朝日新聞「論壇」

1995年7月28日

 介護財源は保険の方が現実的 

 私は昨年、日本の介護の厳しい現状をルポする本を執筆した。その中で紹介した二十ほどの家庭のうち、この十ヶ月の間にすでに五人のお年寄りが亡くなり、介護していた三人の家族が入院した。

 六十五歳のある女性は、痴呆(ちほう)症の義母(八十五歳)を介護していた。日夜、徘徊(はいかい)する義母につきっきりで介護する生活が一日も休むことなく三年続き、ついに彼女は入院した。慢性的な睡眠不足のうえにストレスがたまり、胃潰瘍(いかいよう)になったのだ。 彼女の献身的な介護は近所でも評判であったが、ヘルパーの不足のため、ホームヘルプも州三日しか利用できなかった。

 年老いて体が弱ったり、痴呆になることは避けられないことだ。しかし、介護者の共倒れは介護政策の貧困による「人災」ではないか。責任感が強く、献身的に介護している家族ほど共倒れになっている。こんな現状を放置していいはずがない。実際、介護者の約半数が六十歳以上の高齢者なのだ。にほんでは介護サービスが不足しているせいで、何年も、あるいは人生の最期まで、適切な介護が受けられないまま入院している高齢者(いわゆる社会的入院)が三十万人もいる。

 今年一月に、財団法人経済広報センターが全国の会社員(二十歳以上の男女3千三百七十一人)を対象に実施した世論調査でも、関心事のトップは老親介護・高齢者介護であり、医療や年金を大きく上回った。にもかかわらず、高齢者に使われる年間費用の内訳は、年金三十兆円、老人医療費八兆円に対して、介護に使われる老人福祉費は一兆円で、全体の三%にも満たない(一九九四年度推計)。この背景には、年金や医療は社会保険料を基礎として不足分を税で補っているため、高齢者の増加に合わせて財源を増やしやすいが、老人福祉費は主に税金でまかなっており、他の予算とのかねあいから、なかなか増やせない事情がある。 そこで、老人保健福祉審議会が二六日に井出正一厚相に提出した中間報告のように、介護財源を急速に増やし、サービスを大幅に充実させるための公的介護保険(以下、介護保険)の導入が、提案されている。

介護保険の正式な中身はまだ未定だが、現時点で予想される概略は、医療保険と同様の強制加入とし、二〇歳以上、又は四〇歳以上の国民が保険料を支払い、その保険料を基礎として不足分を税で補う、というものだ。

 介護保険の導入時に介護に必要な
財源は、年間四兆円程度と見込まれる。仮にその半額を保険料でまかなうとすれば、二十歳以上の国民で頭割りした場合一人当たり平均月二千円弱の保険料という計算になる。介護保険料法案は、来年度にも国会に上程される予定で、九十七年度から導入の可能性もある。

 厚生省の高齢者介護・自立システム研究会が介護保険方式を提案した直後の昨年十二月に、日本世論調査会が実施した世論調査(二十歳以上の全国の男女三千人対象)では八十六%が介護保険に賛成している。

 一方で、例えば六月一日付の論壇「介護保険でなければならないか」(里見賢治氏)に代表されるように、税法式の長所を主張し、介護保険に「待った」をかける意見もある。確かに、里見氏が指摘するように、無保険社や未納の問題など、保健方式にも問題がないでもない。

 しかい、税法式を主張する意見の弱点は実現性の問題だ。介護費用の約四兆円を税だけでまかなうとすれば、いったいどの予算を削って介護にまわすのか。短期間の行財政改革では到底確保できない金額であろう。増税を訴えたとしても、介護に使われる保証のない増税を国民は受け入れるだろうか。介護に確実に使われると言う安心感という点でも保険方式の方が勝っている。

 税法式で早急に財源が確保できる具体案がないとしたら、保険方式に「待った」をかけ、議論を長引かせることは、介護態勢の不備による犠牲者をみすみす増やすことになりはしないか。お年寄りは待てない。介護保険制度が一日も早く導入されることを願う。

奈良女子大専任講師・
生活福祉学=投稿


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