介護保険見直しの暴挙

  ―介護基盤整備を10年遅らせた大罪―

                    やまのい高齢社会研究所長 山井和則

  1999年10月末のある日。それは一本の電話から始まった。「山井さん、亀井さんが大変なことを言い出したよ」という東京の知人からの電話。
 この日から、施行を目前にエンジン全開で走っていた介護保険は迷走しだした。

 私は過去7年、「安心して年をとれる日本にするには、介護保険がどうしても必要である」という推進の立場から、介護保険論争に加わっていた。その立場から言えば、今回の見直しは許せない暴挙である。
 なぜこんなことになったのか、どんな影響が出るのか、そして、どうすれば今回のような暴挙の再発を防げるのか。

 今回の見直し大きなポイントは、保険料の徴収凍結と軽減、そして、介護慰労金の導入の2つである。

 この見直しの悪影響を以下、5点述べたい。

1,厚生行政の信用失墜  

 まず第一は、厚生行政の信用失墜である。介護保険の申請や認定がスタートした後に、制度の根幹をゆがめる見直しが行われた。これは、厚生省だけの責任とは言えないが、今後、様々な改革を行う上で、「政治家の鶴(亀?)の一声で、実施直前でも大幅な見直しになる」という前例をつくったことは、厚生行政にとって大きな信頼の低下である。

2,地方分権への逆行  

 介護保険は「地方分権の試金石」と期待されていた。しかし、その介護保険が「日本がいかに中央集権で、地方自治体無視か」を改めて証明することになった。  

 市町村は当初、介護保険の保険者になることを嫌がっていた。「市町村が独自色を出して頑張ってくれ、と言うが、結局は、厚生省が押しつけてくるのではないか」という擬心暗鬼があったと思うが、多くの自治体が、「上乗せ」「横だし」「保険料の設定」など独自の取り組みをやりだした時にこの見直しである。  

 国会の厚生委員会でも、参考人の自治体首長から、「保険者は市町村なのに、今回の見直しにおいて、地方自治体にほとんど事前の相談はなかった」という怒りの声があがった。

 ある首長は、「保険料の額を決め、保険料を納付してもらうために、何十回も住民説明会を開いた。介護保険は住民の皆さんが決める制度なのですよと私が説いてまわった。やっと住民も主権者意識を持って、発言してくれるようになった。そんな矢先にこの見直し。皆さんに議論してもらったけれど、結局、国の言いなりになりました、なんて今更言えない」と嘆く。

 ある自治体の介護保険担当職員は言った。「準備に力を入れすぎなくてよかった。また変更になるかもしれないと思って、様子を見ていた」と。

 自治体職員が国よりも住民のほうを見て、仕事ができるように変えねばならない。なのに、今回の見直しは、「国の動きを気にしないとはしごをはずされる」という無力感を自治体職員に与えた。

 私は8年前、スウェーデンに2年間留学し、スウェーデンの福祉を支える徹底した地方分権を調査した。「分権なくして福祉なし!」。地方分権が進み、地方自治体が国よりも住民の声に耳を傾けない限り、福祉のスピーディーな進歩はあり得ない。日本の厚生省はそれなりに優秀で、厚生行政のために寝食を惜しんで働いておられる方が多いことは十分に承知している。しかし、中央集権では限界がある。  

3,保険料の軽減でコスト感覚がマヒ 

 高齢社会においては国民の財政負担は増える一方である。この負担増を、どのように国民に納得してもらうかが最大のポイントとなる。しかし、今回の見直しで「最初の半年、保険料は無料で、サービスを提供します」と言ってしまった。「無料でサービスが提供できるなら、負担はあげなくてよいじゃないか」という意識を国民に持たせて、今後どうするのか。

 今回の見直しは、「良いサービスにはコストがかかる」というコスト感覚を麻痺させる。今後、保険料の未納者が増えたときに、市町村が「保険料を払ってもらわないと制度が成り立ちません」と言っても、未納者は「先日まで無料だったじゃないか。それも国が決めたじゃないか」と反論するであろう。

 今回の見直しの中は、一部の自治体から「それでもわが町では保険料は予定通り徴収したい」という声があがった。それに対して、厚生省は「保険料を徴収した自治体には特別交付金を出さない」という事実上のペナルティーを課すこととした。

 どこの世界に保険料をきっちり徴収した自治体がペナルティーを課される国があるだろうか。

 今回の見直しにより、「介護保険は理念も何もない。ただの選挙対策」という汚れたイメージを内外に与えることになった。

 私は300人ほどのある老人会での講演で、今回の見直しについて、「保険料は無料か有料かどちらがいいですか?」と参加者に尋ねたことがある。7−8割の人が「無料のほうがいい!」と元気よく手をあげた。「後世に借金を残すのはよくない」と答えたのは1−2割であった。今回の見直しは「後世に借金を残してでも、福祉は無料がよい」という無責任な意識を改めて植えつけてしまった。 

4,家族介護慰労金は、虐待奨励金になる

 家族介護慰労金の問題点は明らかなので多くは書かないが、いくつか指摘したい。

 介護サービスを提供するよりも、年間10万円の慰労金を支給した方が自治体にとっては40分の一くらいに安くつく。要介護5で月36,8万円。年間約440万円分のサービスか、年10万円の介護慰労金か。お金を渡した方が安くて簡単という制度にすれば、介護サービス基盤の整備にブレーキがかかる。

 自治体に対して、「介護サービス基盤を急ぎましょう」とアクセルを踏ませておきながら、同時に、「現金支給のほうがはるかに安いですよ、楽ですよ」と、慰労金制度でブレーキをかけるのは、矛盾している。  

 慰労金の10万円欲しさに家族が介護サービスを1年間、我慢して利用せず、お年寄りが悲惨な状況に放置されるケースが起これば誰が責任をとるのか。介護慰労金は、放置による老人虐待奨励金になりかねない。

5,介護基盤整備が遅れ、利用者にしわ寄せ

 以上述べた悪影響のしわ寄せの一番の被害者は、利用者である。今回の見直しにより、介護サービス基盤整備にブレーキがかかり、自治体職員の介護保険に対する志気も低下した。

 懸念されるのは「保険あってサービスなし」である。「サービスがない地域は、慰労金で対応する。そもそも子が親を看るのが日本の美風だから」という声も不熱心な自治体から出てくるだろう。「保険料も無料なのだから、サービスが足りなくても我慢してください」という安易な言い訳も成り立ち、介護保険の「権利性」も消えかねない。

 保険料の徴収延期や軽減のために発行した赤字国債9000億円を、介護サービス基盤の整備に使ったら、何十万人の苦しむお年寄りや介護者が救われていたかと思うと、心が痛む。

 介護保険の様々な不十分な点について、議論すべきであった秋の臨時国会の厚生委員会も、介護保険関係については私もほとんど傍聴したが、「見直しの是非」が主なテーマとなってしまい、大切な各論が十分に議論できなかった。

 たとえば、痴呆症のお年寄りを介護する家族にとっては、身体的に元気な痴呆症のお年寄りには要介護認定が軽く出る問題や、「痴呆の切り札」と言われながらも全国に100カ所あまりしかなく「幻のサービス」「保険あってサービスなしの象徴」となっているグループホームの整備などについて、もっと国会で議論してほしかったであろう。

むすび 介護問題と政治  

 「官僚任せから、政治主導へ」という流れで、国会でも政府委員の廃止などが行われた。しかし、今回の見直は、「政治主導」の最悪のケースで、政治家よりも厚生官僚のほうがはるかに国民のことを考え、その代弁をしていた。

 「この見直しは、介護の問題じゃなく、政局になってしまった」と、ある関係者は言った。連立政権の中で税方式派と保険派の妥協の産物が、今回の見直しであった。

 いい加減な政治は、常に物言えぬ弱い立場の人々を苦しめる。介護保険が導入され、「あの見直しさえなければ、もっと十分なサービスが受けられたろうに」と、悔やむ利用者が増えるであろう。

 こう考えたとき、私は介護保険の見直しと年金改革とのコントラストが気になる。この2つは、必ずしも同列に議論できるものではないが、あえて比較するとすれば、年金改革は連合の大反対もあって先送りとなった。しかし、介護保険の見直しは、阻止できなかった。

 いくつもの理由があろうが、その1つは、介護に関して連合のような大きな政治圧力団体がなかったからだ。もちろん、連合も介護保険の見直しに反対したが、年金改革に対する反対ほどの影響力は発揮できなかった。

 介護保険の見直しに反対して、立ち上がった団体がもっと政治的影響力を発揮できれば、政府与党とて見直しを強行できなかっただろう。「介護を社会化する一万人市民委員会」、「福祉自治体ユニット」、「高齢社会をよくする女性の会」など、多くの介護に関する団体が、必死に反対運動を繰り広げた。私もその輪の中で共に運動したが、その政治的影響力は残念ながら十分ではなかった。

 年金改革に対して連合が発揮したような政治的パワーを、介護問題に対して発揮するネットワークが必要だ。しかし、年金と介護の大きな違いは、「年金はみんなの問題だが、介護は一部の人の問題」という偏見、「年金の当事者は元気で声もあげられるが、介護問題の当事者のお年寄りや介護者は組合もなく、まとまって声をあげられない」という2点である。

 介護保険の当事者は、自分では声を発することはできない。その声を誰が、どの団体が、どういう形で政治に届けるのか。

 政治家が政局がらみで介護保険を改悪しようとする事態は、今後も起こりうる。そして、介護に無関心な政治家はいつの時代にもいる。そんな時、その動きを阻止する組織・団体、政党、政治家のネットワークとパワーアップが今後の課題だ。

 私もライフワークとして介護問題に、取り組み始めて12年目である。それは、苦しんでいるお年寄りや介護者の声なき声を社会や行政に届けねばならないという使命感からだ。介護を社会化するネットワークをさらに広げ、パワフルなものにしていかねば、安心して老いられる、本当に豊かな社会は実現できない。「正しき者は、強くあらねばならない」ということを、今回の見直しで改めて痛感した。


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