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「社会的入院」体験で考えた
「生活」ってなんだ?

 「生活がないところにお年寄りを居させるのは、水のないところで魚を飼おうとするようなものだ」
 老人ホームでは、最近このような「生活の場」としての論議が盛んになってきています。しかし、もっと深刻なのは、入院治療が1段落したにもかかわらず、家に帰れずに入院を続けるお年寄りがいることです。このような社会的入院の患者が、日本には約30万人もいます。
 社会的入院はむごい。人権侵害です。このことを痛感したのは、老人病院に体験入院させてもらったときでした。老人ホームが満員の今日では、特養ホーム待機者や対象者の多くが老人病院に入院しています。
〜寝間着を着ると病人の気分に〜
 老人病院に入院しているおばあさんたちに、入院理由をたずねてみました。
 「息子たちとは一緒に住んだことないし、部屋も狭いから同居は無理なのよ」
 「家に帰ったら嫁もいるから、ゴロゴロしてるわけにはいかないでしょ。やっぱり、病院はラクですよ。至れり尽くせりお世話してもらえるから」
 「息子夫婦は共働きで昼間1人だから、家に帰ってもさみしい」
 と病名でなく、聞かされるのは「家庭の事情」ばかり。看護婦長さんは、「治療が終わっても、家族が退院を拒むんです。病気のままで病院にお年寄りが死ぬまでいてくれたほうが家族が喜ぶんです」と言われました。
 ここでご紹介する老人病院は、良心的で、地域でも評判のよい介護力強化病院です。その300人の入院患者のうち、約8割が入院治療を必要としない社会的入院です。この「社会的入院」を考えるため、中でも特に元気なお年寄りが入院している部屋に体験入院させてもらいました。

 部屋は女性ばかりの8人部屋。女性の入院患者に了解を得て、1泊2日入院しました。
 まず最初の儀式は、服を脱いで寝間着に着替えること。入院患者はそろいの寝間着を着なければなりません。これは、「医療法」で定められた病院の規則です。不思議なもので病院の寝間着を着てベッドに横になると、若い私でも病人になったような気がしてきてしまいます。「病は気から」というではありませんか。
 ベッドとベッドのすき間は30cmくらい。狭い部屋に8つのベッドが並びます。テレビの「水戸黄門」に見入るお年寄り。ベッドにもぐりこんだままの人。ボケーとまわりを見回しているお年寄り。病室では時間はゆっくり流れていきます。同室のおばあさんに「今日は、ご機嫌いかがですか?」と尋ねると、「なあーにも、変わったこなんかないよ。まーいにち、いっしょ」との返事がきました。
 昼食時には、ベッドの上に台を置いて、そこで食事を食べます。多くの老人病院のように、この病院にも食堂がありません。その日のメニューはカレーライスとサラダ。
〜世話好きなトシさん〜
photo  右隣のベッドのトシさん(76歳)は入院して4年目。
 「しょうゆは、かけないのかい」
 「お茶をお飲みなさい」
 と、トシさんはやさしく、世話を焼いてくれます。しかしニセ患者が、入院患者の人に面倒をかけるわけにはいかないので、「いいえ、構わないでください。自分でできますので」と丁重に断りました。
 すると、トシさんは目をのぞきこむように、「遠慮しなくていいのよ。私を本当のお母さんだと思って甘えていいのよ」と、やさしく言ってくれました。トシさんも世話好きそうなので、遠慮するのをやめて世話を受けました。するとだんだん、トシさんはいきいきとしてきました。

 「トシさんはどこが悪くて入院しているのですか」
 「今は病気だから、入院は仕方ないのよね。私は病人なのよ」
 「どんな病気なんですか」
 「まあ、私は病人だからね」
 やっとのことで聞き出した病名は「腰痛」。飲んでいる薬は消化剤とビタミン剤。
 「嫁に迷惑をかけるのは申し訳ないでしょ。病気だから入院は仕方ないのよ」とトシさん。「病気だから」という言葉がトシさんの口癖。それで自分を慰めているようです。
 左隣のベッドの春江さんは90歳。ずっと1日じゅう寝てばかり。重病なのかと思ったら、声をかけると、明るい声で返事が返ってきました。
 「足腰が悪くて車いすなので、家で生活できないのよ」と言います。
 春江さんは入院して5年目。時代劇と相撲のテレビだけが、毎日の楽しみ。この春江さんもやまのいが隣のベッドにきたことで、急に元気になったようです。「こんな若い男性と話するのは久しぶりだわ。入院しててもいいことはあるもんねぇ」と大喜びでした。
〜「ごちそうさま」が嬉しい〜
 この病院の1階の売店の人が、毎日いろんな品物を売りに来ます。この病室にも飲み物、お菓子を売りに来ました。すると、春江さんはまんじゅうやコーヒー牛乳、みかんなどを買いまくりました。そして、「これあなたにあげるわ。どうぞ食べてちょうだい」と言ってきました。
 「いえ、自分で買います」といって買おうとすると、今度は右隣のトシさんが、「それは私が買ってあげるわ」と買ってくれました。他のおばあさんたちも、みんな2つずつくらい、お菓子や飲み物を買ってくれました。
 「まんじゅうを5個も10個も食べられるはずないでしょう。私は子どもじゃないんです」
と言いたかったけど、そんなことはお構いなし。やまのいのベッドの上は、プレゼントの山になってしまいました。よれよれの財布をあけて、みんなお金を払ってくれました。なけなしのお金をはたいて、お菓子を買ってくれたのです。
 さすがに食べなければ申し訳ないと思い、コーヒー牛乳を2つ、3つと一気に飲み干し、まんじゅうも3つたいらげました。そして「美味しかったです。ごちそうさまでした」と、部屋のおばあさんたちに頭を下げて廻りました。
 「『ごちそうさま』なんて嬉しいねえ。もう何年も人から言われたことなかったねえ」と嬉しそうな春江さん。今まで寝てばかりで無口だった春江さんでしたが、起きあがって元気になってきました。

 消灯は9時。最初は静かでした。しかし夜中1時ごろからは、トシさんと春江さんの両方からのイビキが、うるさくて寝られたものではありません。そして、午前5時に起床。
 実は、この部屋のお年寄りはほとんど介護を必要としません。朝10時から振り返ってみると、11時に看護婦さんが体温計を配りに来ますが、全員自分で体温は計れます。12時に食事が来ると、全員自分で食事は食べます。トイレも全員1人で行けます。

 この1泊2日を通じて感じたのは、社会的入院のむごさでした。
 年老いても、人から必要とされることが、人間が人間であるための最低限の条件です。実際、体験入院した病室のお年寄りに残っている能力は大きいはずです。にもかかわらず、病院ではみんな「病人」というレッテルを貼られて、お世話になる一方の存在であると決めつけられてしまっているのです。
〜病院に欠ける「生活三原則」〜
 この「1泊2日病院生活」と「一般の生活」のどこが違うのか、「病院に何が欠けているのか」を考えてみました。
 お年寄りたちが一番いきいきしていたのは、売り子さんから食べ物を買っていたとき、そして「ありがとうございます」「ごちうそうさま」とお礼を言われたときでした。やまのいは考えさせられました。「人間とは何ぞや?」「生活とは何ぞや?」と。
 人間の最も根本の欲求は、「人から必要とされたい」「人から喜ばれたい」という欲求です。重要なことは、入居者が老人ホームや老人病院を必要としているかどうか、ではありません。いま問われるべきなのは、老人ホームや老人病院がその入居者を必要としているかどうか、なのです。
 「人から必要とされると顔つきが変わる」と言われます。社会的入院しているお年寄りの無表情な、生気のない顔は、そこにお年寄りの役割の出番がないからだと思います。
 病院はそもそも治療の場ですから、「生活」に欠けます。しかし病院自体が悪いのではなく、行き場のないお年寄りが「生活」のない病院に集まるのが問題なのです。今日の日本では入院治療が必要でないのに、老人ホームや在宅福祉サービスの不足のため、社会的入院しているお年寄りが約30万人もいます。

 では、お年寄りに必要な「生活」とは何ぞや?。この体験を通じて、3つのポイントを感じました。

 まず第1に、お年寄りがその場で必要とされていること。役割や出番があり、まわりから「ありがとう」と言われていること。
 これにピッタリ合てはまるのが「好意返報の法則」です。これは心理学の用語ですが、「人間は好意を受けたら、必ず無意識のうちに、お返しをしようとし、できないと気持ちが落ちつかない」という法則です。つまり、お年寄りがお世話を受ける一方の存在であれば、お年寄りにとっては居心地が悪くなります。至れり尽くせりのお世話は受ければ受けるほど、「すいませんねえ」と恐縮し、小さくなってしまいます。逆にお年寄りが、職員や周囲のために何かできる、そういう出番や仕掛けがないと、そこで快適に暮らすことはできません。たとえば、横浜市にある特養ホーム「さくら苑」では、犬や猫の世話を入居者がしています。
 2番目に、外出ができること。
 ずっと毎日屋内にいて、お日様にもあたらず、そよ風も肌で感じないならば、それは生活とは言えません。少しでも外の空気が吸えて、季節の移り変わりを感じることができなければ、生活ではありません。散歩やショッピング、旅行などできれば、理想的でしょう。買い物もタダで買えてはだめ。お金を払って、お店の人から「毎度あり!」と言ってもらえることが、お年寄りの自尊心を高めます。たとえば、尼崎にある「喜楽苑」では、近所の飲み屋に職員が入居者と共に出かけています。
 3番目に、毎日、事件や出来事が起こること。刺激や変化があること。
 「今日こんなことがあったのよ」と仲間と語り合えてこそ生活です。病院の中で、話題は昔話とテレビ番組、食事についてだけ。これでは生活しているとは言えません。
 この「生活三原則」は、施設や病院だけではなく、在宅介護の場合でもあてはまります。家族に囲まれて、家に居たとしても、まわりから全く必要とされていないのであれば、生活しているとは言えません。放ったらかしにされ、何の事件とも出来事とも無縁でいて、一歩も外出できなければ、生活しているとは言えないでしょう。

1)お年寄りに出番や役割がある。まわりから必要とされている。
2)外出の機会がある。
3)毎日、違った事件や出来事に接することができる。
 この三原則が満たされれば、「生活がある」と言えるのではないでしょうか。勝手に考えた三原則ですが、参考になれば幸いです。

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