第六十二回  "エピローグ"



梅雨らしくない天気が続いています。
ユーロ2004では「大番狂わせ?」でギリシャが優勝!
ヨーロッパの頂点に立ってしまいました。
正直ビックリですが、スポーツの世界は予想出来ないって事ですね。
日本のプロ野球だってオフの補強状況を見ていると
毎年巨人が優勝かって思うけど蓋を開けてみると…
昨年のタイガース旋風に続いて今年はドラゴンズ旋風かな?


いよいよ、この留学記もエピローグを迎えました。
この留学は正直、長かったような、短かったような。
苦しかったような、楽しかったような。
でも、我々家族にとっては本当にかけがえのない時間、経験、知識、
そしてライフスタイルを与えてくれたことは間違いのない事実です。

突然、降って湧いたように留学が決まり、
用意もできないまま家が決まり、
何ができるのか解らないまま出国し、
色んな思いで時間を過ごしました。
スウェーデンにも友人ができました。

休日の過ごし方を初めて知ったような気がしました。
季節の移ろい、自然の息吹、そういったものをストレートに感じ、
それに楽しみ…。家族との時間を大切にすることを教えられました。


バケーションで大陸に渡りました。
車で国境を越えました。
当時はEU統合がすんでいなかったので
越えるたびに通貨が変りました。
文化も微妙に変化しました。
それを肌で感じる事ができました。
ヨーロッパの文化、生き方に傾倒してしまいました。




 ●ちょっと湿っぽくなってしまったディナー●

お別れの日の数日前…マイボスのシュラー先生が家族を
ディナーに招待してくださいました。

ご子息が中心になって「おごちそう」をしてくださり、
本当に楽しい時間を過ごしました。
しかし、その後にはお別れの日が近づいている事も
また皆承知しているので、何となく湿っぽいディナーになりました。

この席でです、
「本当に帰るのか?スウェーデンに残るのなら仕事を探してやるぞ!」
と念を押されたのは…。
本当に、あの時「よろしく」と言いそうになっていました。
言ってたら今頃どうしてるんでしょうね〜。

  




●ホバークラフト乗り場まで皆が見送ってくれました●   
そして、当日…。
妙にガラーンとした、住み慣れた部屋を後にした我々…
友人やボス、セベリン一家、スコーネ日本人会の方々に見送られて
フィエリエベーゲン21を後にしました。
マルメのSASホーバークラフト乗り場まで皆が送ってくれました。

手には何故か往復のJALのチケットを持っていました。
もし、日本での生活になじめなかったら帰ってくればいい
なんて本気で考えていました。(実はその方が安かったからですけどね)

長時間のフライトの末着いた成田空港で、
子供達の最初の一言は「日本ってあかるーい」でした。

2年前、何も解らないまま真冬の暗〜いスウェーデン
につれていかれた子供達は、今また親の勝手な都合で
明る〜い日本に帰国しました。ゴメンね。







2年間の留学を5年間に渡って書いたこの「北欧留学記」
今回で一区切りとしたいと思います。

子供達も大きくなり、高校生になりました。
是非、近いうちに皆でお世話になった方々のところへ
訪問したいと計画しています。

スウェーデンの皆様、その節はよろしくお願いします。
それで、また何か思い出したり、
書きたくなったりしたら「番外編」で登場するかもしれません。

暖かく見守ってください。

長い間お付き合い頂いた皆様、
本当に有り難うございました。

またの機会に Hej du!!