベンチで引き返されました。
 ラッセルされた富士見ベンチまでの行程と、ラッセルされてなかった富士見ベンチから合戦小屋までの行程(ルートもはっきりしてなかった)で疲労度に大きな差があり不安も感じましたが、滅多に来れるものではないので燕山荘まで行こうと僕は言いましたが、結局この先の行程はあきらめることにして(単独行のカメラマン氏も)下山して中房温泉に連泊する結果となりました。
 危険を察知し撤退することに合意したのですが、僕の方は行く気満々でしたので温泉に浸かりながらもずっと残念がっていました。でもいい温泉や、少々寒い目の小さな部屋でコタツに足を突っ込んで読書した静かな夜や、翌朝も昼近くまで温泉に入り中房温泉ロビーのコタツで雑誌を読んだりしてゆっくり過ごしたこと、そして片道約13kmの積雪した林道を3時間ほどかけて往復したことなど今となってはいい思い出です。
 そして今こうして思い出に浸ることができるのも、あの時の「撤退」があったからかも知れません。(M氏ありがとう)
 今年は燕山荘(冬の中房温泉)に行ける見込みはありませんが、いつかはきっと・・・、またできれば白い槍の姿も見たいと思っています。熊本の赤い流れ雲さん、掲示板へのご投稿ありがとうございました。
 

2005.11.27
 自宅近くの宇治川周辺を散策し、紅葉の写真を撮って来ました。ルートは平等院表参道から塔の島公園を経て恵心院、そして興聖寺(琴坂)と巡り、撮影時間も含めて3時間ほど要しました。今週末は撮った写真の編集をしたり、Webページ(宇治百景)を作成したりして過ごしました。
 

2005.10.6
 今月1日(土)、日本経済新聞の朝刊別刷り、日経プラスワンの「定年を待たずにお遍路に出る法」という記事に、コメントを掲載して頂きました。9月に電話取材を受け、いろいろと語らせて頂いたのですが、記事になったのは一言だけで少々拍子抜けした感じです。山などでよくテレビドラマのロケを目にすることがあるのですが、放送されたものを見ると、長々と撮影されていたはずのものが、ほんの一コマに編集されていたりしますよね。今回ちょうどそんな感じがしました。(日経記者様ごめんなさい。)
 記事を読まれ、お遍路に興味を持たれたり歩きに出られたりされる方がおられれば嬉しく思いますし、そうあって欲しいと思って取材等も受けたわけですので多くの方々に記事に触れて頂きたいと思っております。日経記者様、ありがとうございました。
 先週末、中央アルプス木曽駒ヶ岳周辺に紅葉の撮影に行って来ました。中央道駒ヶ根SAで車中泊し、早朝のロープウェイで入山しましたが、残念ながら悪天候だったので浄土乗越まで登ったところで強風と雨のため山頂は諦め、千畳敷カール内を一周し戻りました。当日ずっと一面のガスで覆われてましたので大した写真は撮れませんでしたが、後日紅葉の様子をアップしたいと思います。

2005.9.19
 新田次郎氏の「霧の子孫たち」を読了しました。この話しは長野県中信高原、霧ヶ峰に自動車道路のビーナスラインが建設されることをめぐって、実際に起こった有料道路建設反対運動を小説にされたものでした。新田次郎ご自身も霧ヶ峰の麓が故郷なので、実際に反対運動をされた三人とも古くからの友人だったということです。
 今年7月、車山肩〜車山〜蝶々深山〜物見岩〜八島ヶ原湿原〜沢渡〜車山肩と歩き、ニッコウキスゲやコバイケイソウなどを撮影しながら歩きました。丘の斜面は場所によって黄色いニッコウキスゲと緑の葉っぱが半々といった感じで素晴らしいものでした。ビーナスラインや駐車場には車が溢れ、遊歩道にも大勢の人がおられましたが、遊歩道にも駐車場にも(当然なことなのでしょうが、)ゴミ一つ落ちていませんでした。またところどころに観察員の方がおられ、道案内をされたり高山植物や山々のことを教えておられたり、また(多分)自然を損なわないよう監視?もされていました。
 観察員の方々だけでなく霧ヶ峰を訪れたひとりひとりが自然を大切にと心掛けてきた結果、今の霧ヶ峰があるのだと思いますが、こういったことはビーナスライン開通当初からではなく、開通前から危機感を抱かれた地元の方々や、その他、霧ヶ峰や八島ヶ原湿原や車山を愛する人々によって維持されてきたことだと思いました。
 

2005.8.12
 「宇治百景」というテーマで新しいページを作成しました。地元宇治の自然や歴史、文化、町並みを順次、紹介したいと思います。今回は一昨日2005.8.10の宇治川花火大会と、先日の三室戸寺をアップしました。
 

2005.7.10
 地元にいながら行ったことがなかった三室戸寺に行って来ました。毎年アジサイの時期は臨時バスも出て賑わっていることは知っていましたが、当日(6/19)も相当なものでした。僕自身もそうですがカメラ持参の人が多くアジサイやハスなどカメラを向けられていました。
 今回、「お遍路」のページにまとめましたが、後日何枚かの写真を拡大掲載したいと思っています。
 

2005.6.16
 高野山に御礼参りに行ってきました。麓から町石道を登りたかったのですが、丸一日の日程を確保するのが難しいので取り急ぎ行ってきた次第です。
 ところで今回読了した立花隆氏の「宇宙からの帰還」はとても考えさせられました。宇宙飛行を終えたNASA飛行士の宇宙での実体験やその後の人生が取材やインタビューなどを基にまとめられたもので、科学と宗教、神や人間、地球の存在について刺激を受けました。皆さんにも是非読んで頂きたい一冊です。
 

2005.5.28
 先日、デジタル一眼レフ(デジイチ)を購入しました。ペンタックスistdsという機種で、古いPENTAXのレンズが使えるのです。オートフォーカスや自動絞りなどの機能は使えませんがマニュアルでなら使えます。これまでお蔵入りしていたオールドレンズが復活し大変嬉しく思っています。この度のお四国歩きで1万枚ものお四国の様々な風景を撮ったり、ごく当たり前の日常を撮影させて頂きました。しばらくはこの写真そのものを続けたいと思っています。

2005.4.24
 先月の「春風遍路」は香川県宇多津町からさぬき市まで歩きました。一日目は前日泊した四国健康村から歩き始めて78番郷照寺では白い犬に境内を案内してもらいました。僕があちこち写真撮影などしているとやきもきしていたようでしたが僕が本堂境内への石段を上がるところまでつきあってくれて立派にお役目を果たしていました。左の後足を怪我しているようでしたが頑張っていました。79番高照院(天皇寺)は崇徳天皇ゆかりの神社と札所で感慨深いものがありました。80番国分寺は広い境内で立派なお堂や金箔像、志納金などの一方、サギ師張り紙があったりと考えさせられました。そんな中、山門前でNPO法人が運営されている”店”では暖かいものを感じました。81番白峯寺へは山道を登り次第に標高が上がっていくのが気持ちいいですね。途中から車道となったので、それを避けて自衛隊敷地?に入ってしまいましたが白峯寺までいい道でした。82番根香寺へのほぼ中間点の十九丁では地元の方と出会いました。その方から旧遍路道が旧陸軍用地になってしまったことや、五色台のことなど教えて頂きました。またその方、道沿いの空き缶を拾われたりで一緒に歩かせてもらっていて清々しい気持ちになれました。鬼無の旅館に宿泊したのですが、3名の方が無断キャンセルしたようで並べられた食材が虚しく腹立たしく思いました。この日は札所や宿など、いろいろと考えさせられた一日でした。
 二日目は83番一宮寺へ香東川の河川敷を歩きました。海が近いので河川敷は広くとってあるようで朝から散歩やジョギング、テニスなどされていました。高松市内へは郊外から次第に街に近づくのがよくわかりました。いくつも線路を越えるのも印象的です。84番屋島寺への「弘法の道」は綺麗に整備された道で地元の方がたくさん歩かれていました。子供からはお化け〜って言われましたけどね。壇ノ浦展望台からの下りは結構な遍路ころがしですね。展望台では瓦投げをされていたので上から何か落ちてこないか?とも思いました。一旦下ってまた85番八栗寺へ登りましたが、こちらも整備されたいい道でした。86番志度寺へは海が見えたり電車が通ったりで、平賀源内氏の遺品館や旧宅などもありました。見学したかったのですが時間のことを考え、立ち寄りませんでした。志度寺を出発して高速志度バス停へ向かう途中、うどん屋に寄りました。今回と前回と立ち寄ろうと思っていたうどんやはことごとく休みでしたが、僕の想像していた通りのうどんがやっと食べられて満足しました。
 今回のまとめは年度末年度始めという繁忙期だったのでひと月ほどかかってしましました。そして次回(二日間の予定)で2年余り要した僕の四国お遍路もついに終わりを迎えることとなります。今振り返るとここ2年ほどはお遍路に時間を費やすことができたのもいろいろな面で幸運だったように思います。そもそも「お遍路」というものを僕に再発見させてもらったことも本当に幸運でした。ありがとうございます。
 

2005.3.2
 今回の「梅咲遍路」は愛媛県四国中央市(伊予三島)から、徳島県の雲辺寺を経て、香川県宇多津町まで歩きました。伊予三島のビジネスホテルに前日泊し、一日目は愛媛県最後の札所の三角寺へ向かいました。地元の方が道案内をして下さったので迷うことはなかったのですが、迷いやすそうな遍路道だったと思います。三角寺から山を緩やかに椿堂へ下りました。椿堂からはまた緩やかに上り境目トンネルを抜けて徳島県池田町に入り佐野集落から山道を雲辺寺へ向かいましたが、歩く距離が1kmほど多くなりますが曼陀峠を経由する道もいいそうです。(民宿青空屋の宿泊ノートによる)雲辺寺では残雪があったり剣山が見えたりしましたが、標高927mの山頂へ行かなかったのは残念に思っています。
 二日目は大興寺を経て、神恵院・観音寺、そして本山寺へ向かいました。宿のご主人からおにぎりとお茶や、観音寺市内では和菓子やお菓子、みかんなどお接待して頂きました。どの方もさりげなく、しかしわざに手間を取ってお接待して頂いたように思います。弥谷寺は僕が思っていた以上に山の中にあり奥行きの深い境内や靴を脱いで大師堂に上がらせて頂いたりと印象に残っています。
 三日目は曼荼羅寺と出釈迦寺のあと捨身ヶ嶽禅定に向かいました。捨身ヶ嶽禅定へは奥の院本堂横のトンネル状の通路を抜け、白いロープをくぐります。岩場や鎖場となっていますがゆっくり慎重に登れば捨身ヶ嶽禅定に到着します。道はさらに続いていましたので、岩場を上り平坦な林の中を進むと我拝師山(標高481m)に至りました。曼荼羅寺からの標高差で400mほどです。そのあとは甲山寺、善通寺、金倉寺、道隆寺と町の中の札所をつなぎました。善通寺では「戒壇めぐり」もしていました。本当に真っ暗なので目を閉じていても開けていても同じでした。
 ここ二日間ほど、マンションBフレッツのVDSL集合装置が故障していたので、39日目のアップが遅れました。二日間だけでしたが自宅からネットが見られなかったりメールチェックができないと不安になるものですね。ネット依存症気味かな?と思ってしまいました。
 

2005.2.5
 「高山植物写真集」にnextリンクを設定しました。花種別と山域別でそれぞれワンクリックで次の拡大写真にジャンプします。また拡大写真から花種別と山域別の行き来もできるようにしました。これは山域別で花種が変わるのを、トランプでハートのA、ハートの2、ハートの3・・・と順に進むとすると、例えば6の位置で、ハートの6からダイヤの6、スペードの6と変わるのを花種別の切り替えと喩えることができます。また「山岳写真集」も山域ごとにnextリンクを設定しましたので、ワンクリックで次の拡大写真にジャンプします。
 次週は金曜日から日曜日まで三日間のお四国を歩いてきます。JR伊予三島駅からですので、三角寺・雲辺寺を経ていよいよ讃岐の国に入り、JR丸亀駅か、できればその先のJR駅まで歩く予定です。
2005.1.23
 「遍路道写真集」の33日目から36日目分を追加掲載しました。また四国お遍路34日目の「通行止」となっている湯浪遍路道の崩壊した遍路道の写真も4枚だけですが拡大できるようにしました。
 次回のお四国は、三角寺から雲辺寺へ向かいます。年末までは暖冬と思ってましたが、今年になって雪もよく降っているようなので、雲辺寺などでは雪景色も期待できるのかも知れません。
 
2005.1.10
 今回は4日間歩いてきました。いつもは週末の2日間か3日間ですので、僕にとって4日間は長い区切り打ちです。これまでで4日間歩いたのは、ちょうど1年前の同時期、高知市の土佐一宮駅から土佐佐賀駅までのものでした。あれから一年、四国の太平洋側から西まわりで瀬戸内海に至ることができました。
 今回の寒風遍路一日目は、神戸港からダイヤモンドフェリーで今治港へと入り、暗いうちから歩き出したので、太陽が昇ってくるまで、空などまわり景色が刻々と変化していくのが印象に残りました。また瓶ヶ森や石鎚山の姿にも目を奪われました。
 二日目は、湯浪から横峰寺に向かいました。車道からの取り付き点を間違えしまい、2時間余り山中を彷徨いましたが、ルート(階段)を見つけ無事、横峰寺に登下山・納経することができました。遍路道は、石畳や石段、谷を渡る橋など崩壊しているところが数ヶ所あったり、転石や不安定な岩が多かったのですが、遍路札や地元の方が付けて下さった赤い布が目印になりますので迷うことはないように思います。しかし、雨の後など増水している時や単独で行かれる場合は、通行止のルートでもあり、やはりお勧めできるルートではありません。道は歩かれてこそ維持されますし跡が付けられていくものであり、僕もルートが早く復旧することを願っている一人ですので思いは複雑です。いずれにしても何事も最後は自己責任に於いて実行するものですね。
 三日目は、お二人の歩きの方と短時間でしたが、同行させて頂いたり、道沿いの方々とお話する機会も多くありました。一人の歩き旅ですので普段はほとんど声を出すこともないのですが、この日は色々な方とよく話しました。また新居浜周辺の台風21号などによる水害の痕も見ました。二日目の横峰寺へのルート崩壊ももちろんその被害の一つですが、この日も車道が崖崩れで片側通行になっていたり、なんでもない生活道路が崩壊していたり、ビニールハウスの中が泥で埋まっていたり、河床に土砂や流木などが散乱したりしている様子を見ることができました。
 四日目は、三日目と同様に様々な水害の様子を見たりしながら一人ただ東へと向かいました。山裾を通る松山自動車道がずっと平行していましたが、それは中央構造線ともほぼ一致しています。中央構造線は活断層の束ですので、いずれ地震は起こるのですが、最小限の被害で治まることを願いました。
 昨年は台風の相次ぐ上陸や浅間山での中爆発、新潟県中越地方での地震、紀伊半島沖や釧路沖でのマグニチュード7クラスの地震など様々な自然災害が発生しました。海外ではインドネシア・スマトラ沖地震やそれによる津波では15万人を越える犠牲者が出ました。昨年NHKで放送されていた地球大進化では、”"母なる地球"と思われてきたこの星は、大変動を繰り返す"荒ぶる父のような星"で あった。生命はその大変動による絶滅の危機を何度も乗り越えてきた。私たちの祖先が微生物から人類へと進化してきた背景にも、地球大変動というドラマ が隠されていたのだ。”とありますが、昨年はそんなことを感じさせる一年でした。
 
2005.1.3
 お四国を4日間歩いてきました。天候の大崩れはなかったのですが、ずっと続いてきた暖冬ではなく、寒風の吹く中での歩きとなりました。順次、更新していきますのでまたご覧下さい。また今年も当サイト「稜線の記」をよろしくお願い致します。
 
2004.12.21
 「山岳写真集」のレイアウトを「高山植物写真集」や「遍路道写真集」と同じ形式に作り直しています。今年登った最近のものから過去のものへと順次、更新していくつもりです。
 今年はお四国歩きを始めて二年目でしたが、年始めに考えていた以上に歩くことができました。歩きの記録とともに「遍路道写真集」の編集も自分では気に入っています。歩きのスピードでアナログ的に変化していく何気ない景色や日常を映像で記録して、弊HPで紹介させて頂いています。
 年末は、またお四国を歩いてきます。日程はまだ決めていませんが、天候の良い時に数日間歩ければいいなぁと思っています。
 
2004.11.21
 夏に撮り貯めていた高山植物写真の拡大したものをいくつか追加掲載しました。今回は、8月上旬に登った北関東の草津白根山、四阿山、浅間山(黒斑山)でのものです。また高山植物写真集のページを花種別と山域別にしてレイアウトも少し変更しました。高山植物写真集の拡大写真は、花種別・山域別のほか、山行記録のページからも見ることができますが、戻る場合は、ブラウザの戻るボタンで戻ります。ここのところも少し変更する予定です。
 山の紅葉を撮りに行こうと思ってましたが、もう山は冬になってしまったようです。冬の間に高山植物写真集と、山岳写真集も追加掲載と変更をしたいと思っています。
2004.11.7
 ようやく台風の発生・接近もおさまりました。今年は6月から10月の間、台風が上陸しましたので、ほぼ半年間、台風シーズンが続いたということですね。今年の台風を見ていると地球温暖化を実感します。
 このところようやく秋らしくなり歩きやすくなってきたので、地元で毎年催されている「宇治十帖スタンプラリー」に参加してきました。このスタンプラリーは宇治市塔の島公園周辺のいくつかの社寺仏閣やモニュメントに置かれたスタンプを集めてまわりゴールするというもので、基本コースは10ポイントで約4.5km、健脚コースでは24ポイント約15kmの道程があります。スタンプ帳は、JR宇治駅や京阪宇治駅などで無料配布されています。もちろん参加料もいりません。僕は先週の日曜日、健脚コースをまわってきました。
 さて今回の更新は、7月の夏遍路から10月の秋雨遍路まで7日間分の「遍路道写真集」を追加作成しました。現地で何気なく撮ったものが意外とおもしろいものだったり、逆に時間かけてよく考えてから撮影したものが平凡であったりと、写真というものは難しいです。
 次のお四国は、二日間連続の完全オフが年末まで取れそうにないので年末まで持ち越しとなりそうです。
 また今回のスタンプラリーなど地元宇治のいろいろな名所を紹介する新しいページ、「宇治百景」(仮題)を新規作成したいと思っています。
 
2004.10.23
 これほどにまで自然の猛威に晒されるとは思いませんでした。今年発生した台風のうち10個が日本列島に上陸。四国だけでなく九州や関東、東北と列島全域に及び、このほどの台風23号では兵庫・京都など全国で死者80名、行方不明12人と平成になって最悪の被害となりました。台風でなくても新潟県や福井県では集中豪雨による水害も発生しました。
 先月の9月には、浅間山が噴火し多量の火山灰だけでなく火山レキも飛散させました。同9月、紀伊半島沖ではマグニチュード7クラスの連続地震が発生。そして今回(今日)は、新潟県中越地方で最大震度6強の相次ぐ地震が起こりました。
 人は地球(自然)の一部分でしかなく、それに翻弄される小さな存在に過ぎないと感じます。災害に遭われた方々におかれましては、心よりお見舞い申し上げます。
 さて今回は、去る10月2週目の四国お遍路の記録をまとめました。しばらく西四国の山間部を歩いていましたが、いよいよ瀬戸内が見えるところまで来ました。高知県などの外洋に面した海とは異なり瀬戸内は穏やかです。青くたおやかな海を見ながら海辺の町や札所を訪れたいと思います。しかし、残念なことが生じました。それは台風21号の被害により、60番横峰寺に通じる道が通れなくなっているらしいのです。次回のお四国歩きの二日目に60番横峰寺に登るつもりなのですが、予定のどこかを変更しなくてはならないかも知れません。
 これも「時の次第」と在るがままを受け入れるべきなのでしょうか。小さなこだわりを捨てたくもありますし、自分の思い在るがままに生きたいとも思います。 
 
2004.10.6
 群馬県や栃木県など北関東は、京都から出向く場合、鉄道を使うにしても車で行くにしても、そう遠くないはずなのに時間がかかりそうで、敬遠していました。
 今回車でのアプローチは、京都市内から名神・中央道を経て岡谷ICへ、そして国道142号線で新和田トンネルを抜けて中信高原を佐久市へ、上信越道の佐久平ICから長野・群馬県境をトンネルで抜けて前橋市へ。最後は関越道の前橋ICから沼田ICへ至りました。
 僕と同じルートを走ったと思われるトラック(深夜なのでよく飛ばします)も数台あったので、関西方面から群馬県など北関東へのいいルートなのだと思っています。
 帰りは変化を持たせ、沼田市内を突きって吾妻町・鳥居峠・上田市を経て、新和田トンネルを抜けて岡谷ICから高速道に入りましたが、三才山トンネルから松本市を経て木曽路を下れば中津川ICから高速道に入ることになるので、さらに高速料金をチビれそうです。
 今回登った奥白根山と男体山はともに火山で、奥白根山では綺麗な池や沼が印象的でした。男体山は裏から登られる人の方が多かったようですが、やはり一度目は正面から登ってもらいたい山だと思いました。またこの山域の麓の温泉もいい湯でした。尾瀬というところにまだ一度も行ったことがないのですが、そう遠くないことがわかりましたので、また今度訪れたいと思っています。
 
2004.9.12
 今回は往路に飛行機を使いました。自宅から大洲まで4時間20分で到着したのでほぼ一日分の行程を歩くことが出来、あとの日程が楽になりました。航空券は搭乗する前日(厳密には当日)深夜にネットからe割で買ったのですが、復路四国で携帯iモードから当日の2時間前にでもe割など割引航空券が買えるようでした。復路は記録の整理などもあり帰って寝るだけだったので安いJRにしましたが、飛行機利用は僕が思っていたほど面倒ではなく安易なものでした。
 今回は二日目は31kmほどしか歩いていませんが12時間を要しました。写真を撮りながらでゆっくりの歩きだったかも知れませんが、鴇田峠や八丁坂越えなど、累積高度差で1200mを越えていましたので、こんなものなのかも知れません。
 次回は伊予鉄久米駅からなので、しばらく平地歩きとなるようです。この秋は週末遍路で少しだけでも歩き、年末には多少まとまった歩きができないものかと思っています。
2004.8.24
 裏銀座、良かったですよ。雨は多少降りましたが、山深い山域で静かな山行ができました。例年ならお盆の時期は布団1枚に二人とか、小さな小屋の場合、三人とか?らしいですが、今年は四年に一度のオリンピックイヤーだったことと、お盆の週末が雨予報だったことなどから、裏銀座への人出は少なかったと思います。
 昨年は小屋が混むことを考えてテント泊と思ってましたが、今回、単独であることもあり小屋泊まりとし、荷物も極力減らしました。約2kgの水や約1kgの撮影機材を含めてもザックの重量は10kgそこそこだったと思います。
 最初の難関であるブナ立尾根はガイドブック等によると5時間30分とありますが、僕は4時間40分ほどでした。早いように思われるかも知れませんが、大きなザックを背負われた方や僕よりはるかにお歳を召されている方にもどんどん抜かされました。僕のペースは遅い方でした。(バイソン≒牛歩 ですので・・・)
 ただこのコース、ある意味、山のエキスパートが来られていて、今回初めてアルプスに来たという方はおられないと感じました。僕自身もそうですが、八ヶ岳や表銀座などを歩いた上での裏銀座だと思います。
 それにしても高瀬ダムから新穂高温泉を一泊二日で計画されたり、海抜0mの日本海から歩いて来られたり、普通丸二日はかかりそうな槍ヶ岳山荘から太郎平小屋までを雨にも関わらず歩かれたりと、トンでもない方々と出会うことができてお話できたのも大変おもしろかった想い出です。
 
2004.8.11
 北関東の火山に行って来ました。草津白根山は累積標高差300m余りで白根火山駐車場を基点として、本白根探勝歩道最高地点や逢ノ峰、そして湯釜とゆっくりハイキングができました。ファミリーにはうってつけです。また連泊した万座温泉も良かったです。
 家族をJR長野駅まで送り届けたあと車中泊の単独行となりました。四阿山は菅平側から根子岳を経て登りました。標高や地形図で見えた以上にアルペン風で天候に恵まれたこともありいい稜線歩きが出来ました。高山植物もたくさん咲いてました。浅間山は、当日火山活動が比較的静穏な時期だったので、賽の河原まで登山できたのですが、前日正午に潮岬沖で発生した台風のため風雨が強くて賽の河原は断念しました。ガスで眺望も全くなかったので仕方なかったのですが・・・。
 山岳写真集や高山植物写真集は時間切れ。後日アップします。
 明日8/12から昨年あきらめた裏銀座の縦走に行ってきます。JR信濃大町から高瀬ダムまでタクシーで入山し、ブナ立尾根から野口五郎岳、水晶岳、鷲羽岳、三俣蓮華岳などを経て新穂高温泉に下山する予定です。
  
2004.7.31
 夏の平地歩きは、やはり辛いものでした。国道アスファルトの照り返しも大変でしたが、峠越えの遍路道も大変でした。張り巡らされたクモの巣や汗の臭いなどに寄ってくる虫たち、また生い茂る足許の夏草にはマムシの恐怖を感じました。お四国のどの辺りかにも依ると思いますが、7月の愛媛県辺りは一年中で最も歩かれている人が少ない時期だったかも知れません。多分、8月に入ると学生さん達(若い人)で増えるのでしょうが。
 もう20年ほど前になりますが、僕は一度マムシに咬まれたことがあります。その時は京都北山の山中にいましたので、すぐ病院に行けず、行けたのは、ほぼ24時間後の翌日昼でした。
 咬まれた夜はさほどでもなかったのですが、通院した翌日は、熱も出ていましたので診てもらったところ、「今から血清を打っても意味がないので破傷風止め(注射?)をしておきましょう」と言われたのを覚えています。
 発熱は二日間ほど続きましたが、その後、治まりました。しかし咬まれた右ヒザには2ヶ所、径2mm程度のケロイド状の咬み跡が数年残りました。今はもうその跡も消えました。
 咬まれた当時、医者か近所の人かに、「一回目はこの程度で済んでも二回目はもっとひどいことになるから気を付けるように」と言われました。抗原抗体反応のことだろうと納得して今日まで至っています。幸いなことにマムシの二回目の被害には遭ってませんが、それ以来ヘビ(マムシ)は苦手なのです。
 ところで今回のこの時期、菅直人氏が四国東岸を南下されていましたね。僕もちょうど同じ時期、二日間だけでしたが四国西岸を北上していました。菅氏は無事、室戸岬まで歩き通されたようで僕も嬉しく思いました。
2004.6.12
 皐月遍路で撮影した写真を拡大し、「遍路道写真集」に追加掲載しました。高知市を過ぎてから国道と併走する峠越えの遍路道がいくつもありましたが、松尾峠の遍路道は宿毛市貝塚からいくつか小さな山を越えて最後300mの標高差登ります。最後の峠道もいいですが、そこへ至るいくつかの小さな山を越える道のいいものでした。
 柏坂越えの遍路道も、晴れていれば九州まで見渡せるそうで、それもいいものだと思いますが、今回霧の中歩けたことは今振り返ると大変印象に残っています。日常では雨の中を何kmも山越えすることはまずないことだと思います。が、今回雨の中を歩く機会に恵まれ、里山で霧が次第に深くなっていく様子や、山道が水の流路でもあること、などなど・・・見ることができました。有り難いことです。
 また飛行機から撮影した写真も「遍路道写真集・番外編」として掲載しました。何枚か撮影しましたが、徳島市を過ぎて剣山あたりかなぁ?と思って撮影したのが、鮎喰川でそれも歩いて来た道々でした。是非見てやって下さい。
 
2004.6.5
 ようやく皐月遍路の記録をまとめることができました。今回は四国へのアプローチに飛行機を使いました。ANAの特割とチケットレスで1万円ポッキリで伊丹から高知龍馬空港まで飛べました。JR利用と比べると多少割高になりましたが、当日よく晴れていたので窓からの景色は素晴らしかったです。また今回、健康ランドの仮眠室で泊まりましたが、ガラガラだったので思いっきり眠ることができました。
 翌日は延光寺から宿毛市内に戻り松尾峠を経て、いよいよ伊予の国に入り、観自在寺から内海村まで歩きました。今回は買ったばかりの別冊地図第六版を家に忘れてしまったのですが、健康ランドで地図を見せて頂いたり、松尾峠では地元の方に大師堂を開けてもらったり展望台を教えて頂いたりと、助かりました。ありがとうございます。
 最終日は雨の中の柏坂越えでしたが、雨の山道もまた良しで、霧の中、大量のマイナスイオンを浴びることができました。カメラレンズが(多分)気圧の関係で曇ってしまったのは残念でしたが、これもそういう成り行きだったのだと思います。
 次回のお四国は夏遍路になりますが、あまり日程が取れそうにありません。週末遍路になりそうです。 
 
2004.5.9
 今年のGWは、初日の5月1日から一泊で奥蓼科の渋川温泉保科館に行って来ました。蓼科高原から麦草峠に向かう途中にある山間の秘湯で「源泉かけ流しの温泉」だそうです。連休初日で高速道路も宿も混んでいましたが、久しぶりの家族サービスをしました。翌日は家族を塩尻駅まで送り(その方が渋滞の高速道路を通らなくていいので・・・、と少し言い訳)、昼過ぎから単独となりました。天気予報で4日は天気が大きく崩れるということなので、5月2日と3日で中信高原のお山を三つ登ってきました。蓼科山では全然雪が見えなかったのでアイゼンを車に置いてしまったので、山小屋でアイゼンを借りる(\500)ことになりましたが、一応雪を踏むことができて満足しました。
 遍路道写真集も通算20日目まで掲載しました。あと少しで現在歩き終えた地点に追いつくのですが、残りは次回にまわすこととしました。お四国ではたくさんの方々にお接待して頂いているので、この写真集は僕からの「映像のお接待」のつもりです。
 また、リンク用バナーを変更しました。燕山荘から見た槍ヶ岳から鷲羽岳あたりの裏銀座稜線の夕照写真に幣HP「稜線の記」ロゴをレイヤードしています。よろしければお使い下さい。
 
2004.4.24
 遍路道写真集を作成しました。昨年2月から始めた四国お遍路ですが、これまで歩いた日数が22日間。約600kmの道のり。3000枚以上の写真。記録文に掲載した写真は中サイズでしたので、大きなサイズ(幅640pixel)で見えるよう「遍路道写真集」としてまとめてみました。一日あたり3枚とすると、40日余り歩いて結願した時には100枚を越える写真集になります。
 また、このページ。「過去の記録」へのラベルを貼りました。 
 
2004.4.4
 3月末(先々週末)のお遍路記録がようやくまとまりました。4月8日から大阪高知特急フェリーのあしずり航路が休止となるので無理して出かけたのですが、帰ってからもずっと忙しかったので、記録更新が今日になってしまいました。
 フェリーは週末の金曜日だったこともあり、大阪南港から高知港までは客室以外の通路などにも貸毛布を敷かれている状態でしたが、その先はガラガラで、ホエールウォッチングをしたり(鯨は見られませんでしたが)、イルカの群れを見たりで満足しました。また竜串海岸も興味ある場所で見残し海岸も行きたかったのですが、次の機会に取っておくことにしました。
 現地での宿泊は民宿叶崎に泊まりました。当日の昼に電話したので夕食の準備はできないと言われたのですが、大津の町には食堂もないらしいので、何でもいいからと頼んだところ、僕には充分な夕食を用意して頂けました。朝食も余ったご飯でおにぎりをして下さいとお願いしたところ、朝食分だけでなく昼食分まで持たせて頂きました。
 僕はこれまで宿の方にHPのことは言わないで宿泊して来ました。特別に気を遣われると普段の姿でなくなるかも知れないからです。今回、何故だかわかりませんが、宿の方に格別な待遇(1泊2食付4000円)で接して頂き、ありがたく思いましたが、このことをHPに載せるのは複雑な心境です。ご推察頂けると思います。
 
2004.3.22
 今年は四年に一度のオリンピックイヤーですが、縁あってバルセロナオリンピックで金メダルを獲得された柔道の古賀稔彦氏の講演を聴くことができました。古賀氏は、1時間余りの講演の中で、ご自身の生い立ちや3回出場されたオリンピックのこと、さらに現在柔道の指導者として取り組まれていることなどを話して頂きました。
 まず、自分がもともと柔道の天才ではなく、また、「誰でも生まれた時は真っ白な状態である」ということの例として、ご自身のことを話されました。古賀氏には上に兄がおられるので、ご両親は女の子を欲しがられ、幼い頃は、赤いリボンや女の子の服、化粧・・・と女の子として育てられた時期があったり、体も弱い方で夜中に両親に病院に担ぎ込まれたこともしばしばだったそうで、小さい頃はオリンピック選手になろうとは思われなかったこと。小学校に入学し、兄やその友人達とよく遊び、その友人達が柔道を始めたのがきっかけで柔道を始められたこと。上達したのは、何事も「自分自身で決心してスタートするようにしてきたこと」や、「目標と課題を自分に与えること」。こうすると自分が自分に与えた目標には責任と誇りをもってやれること。
 「タラレバは勝負の世界では禁句といわれるが、それは成長できない人はタラレバを後悔の材料とするが、成長できる人はそれを自分への反省材料とする。」と話されました。
 次に柔道やオリンピックに関して、柔道は普段、ヤワラちゃん以外はほとんど注目されないが、四年に一度のオリンピックの時だけは、日本の中では最も金メダルに近いので注目を浴びること。そのオリンピックに古賀氏は3回出場され、最初のソウル(1988年)の時は、出場したものの3回戦で敗退したので、出発の時は大声援に送られたのに帰国の時はほとんど注目されなかったこと。そのことで人間不信になりかけたが、部屋で負けたときのビデオを観ると両親が観客席に向かって何度も何度も頭を下げていたのを見て、「戦っていたのは自分一人ではなかった」ことを悟られました。これらのことから「挑戦すれば結果が生まれる。挑戦しなければ結果は生まれない。」と思い次のオリンピックに向けて努力されました。
 次のバルセロナ(1992年)では、試合直前、現地で後輩の吉田選手と練習中、左ヒザ靱帯を損傷されました。致命的でしたが「あきらめからは何も生まれない」と思われマイナスを背負って出場されました。古賀氏はケガを負っての出場に関して、人間誰しも靱帯だけでなく何らかのマイナスを背負っているものなので、相手と戦う前に自分に打ち克たなければならないと考えれました。先に試合があった吉田選手はオール一本勝ちした。が、「このメダルは半分です。」と答え、夜、宿舎に帰って「おめでとう」と言っても吉田氏は全然嬉しそうな顔をしない。むしろ暗い顔をして、「明日は絶対メダルを取って下さい。」と言ったこと。ケガをしたから周りの人たちの支えを感じることができたこと。ソウルの時とは違い、帰ったら大歓迎されたことなどを話されました。
 28才、アトランタ(1996年)では、決勝戦まで進んだものの負けたこと。32才のシドニー(2000年)では、国内最終予選で負け、同年4月競技者として引退されました。
 現在は、汗を流せる指導者でありたいとの思いから「古賀塾」を開かれ、4才〜50才100人ほどの塾生がいて、1階が道場、2階が住居、屋上にはバーベキューコンロや露天風呂の施設があること。また「ピンチ(壁)こそチャンス」で、「壁をまわりのせいにしがちだが、自分が壁にぶつかっているのだ。自分の欠点を自分で認めることはイヤなことであるが、自問自答をすることによって、壁の向こうにいる新しい自分を築くことができる。」ことなど、夢や希望に満ちたとてもいい講演を聴くことができました。
 話変わって、あしずり港から宿毛駅まで50kmほどを歩いてきました。今年の4月8日よりあしずり航路が休止となるので、この先は超繁忙期になるので、先週末が僕にとってあしずり航路に乗るラストチャンスでした。西南四国なのに現地1泊と無駄のある行程でしたが、フェリーに乗れなかった(乗らなかった)後悔を残さなかったので大変満足しています。竜串海岸や叶崎の絶壁や白亜の灯台、月山神社への何もない道などなど、今回もいい歩きができました。なるべく早くアップしたいと思っていますが、今回については繁忙期なもので少々遅くなるかも知れません。
  
2004.3.14
 「高山植物写真集」を新設しました。撮影した高山植物を種類ごとにまとめてみました。サムネイルをクリックすると拡大し、山名をクリックすると山行記録のページにリンクさせています。今年は初夏のものも撮影したいと思っています。
 大阪高知特急フェリーが4月8日より休止になるようです。GWはあしずり港までの船旅で、足摺岬を海から眺めようと思っていましたが叶わなくなりました。残念なことです。
2004.3.7
 山岳写真集のページに「山岳写真スライドショー」を挿入しました。昨年秋からお四国通いが続きましたので、山行記録のページは久しぶりの更新でした。次は、高山植物の写真も何かの形で見やすくまとめたいと思っています。
 
2004.2.22
 ようやく先週末の早春遍路の記録がまとまりました。今回も思わぬ出来事がたくさんあり毎日楽しく歩くことができました。
 歩き初日の2月13日(金)は、イオン水やパン・バナナ、小魚などお接待して頂きました。双海でサンドイッチや唐揚げ、バナナを頂いたのですが、それが本当にさりげない形で手渡され出発を見送って頂きました。ありがとうございました。
 また、田ノ浦あたりのさびれた(?)漁村の風景。もう30年ほど前に見た「旅の重さ」という映画のワンシーンみたいなところで遠い記憶が蘇りました。
 ”この映画のビデオをレンタル店で探してましたが、見つからなかったので、通販で購入しました。しかし、ビデオを見ると僕が思っていた風景と少し違っていました。でも、四国の風景がたくさん出てくるので見ておきたい映画ではありますよ”
 歩き二日目の14日(土)は、8:00という朝遅くから40km近くあるいたので、夜遅くなってしまったのですが、楽しい一日を過ごせました。下田の渡しから始まり、大岐海岸や以布利港あたりの海岸歩き、一変して海から山への遍路道とこれまでの中でも変化に富んだコースでお勧めです。
 歩き三日目の15日(日)は、水平線から昇る太陽が見られなかったのが残念でしたが、金剛福寺参詣のあと、岬周辺を観光しました。1時間足らずで周回できるので車で来られた方も歩くとおもしろいと思いますよ。歩きルートでは、松尾や大浜、中浜の小さな漁村が印象的でした。また山遍路道の植生が京都周辺と違ってトロピカルでした。また、最後、あしずり港で、春一番の影響でフェリーが休航だったのにはビックリしましたが、今となってはいい思い出です。
 これから年度末・年度始めを迎えますので、しばらくお四国に行けそうもありません。次は早くてGWの頃かなぁ?39番延光寺へどのルートを歩き、宿をどうとるか、それを検討するのも楽しみです。
 
2004.1.25
 高野亮著クライマーを読了しました。登山界の寵児・吉尾弘氏の第U次RCCやアッセントクラブでの活躍や、ヴェッターホルン北壁やドリュ北壁登攀などヨーロッパアルプス遠征、労山全国連盟の結成や労山海外遠征登攀などを軸に、吉尾弘氏とその周囲の様々な登山家たちと、戦後日本登山界の登攀の歴史とが書かれていました。
 なお本書は、有限会社随想舎様よりおすすめの本としてご寄贈頂きました。ありがとうございました。
 
2004.1.4
 今年の年末年始は、ほとんど家にいて、HP更新をしてました。新鮮でとてもおもしろかった記憶が薄れないうちにと記録に残すのを急ぎました。今回のお遍路も、毎日が刺激的でしたね。
 12月24,5日は、大阪南港から船旅、高知駅前の懐かしい風景、竹林寺や禅師峯寺への山道、種崎渡船、道路工事の方々との挨拶、喜久屋旅館での夕食・・・。
 26日は、清瀧寺への登り道、塚地峠への遍路道、暖かかった青龍寺、宿をとる苦労、いやになるほどの長い夜道、自転車遍路さんとの会話、司旅館おかみさんのお接待・・・。
 27日は、大善寺で浴びた朝日、そえみみず遍路道、峠でのお遍路さんとの会話、雪、トンコツキムチラーメン、夕暮れ迫る道々、伊予屋旅館の暖かい部屋に風呂、クール・・・。
 28日は、寒かった岩本寺、片坂の遍路道、四国のみち、土佐くろしお鉄道災害復旧現場、熊井トンネル、代替バス・特急南風号・新幹線700系のぞみ号、夕陽に輝く讃岐富士・・・。
 去年から始めた四国お遍路ですが、1年間で37番岩本寺までまわれました。今年、37×2とすると、香川県善通寺市の74番甲山寺になりますが、愛媛県打ち終えあたりをメドに考え、今年もお四国を歩きたいと思っています。
 
2004.1.1
 年が明けました。なかなか今回のお遍路記録の整理が進みません。今回のお遍路は4日間歩いたので、まとめるべきものが多くて、なかなか大変です。写真は700枚以上撮りました。歩いた日数が多いほど、そのあとの整理作業も、(当然ですが、)多くなりますよね。
 今回は、お四国に向かう前、忙しくて、遍路道やお寺での要チェックポイントが充分調べられなかったり、道の間違いも多かったと反省しています。
 今日の更新は、お遍路14日目分だけですが、15〜17日目分も漸次更新しますので、またご覧頂きたく思います。
 
2003.12.6
 朝、家(自動車)を出発して、「お四国」を歩き、夕方「四国」の列車・バスで家(自動車)に帰る。車中泊でお遍路をすると何とも不思議な多重性を感じることができます。
 ただ、夕方の最終到達地点から朝出発したスタート地点に公共交通機関で戻り、明日朝のスタート地点である夕方の最終到達地点まで自動車で戻るのに2時間程かかりますので、決して楽とは言えません。遍路宿に泊まれば、その日の記録をある程度まとめたりできましたが、今回は、時間がありませんでした。(温泉につかりすぎなのでしょうが・・・)
 今回、お遍路中に出会った人に、今回の僕のお遍路スタイル(尺取り虫法)を説明しましたが、すぐに理解してもらえなかった場面もありました。でも自分では、この方法、結構気にいってます。
 今の自分にできる日程や方法で、とにかく「歩き」にはこだわり続けて最後まで歩き通したいと思っています。
2003.11.30
 今回のお遍路は、三日間で92.6km歩きました。これまでは、二日しか歩いてなかったので、勿論、最長距離です。アスファルトの平地歩きもだいぶ慣れてきたと思います。山では、なるべく休まず一定のペースで歩くのが、一般的なのですが、アスファルトの平地では、休むことを心掛けるのが大事でした。今回でよくわかりました。
 つまり山で、ハードな行動をする場合、持久体力や、足の筋力が、ネックとなることが多いのですが、平地のアスファルト歩きでは、それら2点より、靴の蒸れなどから生じる足のマメ問題が、一番のネックとなることがわかったのです。
 足のマメは、蒸れてふにゃふにゃになった足裏や足指の皮膚などが擦れ合うことによって炎症を起こし、水膨れが生じたり、内出血したりするようです。(僕の場合)
 そこで今回、こまめに休憩し、その際、靴内の蒸れを解消(靴を脱いだり、場合によっては靴下の脱ぐ)したので、足のマメはまったくできませんでした。歩かれた皆さんがおっしゃる通りです。
 また今回、靴を蒸れにくいメッシュタイプのもの(アシックス・ゲルフェザー)にしたのもマメができなかった一因だと思います。この靴、歩いていると前からの風を感じて涼しいくらい通気性いいんです。しかし、神峯寺からの下山では、靴が柔らかいので、かかとなどの捻挫の心配を懸念しながら歩きました。また、雨天時は水が靴内に入ってきて、かえって蒸れやすいのではないかと思います。一長一短ですね。
 この土日で三日間の記録をまとめようとしましたが、時間切れ。通算13日目の記録は、後日、まとめることとしました。
 
2003.11.5
 11月最初の三連休の最終日。かねてから行こうと思っていた。醍醐・笠取越えをして来ました。今回は、ハイキングではなく、一応、西国観音巡礼としてです。ルートは醍醐三宝院から上醍醐寺、笠取を経て岩間寺、そして石山寺まで。約20kmの行程でしたが、小さな峠も含めると三度の登りがあったので、楽とは言えないコースでした。
 西国観音巡礼は、一番札所の和歌山県青岸渡寺(那智山寺)から近畿圏内を巡り、三十三番札所の岐阜県華厳寺まであるようです。
 また、巡礼道としては、熊野神社から吉野までの熊野古道「奥駆け」。これもできることなら一度は行ってみたいですね。
 
2003.10.26
 読書部屋のこれまでに読了した山の本の「表紙画像」転載の問い合わせを各出版社にしました。著作権のからんだ問題です。「表紙画像」の転載を承諾して頂いた出版社もあれば、断られたり、ご遠慮を申し出られた出版社もありました。「表紙画像」の著作権は、こちら(出版社)ではなく、カメラマンやデザイナーにあるとされ、コメントを控えられたところもありました。その結果、いくつかの出版社の「表紙画像」は転載できなくなりました。
 waonet様のHP容量がいっぱいになりそうなので、山行記録の部分をisweb様に移行しました。ここには、300MBの容量があるので、当面安心です。
 また、四国お遍路の9日目のページにごろごろ浜のビデオムービーを挿入しました。デジカメのムービー機能で撮影し、ファイル容量を抑えたため、画面は小さく、画質もいいとは、言えませんが、荒れた太平洋や、浜の大きな石が「ゴロゴロ」と波打っているのが、わかります。なお、戻りボタンを設けておりませんので、ブラウザの戻るボタンで戻って下さい。ビデオムービーは1分少々の長さで、エンドレスです。
 これまでに撮影した山頂からのビデオムービーも適時、アップしたいと思います。また、見に来て下さい。
 
2003.10.17
 火打山で痛めた右ヒザもほぼ治ったようなので、先週末は、お四国に行ってきました。三連休で、多分、宿も満室だろうと思い、車中泊としました。
 これまで山では、なかったことですが、強風で車が揺れ、真夜中何度も揺すり起こされました。寝不足!
 でも、夜中に、四国現地に到着しても、差し支えないし、温泉や銭湯に立ち寄れるので、これもまた、ひとつのアプローチかなと思っています。
 バスの運転手さんが話してられましたが、スケボーで巡礼するとは?いろいろな意見があるだろうと思いますが、僕は、今回の平坦路を思い返し、画期的な方法だなぁと感心しました。
 
2003.10.1
 今回の火打山は、登山行為とともに、写真撮影を意識して行ってきました。撮影対象も山岳稜線だけでなく、木々や森、紅葉や夕焼け・朝焼けなどなど。
 アングルを考えながら歩いたせいか、火打山山頂から天狗の庭への何でもない下りで、脇見をしてしまい、右ヒザを捻ってしまいました。
 月曜日、整形外科に行ったら「靱帯が伸びている」と言われてしまい、今、処方してもらった冷湿布を貼っています。 皆さん、脇見には注意しましょう。
 ところで山行記録本文にも少し触れましたが、高谷池のテント場にいた50歳代?のグループが、余りの傍若無人。5人のうち、何人かが、夜遅くまで(とは、言っても街では早い時刻ですが、)騒いでました。大声で歌ったり、、救援用のホイッスルで拍子をとったり・・・。そのうち酔いつぶれたらしく大人しくなりましたが、真夜中12時を過ぎて、寒さのためか、また起き出し、そのうちの一人が歌い始めました。
 あまりの常識外れに他のメンバーが寝かしつけようとしたようですが、歌は30分ほど続きました。多分、ほとんどの人が起きてしまったと思います。
 朝、撮影から帰って来て、そのグループのテント周辺を見てみると、紙パックの酒や生キムチや魚など散らかしたまま、大量のゴミも出しているしで、最悪の様相を呈してました。
 高谷池ヒュッテでは、トイレのペーパーも持ち帰るようビニール袋まで用意され、自然環境への負荷を考慮されているのですが、一部のユーザーに下界での生活様式を持ち込み、大量の油やお皿などに付いた食べ残しなどを流すような行為をしているのかも?と考えられるような実情を見てしまい、とても残念でした。
 
2003.9.28
 今週は、火打山に行ってきました。金曜の夕方、出発して、笹ヶ峰の駐車場で車中泊。翌日、火打山に登り、高谷池キャンプ場でテント泊。今日は、妙高山へ登ってから帰ろうと思ってましたが、右膝を痛めてしまったことと、朝からパラパラ降ってきたことで妙高山はあきらめることにしました。近日中にアップします。
 今回の更新は、ヒマを見つけてはスキャンしてきた「読書部屋」の各本のブックカバー表紙をサムネイルで挿入したことと、「リンク集」にそれぞれバナーを挿入しました。
2003.9.18
 今年は行けないかと思っていましたが、先週、3年連続で乗鞍岳に行って来ました。今回はご来光を見て撮るということで、早朝4:30平湯バスターミナル発のバスに乗りました。敬老の日を含む三連休だったので、平湯キャンプ場も露天風呂の「ひらゆの森」も僕が過去見たことない混雑でしたが、乗鞍畳平行きのバスはガラガラでした。今年から始まったマイカー規制もあり、畳平駐車場も当然、ガラガラでした。
 しかし、山は早朝から結構、混んでました。若い方々の姿も目立ちました。山頂からの景色は素晴らしいものでしたが、あまり景色に感動を見せない方もおられました。
 年をとっていろいろな風景を見たあと、初めて山に登り、山頂から見渡すと、それまで見たことのない景色に感動しますよね。
 最近、中高年層の登山者が増えていますが、この現象、単なるブームではなく、よく考えれば、中高年層こそいろいろな風景をよく知っていて、山頂からの景色が、既知の風景とは違っていることをよく理解できる年齢層なのではないか?と、ふと思いました。
 
2003.9.13
 新田次郎氏の短編集「冬山の掟」を読了しました。山での遭難にまつわる話が10篇集められています。氏の作品はどれも読み応えがありますね。
 山岳写真集(ダイジェスト版)を「山行記録」内に新設しました。ここには、僕がこれまでに撮影したお気に入りの写真を集めています。初めて訪れて頂いた方やお急ぎの方々に、とりあえず、見て頂きたいページです。もちろんこれまでに訪れて頂いた方も是非、ご覧下さい。
 また、「稜線の記」リンク用バナーを用意しましたので、よろしければお使い下さい。
 
2003.9.1
 8月最後の週末。秋雨前線が南下し、天候が心配でしたが、雨飾山に行って来ました。京都から名神・中央道と経由したのですが、高速代をケチって中津川ICで降り、国道19号線を北上しました。途中、塩尻や松本で古本屋や、松本市内のスーパー銭湯「遊ing」にも立ち寄って、雨飾高原キャンプ場の駐車場に着いたら午後11時半でした。
 雨の直後だったので、登山道はぬかるんでましたが、夏から秋の花々がたくさん咲いてました。登山口から車で5分ほどの小谷温泉露天風呂、これがまた最高でしたね。ブナの原生林に囲まれたところにあって、森林浴もできました。缶ビールを持ち込まれている人もいて、皆さん、それぞれ楽しめる露天風呂でした。お勧めです。
 
2003.8.28
 先週は、平湯焼岳に行って来ました。キャンプ場でバーベQをしたり、露天風呂にゆっくり浸かったり・・・。夜空を見上げると天の川も火星もとても綺麗に見えました。
 明日から、8月最後の週末。なんとか天気もちそうなので、どこかへ行ってこようと思っています。車中泊します。
 
2003.8.15
 今年の夏は天候不順ですね。先週は北アルプス裏銀座を歩こうと計画してましたが、台風10号接近のため中止。8月末にと考えていたお四国に行って来ました。予想はしていたものの太陽の日差しとアスファルトの照り返しでダウン寸前。マメもできるし、これまで一番キツイ「行」だったな、と思っています。次回のお遍路は10月頃の秋、次はいよいよ室戸岬をまわれることでしょう。
 新田次郎氏の「神々の岩壁」。ひさしぶりの★★★★★評価です。短編ながら一息で読んでしまいました。
 
2003.8.4
 東北から7月31日深夜に帰ってきました。一日だけ雨で停滞しましたが、天候にはほぼ恵まれました。梅雨明けしてなかったので、この時期にしては涼しかったようです。しかし、ガスが出ていたので遠くのお山は望めませんでしたが。。。
 印象に残ったのは、高山植物ですね。残雪とガス、そして朝露に濡れる花々、とても綺麗でした。帰ってから山渓のポケットガイド「高山の花」を買って、花の名前を調べました。
 
2003.7.24
 明日から1週間ほど東北のお山に行ってきます。行きは秋田港までフェリーに乗るのでたっぷり読書できそうです。去年に続いて今年も梅雨明けが遅れていますね。真夏なのに涼しい山行になりそうです。
 田辺朔郎氏を描いた「京都インクライン物語」という映画を見る機会がありました。100年前の人物が何を残したか、をテーマに描かれてました。
 映画の舞台は、貴船神社、神泉苑、千宗室の茶室、錦市場、湯葉とうふなどがある水の都「京都」ですが、明治になって首都が東京に移され、落ち目となっていました。
 映画の主人公である田辺朔郎は、父を早く亡くし母ふき子に育てられます。そして海外視察をした岩倉使節団の一員である朔郎のおじが朔郎に工学を勧め、朔郎は工部大学校(東京大学工学部)に入学して、「エンジニアは社会のために存在している奉仕者である」と説いたヘンリーダイア氏らの教えを受けました。
 朔郎は、卒業論文(2年間の実地研修)作成のため京都に赴きますが、京都へ向かう途中の逢坂山で、牛を引っ張りあげ、荷物を運搬する苦労を目にしました。
 当時京都では、平清盛や豊臣秀吉も夢見た琵琶湖疎水計画がありましたが、そう簡単に実現できるものではありませんでした。北垣国道京都知事は、百年の計として国の援助を排し「京都の京都による京都のための琵琶湖疎水」を計画しますが、国によりレンガを貼るなど注文がつけられ、当初60万の予算が125万円(現在の1兆円超え)に跳ね上がりました。
 朔郎も、疎水の完成により人々の暮らしは良くなると考え、工部大学校卒業後、京都で疎水工事の指揮をします。最も難工事であった長等トンネルは延長2436mあり、竪抗を中間点に設けて4ケ所から掘り進められますが、予想以上の湧水があり、イギリスからポンプを購入することになりました。(ポンプがトンネル工事に使われるのは始めてであったそうです。)
 琵琶湖疎水当初の目的は鹿ヶ谷に水車動力の工場をつくる予定でしたが、朔郎は1888年高木文平とともに渡米し、電灯の光、リンの市電、ホールヨークの水車動力工場、アスペンの水力発電所などを見学し、もはや水車の時代ではないと悟ります。そして帰国後、計画を変更し水力発電所をつくり、日本初の市電を走らせました。
 朔郎は、のち東大教授になりますが、北海道鉄道など現場に活躍の場を求め、「エンジニアは社会発展の原動力たれ」と説き、晩年ライフワークとして「明治工業史」を著しました。
 映画のテーマは、100年前の人物である田辺朔郎氏が100年先を見越して取り組んだ琵琶湖疎水やその利用。そして、現代人である我々に「100年先を見据えた展望を持っているか?」また、「100年後の22世紀の人が現代を振り返ってどう思うか?」を問いかけるもので、大変考えさせられました。
2003.7.12
 先日、大阪全日空ホテルで行われた三浦雄一郎氏のエベレスト登頂報告会に参加して来ました。報告会は、33年前、エベレストからのスキー滑降で転倒し、ほとんど滑落状態となりましたが、運良く停止し、スキーストックを高くかざされた三浦雄一郎氏の当時の記録ビデオから始まりました。
 三浦雄一郎氏は、エベレスト(チョモランマ)について、標高8848mとされているが、NASAのGPSによると8850mらしいことに触れられ、山頂には雪が4〜5m積もっているので、8850mかそこら当たりらしいということや、キャンプはC1〜C5まで設営し、C4は標高8000mの世界で一番高い峠で、33年前のスキー滑降の時、鳥の死骸がたくさんあったこと。これについては、鳥は空高く舞い上がるので、鳥葬をすると死者が(鳥と共に)天に昇ると信じて、チベットでは鳥葬されること。標高8000mのC4地点はその鳥が死んでいる場所なので、ここが天国かと思われたことなど話されました。
 また実際、8000m以上の場所(デスゾーン)では、空気は地上の1/3で気温は-30℃。また脱水症状により血液がトマトケチャップ状態になってしまうことやそのため毛細血管に血が流れにくくなり、頭痛や脳梗塞、肺気腫、心筋梗塞など(いわゆる高山病)になってしまうこと。さらにそのためボンベから酸素を吸う必要があることなども話されました。
 またご自身の体験でも、そんなところを25kgぐらいの荷物を背負って登るので、5年間足に重りを付けるなどのトレーニングされたことや、標高8400m地点では1996年に遭難したスコットシッシャーの遺体があったこと。標高8800mのヒラリーステップではオーバーハングの通過に予想以上の時間を要し、極寒に耐えられたことなどを語られました。
 マラソンの有森裕子選手が「自分で自分を褒めてやりたい」と言ったのに比して、ご自身のことを「自分で自分をあきれたい」と話されました。
 三浦雄一郎氏は、クラーク国際高等学校の校長としても活躍され、高校生達にも「夢を実現することの素晴らしさ」やご自身が命を賭けて自分の夢を達成されたこと、また「自分の一歩を踏み出すことの大切さ」などを熱く語られ、その熱意がひしひしと伝わって来た報告会でした。
 
2003.6.29
 三菱シャリオ。今年7月が3回目の車検となるので、勇退させることにしました。7年で94000km余の走行距離を大きな事故もなく過ごせました。
 新車のトヨタのWISHは、6.27金に納車されました。シャリオと同タイプの車で、室内幅は同じようなものですが、長さがずいぶん長いので広くなった感じがします。ゆっくり寝られます。また、瞬間燃費やトリップ平均燃費がデジタル表示されるので、アクセルを噴かせる気にさせません。
 
2003.6.21
 先週は、四国に行って来ました。2月から始めて、4月、6月とちょうど、冬、春、梅雨の季節を歩くことができました。次回のお遍路は夏かな?でも夏のアスファルトの道は辛いだろうなと思います。だから夏はやっぱり、お山かな?そろそろ計画を立てる頃になってきましたね。
 今回の写真は、無償点検されて戻ってきたsonyサイバーショットP1で撮影しました。以前はバッテリーが、ごく短時間しか持たなかったのが、持つようになっていました。
 
2003.6.8
 「伊能忠敬を歩いた」を読了しました。江戸時代後期、当時平均寿命は40歳ぐらいだそうですが、そんな時代に50歳を過ぎて、天文学・暦局に入門し、70歳まで日本全国を歩いて測量し、日本地図を作った人物です。これはちょっと真似できませんね。とんでもない人物がいたものです。この著書では、江戸時代後期の伊能忠敬と、現代日本の伊能ウオークとが、交互に描かれています。
 
2003.5.18
 MapFan様提供の地図を「山行記録」と「四国お遍路」のページに挿入しました。登頂した山や訪れた札所の位置が地図でわかるようになりました。是非、再訪してやって下さい。
 また、リンク集を新設しました。相互リンクして頂ける方、ご連絡をお待ちしております。よろしくお願いします。
2003.5.12
 大菩薩嶺に行って来ました。金曜日の夕方、京都を発ち、家に電話を入れると、てっきりお四国に行ってるものだと思われていました。このところお四国のことに時間を割いてきたことと、菩薩という響きがお四国を連想させるものだったようで・・・、つい笑ってしまいました。
 大菩薩嶺では、富士山と南アルプスの大展望を期待していたのですが、予想以上に早い天候の悪化で、展望は得られませんでした。残念!
 先週の5月6日、NTTのBフレッツを導入したのですが、7日の落雷で回線使用不能になっていました。でも今日やっと復旧しました。
 
2003.4.27
 先週末、2回目となる区切り打ちに行ってきました。焼山寺の登りで、急いで登ろうとするあまり、息が切れて休まざるを得なくなっておられる方が多かったです。そして必要以上の休憩をしておられた方も・・・。山では決して急いではいけません。休憩を取らなくていいぐらい、ゆっくりゆっくり登るのが、コツで、結局は早いし、疲れないものだと思います。
 今回は初めてお接待というものを経験出来ました。鍋岩でのアメ湯、広野での伊予柑、暖かい励ましのお言葉、みなさまありがとうございました。
 また、HPサーバーをジオシティ様よりワオネット様に移行致しました。今後ともよろしくお願いします。
 
2003.4.6
 年度末年度始めは、忙しくて泊まりでは、思うように出かけられませんでした。次のお四国はいつのことになることやら・・・。昨日は、京都会館第2ホールでの「平成遍路シンポジウム」に行って来ました。その記録をお遍路のページに載せました。
 
2003.3.2
 山行記録のページを「年」ごとの分類から「地域」ごとに変更し、登山ルートを書き加えました。その他、間違った記述を訂正しました。最近、週末になるとよく雨が降ります。
 
2003.2.21
 四国お遍路を始めることにしました。で、早速、先週末行ってきました。信仰心というものはあまりない方だと思いますが、この際、多少の知識も蓄えたいと思っています。
 歩いてみると、なかなかいろいろなことが起こりおもしろいです。普段は何でもない景色は感動的に見えたり、何でもない会話が印象に残ったりしました。四国でお世話になった皆様ありがとうございました。
2003.2.9
 富士山はとにかくしんどかった。日帰りだったので、高度順応できず八合目あたりから極端にペースが落ちたのを覚えています。浅間大社までは行きましたが、最高峰の剣ヶ峯へは行ってないので、次は山梨県側から小屋泊まりで登ろうと思います。
 今回の富士山で、手持ちの記録はなくなりました。実家に帰ったらこれ以前のものが見つかるかもしれませんが、とりあえず過去への遡行は終了です。これからは更新は、未来に向かってのものとなります。
 また、「稜線の記」に新しいページを追加するかも知れません。また見に来て下さい。
  
2003.2.2
 今週は、「四国八十八カ所 ガイジン夏遍路」を読了しました。
 四国には、高校2年の夏に友人と二人で自転車で行ったことがあります。自転車に着替え一組と海パン、海水浴用のゴムボート、タオル、水筒、自転車用工具などを積んで、夜中2時頃、京都を出発しました。R171で神戸へ、明石海峡を船で渡り、淡路島へ、車の少なそうな西海岸を走って、途中、五色浜で海水浴もして、鳴門海峡を船で渡って鳴門のYHに泊まりました。夜遅く着いたので、夕食を用意してもらえず、自転車で外に食べに行ったのを覚えています。
 2日目は、徳島県のR55を南下し、星越峠を越えて、日和佐町まで走りました。この町には連泊し、夜はうみがめの産卵を見に行ったり(見られませんでしたが)、海で泳いだりしました。
 4日目は、国道をさらに南下し、室戸岬まで走りました。四国八十八カ所の霊場のひとつである最御崎寺にあるYHの100畳ぐらいの大広間に大勢の人たちと雑魚寝をしたのを覚えています。
 5日目は、高知市に向かって西に進みました。桂浜で坂本龍馬像を見て夜行のフェリーで帰るつもりでしたが、台風の余波でなんと欠航。お金もなかったので高知駅で大学生グループたちと野宿しました。
 6日目、朝便の大阪南港行きのフェリーに乗船。夕方、南港に到着。自転車でさらに京都まで走り、家に着いたのは夜中でした。
 毎日とても暑かったので、一日一回はパンクしたり、チェーンがはずれたりしましたが、道中の民家でバケツを貸してもらったり、水をもらったり親切にしてもらいました。その頃は、お遍路にはほとんど興味がなかったのですが、この本を読んで、いつか四国の1400kmの行程も歩いてみたいと思いました。
 
2003.1.19
 西穂に行った頃、デジカメを持ってなかったので、フィルムカメラで撮ったネガをスキャナーでデジタル化したり、ビデオカメラで撮った動画を静止画に編集して山行記録を作りました。御嶽山と富士山もフィルムカメラで撮ったネガやポジをスキャナーでデジタル化する予定です。
 ビデオカメラには撮影日時などの情報が記録されているのでそれをもとに時刻を書き入れました。当時、時間かけて登っていたことがわかりました。休憩が多かったと思います。
 
2003.1.6
 北八ヶ岳から帰ってきました。今回の山行きは、宿が印象に残りました。初日に泊まった縞枯山荘では、夕食後、星空案内人氏による「星空観察会」がありました。氷点下15℃の下での観察会だったので、宿泊者全員ではなかったと思いますが、口径32cmの反射望遠鏡で土星のリングや星団や星雲を数多く見せて頂きました。星空案内人氏の天体に関する知識もさることながら、望遠鏡の視野に天体を導入される時間の早いこと早いこと。本当にビックリしました。観察会のあとも、暖かいこたつに足を入れながら、いろいろな話を聞かせて頂いて楽しい夜になりました。ありがとうございました。
 2日目の渋御殿湯では「東の湯」の3つの温度の異なる温泉がよかったですね。特に「渋長寿湯」。この総檜の浴槽の下に源泉があるらしく、浴槽の底から源泉と泡がブクブク涌き上がっていました。温湯で火照った体を2つの冷泉や檜の床に寝そべっての冷気浴で冷やしてを繰り返し、山での疲れだけでなく日頃の疲れも取れた気がしました。
 
2002.12.29
 年始初登山は、北八ヶ岳に行くことになりました。2日の早朝JRで長野県に向かいます。初日は、縞枯山荘。2日目は渋ノ湯に泊まり、4日の夕方帰る予定です。
 今回のためにコージツ京都三条店でワカンやネックウォーマー、フィンガースルーグローブ、オーバーグローブなどを購入しました。なかでもフィンガースルーグローブは、親〜第3指の指先部分に工夫が凝らしてあり、グローブをはずさなくても3本の指は露出できるようになっています。写真撮影の時などで便利なようです。
 今年は、4月以降、月1回は山に行くことができました。来年も仕事や体調に気を回し、登りたいと思っています。
2002.12.15
 「SUUNTO X6」を通販で購入しました。今回の武奈行きで早速、試してみました。素晴らしい。本当に素晴らしい。こんなことできればいいなぁと思っていたことが実現できた逸品です。
 例えば、高度計としての機能。これまでカシオのGショックを愛用してましたが、その時々の高度が表示されるだけのものでした。しかしX6は、違う。10秒ごとまたは60秒ごとに時計内部のメモリーに記録されていくのです。さらにパソコンとつなぎ、ダウンロードしてやると、専用ソフト上でそのデータが折れ線グラフや表で表示されるのです。もちろん測定誤差はありますが、ある時刻での高度が記録されるので、時間に関するメモの必要がありません。(CHRONOモード)
 また歩いている時も、高度のほか、1分間あたりの上昇・下降率が表示されるので、オーバーペースの防止にもなります。僕の場合には、もともとオーバーペースになれませんが・・・。(HIKINGモード)
 さらに磁気センサーにより方位が、NSEWの8方位だけでなく、Nから時計回りに0°〜359°までデジタル表示されます。ベアリングもできますし、偏角補正もできます。(COMPASSモード)
 無論、通常の時計としての機能もあります。(TIMEモード)
 また、一定の高度に滞在している場合は、気圧の変化を記録してくれるので、天気の予想もできます。(WEATHERモード)
 ただ難点は、簡単な日本語解説は付いてましたが、専用ソフトの文字がすべて英語なので、苦労するところですね。だからまだわからない(知らない)機能もたくさんあると思います。
 真保裕一氏の「ホワイトアウト」読了しました。映画を先に見ていたので、富樫輝男と織田裕二がオーバーラップしてしまいました。実は、大昔、織田裕二と似ていると言われたことがある(笑)ので、織田裕二氏には、少々親近感を持っています。(笑々)
 
2002.12.7
 「白い山という名を持った山は、欧洲にモン・ブラン(モンは山、ブランは白)があり、ヒマラヤにダウラギリ(ダウラは白、ギリは山)がある。そしてわが国の代表は白山である。」深田久弥氏の日本百名山より引用。
 標高2700m程のマイナーな山かも知れませんが、この山は大変好きな山です。
 さらに深田氏は述べておられます。
「白山登山はまさに私の山岳開眼であった。・・・中略・・・白山について語り出せばきりがない。それほど多くのものをこの山は私に与えている。」
 僕の今につながる最近の登山も、この山から再出発したと思っています。いろんな意味で大変重要な山です。
 今年は、冬、山に行きたいと思っています。どこになるかはまだ確定していませんが、そのための準備(装備購入なども)をしているところです。お正月明けから出発する予定です。更新したらまた見に来て下さいね。
 
2002.11.30
 今、真保裕一氏の「ホワイトアウト」を読んでいます。直接は関係ないのですが、今年5月、単独で立山雷鳥平に行ったときのちょっと恥ずかしい話をします。ホワイトアウトに関して・・・。
 夜、管理棟にあるトイレに行こうとした時のことです。その日は朝から雨でどうやら前線も通過し、立山は雨はさほどではなかったものの強い風が吹く大荒れでした。標高2400mのテント場付近もガスの中です。視界はそうですね、・・・5〜6mといったところでした。夜11時頃だったので、明かりのついてる近くにあるテントがぼんやりと見える程度です。これ、ホワイトアウトだなって思いました。
 でも、なんとかしてトイレに行かなくてはなりません。仕方ないので地図で方角を確かめコンパスを頼りに管理棟に行きました。(昼間のうちにキャンプ場内での自分のテントの位置は確かめておきました。)もちろん歩数も数えました。
 で、用を済ませて、コンパス頼りに歩数を数えてテントに戻りました。ところがところがです。ないのです。テントが、、、。
 まわりはホワイトアウトなので視界は5,6mです。夜遅いので、明かりのついてるテントは、ほとんどありませんし、そもそもテントが視界に入りません。一旦、管理棟に戻り、もう一度コンパスを確かめ、歩数も数えて、その付近に着きました。範囲を広げて探しましたが、やっぱりありません。行きと帰りで東西南北が逆になるので間違ったのかなと思いましたが、さっき、確かに、このあたりから、確認した方角と歩数で管理棟に戻れたのでやはり間違っているはずありません。まわりは真っ暗、いや自分のヘッドランプで真っ白でした。気を落ち着かせるためもう一度管理棟に戻りました。
 ここの管理棟は無人ですが、蛍光灯が点っているので安心できます。しかし、ここを10mほど離れライトを消すと本当に真っ暗です。ヘッドランプをつけるとそのあたりだけが白くなります。コンパスはなければここに来るのも容易ではありません。誰が来るのを待とうかなと思いましたが、人が来たとして何て相談したらいいのやら、相談するとしたらこの霧の中、「一緒に僕のテントを探して下さい」というべきなのか?それとも「朝までテントに入れて下さい」というべきなのか?
 いやいや、そんなこと言えないなぁ。と思い直し、またコンパスで方角を確かめ歩数も数えてその場所に戻りました。やっぱりありません。もう泣きたい気持ちです。
 仕方ない。テントもシュラフもないし、明るい管理棟のトイレの床にでも座って一夜を過ごそう。それしかないやと開き直りました。みんなもうテント中で暖かいシュラフにくるまって寝てるんだ。隣(といっても7,8mほど向こう)にいた中高年グループも寝ているのか、夕方あんなにやかましかったのに・・・とか思い、コンパス持ってるし、もう少し遠くまでブラブラしてから管理棟行こうと思い歩きました。
 すると前方にかすかに変な形のテントが見えました。なんだろうと思い近づくとなんと、それは横倒しになった僕のテントではありませんか!折からの強風と、人がいなくなり軽くなったことでここまで飛ばされたらしいのです。思わずその場にしゃがみ込みました。もちろんテントを押さえながら・・・。
 いま思う返すとやっぱり最初テントはなかったように思います。どなたかテントを探している僕を知って、そっとテントを近くまでも戻してくれたのかも知れません。不思議で怖く、そして恥ずかしい経験でした。
 宮之浦岳。飛行機や船、列車、バス多くの乗り物を利用しました。残念ながらガスや小雨の中の行程で、山頂からの展望はまったくありませんでした。大雨にならなかったのでまだいい方なのでしょう。山頂次に行く機会があれば、白谷雲水峡の方にも行ってみたいものです。その時はもっと日程の余裕をもって計画します。
2002.11.22
 今週は山際淳司氏の「みんな山が大好きだった」と折原一氏「遭難者」を読了しました。山際氏は確かアサヒスーパードライのCMに出ていた人でしたよね?もう亡くなられましたが、当時こんな山関係の本を書いておられるとは知りませんでした。かなりお勧めの一冊です。折原一氏「遭難者」本当にあった事故の追悼集だと思って読み進みましたが、フィクション,小説でした。(これから読もうとしてられた方、ネタばれですいません。)写真や葉書、各種届などのコピーと載せるなどリアルですが、4月末の不帰ノキレットを一人10kgのザックで縦走するとか真実味がない部分もありました。
 恵那山について、恵那山そのものは正直あまり印象に残ってませんが、南アルプスはよく見えたのが印象に残っています。下山でアップダウンを繰り返してヘッドランプも灯してようやく神坂峠に辿りついた時、車のウィンドウは壊されていたのは、本当に残念でした。何も取られてなかったので悪気があってしたのではなかったのかも知れませんが。ニホンカモシカを間近に見ることができました。向こうも興味深そうにこちらをじっと見てました。
 
2002.11.16
 表銀座縦走路。なにより良かったのは、槍ヶ岳のモルゲンロートかな。黒い岩肌が赤く輝いていた槍の穂先。冬、雪をまとった穂先がモルゲンロートに輝けばどんなに素晴らしいだろうと思っている。
 裏銀座縦走路。見た目大した起伏はなさそうである。しかし、そこへ行くまでが遙か遠い。いづれ行きたい。
2日目の天候の変化。朝、ピンクや赤に染まるほど晴れていたのに昼過ぎからは、一変して雪。幸い雨に変わってくれたので難を逃れましたが、あのまま降り積もっていたら大変でした。
 森村誠一「未踏峰」。上下巻の長編で3週間ほどかかりました。八ヶ岳で出会った8人の男女が描かれていました。人と人が妙な因果があるのは「雲海の鯱」と似ていました。この小説の続編があればおもしろいだろうなぁと思いました。
 
2002.11.10
 今回は、2000年夏の白馬岳と2000年唐松岳をアップしました。白馬岳には春にも登ろうとしましたが、ガスのため小蓮華山の手前で引き返したのでいわばリベンジという気分もあったことや、白馬大池周辺や大出原での高山植物が印象に残っています。唐松岳へは集団登山でガイド氏らの適切なアドバイスやペース配分で、全員が山頂まで至ることができました。
 このところ忙しくて山の本はあまり読めておりませんが、前回までに読了した新田次郎氏の「風の中の瞳」は中三生と教師との学校生活を描いた作品で、清々しい読後感がありお勧めです。
 10月末に、デジカメを買い換えました。ソニーサイバーショットDSC−717。でも「ホログラフィックAF機能を使用した際、フォーカスが合わないことがある」とかで11月11日(月)修理に出します。
 

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