。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆

   やまのい和則の
     「軽老の国」から「敬老の国」へ

     - Yamanoi Kazunori Mail Magazine -

            第94号(2001/01/25)

    。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆

 メールマガジンの読者の皆さん、こんにちは。

来週から通常国会が始まります。
6月まで通常国会で、7月には参議院選挙。

今回のメールマガジンでは、国政報告会の報告、先日のテレビ出演
の報告、私の尊敬するマザーテレサ修道女、そして、グループホー
ムなどについて書きます。

☆      ☆      ☆      ☆      ☆

------国政報告会------
 まず、21日の国政報告会には3ヶ所で100人弱の方々が集って
下さいました。
率直な地域の方々の声が聞けて勉強になりました。

また、23日は、私を応援する方々が70人集って、夕食をとりなが
ら会合を催して下さいました。

仲間の松井こうじさんも参加して下さいました。

何ら直接のお返しができない、私のような政治家を応援して下さる
支持者の方々には、頭が下がります。

国政報告といっても、
「この地域に道をつくった。橋をつくった」というのでなく、
「グループホームが日本に少し増えた」などという雲をつかむよう
な話なのですから。

本当に感謝感激です。

☆      ☆      ☆      ☆      ☆

------TV出演報告------
 次に、前回のメールマガジンで報告しましたが、22日テレビ朝
日のワイドスクランブル(司会は大和田獏さん)・ワイドショーに
コメンテーターとして出演しました。

敢えて具体名は書きませんが、「埼玉県のある精神病院」での痴呆
性高齢者などの患者への人権侵害、虐待などの問題についてです。

民主党で、私が呼びかけて、この精神病院について調査チームをつ
くっており、その事務局長をしているので、出演依頼が来たのです。

この病院では、
違法な身体拘束(ベッドへの患者の縛り付け)、
過剰医療による診療報酬の不正請求、
不必要なIVH中心静脈栄養によって患者の死期を早めた、
などという疑いが持たれています。

------ワイドショー------
 いかにもワイドショーだと感じたのは、私が出演する前のコーナ
ーが、世田谷の一家殺人事件、次が野村監督の息子カツノリさんの
結婚についての、サッチーのコメントです。

それらのニュースにはさまれて、深刻な精神病院の報道でした。

これは、悪い意味ではなく、そのような多くの人が見る番組で、
医療や痴呆性高齢者の問題を、取り扱ってもらえるのは有難いこと
です。

ディレクターの方が言うには、
「最近ワイドショーでも、半分くらいが医療ミスなどの問題です」
とのこと。

北陵クリニックの問題にせよ、医療への信頼がいま大きくゆらいで
います。

☆      ☆      ☆      ☆      ☆

------内容要約と解決策------
 この精神病院の問題は、長くなりますので、ここでは簡単に説明
します。
1)県の監査が甘すぎて違法行為がチェックできなかった、
2)医師や看護婦がここ5年間足りていないのが放置され、
  そのような情報が一般に公開されていない、
3)200名の入院患者の8割以上が痴呆性高齢者で、
4)半数以上が東京からの入院、(つまり、東京に特別養護老人
  ホームやグループホームが十分にあれば、埼玉の精神病院に
  入院しなくてよかった) 

などの問題点をテレビで話しました。

 この病院の問題だけでなく、この問題を突破口に
1)病院の監査を厳しくする、
2)情報公開を徹底する、
3)特別養護老人ホームやグループホームの整備を緊急に行う
(精神病院に入院しなくてもよい痴呆性高齢者が、待機せず入居
できるように、特別養護老人ホームやグループホームを増やす)

ことを目指して私は運動していきます。

☆      ☆      ☆      ☆      ☆

------オムツはイヤダ!------
 その精神病院に立ち入り調査をした際、入院患者のおじいさんが
ベッドの上で嘆いておられました。
「トイレに行きたい。オムツは嫌だ。オムツでのおしっこも嫌だし、
大便はびしゃびしゃしてもっと気持ちわるい」。

「どうしてトイレに行けないのですか」と私。
「足が悪くなってしまってトイレまで歩いて行けない」とのこと。

この病院ではオムツが多用され、トイレ誘導も非常に少ないのです。

その病棟では男性患者はほとんどみんな丸坊主。

私物は、一着の着替えくらいしかない。

退院する人はほとんどいない。

------グループホームがあれば------
 入院患者の多くが、特別養護老人ホームやグループホームに入居
できれば、もっと人間らしい生活ができる、と感じました。

------再調査------
しかし、県の担当者は、
「この病院は、毎年の監査の結果からは、特に悪い病院とは、認識
していなかった」と言います。
「では、他にもこのような病院が、県内にあるかもしれないのです
か?」と私が聞くと、
「そうですね」とのこと。

 そこで、埼玉県も動き出し、1月初旬には、土屋知事が、
「この問題は徹底的に調査する。ほかの精神病院についても問題が
ないか、再度調査する」と発表しました。

☆      ☆      ☆      ☆      ☆

------死を待つ人の家------
 私は、「マザーテレサ」(ノーベル平和賞を受賞したインドの
修道女)を尊敬しています。

私は12年前、マザーテレサの施設「死を待つ人の家」(インドのカ
ルカッタ)を訪れ、少しだけボランティアをさせてもらいました。

カルカッタは世界で最も貧しい町。
そこで、行き倒れのお年寄りなどを、引き取っているのが
マザーテレサの「死を待つ人の家」です。

マザーテレサの本を読み返しました。

 あるときマザーテレサは、聞かれたそうです。

「行き倒れの人をこの施設に引き取っても、すぐに死ぬ人も多いで
はないか。そんな無駄なことをするよりも、もっと未来のある子供
のお世話などに力を入れたほうがよいのではないか」と。

しかし、テレサは答えました。

「もし、行き倒れのおばあさんが、ねずみに耳をかじられ、身体に
うじ虫がわいたままで道端で死んだとしたら、その方の人生はいっ
たい何だったのでしょう。
しかし、たとえ苦しい人生であっても、最後に『死を待つ人の家』
に運ばれ、シスターやボランティアの人々の愛あふれるお世話を
受けながら、惜しまれながら亡くなったとしたら、そのおばあさん
は『救われた』と言えると思います」

------終わりよければすべてよし------
 高齢者福祉に人生を賭けている一つの理由が、ここにあります。

「終わりよければすべてよし」。

人生の最後は、人生の集大成なのです。

人間として生を受けた以上、
「惜しまれて亡くなる」。
これが人間の願いでしょう。

☆      ☆      ☆      ☆      ☆

------カルカッタと日本------
 マザーテレサの本を読みながら、この精神病院問題と、比較して
しまい、私は考えさせられるのです。

カルカッタを“貧しい地域”、
日本を“豊かな国”と言えるのだろうか、と。

 先進国で平均寿命が世界一、誰もが医療を受けられる豊かな国で
あるはずの日本。

しかし、痴呆症のお年寄りが、虐待や不適切な医療を受け、死期を
早められているという事件が起こっている。

 マザーテレサの「死を待つ人の家」には、日本に比べれば、薬品
も医師も十分ではありません。
でも、世界一貧しい都市だから仕方ない、カルカッタ。
これだけ豊かな先進国なのに、痴呆症のお年寄りが安心して暮らせ
る居場所が大幅に不足している日本。

☆      ☆      ☆      ☆      ☆

------怒れない?------
 テレビのスタジオで聞かれました。
「この病院でこのような虐待の問題が起こって、虐待を受けている
お年寄りの家族は怒らないのですか?」と。

家族からの苦情はほとんどなし。

身寄りのない痴呆症のお年寄りや、他の施設は満員で受け入れてく
れないので、家族も『仕方ない』とあきらめているのです。

また、行政も「監査もこれ以上厳しくできないし、どこの都道府県
でもこのような病院は1つや2つはあるのです」とあきらめていま
す。

☆      ☆      ☆      ☆      ☆

------見捨てられた人々------
 マザーテレサは、「見捨てられた人々を救いたい」と言いました。

家族からも行政からもあきらめられ、そして、病院もお年寄り本人
のことよりも採算や経営を重視した場合、痴呆症のお年寄りは日本
では「見捨てられた人々」になりかねません。

 豊かな国とはどんな国でしょうか。

このような「見捨てられた人々」を一人でも少なくするのが、豊か
な国の豊かたるゆえんでしょう。

これは、個々人の愛や努力だけでは、実現できるものではなく、
法律や制度で“人間としての権利を保証”していくことが必要です。

 「身寄りのない痴呆症のお年寄りの扱い」を見れば、
その国の「豊かさのレベル」がわかる。
と、私は思います。

☆      ☆      ☆      ☆      ☆

------ホスピス------
 話は長くなりますが、私が尊敬する山崎章郎先生(桜町ホスピス
院長)のラジオ放送を聞きました。

「病院で死ぬこと」というベストセラーの著者で、日本のホスピス
運動の第一人者です。

山崎医師は、エリザベス・キューブラロスという著者の「死の瞬間」
という本を読んで、

「人間が最後に求めるのは、鎮痛剤などの薬ではなく、その患者さ
んが大好きだったグラス一杯のぶどう酒と、手作りの温かいスープ
である」
と知り、終末期医療におけるホスピスの大切さを痛感されたと言う。

☆      ☆      ☆      ☆      ☆

------終末医療もグループホーム------
 その山崎医師が、
「今後の理想は、グループホームのようなホスピスを、地域に増や
すことです」と話されるのを聞き、私は感動しました。

「数人のがん患者さんが共同生活をし、家庭的な雰囲気を大切にす
る。ただ、グループホームだけでは不安なので、バックアップの
医療体制の整ったホスピスや病院が、そのグループホームをバック
アップする」とのことです。

------痴ほうケアのグループホーム------
 語弊があるかもしれませんが、グループホームは
「痴呆症のお年寄りのホスピス」とも呼ばれることがあります。

これは、「痴呆の病気そのものを治すことはできないが、残された
人生を、その痴呆症のお年寄りが、できるだけその人らしく、人間
らしく生きることができる場である」という意味です。

 山崎医師がおっしゃるには、
「ホスピスで重要なのは、患者さんの人生にとって何が大事であっ
たかを探し当てることです」とのことです。

「死ぬまでに一回でよいから、本当の競馬場に行きたい」と言った
競馬好きの男性患者。

翻訳が好きで、亡くなるまでホスピスで翻訳を続けられた患者さん。

ホスピスでは、可能な限り、本人の希望をかなえるよう、お手伝い
するそうです。

------取り戻せた宝物------
 さらに、山崎医師は次のような話をしておられました。
長くなりますが紹介します。

60代のある女性のがん患者さんは、
「私はガンになって良かったと今では思っている」と、山崎医師に
話されたそうです。

その理由は、「60歳を過ぎると独立した子供たちは、仕事などが
忙しくてなかなか顔を見せてくれなかった。
しかし、私がガンになったので、忙しい時間のやりくりをして、
子供たちがみんな、会いに来てくれるから」だというのです。

この女性にとっては、昔の子供たちとの“一家団らん”が宝物の
ように幸せなひとときだったのでしょう。
そんな機会は、年をとると少なくなる。

しかし、ガンになって、そんな時間が取り戻せた、というのです。

 親不孝の私には、心にこたえる話でした。

☆      ☆      ☆      ☆      ☆

------羞恥心をもてない?------
 私が、高齢者福祉やグループホームの運動をし、政治家にまで
なった理由は、今までに何度も書いたかもしれません。

10年ほど前、病院でベッドに縛り付けられ、
「トイレに行きたい」
「ひもをほどいてください」と、泣いて訴える痴呆症のお年寄りと
の出会いでした。

そして、痴呆病棟、風呂場前の廊下に、入浴前のおばあさんたちが、
裸で並ばされている姿を、見たことでした。

「人間というものは、人生の終末、こんなに軽く扱われるのか。
尊厳もない」。

 このショックが私を突き動かしてきました。

しかし、残念ながら、そのような悲しい現実は、まだまだなくなっ
てはいません。

------収容所------
 ナチスの強制収容所では、収容された人々は、
「羞恥心を持つことが、許されなかった」そうです。

それと似た状況が、いまの豊かな日本にも存在します。

そんな「モノは豊かだけれど、愛がとぼしい日本」を変える起爆剤
が、グループホームだと思います。

 いつものように長いメールマガジンになり、申し訳ありませんでした。
           やまのい和則 拝

戻る