。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆
やまのい和則の
「軽老の国」から「敬老の国」へ
- Yamanoi Kazunori Mail Magazine -
第112号(2001/03/14)
。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆
メールマガジンの読者の皆さん、こんにちは。
今は3月13日火曜日の晩11時半。
この3日間、特に、昨日12日月曜日は、終日、大阪でホームレス
(野宿生活者)や日雇い労働者の問題について現地視察をしました。
人生観が変わるほど考えさせられました。ご報告します。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
まず、まえがきとして、今日(13日)は、総務委員会で私は恩給
法案について30分間質問をする予定だったが、森首相に対する
問責決議案(不信任案のようなもの)が参議院で提出されたので
総務委員会は開かれなかった。
森首相のわけのわからない辞意表明、株価の大幅な下落。
こんなことでは本当に日本の国がダメになってしまう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
3月11日日曜日
札幌から京都に戻り、午前中は事務所で打ち合わせ。
その後、3月25日(日)の鳩山さんを招いた民主党京都の2万円
のパーティーのチケットを売りにまわる。
「この不況の折に、高すぎる」と叱られ、なかなか大変。
2枚売れて、ほっと一息。
午後は、高齢者福祉について講演。その後、事務所で仕事。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
3月12日月曜日
7時から8時まで地元山城町の棚倉駅で街頭演説とチラシまき。
町会議員さんとスタッフの宮地とともに。
その後、参議院選挙についての打ち合わせ。
知り合いのおばあさんと会う。
「やまのいさん、しばらく見んかったけど、どないしたはったん。
当選してよかったなあ」と声をかけていただく。
10時半に新大阪駅集合。
ホームレス問題に熱心な素晴らしい議員ばかり。
このチームの代表の鍵田節哉衆議院議員、牧師さんの土肥隆一議員、
人権派の石毛えい子議員、28歳でITから福祉まで現地現場で取り
組む中村哲治議員、そして、私。さらに、やまのい事務所スタッフ
の宮地。民主党の政策スタッフの方。連合大阪の方。
☆ ☆ ☆
スーツでは場違いなので地味なジャンパーに着替える。
大阪には12000人ものホームレスの人々がいる。
11時15分、「よせ場」「釜が崎」と呼ばれる西成区あいりん地区
の労働福祉センターに行く。
ここには毎日15000人くらい日雇い労働者やホームレスの人々が
職を求めて集まる。
多くが建設労働や掃除だ。日給は5700円くらい。
職を求めて集まる人々の多さに圧倒される。日本ではないような
雰囲気。このあいりん地区だけが外国のよう。
ここで、30分間説明を受ける。朝5時に仕事を求めて人々が集ま
るという。
さらに、ホームレス(路上生活者)は、このセンターのトイレを求
めてやってくるという。ゆっくり用を足せるからだという。
そののち、社会医療センターを訪問し、簡易宿泊所を訪問。
大きなテントの中に200人が寝る。一人の広さは1畳。
☆ ☆ ☆
あいりん地区を歩く。道の両端にビジネスホテル(いわゆる「ド
ヤ」)や屋台の飲み屋が並ぶ。昼間から多くの人々(100%男性、
平均55歳くらい)が路上にいる。
徒歩10分で三角公園に到着。
ここは多くの人がテントを貼り生活をしている。NGOの団体など
が炊き出しのボランティアをしている。
その隣にあるあいりん臨時夜間緊急避難所(簡易宿泊所)を訪問。
毎日600人が泊まれる。昼間は仕事にいき、寝るだけに戻ってく
る。ここも寝床は一人1畳の広さ。シャワーが20。一人制限時間15
分。
この宿舎では結核が流行っている。結核検診を実施しているとい
う。先日も宿泊者のうち、4人が結核と診断され、入院したという。
☆ ☆ ☆
いくらホームレスを減らしたいと思っても、このような簡易宿泊
所を増やせない理由は、近隣のビジネスホテル(ドヤ)の反対があ
るからだという。
この一帯に並ぶビジネスホテルは3畳一間で一泊1200円。行政が
無料の簡易宿泊所をつくると、このドヤの営業妨害になるのだ。
ホームレスは、冬に少ないが、夏は多いという。なぜですかと尋
ねると、案内の方は言った。
「やまのいさんでも、どうですか。1200円しか財布にないとすれ
ば、お酒も飲まず、そのお金でビジネスホテルに泊まりますか。
それとも1200円でお酒を飲んで路上で寝ますか」と。
「そら、私も寒くなければ酒を飲んで路上で寝ます」と答えた。
☆ ☆ ☆
私もお酒が好きである。どうしてもお金がなければ、究極の選択
だが、さみしく、しらふで一人で寝るよりは、酒を飲んで夢を見な
がら公園のベンチで寝ることを選ぶかもしれない。
☆ ☆ ☆
「昼間からぶらぶらしている人が多いですが、仕事をしないので
すか」と案内の方に聞くと、
「勤めても1週間や1ヶ月で辞める人が多い。いくら一生懸命働い
ても家が買えるわけでなし、ホームレスの人には希望がないのです。
どうせあくせく働いても、どうせ貧乏生活からどっちみちのがれら
れないと思ったら、もうブラブラ生きようと思う人もいるのです」
とのこと。
なるほど、人生をあきらめておられるのかな、と思う。
少しはホームレスの人々の気持ちもわかるような気がする。
☆ ☆ ☆
そのあと、大阪市立更正相談所を訪問。
大阪府、大阪市、NGOの方々の説明を受ける。そこでは、就労の
あっせん、住居の提供、医療の提供、そして、最後の手段としての
生活保護が対応策だという。
☆ ☆ ☆
トイレに立ったとき、トイレで同僚の中村議員とためいきをつく。
「これは奥の深い問題やで」と。
「でも、ますます深刻化する問題や。俺ら若い世代の議員がしっかり
取り組まないかんなあ」
「それにしても、『バラマキの建設型公共事業反対!』と俺ら言っ
てるけど、心が痛むなあ、結局、公共事業が減ると、日雇いやホー
ムレスの人々が益々苦しむんやろ」などと話す。
☆ ☆ ☆
そのあと、バスに乗り、長居公園へ。
ここはテントを張って住むホームレスの人々が増えて、近隣から苦
情が出て、400人分のプレハブ建ての仮設避難所を3年を期限に切
り、建設した。
しかし、見てみると何人か、まだテントで暮らしている。
「仮設避難所の縛られる生活は嫌だ。テントのほうが気楽でいい」
と拒んでいる人も一部いるという。
テントの中には発電機を持ち込み、暖房もあり、テレビも見れると
いう。
☆ ☆ ☆
仮設避難所は、ドヤと呼ばれる1泊1300円のビジネスホテルと
同じような雰囲気。しかし、プレハブだ。一人のスペースは1畳。
3年以内に仕事を見つけて自立せねばならない。食事は共同の炊事
場で自炊。
☆ ☆ ☆
牧師でもある土肥隆一議員に私は言った。
「ここと比べたら、四人部屋だけど特別養護老人ホームはまだマシ。
3食ついていて、温かい部屋にずっといられるから。ここの住人も
年をとって特別養護老人ホームに入ったら助かるのではないでしょ
うか」
しかし、土肥議員が言うには、
「違うんですよ。ここにいる人は、そのような施設で規則や集団生
活に縛られるのが嫌で路上生活をしている人が多いのです。自由き
ままな生活を求めているのです」とのことだ。
☆ ☆ ☆
驚いたことがあった。仮設避難所の横に犬小屋が20くらい並び、
犬がいるのだ。
「この犬は誰の犬なのですか?」と管理人さんに聞くと、
「ホームレスの人たちの飼い犬です」とのこと。
「えー、ホームレスの人々が犬を飼っているのですか」と驚くと、
「そうですよ。家族とも離れ離れになったホームレスの方々にとっ
ては、犬は家族そのものです。親子みたいなもんです。犬も一緒で
なければ絶対、テントから仮設避難所に移ってもらえません。自分
の食費を削って、ホームレスの人はドッグフードを買っているので
す」とのこと。
さらに、驚いた。なんと一人で3匹も犬を飼っているホームレス
の人がいるのだ。
「自分の食費を削って3匹分のドッグフードを買っている」とのこ
と。なんか、泣けてきた。
家族と離れ離れになった人が、犬に愛情を注いでいる。
本人は、コンビニやハンバーガーショップから出る食べ残しを食事
にしていることが多い。
そして、どこのコンビニは誰のなわばりというのが決まっていると
いう。ちなみに、ネコを飼っているホームレスの人もいるという。
そのあと訪れた大阪城公園もホームレスの人々が住む青いテント
がぎっしりと並んでいた。
☆ ☆ ☆
ホームレス問題の解決の最大のポイントは仕事を見つけること。
しかも、日雇いでなく、安定した仕事を見つけること。
たとえば、そのために自立支援センターというものが大阪で3ヵ所
ある。
そのうち自立センター大淀を訪問。
ここに最高半年滞在し、そのあいだで定職を見つけるのだ。
大阪府や大阪市が職をあっせんするわけだが、しかし、雇用者も
ホームレスとわかると採用してくれないという。
「このような偏見をなくすことが大変」と大阪府の担当者は言う。
また、「元教師でホームレスになった人もいて、その人は『塾講師
など教育関係の仕事しかしたくない』と言う。
建設や掃除、警備員の仕事を嫌がる人もいる。また、所得が高い仕
事を求めるのも当然で、仕事をあっせんするのも簡単ではない」と、
担当者は言っておられた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
このような視察を5時半まで。
そのあと新幹線で東京に戻り、国会事務所で9時から10時過ぎま
で恩給法案の質問内容の詰めを海野秘書とともに行った。
しかし、前述のように、総務委員会は3月13日は開かれなかっ
た。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
調査によれば、ホームレスの人々も7割は仕事をする意欲がある
という。
「仕事がほしい。定職が見つかれば安定した収入ができ、住居も見
つかる」と担当者は言う。
☆ ☆ ☆
12000人にも増えた理由は、たとえば、福岡や名古屋のホームレ
スの人に役所の人が、
「大阪のあいりん地区に行けば、仕事が必ず見つかる」と言って、
大阪への片道切符を渡した例もあるという。全国から仕事を見つけ
に労働者が集るのだ。
長引く不況が、このあいりん地区を直撃しているのだ。
☆ ☆ ☆
ホームレス問題には、さまざまな意見がある。
「気楽でいいじゃないか」
「怠け者はほうっておけ」という意見。
いや、「働きたいのに職がないんだ」
「基本的人権は保障せよ」という意見。
さまざまな意見が確かにある。一筋縄では行かない問題だ。
☆ ☆ ☆
今後は、私たちは超党派でホームレス問題に対する法律をつくる
予定なのだ。
仕事や住居を見つけやすくする法律である。
また、実は、このホームレス問題には大阪オリンピックも関係して
いる。
私はそのような趣旨で動いているのではなく、純粋にホームレス問
題に取り組んでいるのだが、
「オリンピックを誘致するには、景観の面からもホームレスを何と
かせねばならない」という意見もあるそうだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
3月13日火曜日
9時から民主党の医療制度改革ワーキングチーム。第一回目会合。
座長が今井澄参議院議員。事務局長が私。
厚生労働省から説明に10人。出席国会議員が15人。秘書さんなど
を含めて50人の熱気むんむんの会合。民主党の政策責任者の岡田
政調会長も登場。
2002年度に医療制度の抜本改革をすると厚生労働省は言っており、
介護保険は動きナシで、厚生労働省はいまや医療制度改革を最大の
ポイントとして動いている。
そのような状況なので、この会合は非常に熱気あふれていた。
来週は、連合から、さ来週は日本医師会からヒヤリングすること
に決定。大きな仕事だ。
☆ ☆ ☆
午後は、総務省から電波法のレクチャー。
厚生労働省から個別紛争処理法のレクチャー。
つまり、民主党の部会や委員会の前に、官僚の方々が担当議員の部
屋を訪れ、反対しないように法案の趣旨を説明し、根回しするのだ。
☆ ☆ ☆
3時から年金法案についてワーキングチームで議論。
5時からも鈴木康友議員と年金法案についての打ち合わせ。
以上、長くなりましたが今日のメールマガジンでこれで終わります。
ちなみに、3月14日水曜日は、1年生議員の勉強会と夕食会に講師
として京セラ会長の稲盛和夫氏がお見えになる。
さらに、3月15日の若手有志の勉強会には自由党の小沢一郎氏が
登場予定。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
追伸
日雇い労働者やホームレスの人々が町にあふれるあいりん地区を宮
地秘書とともに歩いた。おでん50円。うどん210円。定食大盛450
円などと値札のかかった屋台が並ぶ。
オーバーを羽織り、帽子をかぶり、ひげをのばした人々が集まって
いる。この冬も何十人もの人が路上で亡くなったという。
☆ ☆ ☆
そんな光景の中で、「3月25日(日)のリーガロイヤルホテルで
の民主党京都のパーティー券なかなか売れんなあ、2万円やからな
あ。どっかあてないか」などと私は宮地君に小声でつぶやいた。
「ホテルでの2万円のパーティーどころやないで。みんな職がな
くて食うに困ったはるんや。泊まるとこもないんや。できることな
ら、この人たちをパーティーに招待したいくらいや。パーティーで
はご馳走が山盛り余って捨てるんやから」
「そら喜ばはるでしょうねえ」と宮地君。
☆ ☆ ☆
仕事にあぶれた人たちが、あちらにもこちらにも寒そうに路上に
うずくまっている。
そんなあいりん地区を視察しながらも、2万円のパーティーチケッ
トをいかにして売るかを頭の片隅で考えている自分が情けなく思え
てきた。
本当に政治は何でもありだと思う。
ホームレスの問題の解決も政治家の責任。
同時に、政治活動を続けるための政治資金集めも政治家のもう1つ
の仕事。
☆ ☆ ☆
それにしても、ホテルでの華やかな民主党パーティーと、あいり
ん地区で職を求めてうずくまるホームレスの人々の姿は対照的だ。
どちらもいまの日本の現実。
しかし、このように失業で苦しみ、路頭に迷う人をなくすために
も、政治を変えねばならない。
その一環として華やかなパーティーもやらねばならぬ(実は、私は
苦手だが)。私はいつも悲しく思うのが、ホテルでのパーティーで
は、ご馳走が山ほど余り、捨てることになる。
政治の世界は華やかな場から深刻な場までいろいろある。
しかし、あいりん地区を視察して思ったのは、いくら華やかな場に
身を置いても、社会の底辺で職や寝床を求めておられる、あいりん
地区の人々の現実を忘れずに、自分の心を引き締め、そのような不
況の今日に議員をさせて頂いている責任の重大性を忘れないように
したい。
やまのい和則 拝
☆ ☆ ☆
追伸のつもりが長くなったが、もう1つ最後に、
「西成労働福祉センター 新世紀記念文集」より抜粋して、
日雇い労働者の方の詩を付け加えます。
「空缶を集めて生きる君が背に人の命の重さ計れり」
「吾れに無き ものを持つ君 横にひて 何を待つかな 日に日にやせし」
「うらぶれて 路上に寝れど意地はあり ポトリとしずく落ちる音して」
「一銭も無ければ想うことも無し 無言の列の後方に付く」
「特掃でカップラーメン買いためて ひとり年越す 野宿のテント」
「痛恨はなお胸深く 消えゆかず 亡き母に詫び 亡き父に詫び」
「空腹の極まるときを助けられ 炊き出しの粥(かゆ) ただ有難く」
「雨の夜は なぜか寂しい 釜が崎 カップラーメン 一畳のドヤ」
「釜が崎 日雇い暮らし 十二年 この老体を いかにすべきや」
「顧みる わが人生は 悔いばかり 夢追いすぎて いまホームレス」
「ドヤ銭も めし食う金も底をつき 雨降りやまず 不安募りて」
「流れ行く 雲にたのみてふる里の 母に元気と伝えておくれ」
「あおかんのとぎれとぎれの夢に見る 母の面影 ただ懐かしく」
「病みふして 仕事に就けぬ 悔しさよ 日雇の稼業 これで終わりか」
「亡き母の命日なれど帰れない 釜の夕暮れ 遠きふる里」
「燃え残る 夢はあれども無情なり 六十路の我は求職できず」
==================================================
2001年3月14日 現在 読者数 1176
|