50代の子と80代の親
「理想の関係」10カ条

「こころ」「カネ」「住宅」そして「痴呆」「介護」「寝たきり」・・・・・・・

山井和則


要介護状態の多い80代 

井上フメさん(八十二歳、仮名=以下同)は、群馬県に住んでいたが、四年前に夫を亡くしてから痴呆症状が出始め、九八年、東京の金融機関に務める長男の孝夫さん(五十五歳)一家と同居をはじめた。介護は孝夫さんの妻の和子さん(五十四歳)が、つきっきりで行っている。

 ところが、介護をはじめた和子さんはほとほと困り果てた。フメさんは、何度も何度も同じ話を繰り返すことにはじまって、火の始末を忘れてぼやになりかかったり、「財布を盗まれた」などという妄想に駆られることもしばしば。専門病院で診断を受けたところ、脳血管性の痴呆と診断された。また、足の関節が縮んでいて歩行が困難なフメさんは、今では入浴や服を着替えるのはもちろん、ちょっとした移動にも和子さんの介助を必要とする。昼夜を問わないポータブルトイレへの誘導も加わって、和子さんはそれこそ一日中、介護に縛られ、疲れ果てている。

 少しでも和子さんの負担を減らそうと、現在は、週二回のデイサービス(日帰り介護)を利用してはいる。デイサービスとは、最寄りのデイサービスセンターなどに通所して、お年寄りが半日、入浴やリハビリ、レクレーションなどを楽しむサービスのことだ。この時ばかりは和子さんも少しは気が休まるが、毎日面倒を見なければいけないことには変わりはない。

 介護保険は導入半年前になって、小渕政権が「見直し」を発表したことで、いたるところから批判が吹き出してきた。かれこれ五年、介護保険論争に積極的に関わってきた私としてはこの見直しに納得はできない。保険料の凍結、軽減や家族慰労金は何ら問題を解決しないのだ。 

 介護保険の趣旨は、簡単にいうと次のようになる。これまでは、介護をしなければいけない人が出た場合、家族(特に家庭の主婦)だけが面倒を見てきており、その心身にわたっての負担は限界に来ていた。その負担を、ホームヘルパー(訪問介護士)などの手を借りることで 少しでも減らそうというわけだ。ホームヘルパーの手を借りるといっても、最終的にお年寄りの面倒を見るのはやはり家族であって、何も介護自体を放棄しようというのではない。

介護される対象となりやすいのが、八十歳代のお年寄りたちである。最近は、健康状態が良好で老化が進みにくいため平均寿命も伸び、六十代、七十代でも健康な人が多い。が、そんな人でも八十代になると体調を崩したりして、一人だけでは暮らせないケースが多くなってくる。本稿では、要介護層の多い八十歳代の親と、その子供である五十歳代のケースを元に、「理想的な親子関係」を育むためにはどうすればいいのか、を考えていきたい。

 現在介護を受け持っている介護者の平均年齢は六十歳。この年齢は自分自身も体が弱り始める年代である。体力が低下すれば気力も長続きしない。そんな時期に両親の面倒を見なければいけないからこそ、なおさら心配事や悩みが深くなってくるのである。五十代の子供は八十代の親とどうつきあっていけばいいのか。忘れてはならない十ヵ条を考察していきたい。

「痴呆」と「物忘れ」

 井上フメさんは介護申請の際にも、困ったことがあった。フメさんのような痴呆症のお年寄りの場合、日によって症状が著しく異なる。たまたま体調がよいときに、調査員が訪問したならば、介護ニーズは実際より低く判定されてしまうし、もっとやっかいなことに家族の前では痴呆症状が重く出て、初対面の他人に対しては元気に振る舞うという傾向があるからだ。

 実際、フメさんのケースもそうだった。訪問調査員から、「食事は一人で食べられますか?」と聞かれて、本当は食べられないのに「食べられます」と答えたり、ここ一年ほどは自分の生年月日が言えなかったのに、この時ばかりはしっかり答えた。

 これには和子さんも驚いた。痴呆症とはいっても、フメさんとしてはプライドがあるから、他人から「できますか?」と聞かれれば、「できますよ」と答えてしまったのである。和子さんは納得いかずに調査員が帰ってからフメさんに尋ねた。 

「おばあちゃん、さっき一人で食事はできると答えたけどやってみてちょうだい」

 すると、フメさんは本当に一人で食事をするではないか。和子さんはビックリした。普段は和子さんの介助なしでは何も食べられなかったフメさんが、自立したのだ。

「訪問調査のショックでおばあちゃんが自立してしまった。これで本当に元気になったのなら手が掛からなくて私も楽だけど、また、しばらくして元通りになるのなら認定が軽くなるだけで困ってしまう」と、和子さん。

 案の定、翌日にはもうフメさんは今まで通り、和子さんの手助けなしには食事はできなくなった。


第1カ条

 軽い痴呆症は時として正常にみえたりするが、それで安心はできない。症状はまだらのように出たり、出なかったりする。ちなみに痴呆と物忘れの違いは、経験したことをそっくり忘れるのが「痴呆」で、経験したことの一部を忘れるのが「物忘れ」である。朝ご飯のメニューを覚えていないのは物忘れですむが、「まだ食べていない」と言いだしたら、痴呆ではないかと疑ったほうがいい。

第2カ条

 痴呆症にかかった本人の苦しみは、自信喪失、混乱、不安、孤独。こうしたお年寄りには、自信を持たせる、自尊心を高めさせるため、好きなことを自由にやらせ、せかさない、叱らない。

孫が同居をいやがる

 自宅で介護をする場合、毎日毎日介護に追われる苦しさから、時として、家族関係が険悪になり、家庭生活が破綻寸前になることが少なくない。介護する人の八五lが女性で、一番多いのが息子の配偶者、つまりお嫁さんである。そのお嫁さんの介護における最大の不満が、「夫の理解がない」ことである。

 京都府に在住する田中洋子さん (五十歳)は、この三年間、義理の母・タネさん (八十歳)の介護をしてきた。それまでタネさんは奈良県で一人暮らしをしていたのだが、近所の人から「タネさんの様子がおかしいよ」との連絡があった。タネさんは外出したきり自分の家が分からず、警察に保護されたりもした。時々は洋子さんが見舞いにいっても、井上フメさんと同じように、繰り返し繰り返し同じ話を続けた。タネさんも、やはり痴呆症だった。

 そこで、タネさんの長男・健一さん(五十二歳)は、思い切ってタネさんを引き取り同居することにした。洋子さんは了承したが、十八歳と十六歳の二人の娘が猛反対した。ついには「おばあちゃんがいると息苦しい。このままおばあちゃんが家にいるのなら、私たちが家を出る」とまで言い出した。タネさんは夜になると不安になるのか、ごそごそと家の中を動き回る。一日中、片時も目が離せない。娘たちの反発とタネさんの面倒に悩まされた洋子さんは、とうとうノイローゼになってしまった。これでは在宅介護は無理とあきらめ、一年半待ったのち、タネさんは特別養護老人ホームに入所した。

「俺は働いているから」

 タネさんが老人ホームで新たな生活をはじめてから、洋子さんは毎日のようにお見舞いに通っている。最初は毛嫌いしていた娘たちも、最近は時々ではあるが、お見舞いに同行してくれるようになり、タネさんも嬉しそうだ。

 二十四時間つきっきりで介護に追われていたときは、義母に対して憎しみさえ感じ、怒りを爆発させたこともある。老人ホームに入所させるに当たっても、夫の健一さんが反対し、夫婦関係もギスギスした。

「俺は外で働いているんだから、介護はお前がやってくれよ。老人ホームなんかに預けたら、長男としての俺の立場がないじゃないか」

 そんな健一さんに、洋子さんは「あなたはいつも遅く帰ってくるから、一日中おばあちゃんにつきっきりで世話をする私の苦労なんてわからないのよ。そもそもおばあちゃんは、あなたのお母さんでしょ」と、言い返したこともあった。その後、ようやく健一さんが納得したところ、今度は、健一さんの姉が「お母さんよりもっと大変なお年寄りを家で介護している人たちのことを、私はいっぱい知っている。どうして家で看られないの」と、クレームを付けてきた。

 さすがに洋子さんも「そこまでいうのなら、お姉さんが引き取って介護してみてください」と言い返したが、「それはできないわ。長男が見るのが当然でしょ」と、全然取り合わなかった。 洋子さんは「お姉さんとは今でもしこりが残っています。私の大変さがわかっていたら、あんな事は言えないはずです。でも、お母さんとの関係は良くなりました。お互いが離れる時間を持つことによって、かえって、笑顔で接することができるようになりました」と話す。

 一時は、睡眠不足によるストレスで髪を振り乱し、直ぐにでも倒れそうだった頃からくらべると、洋子さんの表情もおだやかになってきた。


第3カ条

 夫は妻の一番の理解者であるべし。介護には休日はないし、ある時間になったら終わりというものでもない。それを「俺には会社の仕事がある」といった一言で片づけるのではなく、「介護は夫婦2人の共同責任」という自覚を持ち「ありがとう」「面倒かけるなあ」という言葉は当然のこととして、入浴介助、オムツ交換、食事介助、徘徊の付き添い、話し相手など、積極的に介護すべきだ。

老老介護

 五十代の子供と八十代の親との関係を考える場合に、親の片方が健在で、もう片方を面倒見るケースもある。いわゆる老老介護である。老老介護のケースでは介護をする側が疲れ果てて、結局、共倒れになりかねない事態も出てくる。共倒れの最悪のケースでは、介護に疲れたために、殺人に至る悲惨な事件さえ起こっている。特に男性が介護者になった場合、その可能性が高い。日ごろ、家事などやったこともない男性は、食事、洗濯、掃除の手順すらわからず、それ自体にすら戸惑う。

なかには、介護される妻のベットを台所近くまで持ってきて、鏡をおいて、その鏡越しに寝たきりの妻がひとつひとつやり方を教えなければいけない家庭すらある。加えて、食事を食べさせるのにも時間はかかるし、体をふいてあげたり、排泄の世話までやらなければいけないため、介護から逃げ出すのである。

 大阪府在住の山田久雄さん(八十八歳)は、妻の茂子さん(八十一歳)と二人暮らし。久雄さんは一年前に脳梗塞で倒れた。三ヶ月入院した後も重い後遺症が残り、左半身麻痺で寝たきりを余儀なくされている。

 現在も寝返り、歩行、排泄、服の着替えと、日々の生活においては全面的な介助が必要だ。白内障も患っており、視力はほとんどない。さらに悪いことに、入院中に痴呆も進行していたにもかかわらず、久雄さんには他人から介護されることへの抵抗も見られる。したがって早朝から深夜に及ぶおむつ交換をはじめ、毎日毎夜の介護は茂子さんがやってきた。その心労がたたって、今度は茂子さんが寝込んでしまった。

 同じ大阪市内に住む長男の明さん(五十八歳)は、そんな状況にある両親を引き取って介護することもできず、困ってしまった。二週間に一度ぐらいの割合で見舞っている明さんが、こういう。

「長男として自分が引き取って当たり前という気持ちはあります。でも女房と母親はもともと仲が悪く、同居すればけんかになる。二十六歳の長男と二十四歳の長女も家にいるので、一人だけならまだしも、二人とも引き取るというのはできない」

 また、茂子さんも「気を使わなければいけない」と言う理由で、長男夫婦との同居には反対だ。実際、お年寄りの場合、引っ越しによる環境の変化が原因で、痴呆症が悪化することも多く、(「呼び寄せ痴呆」と呼ばれる)、考えものではある。

他人に頼る

 こうした場合、本来なら、老人ホームへの入居を考えるケースだが、かねてから久雄さんは「老人ホームへは行きたくない」と言っており、無理やり入居させるわけにもいかない。

 こんな状況の中、茂子さんが介護保険に申請した。先日、その結果が通知されたばかりだが、久雄さんの場合は、六段階あるうちの一番重い「要介護度5」、つまり「過酷な介護が必要なケース」と判定された。

 この認定を受けると、在宅サービスを利用するか、老人ホームなどの施設サービスを利用するかを選択できるが、久雄さんは相変わらず老人ホームへの入居に抵抗を示すし、茂子さんも痛む腰をさすりながらも「できれば家で夫を介護したい」と、在宅介護をゆずらない。

 介護されることに抵抗があった久雄さんも、妻の窮状を見かねて、少し考えを変えて、今は一日三回ホームヘルパーが来ることだけは了承した。茂子さんがこういう。

「私は六年間に及ぶ介護疲れで不眠症とうつ病にかかりました。夜になるのがつらい。今は睡眠薬を飲んでいます。介護はいつまで続くかわからないし、正直言って、毎日が嫌です。それでもヘルパーさんが来てくれるおかげで、何とかまだやっていけるんです。夫は老人ホームも、ヘルパーさんも嫌だと言っていました。でも、『ヘルパーさんの手を借りないと私が死ぬわよ』と脅して、やっと聞き入れてくれました」


第4カ条

 家族だけの介護には限界がある。体の弱ったお年寄りは家族に対しては甘えが出て、新しい人との接触をいやがる。しかし、他人による介護となると緊張感が生まれ、自立心を引き出すことにもなる。

第5カ条

 介護されるお年寄りと、介護者の共倒れになるケースが多いのは、仲の良い夫婦と、孝行嫁である。どちらとも「自分がやらねば」「これが嫁の努めだ」と、頑張ってしまうからである。しかし、介護はいつ終わりが来るともしれない作業。周囲は「時には手を抜いたり、休息も必要よ」と、声をかけてあげたほうがいい。

「刺激」と「疲れ」と「くつろぎ」

栃木県に住んでいる橋本為次郎さんは、八十五歳。妻は二年前に亡くなっており、今は次男夫婦と同居し、次男の嫁の直子さん (五十五歳)の介護を受けている。為次郎さんは足腰が悪く、家ではつたえ歩きがやっと。外出するときは車いすが欠かせない。直子さんが介護するうえで大きな悩みの一つが、お風呂だった。足腰の悪い為次郎さんは一人で風呂に入ることはできない。直子さんが補助をして入れていたが、今度は直子さんにも肉体的負担がかかり、毎日してやれるわけではない。

 そのためデイサービスを勧めたが、為次郎さんは最初はいやがった。ようやく一年前から利用するようになり、最近では週一回の利用が楽しみとなってきたようだ。デイサービスでは、プロの介護スタッフが介助してお風呂に入れてくれるし、友だちもできたようで、いろんな話ができてボケ予防になっているように思われる。

 ただ、直子さんの目下の悩みは、介護申請で「要支援」と認定されないかもしれないということだ。訪問調査員から「要支援になるかどうかわかりませんよ」といわれたからだ。要支援認定されなければ、為次郎さんのデイサービスを利用するたびに全額負担(一回四千円程度)しなければならない。お金の問題はさることながら、為次郎さんの楽しみが一つなくなりかねないからだ。


第6カ条

 そもそも人間の健康は、適度な刺激や疲れとくつろぎから生まれる。適度な刺激は脳の活性化を図るし、適度の疲れは睡眠をもたらす。お年寄りにとって、眠れると言うことは何事にもまして健康を保つ必須条件である。他人と接することで刺激を受けていい意味で疲れ、そして家庭では甘えるというバランスを取りたい。

介護保険の負担は? 

ここで、介護保険が導入された場合、サービスを受ける際の金銭的負担について考えてみよう(なお、介護保険の見直しによって、六十五歳以上のお年寄りの保険料は施行から半年間は無料、その後一年も半額となっているが、このレポートではいずれ払わなければいけないため、予定通りの保険料として推計を行った)。

 冒頭に紹介した井上フメさんは、結局、介護申請の一次判定で「要介護度2」と判定された。要介護度2とは介護を必要としない「自立」、家事など日常生活に支援が必要な「要支援」に続いて、軽い順に1〜5までの認定のうち「入浴、排泄、着替えのいずれかも介助が必要な状態」と見なされたわけで、支給限度額は月二十一万円以下となる。この判定が二次判定でも通れば、月額二十一万円以下のサービスについては九割が給付され、残りの一割を自己負担すればいいわけである。

 では、井上家の負担はどう変わるのか。これまでフメさんは国民年金を月額六万五千円、年七十八万円受け取っていた。それで週二回のデイサービス(一回千百円)を受けていたから、月八回で八千八百円ですんでいた。

 これが介護保険が導入されると、まず、孝夫さんが今までの健康保険料に上乗せして月千円アップ。専業主婦である和子さんの保険料は無料。フメさんは年金を月六万五千円受け取っており、孝夫さんの扶養家族なので保険料は基準額の月三千円。さらに、サービス利用に対する自己負担は一割負担で二万一千円の合計二万五千円となる。

差し引きすると、井上家としては月一万六千二百円の負担アップとなるが、そのかわりデイサービスは週三回に増え、残りの日にも毎日ホームヘルプや訪問介護を受けられることになる。孝夫さんは「金額が高くつくのは痛いが、妻もこれまで介護をしてきて心身共に疲れきっている。このままでは在宅で介護するのも限界と感じているので、ホームヘルプも受けられるとはありがたいですね」と、ホッと胸をなで下ろした。

  一方、田中タネさんは一次判定で要介護度の高い「要介護度4」、つまり最重度の介護が必要と判定された。老人ホームで生活しようと思っても、「自立」や「要支援」と認定されては、入居はできない。「要介護度1」以上に認定されて初めて可能なのだ。幸いなことに、タネさんは希望通り老人ホームでの生活は続けられ、嫁の洋子さんと孫娘さんが通ってくるパターンに落ち着きそうだ。

 タネさんは国民年金を月四万円給付されていたが、健一さんの扶養家族であったために、ホームへの自己負担は月十八万円もかかっていた。介護保険が導入されると、健一さんの健康保険料に上乗せの形で約千円、洋子さんはパートで働いているが扶養家族の扱いになっているので、介護保険料の負担

はなし。タネさんの住んでいる自治体の基準額は二千七百円。さらに老人ホームの負担が六万七千円、合計すると七万七百円。今までよりも十万九千三百円も安くなる。

 もっとも、老人ホームには入れるからといって、全員が自己負担が軽くなるわけではない。これまでは老人ホームに入る場合、平均自己負担は四万五千円だった。平均というのは、現在の措置制度の下では、所得によって自己負担が異なるからだ。低所得者の場合はほぼ無料で入所しているが、厚生年金受給者などは最高で月二十五万円も支払っているのだ。したがって、介護保険導入後は低所得者ほど自己負担は高くなり、厚生年金受給者は安くなるという、困った事態も起こってくるのだ。


第7カ条

 介護の認定度によって、自己負担は大きく違ってくる。特に注意したいのは、介護保険導入後、老人ホームにはいる場合、かえって低所得者の自己負担が増えるケースもある。

 もちろん、八十代だからといって、すべての人が介護される立場にいるわけではない。ただし、いつ、どんなキッカケで介護される立場になるのかはわからない。したがって、不測の事態に備えておく必要がある。ここでは資金面と、住まいについて考えてみよう。

 まず、資金面。生命保険文化センターのアンケート調査によると、老後の蓄えとして「夫婦二人の日常生活費に月二十四万円必要」という声が一番多い。ただし、この中には食費、住居費、交際費などの医療費は含まれているが、介護を想定した介護費は含まれていない。

 介護保険の保険料は夫婦二人で月六千円程度だが、数年後には一万円を突破するだろう。また介護が必要になった場合の自己負担は、在宅で月一万〜三万六千円、老人ホームや、老人ホームよりも手厚い医療をしてくれる療養型病床群では七万円〜十五万円くらいかかると推計される。つまり、在宅であれば、今までの生活設計に保険料と自己負担をあわせても月五万円アップくらいでいいが、療養型病床群ともなると月十五万円アップの出費は覚悟しなければいけない。介護は寝たきりで平均五年、痴呆症で平均七年といわれている。長引く場合には、十年に及ぶケースも珍しくない。そこまで考えると一番高い療養型病床群なら年間百八十万円として千八百万円、在宅でも年六十万円として十年間で六百万円が必要となってくる。


第8カ条

一番自己負担の少ない在宅介護でも、十年間で六百万円は用意しておこう。

呼び寄せ同居

 さて、住宅の問題に移ろう。まず、同居したほうがいいか、別居のままがいいかは意見の分かれるところであろう。同居する場合、嫁姑の関係に最も気をつけなければいけないことは当然だが、もうひとつ注意しなければいけない点がある。同居する場合、親を引っ越しさせて引き取る形が多い。その際、転居してきたお年寄りは、環境の変化に馴染めず、痴呆症を患うことが少なくない。周囲に親しい友人がいないために家に閉じこもりがちになり、それがひいては痴呆の原因となることがある。これが、呼び寄せ痴呆と言われるもので、ある自治体の調査によると、痴呆性老人の約半数が転居してきたお年寄りだったという統計もある。したがって、呼び寄せに失敗しない方法としては、まず何よりも妻とよく話し合ってみること。つぎに呼び寄せるなら、環境の変化に対応しやすい体が丈夫なうちに済ませておくことをお勧めしたい。

 ところで、介護保険導入によって、これまで病院や、老人ホームなどの施設にいたお年寄りが退居を迫られるケースも出てくる。また、ホームヘルプなどの在宅サービスが充実することで、今まで以上に重度のお年寄りが在宅生活を続けられるようになる。となると、重度のお年寄りが生活しやすいように、住宅改造が必要となってくる。

住宅改造は費用数万円程度ですむ廊下、階段、トイレに手すりを付けることから始まって、お風呂の改装、車いすで外出できるための段差解消やスロープが必要となってくる。足腰が不自由なお年寄りが二階にあがれる階段昇降機の設置にいたっては百万円ほどかかる。

 ただし、費用を惜しんで住宅改造を適切にしておかないと、お年寄りを「閉じこもり」「寝かせきり」にしてしまったり、転倒による骨折などで寝たきりの原因を作ったりもすることになる。


第9カ条

 呼び寄せ同居をする場合、二つのことに注意せよ。同居前に妻とよく話し合うこと、転居してくる親が環境に適応できるかを見きわめる。

 木下三郎さん(八十歳)は、妻のハツエさん(七十五歳)と、奈良県の山間部に住んでいる。五十歳と四十八歳の二人の息子は、それぞれ大阪、名古屋に居を構えている。長男の勇二さんは、「体が不自由になってからでは遅い。一緒に住もう」と、同居を勧めた。しかし、三郎さん、ハツエさんの二人とも「引っ越すつもりはない。都会は自然もないし、知り合いもいない。勇二が帰ってきてくれたらいいんだけど」と、納得しなかった。


第10カ条

 遠く離れて暮らす場合、頼りになるのは両親の周りにいる他人。できれば両親が親しい人とは電話で気軽に話せる間柄になっていた方が良い。そして、帰省には挨拶を欠かさないこと。

「他人の世話になるのは嫌だ」という意識は捨てる

 日本は世界一寝たきり老人が多い国である。大ざっぱにいえば、その数はアメリカの五倍、ヨーロッパの八倍にもなっている。その多くはプロのサービスを受けられないことによる「作られた寝たきり」である。「家族だけがおこなう介護」が美風ではない。確かに日本人のお年寄りの中には「福祉のお世話になるのは申し訳ない」「他人の手を借りるのは嫌だ」といった考える方が多い。しかしながら、そのために介護疲れで体をこわした介護者や、二年も三年もお風呂にも入れず垢にまみれ、やせ細ったお年寄りを何十ケースも私は見てきた。経済的には豊かなはずなのに、日本では人生の終わりに悲惨などんでん返しが待っているという悲しい現実がある。

介護保険にはまだまだ解決しなければいけない課題があることは否定できない。それでも、介護保険の導入によって、これまで遠慮していた方々が積極的にサービスを受けられるならば、制度導入の意義があると言えよう。親がサービスを受けることは、子供が介護を放棄したことには決してならない。サービスを受けることにより、子供の精神的、肉体的負担が少しでも軽減されれば、共倒れする可能性もずいぶんと減ってくるだろう。お互いがそうした気持ちを持つことができれば、要介護者になる可能性の高い八十代の親と、そしてその介護をする五十代の息子、娘との関係も今までよりは、きっといいものになっていくだろう。子供自身も、自ら老化と闘わねばならないのだから。

やまのい和則 


  戻る タイトルへ戻る