高野山 町石道

南海高野線九度山駅
<写真1 南海高野線九度山駅>
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 2006年11月12日(日)京阪宇治駅5:32発の中書島行きに乗車。まだ暗い。中書島駅で乗り換え、京阪北浜駅で下車し、大阪市営地下鉄堺筋線の終点である天下茶屋駅で下車した。天下茶屋駅近くのコンビニでペット茶やおにぎりを購入し、南海電車天下茶屋駅の改札を通り、天下茶屋7:04発の急行に乗車。橋本駅で乗り換え、南海高野線九度山駅<写真1>には8:10に到着した。

 改札を出て車道を西に歩いた。同じ方向に向かわれた方は僕の他に3人おられた。沿道沿いの民家の庭に咲いていた赤い鶏頭<写真2>の向こうに、これから歩く山々が見えた。赤い欄干の慈尊院橋を渡り、8:33慈尊院山門前(推定標高70m)<写真3>に着いた。

 境内への石段を上がり本堂<写真4>と大師堂でお参りした。白装束のお若い(20歳代?)の男性がおられた。お四国の帰りだろうか?九度山駅を一緒だった方々は先に山に入られたようだ。
赤い鶏頭
<写真2 赤い鶏頭>
慈尊院山門前
<写真3 慈尊院山門前>
慈尊院本堂
<写真4 慈尊院本堂>
 8:41慈尊院西門を出ると土壁の塀<写真5>が続き、道は緩やかに上っていた。この道が高野山町石道のようだ。町石道の起点である百八十町の町石を確認してないので探したが見つからなかった。下の三叉路まで下りたがわからなかったので町石道を登り始めることにした。

 登り始めてすぐのところに百七十九町の町石があり、その向かいは広場となっていてトイレなどもあった。さらに登り墓地の脇を抜けると白い高架橋が見えてきてその車道を横断した。町石道脇の鉄杭<写真6>には四国でよく見た丸い白地に赤矢印の遍路シールや讃岐でよく見かけた青い遍路シールが貼ってあるのが見えた。道は確かだ。

 道は紀ノ川と平行する崖沿いとなり紀ノ川がよく見えた。柿の木にはたくさんの実がなっていた。途中、展望台(推定標高280m)があったので9:11立ち寄った。ベンチや東屋があったが眺望はこの展望台からだけでなくどこからでも素晴らしいものだった。さらに登ると赤白の塔<写真7>が見えた。テレビ塔だろうか?塔を過ぎて柿の木<写真8>越しに紀ノ川を見納め、林に入った。
土壁の塀
<写真5 土壁の塀>
鉄杭の遍路シール
<写真6 鉄杭の遍路シール>
柿の木
<写真8 柿の木>
赤白の塔
<写真7 赤白の塔>
百五十六町
<写真9 百五十六町>
 9:32山道に入り、町石は百五十六町<写真9>と読めた。ここからは柿の木はなく杉林の中の登りとなった。百三十七町からきれいに並んだ石段の道となり、その石段<写真10>を上り詰めると10:11推定標高570mの「六本杉」の標識に出た。目立つ杉が六本あるわけではなかったが、広場になっていて、丹生都比売神社への分岐でもあった。高野山への町石道はそこでヘアピンに左に折り返し続いていた。

 杉の林は濃淡の変化があり、密なところは薄暗く鬱蒼としていたが、粗なところは木漏れ日<写真11>が道に輝く平行線を投影していた。
 しばらくの歩きで上古沢駅への分岐に出て、そこから少し行くと10:35推定標高630mのベンチのある休憩所に着いた。

 ベンチのある展望所からは集落や田んぼが見えた。天野の里<写真12>というようだ。一人の方がベンチに腰掛けておられラジオを鳴らされていた。僕は写真撮影をしそこをそのまま通り過ぎた。展望所のすぐその先には「二ツ鳥居」<写真13>があった。ここは確かに二つの鳥居並んでいた。 
六本杉への石段
<写真10 六本杉への石段>
木漏れ日
<写真11 木漏れ日>
天野の里
<写真12 天野の里>
 二ツ鳥居から道は下っていた。下った分だけ上りがあるので下りたくはないが仕方ない。人の話し声や笑い声が聞こえてきた。山中でバーベキューでもしておられるのかな?と思ったら目の前に意外な光景が飛び込んできた。ゴルフ場<写真14>だった。ピンのさしてあるグリーンや白いバンカーがあった。歩いているうちに話し声も聞こえなくなったと思っていたら、ドスンと音がした。ボールが飛んできたようだ。どこに落ちたかはわからなかったが音からしていいところに落ちたようだった。

 ゴルフ場と平行する道がしばらく続き、ゴルフ場から離れると集落や山間の棚田が見えた。10:54道沿いに推定標高550mのお堂(神田地蔵堂)<写真15>があったので、そこの木製ベンチでおにぎりを食べることにした。

 おにぎりを食べ終えしばらくするとラジオをつけた方がやって来られ、横に座られた。この方、先週は車で高野山に来られ、そのときはひどい渋滞だったと話して頂いた。 
二ツ鳥居
<写真13 二ツ鳥居>
ゴルフ場
<写真14 ゴルフ場>
笠木峠
<写真16 笠木峠>
神田地蔵堂
<写真15 神田地蔵堂>
木の柵
<写真17 木の柵>
 11:07神田地蔵堂を出発。緩やかな上り下りの道が続き、11:42推定標高550mの笠木峠<写真16>に到着。ここも上古沢駅への分岐となっていた。笠木峠からはむしろ下りとなった。向こうからやって来るグループもおられた。なだらかな雑木林の道を町石の町数が減じていく見ながら歩いた。

 気が付くと電車の音が聞こえた。電車は軋むような音を立てて走っていた。南海高野線は橋本を出てからゆっくり走っていたのを思い出した。車の音も聞こえてきた。車道も近くなってきたようだ。町石道の左側に車道が見え、木の柵<写真17>が続くようになったきた。お四国の土佐から伊予の国へ抜ける松尾峠の木の柵と似た感じがして懐かしい思いがした。

 12:25標高481mの矢立<写真18>に到着した。ここは車がたくさん往来しているし、ガソリンスタンドや茶店などもあった。トイレがどこかにあるようだが見つけることができなかったので、茶店の脇から民家の横を抜け、再び山道へ<写真19>入った。
矢立にて
<写真18 矢立にて>
再び山道へ
<写真19 再び山道へ>
袈裟掛石
<写真20 袈裟掛石>
 しばやく平坦路やむしろ下りが続いたが、矢立からは久しぶりの登りとなった。少し登ると袈裟掛石<写真20>があった。”この石の下をくぐれば長生きするとも言い伝えられている。”と案内板にあったが、とうてい無理な隙間だった。さらに登ると押揚石があった。

 斜面の傾斜がきついからか木立は疎らで、道は空へ向かって<写真21>いた。車道を渡り13:11推定標高700mのベンチある展望台に到着した。眺望はさしてよくなかった。さらに道を登り少々下った。向こうから15名ほどのグループの方々が来られた。どこから(登って)来られたか?と尋ねられた。山を下っているはずなのに登っているので不安に思われたのかも知れない。

 道は車道へ出たが、案内標識の通りすぐ車道の右下へ進んだ。しばらくで車の音も聞こえなくなり、渓流沿いの道<写真22>となった。デジカメのフラッシュメモリがほぼ一杯になったので13:35渓流沿いの道に設けられたベンチに腰掛けフラッシュメモリを交換した。 
空へ向かって
<写真21 空へ向かって>
渓流沿いの道
<写真22 渓流沿いの道>
木立を登る
<写真24 木立を登る>
木製の橋
<写真23 木製の橋>
大門
<写真25 大門>
 いくつかの木製の橋<写真23>を渡った。ストックであれども橋の上ではつかないようにした。橋を渡る度に歩が進む毎に町石の町数は確実に減っていった。渓流から離れると、木立<写真24>の中、傾斜が急にきつくなり階段があらわれ始めた。
 木立の中の階段を九十九折りに何度か折り返し、車道に出ると14:16そこには標高848mの大門<写真25>があった。

 車道の電光掲示板によると気温は4.3℃だった。11月中旬ではあるが午後2時過ぎで気温が4.3℃とはやはり寒い一日のようだった。途中から手袋を装着していた。大門をくぐったところの紅葉<写真26>は綺麗だった。全山紅葉というわけではないが、朱色の門や緑の木々と、赤や黄色の染まった木々は見事なバランスだった。

 矢立でトイレを見つけられなかったのでトイレに入った。近くでお昼にするか?町石道の一町(基点)の根本大塔へとりあえず向かうか?を考えながら、14:22大門を出発した。
大門の紅葉
<写真26 大門の紅葉>
高野山町の道路
<写真27 高野山町の道路>
根本大塔
<写真28 根本大塔>
 山上の高野山町の道路<写真27>はほぼ平坦である。沿道沿いにうどんなど食べさせてくれる店もあったがとりあえず町石道の一町(基点)の根本大塔<写真28>へ向かい、14:32に到着した。山中の町石道とは違って、大勢の人がおられた。

 根本大塔からは蛇腹道の紅葉<写真29>を見ながら金剛峯寺へ向かい、14:40に到着した。金剛峯寺では大主殿檜皮葺替工事をされていた。金剛峯寺近くの店(丸万)の前でメニューサンプルを見ていると「お一人さん、どうぞ」と案内され、カウンターに座った。メニュー一覧を見て早く出来そうな「なすカレー」を注文した。

 15:03店を出て奥の院に向かってまた歩き出した。15:16一の橋<写真30>に到着。ここの紅葉も綺麗だった。一の橋を渡り杉木立の参道を奥の院へと向かった。15:36奥の院前の納経所<写真31>に到着。水向地蔵に一体一体水をかけた。そしてカメラや帽子、手袋をザックにしまいストックもザックにつけ、15:40御廟橋<写真32>を渡り、お参りした。

    奥の院
蛇腹道の紅葉
<写真29 蛇腹道の紅葉>
一の橋
<写真30 一の橋>
御廟橋
<写真32 御廟橋>
奥の院前納経所
<写真31 奥の院前納経所>

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2006年11月21日 記


           
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