やまのい和則の
     「軽老の国」から「敬老の国」へ

            第142号(2001/05/23)

 メールマガジンの読者の皆さん、こんばんは。
いま、23日の深夜零時に高輪議員宿舎に帰ってきました。

 今日は、とにかく、よかった。ハンセン病訴訟に対する控訴断念
が決まったからです。7時から記者会見、そのあと、弁護団の方々、
原告のハンセン病の元患者の方々と40人くらいでお酒を飲み、宿
舎に帰ってきました。

■今日23日を振り返ります。
朝8時から民主党の厚生労働部会。
出席は30人程。私は先輩の金田議員や鍵田議員に、「もし国がハン
セン病判決に控訴するなら、来週は厚生労働委員会でハンセン病問
題の集中審議をしましょう。厚生労働委員会の責任が問われます。
控訴されて、『ああ、そうですか』では済まないですよ」と訴えた。

その後、介護保険の見直し案、ホームレスの自立支援法案について、
共に私が説明し、了解を得る。
その後、企業年金法案の民主党としての対応を議論。

■確定給付企業年金法案の参考人質疑
9時15分から正午までは、確定給付企業年金法案の参考人質疑。
上智大学の堀教授、経団連の代表、連合の代表などが意見を言う。
私も15分間質問。

「今日、国がハンセン病訴訟について態度を決めるという。断じて
控訴には反対である。万一、そんなことになれば、厚生労働委員会
みんなの責任である」と冒頭、訴える。

■いねむり
質問のあと、委員室の自分の席に戻る。左側の自民党席を見ると、
ほとんどみんな寝ている。利権にからまぬ厚生労働委員会は自民党
議員にとっては、うまみがないのだろう。ほとんど休憩時間、睡眠
時間と化している。情けない。

しばらくすると、なんと私の隣の席の自民党議員が居眠りを始めた。
まあ、仕方ないか。しかし、10分くらいすると、なんと大きない
びきをかきだした。

10分くらい続いたが、たまりかねて、前後の席の、竹下亘議員(竹
下元首相の弟さん)と、野田聖子議員(元郵政大臣)が、いびきを
かいている議員をゆすって起こす。

■昼食時間は、国民年金について勉強。

■実力行使
そのあと、1期生と菅直人さんとの懇談会。ハンセン病問題につい
て議論。

「もし国が控訴したら大変なことになります。民主党としての対応
も考えねばなりません」と私が言う。

「実力行使しかない。もし控訴の方針が出たら、国会前に座り込む
しかない。僕は山井君と一緒に座り込むよ。僕もそういうのは嫌い
なほうじゃないから」と菅さん。菅さんは1996年にらい予防法を
廃止したときの大臣だから、この問題には関心が強い。

その後、厚生労働委員会に戻る。さすがに坂口力厚生労働大臣の顔
がこわばっている。控訴するのだろうか?

5時に委員会が終了。坂口大臣のところに駆け寄り、同僚議員とと
もに、「大臣、どうか控訴を断念してください」と頭を下げた。大
臣の顔はこわばったまま。いやな予感。

■新聞取材
5時15分から私の新刊「福祉メールマガジン 福祉現場VS国会」
(講談社、1700円)について新聞の取材。著書の詳細は、私のHP
( http://www.yamanoi.net/book/index/merumaga.htm )。

6時から国民年金について別の新聞の取材。
私は、「基礎年金は税方式に」という民主党の主張を話す。

7時前に取材が終わり、「控訴断念」のニュースを聞く。感激!

■ハンセン病 記者会見
別件で先輩の金田誠一議員の携帯に電話すると、「いま、弁護士会
館の5階で記者会見をしているので来るように」と言われる。急い
で駆けつける。

記者会見場はさすがにすごい熱気。原告である元患者さんの喜びの
声を聞く。
「今まで人生、うつむいて歩いてきた。明日から顔をあげて歩ける」
「亡くなった仲間の骨がふるさとに帰れるまで、この運動は終わら
ない」などという声も。

 その時の写真をホームページに載せました。
( http://member.nifty.ne.jp/yamanoi/nikki/01/0101/010523.htm )

その後、政治家の記者会見。民主党からは菅直人幹事長と金田議員
と私。社民党からは土井たか子党首と中川智子議員。共産党からは
志位委員長、一田書記長、瀬古議員など。

 本来なら、超党派のハンセン病訴訟議員連盟代表の江田五月参議
院議員の出番だが、あいにく地元岡山にいるとのこと。江田さんこ
そが今回の運動をリードされた。

また、民主党若手議員でこの問題に熱心に取り組んでいる川内議員
や加藤公一議員、福山哲郎議員も時間の調整がつかなかったため、
私が記者会見に同席した。

ちなみに、私は、福山哲郎議員が岡山ハンセン病療養所を訪問し、
そのショッキングな話を聞き、この議員連盟に入ったのだ。

私は一言、「人権回復の歴史的な判決」とマイクでしゃべった。

この日ほど、弁護士さんたちの銀のバッヂがまぶしく見えた。

■ありがとうございました
記者会見のあと、弁護団の方々と原告の元患者の方々と40人くら
いで飲みに行く。

 原告団長の曽我村美一さんも来られた。

 沖縄から来たという元患者さんが、「ありがとうございました。
ありがとうございました」と私に何度も頭を下げられる。
私はたいした仕事は実際はしていないのに。

「私は過去50年、顔を隠して、名前を変えて生きてきた。これで
笑顔で沖縄に帰れます」とのこと。
そして、「政治家の方もよいことをすることがあると初めて知りま
した」とのこと。確かに、この方々はバカな政治家の怠慢のために、40
年も療養所に隔離されていたのだ。政治家を軽蔑するのも仕方ない。

「これからもよろしくお願いします」と深々と頭を下げられる。
このハンセン病訴訟は、瀬戸内でも東京でも戦われている。そして、
合計数百人の弁護団が動いているのだ。

私は、「ハンセン病判決は、日本が人権の国、人間を大切にする国
に脱皮するための第一歩。病院などに収容されている精神障害者の
方々が地域で暮らせるように頑張ります」などと話した。

それにしても歴史的なことだ。

これを突破口に日本版ADA法(障害者差別撤廃法)の制定、
介護保険の改善などに向かって頑張ります。
           やまのい和則 拝

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