第一回 「えっ、スウェーデンですか?」


   「えっ、スウェーデンですか?」これが第一声でした。

   1989年6月だったと思います。日本ペーシング学会の後、皆で食事をしている時でした。

   当時のシーメンスエレマ社の極東担当、

   ブライアン・ターナー氏と上司の貴島範彦先生が何やら話をしていると思ったら突然。

   「小川、スウェーデンに行け。」

   それで、さっきの「えっ、スウェーデンですか?」になるわけです。

   何も心の準備ができていなかった私は、そう答えるしかなかったのですが、

   その理由がふるっていました。「おまえが優秀だから。」ではなく、

   「他の先輩はマンション等を買って借金がある。おまえは無いからおまえが行け。」

   と言うのがその理由でした。

   それはまだしも、

   「何をしにスウェーデンまで行くのですか?」の質問には、
   
   「分からん。」の答えでした。

   それからが大変でした。

   スウェーデン人て何語をしゃべるんだろう?

   それは直ぐにスウェーデン語なる言語があることが分かり
   
   解決したものの、
逆に英語も全くしゃべれない私達家族が


●出発の日 
3歳のはるな

   どうやって生活できるんだろう?となり、

    「とりあえず英会話に通おう」ということになりました。

    6ヶ月のみちると3歳のはるなをかかえての英会話のレッスンが始まりました。

   毎日毎日、継続は力とはよく言ったもので3ヶ月ほどで何となく会話が成立するようになりました。

   言葉の問題は不安なりに少し解決とほっとしたのもつかの間。

   スウェーデンからは「いつ来るのか?」「部屋が見つかった。」等々の問い合わせが来ます。

   しかし、旅行ではなく2年過ごすわけですから、ビザがいります。

   そのビザの発行に手間取り出発の日がなかなか決まりません。(移民問題で困った国なので、

   本当に帰国するのかをしっかり調査するのだ。と言う話も聞きましたが本当でしょうか?

   実際に企業から派遣させる駐在員の人は直ぐにビザが発行されたと言っていましたが…。)

   一度は出発を延期せざるを得ない状況になり延期しました。

   東京のスウェーデン大使館にまで駆けつけようやく12月ビザを手に入れました。

    「えっ、スウェーデンですか?」から6ヶ月。

   私達家族は何も知らない子供たちを連れて、不安げな両親に見送られながら機上の人となりました。

  
  
●出発の日
   家内と みちる

この6ヶ月はほんとは

もーっともっと書きたい事が一杯あるんです。

北欧留学記のはずが、出発までに何ヶ月も

かかりそうなので実は一生懸命はしょりました。

また、別の機会にお話できるチャンスが

あれば良いなーと思っています。

次回は「真っ暗な国」スウェーデンです。