原 点 「塩 狩 峠」
 今日(5月23日)は、大阪のプロテスタントの教会に招かれ、グループホームの講演をさせていただいた。
賛美歌を共に歌い、牧師さんの話を聞き、また、時田勝也さんの素晴らしいピアノ演奏とバリトンの歌を聴き、慌しい中に至福のひとときを過ごしました。

 実は、私が福祉に志した原点が、キリスト教に関係ある。

 私は信者ではないが、学生時代に福祉施設でボランティア活動をしているときに、出会ったのが三浦綾子さんの「塩狩峠」という本だった。


 主人公の青年が、自らの命を捨て、列車の乗客を救った物語だった。
22歳の時に、私はこの物語を読み、泣いた。「愛に生きる」とは、何と素晴らしいかと思った。

 この本の表紙の裏には、「一粒の麦、地に落ちて死なずば、一粒の麦のままである。しかし、死んだなら豊かな実を結ぶであろう」という聖書の一節が書かれている。
 私は、この一節を何度も読み返した。


 当時、私は大学院でバイオテクノロジーを研究していたが、ボランティア活動を通じて、福祉の世界にのめりこんでいっていた。

 そんな時、出会ったこの本。
「福祉に生きよう」と思った。


 「化学会社には就職しない。福祉に生きたい。福祉施設の子供たちや寝たきりのお年寄りのために生きたい」

 母は、目をまんまるにして、
「和則、あなた何を言い出すの。キリストみたいなことを言って。あなたは庶民の子。そんな大それたこと言わないで」とビックリ仰天した。


 この裏話を今日、教会で話すと、皆さん爆笑しておられた。


 その後、縁あって私は旭川の三浦綾子さんのご自宅を訪問することがあった。
 分不相応なことでしたが、当時の松下政経塾の上甲晃塾頭の訪問に、便乗させて頂いた。

 お目にかかった時の感動は言葉では言い表せない。口述筆記をされているご主人、三浦光世さんもいらした。

 私は、「塩狩峠を読んで、福祉に生きようと決意しました。塩狩峠は私の人生を決めた本です」と言うと、三浦綾子さんは喜んで下さり、「塩狩峠」の本に「神は愛なり」とサインしてくださった。
 その後、残念ながら、三浦綾子さんはお亡くなりになられた。


 今日、プロテスタントの教会を訪れ、自分の20年前の原点を思い出した。


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